第二話 旅人の空 5 未来予知
出発から三時間ほど、ホーリンの森はもう目と鼻の先。緩やかな広陵のふもとで休憩をとることにして、俺たちは昼食をすませた。
アリ-シャは少し不機嫌になっていた。そのせいか会話が少なかった。
森の中へと進んでから、それなりに時間も過ぎた。だが、ほとんど話らしい話をしていない。疲れたからというわけでもないだろう。
アリーシャの足取りは変わらず軽やかだった。
それはそれとして気づいたことがある。アリ-シャの聖女に対する態度がやはり、あきらかによそよそしい。
敬意をはらっているといえば聞こえがいいが、それよりも硬質的で、やや冷たい感じがする。彼女らしくないといえば、らしくなかった。
「なにコイツ、感じ悪い。みたいな目で見られると傷つくんだけど?」
ため息をつきながら、アリーシャは言った。
「そ、そんなつもりは」
どうやら、俺の二人の仲を探るような目にはとっくに気づいていたらしい。
「私の態度が悪いというのもわかってはいるわ。でも、正直にいって私も戸惑っているのよ。聞いていた話とあまりにも違っていたから」
「どういうことだ?」
「教会からね、聖女様のことは前もって聞かされていたの。それで言い方は悪いけれど、その、人形のようなものだと思えって」
「人形?」
「話もしないし感情もないって言ってたのに。ね、全然違うでしょ」
「たしかに感情豊かというか、なんというか」
「ねぇねぇ、何の話してるの?」
少し後ろを離れて歩いていた聖女が駆け寄ってきて、話に加わろうとする。
「いや、その」
「僕が言うのもなんですけど、アリーシャさんが戸惑うのも仕方ないと思うんだよね。聞いてた話と違ったらさ」
あ、聞こえてたのね。
「聖女というものは、感情希薄で非協力的。とても天の救いなどといえるものではない。むしろ天から我々人間を監視するために送られてきているのではないか。聞かされてた僕のことって、だいたいこんな感じでしょ?」
「……はい、そう教えられていました」
とても気まずそうに、アリ-シャは答えた。
「いやいや、ありますし。感情とか普通に」
「……そうみたいですね」
アリーシャが沈んだ表情で答えた。
「アリーシャさん的には、そっちの方が都合よかったみたいだけどね」
「そ、そんなことは……ないですけど」
その反応を見ると、聖女の言葉はまったくのでたらめというわけでもなさそうだ。
感情のない人形みたいな聖女の方が、アリーシャには都合がいい? どういうことだ?
「まぁ、悪いことばかりじゃないんですよね、これが。さっきの説明では見てるだけの置物みたいな説明だったけれど、見てお分かりのように、この僕は一味ちがうわけですよ。知の女神をなめてもらっちゃあ困りますよ!」
「は、はぁ……?」
「じゃあ、さっそく役に立ってみせましょう」
そういうと聖女は、おもむろに振り返ると、街道から外れた森の奥の方を指差した。
「そこに隠れている山賊さんたち。コソコソとしてないで、さっさと出てきなさい」
「山賊? こんなところにいるわけが……」
アリーシャが異を唱えようとするが、それを最後まで言い終える間もなく、木々の合間から人影が現れて、ぞろぞろとはい出てきた。全部で四人いる。
それぞれが不揃いの武具をこれでもかと身に着けている。いかにも山賊といった格好をした男たちだ。
「驚いた、本当にいた」
アリ-シャが思わずといった様子でつぶやいた。
「あなたたち、エンデ村から来たの?」
「エンデ村? 知らんな。ところでここいらはどのへんだ?」
「ここがどこだかわからない? いい歳して迷子なの、あなたたち。どこからはぐれてきたんだか。どうせ縄張りをとられて流れに流れてきたんでしょうけど」
「まぁ、そう言うなよ。こっちもこっちで大変だったんだぜ、お嬢ちゃん。メテフォナって知ってるか?」
「メテフォナ? ということは、あの森を抜けて東からきたの? あきれた」
このセルビエスの近くから、東方の都市メテフォナにまっすぐ行くには、深谷森と呼ばれるセレーの森を抜けなければならない。少なくとも、十日以上はかかるんじゃないだろうか。深谷森は、道と呼べるようなものは整備されていないし、危険な動物もわんさかいる。野生の狼やいのしし、噂では生き残った魔物までいるなんて話もある。
つまり、そんな場所を抜けてやってきたこいつらは、とても危険な存在ということだ。
「それにしても、あなたたちは運がないわね。はるばるやってきて選んだ最初の獲物が私たちだなんて」
「はぁ? お前らが、どうしたって?」
