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第一話 降臨の日 1 旅路の支度

「しかし、もったいないだろう?」


 刃引きした剣を打ち合う特有の鈍い鉄の音が、石作りの建物に挟まれた細い路地に響く。

 連続して重なり合い、反響する耳障りな雑音。


 だが、それもそろそろ途切れだしはじめるだろう。


 剣を振り続けて数十分、疲れも溜まってきて振りが大きくなっている。

 そうなると、叔父が軽く体を横に捻る、それだけで剣は避けられむなしく空を切った。


「一生に一度あるか、いや、それ以上だ」


 対する叔父は平然と話しかけてくる。それに対して俺は言葉を返すことができない。口を開く余裕なんてないからだ。


「くっ……、おわ!?」


 見事な空振りに体勢を崩してすっ転ろび、俺はそのまま木箱にぶつかって止まった。


 裏路地の間にまるで壁のように積み上げられていて、崩れてきたらあわや大惨事というところだが、中身がぎっしり詰まっていたおかげかそうはならなかった。

 たぶん、音からして空き瓶。隣の酒場のものだろう。


「よし、今のはよかったぞ」


 とてもそうは思えない。言葉のわりに軽くいなされ地面に転がされているのだから。


「何事も勢いってのが一番大事だ。どうにもこうにもいかない、そんなときでも、むしろそれだけでなんとかなる場合もあるからな」


 それは本当なのだろうか。道端にひっくり返ったまま、少し冷静になって考えてみる。


 空は青く、左右は石壁。

 この場所は少々景観が悪いが、通りに出れば、それなりに賑わいのある良い街だ。


 都市セルビエス。郊外も含めれば人口千人を越え、王都にも近い。交易も盛んで領主の許可を得た商店が大通りに軒を連ね、行商人が広場で露店を並べて定期市が開かれる。

 活気と喧騒に包まれながら、ほとんどの住人は一歩もこの都市を離れることもなく、そのことに疑問を覚えることもなく満足して死んでいくのだろう。


 そして俺は、そんな生まれ育ったこの場所からもうすぐ旅立つことに決めていた。叔父に剣を習っているのもそのためだ。


 俺自身もこの街で暮らしていくことに不満があったわけではないし、日々のままに一つの街で生涯を終えていく人々を否定するわけでもない。


 ただ、外の世界に憧れを抱く数少ない例外もいたというだけのことだ。

 遠い記憶の向こう、幼い頃に聞いたおとぎ話をいつまでも忘れられずにいるような、まるで子供のままに成長できていないような人間が。


 忠義なる騎士ヴァーテルの叙事詩。


 この国に生きる人間なら知らぬ者はいない英雄譚。生まれ育った祖国を裏切ることになったとしても、一度守ると誓った姫を生涯を通して守りきった。その身も心もすり減らしながら。


 かつて少年だった者なら、誰もが一度は憧れたはずの夢物語。

 剣の腕を頼りに諸国を巡る旅に出て、いつかは剣の道を究め立身出世。それは無謀というものだ。そんなものは魔物が当然のようにうろつき、戦争に明け暮れていた遠い昔の話だ。


 だが、その無謀を実践した人が目の前にいる。

 叔父のジェロームだ。彼もまたその昔話に憧れて、若い頃に家を飛び出した。

 その時の叔父は、今の俺よりも二つ下の十四歳だった。


 当然のように、その旅路は順風万藩とはいかなかった。食う物にも困り飢えて空腹も限界を越え、盗賊に落ちる一歩手前まで追い詰められることもあったそうだ。


 剣の腕とはなんら関係のない肉体労働で路銀を稼ぎ、自問自答する日々が続く。


 だが、諦めることだけはしなかった。

 建設造営の手伝い、荷馬車の護衛、酒場の用心棒、小さな仕事を腐ることなくこなし、虎視眈々と剣の腕を磨いていた叔父に。ようやく好機がおとずれた。


 都市領主間の領地争いに端を発した紛争が起こると傭兵の身ながら奮戦し、落ち延び隠れ潜んでいた魔物が発見されれば、討伐隊に加わり見事退治を成功させ、続いて大規模な山賊討伐戦でも名を挙げて、その数々の功績で東方都市シルヴァンスの領主から、平民出身としては異例の、騎士に任命されるという快挙を成しとげた。


