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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

感情を機械的に模倣するだけの上位存在だった天使が愛を理解する話

「あ……あ……」


『ウウウゥ……』


 地の底から響くような唸り声をあげて、禍々しい獣ーー悪魔が僕を見ている。


 必死にここまで逃げてきたが、もう足腰が限界でへたり込んでしまった。周囲には誰も居ない。今度こそ、誰も助けてくれない。


『ウウッ!』


「ッ!」


 大口を空けて飛びつこうとする悪魔に対して、僕が出来たのは目を背ける事だけだった。

 死ぬ。


「ーーふッ!」


『ギャッ!?』


「……えっ?」


 死を覚悟していた僕の目に映ったのは、神々しいと言っても良い光景だった。


 眩い金髪の上に光輪を、背中に真っ白な翼を携えた女の子が、その手に持つ炎の剣で悪魔を上から貫いている。


 しばらくして、悪魔が砂のようになってそこから消えると同時に彼女は夕焼けに照らされた地面に降り立った。


「悪性魔獣消滅、守護武装を送還する」


 彼女がそう呟くと、手に持っていた剣が瞬時に消えた。


「あ、あの……」


「冥加与吉」


「は、はいっ!……あれ、何で俺の名前……」


 冥加与吉は僕の名前だ。作り物めいた顔で彼女は僕を見ながら、こう告げた。


「冥加与吉が持つ悪性魔獣に対する誘引性の調査、及び解明の為ーーこれより監視を始めます」




 ☆




 悪魔。獣のような姿をした異形。


 恐らく有史以前から出現しているにも関わらず、生態やどこからやって来るかは未だ明らかになっていない、人類にとって逃れられない災害。


 だが、同じく謎ではあるが人類を悪魔から護ってくれる存在も居る。


「こ、ここが僕の家で、一人暮らしです」


 そして今、僕の目の前にその存在ーー天使が目の前に居る。


 悪魔と違って、天使は人間に鳥のような羽が、頭上に輪っかが浮かんだ容姿をしていて、悪魔が出現すると上空から飛来し、瞬く間に悪魔を退治してくれる。


 その性質から、天使とのコミュニケーションは何度も試されてきたが、未だ確かな成功の例は無いという。


「そうですか」


「そ、そうです」


「……」


「……」


 今居るのは僕が暮らしている一軒家の玄関。


 悪魔に殺される寸前で彼女に助けられた俺は、そのまま僕自身の監視を宣言されてここまで彼女を連れて来る事になった。


 ……コ、コミュニケーションの例が無いって話なのに、めっちゃ話しちゃってるよ。


「もういいでしょう」


「え?……わっ!」


 さっきまで普通の人間の姿をしていた彼女に翼と輪が現れた。


「私が地上で活動している事を冥加与吉以外の人間から認識されるのはなるべく避けたい。把握を」


「あ、なるほどね……」


 ここに来るまで彼女が翼と輪を隠していたのはその為らしい。


「と、というかそれ隠せるんだね……。触ってみてもーーうわっ!」


 気になっていた翼に手を伸ばそうとすると、触れる直前で何かに手が弾かれた。眉一つ動かさず彼女は僕を見る。


「人間との接触は規定により禁じられています。その試みは無駄です」


「そ、そうなんだ……。というか失礼だよねいきなり、ごめんなさい……」


 僕の悪い癖が出てしまった。目の前の人はただでさえ特別な存在なのに。


「ごめんなさい」


「謝罪は不要。それよりも、私の所在を指示してください」


「は、はい。とりあえずリビングに……あの、何で僕の事を知ってたの?」


 彼女は僕が悪魔を誘因すると言っていたが、それは事実だ。


 僕はなぜか悪魔に襲われやすくて、これまでの人生で何度も悪魔と出くわしたことがある。普通の人は多くても二回ぐらい。


 でも、その事を知ってる人はそう多くない。


「以前から、悪性魔獣出現と冥加与吉の相関関係の可能性は提言されていました。そして今回の例を契機に調査が始まった」


「もともと僕について注目してたって事……?ぼ、僕なんかが?」


「はい」


 天使は僕達を助けてくれる。科学が発達した今の世界でも、説明出来ない現象や武器を伴って。だから、天使たちを人間より上位の存在として崇める人達だってたくさん居る。


 僕だってこれまで悪魔に襲われる度に助けてもらってるから、天使に対する畏敬はある。


 そんな天使ですらも、僕を注意対象として見ている。


「やっぱり、僕は……」


「冥加与吉、私の所在を」


「あっ、ソファーとかに座ってもらえたら」


「分かりました」


 そう言って彼女はソファーに座った。姿勢が物凄く奇麗だ。僕は机の前の床に座る。


 ……お茶とか出した方が良いのかな。


「あのー、お茶とか……」


「必要ありません」


「じゃ、じゃあ君の名前!名前は?」


「……意思疎通を図ろうとする意味は無い。私の目的は監視だと伝えた筈」


「でもっ、しばらくここに居てもらうなら名前くらいは知ってた方が……」


「……」


 僕がそう言うと、彼女は言葉を返すのを止めて目を閉じた。


 怒らせてしまったのかと思い、自分の心音が大きくなってくるのを感じる。


「あ、あの、ごめんなさーー」


「ーー冥加与吉の要望には可能な限り答えろとの事」


「へっ?」


「確認を取りました。監視を円滑にする為の判断です。名前、でしたね」


 どうやら怒っていた訳ではないらしい。目を閉じたのは誰かと会話のようなものをしていた?


