第四話 巫女の盾 8 ヴィヴァレーの獣
俺たちは、間もなく始まるであろうシニアン村襲撃の対策を練った。しかし残念ながら、俺たちはエリスも含めて、大人数戦闘についてはまったくの素人だった。
敵がやって来る方向は、さっき倒れた男が言っていたから分かっていた。なので、戦いやすいところまで出向き敵を迎えうつのはどうかと俺は提案してみた。
それにアリーシャは反対した。
敵の詳しい数が不明なので、敵が二手に分かれてきた場合、俺たちが離れたところで村が襲われてしまう可能性がある。
ならば、村の一箇所に集まった方が守りやすいとのことだった。アリ-シャは村のことを考えていないわけではなかったのだ。俺はそれに気づき恥じた。
村の人口は約八十。その中から戦える男を十人ほど募った。残りの村人は、この村で一番強固な建造物であると思われる教会の中に集めた。
俺たちは、その教会の前に陣取ることにした。そこは大きく開けていて、村の中央から、敵がやってくるであろう出口までも見渡せたからだ。
待機中、エリスは俺に、シニアン村にアリーシャと聖女が到着してから俺がいた牢にくるまでの間、二人に話していた内容を伝えた。
「最初に聞かれたのは君のこと。そして、その次に私が話したのはピレーと名乗ったあの仮面の男のことです」
ピレーについての問題は、奴があの封印の絵画に触れていたこと。そういえば、それを見てエリスのようすがおかしくなった。
「もしかして、封印を解いたのか?」
「いえ、それができるのは巫女だけです」
では、また封印の崩壊しようとしていた? いや違うか。封印が崩壊するとその衝撃でその場にいる者が全滅するほどの破壊力があるんだったな。俺たちは無事だということはそれではない。
「彼は魔の力を取り込んだ、いえ、取り込まれたといった方が正しいでしょうか」
「そうなると、どうなるんだ?」
「わかりませんが、彼はもう、おそらく人と呼べる存在ではなくなっているでしょう」
「つまり、もっと強力な敵になっているかもしれないってことか?」
新たな脅威に頭を悩ませていると、村の異変を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
警戒していると、男を乗せた馬がものすごい勢いでこちらに向かって走ってくるのが見えた。
乗っているのはあの仮面の男ピレーだ。だがその一頭だけだ。他に人影は見あたらない。
「弓を撃ちなさい、早く!」
アリーシャは弓を持った村人に指示をした。
しかし、そう簡単には当たらない。
まっすぐ突っ込んでくるといえ、動いている相手にそうそうあたるものではない。それに、人に向かって撃つのもおそらく初めてだっただろう。
そして、仮面の男はあっさりと俺たちの前までたどり着いた。
アリーシャは片手をあげて、村人の弓を止めさせた。
「お初にお目にかかる、滅びの巫女どの。私はダンダリア党のピレーと申します」
馬を降りて、仮面の男は名乗りをあげた。
「聖女さま、こいつのこと知ってる? 隠し事はなしよ」
「いえ、知りません。おそらく組織の中でそれなりの地位にあると思われますが、実は数年後、彼らは意見の相違で内部分裂をおこします。そこで敗れさった人物かと」
「ようするに、名も残らないような雑魚ってことね」
「ほう、これは手厳しい」
「ですが、油断はできません。少なくとも器に足る力を持つと推測されます」
聖女の忠告に、アリーシャはうなずいて答えた。
「私がその巫女よ。で、あなた一人? お友達はどうしたのかしら?」
「彼らは少々殺気だっていてね。私だけ先行させてもらった。お二方と話をするために邪魔だったもので」
「ふぅん、私も聞きたいことがあったのよ。あなたたちが、どうやって封印の情報を手に入れたのかを」
「それはもちろん、賢者ダンダリアが残した真実からだ」
「ダンダリア、数百年前に教会から貴重な書物を盗んで逃げたという、背教者ダンダリアよね」