「私の名はアリーシャ、今代の巫女よ。そして、この方が銀の聖女よ」
アリーシャはマントのフードを外し、その赤い髪と目をさらして名乗った。
「あ、はい。僕が聖女です」
聖女も、それにならってフードを外した。
「……もしかして、お嬢ちゃんたち、ごっこ遊びの最中だったのかな?」
たしかに、急に巫女だ聖女だと言われて、信じろというのは無理があるしれない。
だが、ある種の神秘的な様相を持つアリーシャや聖女の素顔を見て、動揺をまったくを見せないというのも逆にすごい。
どうやら本気で山賊たちは、聖女や巫女のことを恐れていないようだ。
「無法で無教養、救いようがないわね」
「へぇへぇ、巫女さまと天界の聖女さまね。勘弁してくれよ、聞いているだけで背中が痒くなる。どうやら御伽噺は卒業して大人になる時間がきたみたいだぜ、おじょうちゃん?」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとかかって来なさい」
しまった、間抜けにも俺は剣を抜くのが遅れた。
山賊たちは、こっちが女子供ばかりと舐めているのか、武器を手をとっていなかったからだ。
急いで俺が剣を抜いた時にはもう、一人の山賊がアリ-シャに掴みかかっていた。それを難なくアリーシャはよけた。
山賊たちは俺を無視して全員がアリーシャに向かっていく。
だが、俺は見とれてしまっていた。
アリーシャの動き。速いなんてもんじゃない。速すぎて残像が見えるんじゃないかってくらいだ。山賊たちは最初、余裕な顔でニヤニヤしながら、途中からはムキになって掴みかかろうとする。だが、まるで先読みでもしてるように全然かすりもしない。
「うぐぁッ!」
舞うように避けるだけだったアリーシャが一転、反撃を行った。高くあげられた蹴りが、一人の顔面を直撃。鼻がへし折れる。
突然の変化に動きが止まっていた山賊の腕をとり、そのままあらぬ方向に捻じ曲げた。骨が折れる嫌な鈍い音と共に、男の悲鳴があがった。
山賊たちの目の色が変わった。
仲間が次々に負傷したのを見て、ようやく本気になったのだろう。
「いいかお前ら、手足の一本や二本なくなってもすぐには死にやしねぇ。価値が下がるなんて気にするな。どうせ今は売りさばくあてなんかねぇんだ。遊ぶだけ遊んで、遊んで。死ぬまで遊びぬく。そしたら捨てるだけだ」
いうやいなや、山賊たちは各々武器を手にした。
アリーシャに思わず見とれてしまっていたが、さすがにもう限界だ。俺が飛び出そうとしたとき、なぜか聖女に肩を掴まれて止められた。
「な!?」
俺は驚きのあまり聖女を振り返り、またアリ-シャに視線を戻したときには、山賊の一人がアリーシャに向かって大きな斧を振り下ろしていた。
「アリ-シャ!?」
信じられない事に、アリ-シャは山賊の斧を正面から片手で受け止めていた。
しかも刃の部分を素手で掴んでいる。
「馬鹿がッ、後悔しやがれ!」
「早く手を放せッ、アリーシャ!」
このままだと彼女の右手の指が無くなってしまう。
「ぐっ、なにィ!?」
山賊が、驚愕の声をあげる。
不思議なことに、筋骨隆々の山賊の男が、どれだけうなり声をあげながら歯を食いしばり、力をこめようとも、その斧は押しても引いてもびくともしなかった。
次に、アリ-シャの後頭部を狙って後ろから襲ってきた剣が迫るが、今度は彼女の手前、空中で静止した。
どうやら、止める動作すら必要なかったようだ。
「つぁ! あっちいッ!」
突然、その山賊は悲鳴をあげて、思わず手から剣を離した。
地面に落ちた剣は煙を上げながら灼熱に燃え上がり、そのまま溶けて流れた。
「死神め……っ!」
そう吐き捨てると、山賊たちは残っていた武器も放り出して逃げ出していった。
「死神じゃなくて巫女よ。ったく、失礼なやつらね」
アリーシャは何事もなかったかのように掴んでいた斧を放り投げた。
まじかよ。すごいとは知っていたが、さすがにここまでとは思っていなかった。
さすが巫女めっちゃ強い。
あれ、俺いらなくね……?
「なに、ぼけーっとしてるのよ、トモア」
呆然とする俺に、アリ-シャは満面の笑みを浮かべてこちらを振り返った。
「巫女の盾を名乗るつもりなら、しっかりしなさい」
「あ、うん。……え?」
なんともいえない笑顔でウンウンうなずきながら俺の肩をポンポン叩いてくる聖女さま。
ちょっとだけイラッとした。
/
「フフン、フフフーン」
さっきまでとうってかわって上機嫌のアリーシャだった。
鼻歌なんか歌ったりしちゃって。一暴れしたことで満足したのだろうか?