 そして一年ほど前に、このセルビエスに帰ってきた。人生をかけて守るべき人を連れて。


 叔父がこの街から出て行った当時、俺はまだ物心付く前だった。

 だから俺が叔父の顔をちゃんと見るのは、帰ってきた後に会ったそのときが最初だ。

 そもそも叔父の存在自体を俺は知らなかった。叔父の兄である俺の父からも、それまでまったく聞いたこともなかったのだ。


 叔父が帰ってきてからも会話の話題にあがることはなかった。

 理由はまぁ、だいたい想像がつくけれど。


 父は現実主義そのものだし、要するに普通の人だ。叔父の旅立ちを当然のごとく反対したはずだ。それで結局はケンカ別れってとこだろう。


 そんな父の心を俺は知ってか知らずか、毎日のように叔父の家を尋ねて旅の話を聞いた。

 そして、叔父の影響を大いに受けることになった。


 夢物語などではない、目の前に実在している英雄に。


 だから、俺も旅に出ようと思った。

 いつか誰かを、何かから、守りきることができたなら。

 まぁ、今の俺に守るべき人なんていないけれど。


「ん、もう終わりか?」


 まだまだ。

 そう答えるように、俺は半身をおこした。


「そうかい」


 叔父はニヤリと笑うと向き直り、剣をかまえた。

 今度こそ立ち上がることもできず、今日の稽古はここで終わった。


「俺と良い勝負なんてもんを目指してたら、旅立つ頃にはオッサンだぞ」


 止めとばかりに痛いところを突かれた。自分で近日中に旅立つことを決めたというのに、あらためて叔父との実力差にふれて、打ちのめされているのを見透かされたようだ。


「そりゃあ、たしかに」


「まぁ心配するな。それなりになんとかなるもんさ、俺もなった」


 俺はまだそこまで楽観的に物事を考えることはできない。

 これこそが人生経験の差というものだろうか。


「なんなら弓を使え、お前の弓はなかなか大したもんだ」


 俺の弓の腕が大したものかどうかについては置いとくとして、子供の頃から使いなれている分、確かに剣よりも弓の方がよっぽどマシだろう。それなりに得意だと思ってもいる。けれど好きにはなれない。


「俺は剣士になりたいんですよ」

「ほう、俺のようにか?」

「あ、えっ、はい、そうです」


「お前は世辞が下手だなぁ。それじゃあ女にモテん。そのへんの鍛え忘れが本当に心残りだよ。今後、 重点的に鍛えておきたいところだったが……」


 むしろ、どちらかといえばそっち方面に比重が置かれていたようにも思えるんだが?


 叔父曰く、レディの扱いについて、その傾向と対策。剣を教えてもらうようになるのもすんなりとはいかず一苦労だった。剣を持つより先に文字とかも教わった。早く俺に剣を教えてくれと当時は思ったもんだ。


「もうすぐ例の儀式の日だ。見てからでも遅くないと思うんだがな」


 また話が最初に戻った。どうしても俺に儀式とやらを見せたいらしい。確かに叔父の言葉も事実だ。それは一生に一度見れるかどうかだろう。


「とは言うものの、俺も見には行けない。嫁が怖がってな、あいつは東部の生まれだから。ほったらかしにはできない。だから、お前には見に行ってもらってどんなもんか聞きたかったんだが……」


「絶対ってほど、そこまで拘ってるわけではないんです」

「ん?」


 叔父も、あの過去の出来事を知っている。こうも熱心に薦めてくる理由を俺は理解していた。叔父は俺に、その日に現れるだろう人物と合わせたいのだ。


「なんというか、顔合わせづらいなぁ、と」


 儀式の日が近づいてきた頃、突然、何かに急かされるように旅立ちを決めたことに不審がられてその理由を、過去の出来事を話したからだ。


「女なんてもんはお前が思ってる以上に気まぐれなもんだぞ、そんな昔の話はすっかり忘れてるさ。むしろ俺のこと覚えてる? ってぐらいでちょうどいい」 


「そうですね、そんなものかもしれませんね」


 いっそ忘れてくれていた方が彼女のためだろう、なんて思えるのは正直にいって悲しいが。


「いいかトモア、物事には取り返しのつかないこともある。いや、人生なんて取り返しのつかないことしかない。当然だ、時間は巻き戻っちゃくれないからな。それでも得るものはある。どんなにやっちまったと後悔してもだ」