「それは真実ではない。賢者ダンダリアは何も盗んではいない。教会の奴らが流布した偽りである。封印に関する知識は代々口伝である。そもそも書物になど残してはいない。賢者ダンダリアが盗んだとされる書物などもとから存在しないのだ」
「それは、たしかにそうよ。だからこそ、なぜダンダリアがそんな知識を持っていたのか疑問なんだけど」
「賢者ダンダリアは二代巫女の盾だった。彼が封印に関する知識を持っているのは当然のことなのだよ」
「は? そんな馬鹿な」
「教会の教えが全て真実だとでも思っているのかな? 滅びの巫女よ。二代巫女アリーメルデと賢者ダンダリアは共に戦った。そこに聖女は存在すらしていない。そして、賢者ダンダリアはこう言い残した。魔の者たちとの戦いは初代アリーメイア、そして二代アリ-メルデにより終結した。これ以降あらわれる巫女は全て偽者であり虚構。──もしくは、新たな脅威の種となりうる排除すべき大いなる災いを生むものである」
「なるほど、そういうことか。まったく迷惑なものを残してくれたものだわ」
「では問おう、巫女や聖女と名乗る貴様らはいったい何者のなのか」
「何者といわれても、僕は聖女、救世の巫女アリーシャに天から使わされた知の女神」
聖女が問いに答えた。
「戯言を、初代アリーメイアは盾と三人の聖女と共に、魔の者と戦ったという。しかし聖女はただの人間だったと、賢者ダンダリアはそう言い残している」
「一言でいえば間違っているからですよ、そのダンダリアさんが残したという真実とやらが。天から使わされた聖女はもちろん初代アリ-メイアの時代にもいましたよ。というか、それが私なんですけどね。ええ、私は知っています。後の世で巫女と呼ばれることになる勇者と、その盾と呼ばれることになる魔法使いのことを。えーと、三人の聖女? ああ、多分あの人たちのことかな」
「人が天使など呼び出せるものか!」
「事実、呼び出したわよ私が。トモアも見てくれたよね?」
「お、おお。すごかったなあれは」
話に聞き入っていた俺は、急にふられてあたふたしながら答えた。
「たしかに君は前回の巫女のような張りぼてではない。決して放ってはおけぬ邪悪な力を有する災厄だ。人を見ただけで破壊できる力など、悪魔の力といわずなんという!」
「そりゃ、できれば私もかわいい能力のほうがよかったけど……?」
「……ぬぐぅおお!」
突然、仮面の男はうなり声を上げだした。そして、その体がみるみる膨れあがっていく。相貌は獣のように鋭く削げ落ち、黒光りする体毛に全身が覆われて、頭には二つの角まで生えた。ピレーはまるで巨大な怪物と見まがう変わり果てた姿となった。
ヴィヴァレーの獣、村人の中の誰かが言った。
「これで話は終わりってわけかしら? トモアは聖女さまの守りを、こいつのことは大丈夫だから私に任せて」
「……わかった、無理はするなよ」
怪物の豪腕がうなりをあげて、アリーシャに襲い掛かる。アリーシャはそれを無造作に払い上げて、逆に相手の顔に拳を叩き込んだ。
「グゥ……ッ。さすがだ、滅びの巫女よ。これほどまでとはな」
「あ、しゃべれるんだ。なんか余裕そうだけど、痛くないの?」
怪物の腕はおかしな方向に曲がり、その顔は半分ほど吹き飛んでいた。しかし、それも束の間、顔の損傷部分が泡立ちはじめると欠損を埋めだし、その腕はぐるりと一回りしたあと元に戻った。
「いやなに、まだまだこれからだよ」
「だったら、ぺしゃんこになるまで叩きつぶしてあげるわ」
「トモアどの!」
あらたな敵の接近に気づいたエリスが叫んだ。
「ああ分かっている!」
俺もアリーシャに見とれている場合ではない。
いつの間にやってきたのか、四方から一斉に白装束が襲いかかってきた。あの砦の奥にいた数より二倍から三倍はいる。
やつらもこの数日で仲間を呼び寄せていたらしい。しかも白装束たちは薬でも使ったのか、狂乱状態にあった。