もしかして破壊願望に目覚めた?
「……むぅ」
今度は逆に、聖女の方が難しい顔をしていた。
「どうかしましたか?」
「い、いやあの、えっと。見逃してよかったのかなって?」
「え?」
「さっきの山賊。逃がしちゃったけど」
「ああ、山賊のことですか。でも、縛るものもないし、連行するのも難しいだろうし」
あえていえば、すごく邪魔くさい。
「とどめを刺した方が良かったかな?」
「ずいぶんとぶっそうなことを言うのね」
アリーシャが俺の過激な物言いをとがめた。
「しかしだな、やつらのこれまでしてきただろうことを思えば、アリーシャも許せないんじゃないか?」
「そうね。でも、トモアも怪我一つなく無事だったし、あの様子だともう懲りたでしょ」
「少なくとも武器は失ったから、しばらくは大丈夫だと思うが……、ん?」
「どうしたの?」
「いや、なんか聞こえないか?」
後方からガタガタと音が聞こえはじめ、やがてそれはどんどん近づいてきた。
振り返って確認すると、後方から一台の幌馬車が来ていた。
一応、警戒はしたものの、見た限りには普通の行商人の男だった。
「やぁ、君たちは旅人かい?」
「ええ、そんなところです」
「どうだい、これも何かの縁だ。一緒に乗ってくかい?」
どうやら、俺たちのことに気づいていないようだ。セルビエスからきたのではない?
そういえば森の中ですでに一つの分かれ道を過ぎていた。
だとすると、彼は別の方向からきたのだろうか。
「どうする?」
二人にたずねた。
「そうね、いいんじゃないかしら。大丈夫だとは思うのだけど、さっきの山賊のこともあるし」
「うん、そうだな。じゃあ、お言葉に甘えてお世話になります」
「実は中に娘がいる。ミリア、っていうんだが仲良くしやってくれ」
一人の少女が、父親の後ろから顔をのぞかせた。それは、十歳にもならない女の子だった。
「男だけだったら無視していたよ。連れの子たちに感謝しなよ、兄ちゃん」
「そりゃ、どうも」
乗り込むために後方へ回り込む。
「……あ」
「どうしたの?」
「いやたしか、王都までは徒歩で行けとかいう慣例があるんだよな?」
「ああ、あれね。徒歩で出発しろってのが決まりだから、途中で馬に乗っても、馬車に乗っても全然まったく問題ないわ」
アリ-シャは、なんでもないことのように言い切った。
馬車の中は荷も少なかった。一人の女の子に加えて、俺たち三人が増えても余裕を持って過ごせそうだ。
腰を下ろしたとたん、聖女がふぅ……と、かわいく一息つきながら、フードを下ろした。
輝く銀色の髪があらわになった。
「ちょっ、ちょっと」
あまりに急すぎて、呆気にとられたあと、アリーシャがうろたえる。
「おねえちゃん、髪すごくきれい」
「ありがとう。ミリアちゃんも、すごくきれいな金髪だね」
「えへへ、お母さんと同じなんだよ」
その、お母さんの姿は見えない。家で一人、父と娘の帰りを待っているんだろうか。
「今までこんなの見たことない。銀色?」
「実は聖女なんですよ、わたし」
近くにいる俺たちにわずかに聞こえるような小さな声で、女の子に耳打ちした。
「本当? すごい」
「ちょっま、聖女さま!?」
「これは秘密だよ」
「お父さんにも?」
「うん、ミリアちゃんだけね」
「アリーシャさんも、私たちしかいないんだしフードをはずしたら? 疲れもとれないですよ?」
「……しかし」
アリーシャは馬車を操ってる行商人の方をちらりと見た。
正直、話が聞こえないほどの距離があるわけではない。だが彼は一人、外で蹄の音と共にある。さっき聖女がしたように、こっそり話せばたしかに大丈夫だろう。
「ほら、この子しか見てないし。ね、ミリアちゃん。秘密にできますよね?」
「はい、できます!」
「わかりましたよ、もう」
結局、アリーシャもフードをはずした。
「ふわぁ……」
アリ-シャの赤い髪に、子供が見とれている。
「じゃあ、私もお返しに内緒のことを教えちゃうね」
「……え、なになに?」
自由な聖女の行動に、渋い顔をしていたアリ-シャが、女の子の内緒の話とやらに勢いよく食いついていった。
その後、馬車の中は女三人できゃっきゃっ、きゃっきゃっと話でもりあがっていた。
そして、ついていけない俺。
一人、外を眺めていた。早くエンデ村に着かないかなぁ。