「……後悔や失敗よりも、それよりも大事なものがあるということですか?」

「ああ、その通りだ」


いっそ横暴と言えるほどの断言。叔父の目には一転の曇りも見えない。


「言い切りましたね」

「ん? 俺が手に入れたモノの素晴らしさについてだな、今からたっぷりと教授してやろうか?」

「それは俺にではなく奥さんに直接どうぞ」


「あいつには、もう口を塞がれるほど伝えたさ。それからは、言葉ではなく態度で示せってことになってな」

「あ、はい」


こうやって隙あらば惚気てくる、叔父の困った癖だ。


「もう一度よく考えてみろ」


 一転、叔父は顔を引き締め真面目な顔を作った。この言葉は真摯に受けとめるべきだ。


/


「あっれ、何やってんだ俺」


 先ほどの叔父との会話をひきずって心あらずの状態だったのだろう。

 無意識のうちに気づけば、教会が見える中央広場前まで来ていた。


「後悔の先に得るモノ、か」


 通りの階段の端っこに腰を下ろし、先ほどの叔父の言葉を思いおこす。


 決して考えなしの馬鹿になれと言っているのではない。それは分かっている。

 男が一度決めたことに迷いなど必要ないと、むしろ邪魔になり足を引っぱられる。そういうことを伝えたかったんだと思う。


 とはいえ、頭では理解していても、ってやつだ。迷いを見抜かれて思いっきり悩んでいるのが今の俺の現状だ。


 だが、悩んでいても時はくる。


 三つの始まりの日。

 それは世界が生まれたという始まりの日、初代の巫女が生まれた日、そして初代の巫女によって銀の聖女が天から降臨したとされる聖女降臨の日だ。


 そして数日後にその中の一つ、聖女降臨を祝う日、降臨祭が訪れる。

 降臨祭、それ自体については俺に思うところはない。まったく関心がないとすらいえる。


 無宗教ってわけでもないが父も母も敬虔な信徒ではなかった。

 そんな両親の影響もあるのか、俺自身もそうだ。


 だが、今年この街で行われるのは他の都市とは違う特別仕様となっている。

 なぜなら数百年に一度現れるとされる巫女がこの都市セルビエスに生まれたからだ。


 その日、行われる儀式。

 選ばれし巫女による聖女降臨の儀式。光と共に銀の聖女が舞い降りるという。


 本当にそんなことが現実におこりうるのか。

 天から使わされる銀の聖女とは一体どのような姿をしているのか。


 正直、興味がないといえば嘘になるだろう。むしろ、できることならぜひ見ておきたいとさえ思っている。


 それでも俺には、それを避けるようにして旅立ちを急ぐ理由があった。

 あの日、遠くに行ってしまった少女。


 俺の家は代々猟師の家系だ。当然のように父も祖父の跡をついで猟師になった。そして俺もそうなるはずだった。物心付いたときにはもう父の仕事を手伝っていたと思う。


 日々、森の中に入ってウサギやシカを狩って暮らしている。

 削いだ肉は食料に、剥いだ皮はなめし処理を施した後に皮細工職人の店へ売りに行く。


 そのついでに俺は叔父と会い剣の稽古を付けてもらっている。

 子供のころもそうやって同じように父の仕事についていって街に来ていた。


 そこで俺は彼女と出会った。


 透き通るような白い肌に燃えるような赤い髪と瞳を持つ少女。

 まるで妖精のような外見でありながら、街生まれのお上品な子供とだけではなく、俺みたいな街外れの集落生まれの腕白な少年たちと一緒になって、ドロだらけで遊ぶような活発さを持ち合わせたお転婆な女の子だった。


 彼女の家は、俺の家とは比べらものにならないくらいとても裕福で立派な商家だった。商人組合を取り仕切りセルビエスの貴族連中にも顔が利く大商人。


 アリーシャはそんな家の一人娘として生まれた。


 おそらく出会った時期がずれていたら友達になんてなれなかっただろう。

 身分の違いというものをきっと無視できなかっただろうから。

 だがそんなことは何も知らない子供たちには関係なかった、走りまわる子供の中に領主の息子が混じっていたくらいだ。


 こんな楽しい毎日がいつまでも変わらず続いて、仲間たちとこのまま仲良く遊んで暮らしていくのだと思っていた。

 彼女が巫女に選ばれる、そのときまで。


 今では俺も、アリーシャと出会ったころと比べてちょうど倍の歳になった。


 その後、いろいろなことがあって月日もたってとっくの昔に諦めてしまったモノ。

 ほんの一時を一緒に過ごしただけのことで、俺と彼女は元々縁がなかったのだと。それなら俺もいっそ、この街から遠く離れた場所に行こうと思ったのかもしれない。俺と彼女の行く道は、決して交わることなどないと分かっていても。


 冷静に考えたら何ともしまらない話だ。叔父が旅に出た理由と比べるべくもない。

 叔父の言葉の真意も解ってはいる。逃げずにちゃんと過去に向き合えと、旅に出るにしても整理をつけてからにしておけということだろう。


 結局、どう言い訳しようとも今だに忘れられずにいるのだ。

 このまま後悔を後々まで引きずることになるかもしれない。ならば、この機会を逃すべきではない。


 そうだな、別に減るもんじゃないし顔だけでも見てから行くことにするか。

 まぁ、その顔も見れるかどうかすらわからないのだけども。人だかりができるほどの見物人が集まるだろう。さらに、それを見越してきっと厳重な警備が準備されているはずだ。

 もしかしたら、遠目に後姿を確認するのがやっとかもしれない。


 ふと顔を上げたとき、ちょうど正面に教会が見えた。


 あの日、彼女から教会に行ってもう会えなくなると聞いたとき、最初はこの街の、この教会に入れられて出ることができなくなって、それで会えなくなるのだと思った。


 でもそれは勘違いだった。

 あのころは教会なんて、ここ以外にあるなんて知らなかったから。

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