「はわわわっ」
聖女が混乱して右往左往している。
「聖女さまはこちらへ!」
「はいぃ」
聖女を背に隠して俺は戦い続けた。しかし、次第に守りきれない者も出てくる。
「うあぁぁっ!」
白装束と戦っていた村人の痛々しい悲鳴があがった。
誰かがやられたのか? 俺は戦いながら声のしたほうを向いた。
そこには服の前面を大きく裂かれた男が呆然と立っていた。見たところ怪我はない。どうやら無事のようだった。
「落ち着いてください、みなさん! あなたたちの体は巫女の力で保護されています。剣で斬られたくらいの攻撃は通じません」
これがアリーシャの魔法。なんてすごい力だ。剣で斬られてもまったくの無事だなんて完全に反則じゃないか。
「はわ、はわわわわ!」
その説明をした聖女が一番落ち着いていないようだったが。
村人たちはその恐怖を完全には抑えきれずにいたようだが、それでも効果は絶大だった。
逃げ惑うだけだった村人がまともな戦力となり、一進一退の攻防になった。確実に白装束の数を減らせていた。しかしそれは俺に影響を与えなかった。
こんな狂気に頼った奴らの攻撃なんて食らってやるほどまぬけではないからだ。
だが、そんな相手に俺の剣を受け止められてしまった。
しかも素手でだ。もちろん相手の手は深く裂けた。痛みを感じていないのか、その白装束はそのまま戦いを続けようとしている。
そのとき、敵対した相手に何度も言われてきた言葉が頭に浮かんだ。お前の剣は軽い、軽くて無力だと。目の前の白い覆面の奥の顔、その瞳に、笑われた気がした。
そうだ、もう速さはいらない。こいつらを叩き伏せる力を。
「うおおおおぉ!」
俺の剣を掴んでいた腕ごと、そのまま真っ二つにしてやった。まるで布を切るように。
「これは……?」
大事な何かを今、俺は掴んだ気がした。
白装束もあと残りわずかになっていた。そのとき、村人の一人が悲鳴を上げた。
「は、話が違う……っ」
彼は血を吹き上げながらそう言い残し、倒れた。
「エリス!?」
「だめだ、もう手遅れだ」
白装束の最後の一人を倒したエリスがそういった。
「アリーシャさんが!」
聖女がアリーシャを見て心配そうな声をだした。
「はぁーっ、はっ、はーっ……っ」
荒い息のアリ-シャ、あきらかに消耗していた。アリーシャは押されはじめていた。そしてついに、怪物の強力な一撃を食らって、後ろに吹っ飛ばされた。
「アリーシャ!?」
俺はアリーシャの元へを向かうと、倒れている彼女を抱きかかえた。
「アリーシャさんの魔力が弱まっているのです。村人たちを守ることで余計に消費したこと、そして、予想以上に相手が強かった」
聖女がアリ-シャの状態を説明した。
「だ、大丈夫。ちょっと油断しただけ、だから」
アリーシャは立ち上がろうとして、ふらつき、また倒れた。
「エリス、回復を」
「ああ、わかった!」
エリスの手に光が灯り、アリーシャを癒しはじめた。
俺は横目にピレーを確認した。奴もまた満身創痍だった。全身から煙をあげて、片ひざをついたまま動かない。身体の修復に専念しているのだろう。
けれど、その目は勝利を確信していた。巫女アリーシャを倒し、残りはとるに足らない者ばかりと、怪物は余裕の笑みを浮かべていた。
「これはひどい。全身がぼろぼろだ。それを魔力で無理やり動かしていたのか。なんて無茶なことを」
「この馬鹿、無理するなって言っただろうに……」
「……ごめんね、つい」
「アリーシャ、防御を頼む」
「……え?」
「君は俺の巫女だろう? だから今は俺だけを守れ」
「うん、わかった」
いつもなら引き止めていただろうアリーシャも、負傷のせいで意識も曖昧なのか、ぼんやりした表情で素直に答えた。
「な、何を言っているのトモアくん!? アリーシャさんも、ほら立って! 大丈夫、まだやれるって!」
「聖女さま、ここは俺を信じて任せてくれ」
「は、はい、わかりました!」
俺の真剣さが伝わったのか聖女も快くうなづいた。
そして、怪物に向かおうとしたところ、アリーシャに袖を引かれて呼び止められた。
「どうした、アリーシャ?」
しかし返事はない。やはり不安になったのだろう。
「アリーシャ、覚えているか? 君が俺にはじめて力を見せた日のこと、そしたら俺がなんて言ったのか」
「ええ、もちろんおぼえてる。でもどうして?」
なぜ急にそんな昔のことを俺が言い出したのか。疑問に思うのは当然だろう。
「実はな、今さっき思い出したんだ」
「とてもひどいわ、それは今まで忘れてたということ?」
「すまない。それぐらいアリーシャがいなくなったことがつらかったんだ」
「ずるい、そういわれたら許すしかないじゃない。いつの間に口が上手くなったの? それとも、私がトモアに甘すぎるだけなのかな」
「アリーシャ、この戦いが終わったら……」
「フラグきた!? あの、トモアくんもそのへんで! アリーシャさんのお体に触りますから!」
なんか聖女がうるさかったが俺は続けた。
「もう一度、君に誓わせてくれ。君の騎士になることを」
「この戦いが終わったら!」
言いながら、聖女は勢いよく立ち上がった。
「僕、伝説になります!」
そして、こぶしを胸の前で握りしめ叫んだ。
「私!? こ、これからも聖女様のために、より一層の助力をしてまいります!」
続いてエリスも抱負を語った。
「私はそうだな、この戦いが終わったらトモアにその返事をするよ」
「ああ、楽しみにしてる」
そして、俺は怪物の前に立った。
「茶番は終わったのかね?」
そいつは余裕たっぷりに構えていた。一見したかぎりでは肉体の損傷も見あたらない。まっさらな毛並みを誇示している。
「うるせぇよ、お前が言うな」
「……なに?」
「バケモンがえらそうに人様の言葉を話してんじゃねぇ、いい加減にしろ」
「私が、化け物だと……?」
ピレーだったモノは、そのするどい歯を剥き低い唸りをあげて威圧してきた。
「もしかして自覚がなかったのか? 何が巫女は災厄を生む種だ。どこからどう見ても、お前のほうが人類の敵だろうに。だから世界のために、さっさと死んどけ」
「剣が多少速いだけの無力な少年が、いったい何を成そうというのか!」
俺を舐めているのか力任せに振るってきた右腕を、剣で払って切り落としてやった。
「なにぃ!?」
だが、こっちも無傷ではない。ただそれだけで強い衝撃の反動に襲われていた。腕がへし折れるような痛み。アリーシャはずっとこんなものを耐えていたのか。
「キサマ!? なんだ、この力は!?」
明らかに余裕を失って、うろたえはじめる怪物。
無理もない。先日の対決で、俺の力などとっくに見切ったつもりでいたはずだ。
「俺はこの剣を、ただ軽くなるだけの便利なものだと思っていた。だが違う、これは俺の思いに答えるギフトだ。今から考えれば、他人が持とうとすると重くなるのも、これは俺の剣だっていう子供じみた独占欲によるものだったんだろうな」
「な、何を言っている……?」
まったく理解できないという顔。
当然といえば当然だ。そもそもこいつは、この剣が、天より降臨した女神から授かったという反則級のとんでもないものだということも知りはしない。
「バケモンは切り落とした腕も治るのか? え、どうなんだ?」
怪物はとっさに後ろに飛びすさった。俺はそれを追いかけて、奴の足を切り落とした。
「うおおぉ、馬鹿なぁぁ!」
怪物は地面に這いつくばるだけになった。しかし、なんと背中から大きな翼を生やして空中に飛び上がった。そして、そのまま逃げようとしていた。
何か方法はないかと、見渡す。地面には村人が落とした弓があった。
「……俺もそろそろ反抗期を卒業しないとな」
俺はその弓を拾った。そして番えたのは矢の変わりに銀の剣。羽のように軽く軽く、巨岩のように重く重く。剣は弓を破壊しながら発射されて、吸い込まれるように怪物を貫き打ち落とした。