 いや、それより彼女の名前だ。


「人間の言語で表すとすれば、EG-104が私の個体名です」


「EG-104……型番みたいなんだね。……じゃあそのままじゃちょっと呼びにくいね。……うん、Eと1から取ってい、いーちゃんって呼んでみても良い?」


「好きに呼称してください」


「良いの!?……いーちゃん、いーちゃんかあ。僕、こうやってあだ名とか付けるの憧れてたんだ……」


「そうですか。--何故、泣いているのですか?」


「えっ?あれ?」


 言われて初めて気がつく。いつの間にか僕は泣いてしまっていた。


 慌てて涙を拭うと、いーちゃんが不可解そうな顔で僕を見ている。


「人間が涙を流すのは物理的な刺激、あるいは感情的に強く刺激された時だと把握していますが、何故今?冥加与吉が持つ性質は何もかもが不明、であればその涙も誘因現象と何か関連がある可能性がーー」


「いやいやいや!これは、ただ嬉しくて出ちゃっただけだから!」


「……幸福感による涙だと?」


「うん。僕こんなだから、友達とか出来た事無くて……嬉しかったんだ」


 僕が悪魔に襲われやすいのは今に始まった事じゃない。子どもの頃から多分そうだった。


 悪魔に良く襲われる子どもなんて、周囲には不気味に思われるのが当たり前。だから、友達だって言える人が居た事は無い。


「あらかじめ伝えておきますが、私の感情表現、表情といった人間的機能はあくまで()()。それ故に、今の様に冥加与吉が望むような意思疎通を実現出来ない可能性がある」


「あ、そうなんだ……。僕も友達なんて初めてだから、お、お互い様ってやつなのかな」


「友人関係を望むのですか」


「うん。で、出来ればだけど」


「それ自体は問題ありません。善処します」


「ありがとうーーうわっ!」


「接触は禁じられていると言った筈です」


「ごめん、嬉しくて……」


 この日、僕に初めて友達が出来た。




 ☆




「冥加与……与吉、私は食事が必要無いと言った筈ですが」


 彼女をいーちゃんと呼ぶにあたって、気になったのが僕の事をわざわざフルネームで呼ぶ事だった。だから名前で呼んでほしいとお願いしたら受け入れてくれた。


 名前で呼ばれるのなんて、いつぶりだろう。


「え、そうなの!?お茶は要らないって意味じゃ……」


「飲食物は必要無いという意味です」


「そ、そうなんだ。早とちりしちゃった……」


 二人分の夕飯を並べた所でいーちゃんがそう言った。

 また失敗してしまった。多分、今の僕は初めての友達に浮かれている。


「まあ、明日食べれば良いかな……。そっか、食べ物要らないのかあ、久しぶりに作ってみたんだけど……」


「……必要無いというだけで、摂取する事は出来ますが」


「へ?そうなの?」


「味覚も再現しています。望むのであれば」


「僕としては、食べてほしいかな。折角作ったし……」


「分かりました」


 いーちゃんは割り箸を手にし、メニューの一つである筑前煮を摘まんで口に入れた。


「ど、どう?」


「……良く分かりませんが、甘く感じます」


「え、本当?……うーん、僕がこれ作る時は毎回こんな感じなんだけど」


「そうですか」


「美味しくなかった?」


「もう少し、塩気があればいいかもしれません。……いや、私の人間的な感覚は所詮模倣。今の発言は気にしないでーー」


「分かった!次作る時はそうするね!」


「……」


 模倣っていうのは良く分からないけど、いーちゃんの好みの味付けがあるという事だろうか。


 それにしても。


「嬉しい。他の人に料理を食べてもらった事も初めてなんだ」


「……私の先の発言は、与吉の気分を害していてもおかしくなかったのでは?」


「そんな事ないよ!自分が作った料理の味を他の人はどう感じるんだろうって気になってた。マズイって言われても、嬉しいかも」


「分かりました。要望には応えます」


「あ、魚の骨は気をつけて!」




 ☆




 食事を終えた後はお風呂に入った。

 今日は色々とあってお風呂上りに疲労感がどっと来た。まだいーちゃんと話したい事とかはあったけど、明日は学校に行く日だから素直に寝る事にした。


 いーちゃんはお風呂も睡眠も必要無いらしい。だとすると僕が寝ている間は暇になるだろうから、何か暇つぶしが必要だな、と考えていたところで僕の眠気の限界が来て、ベッドに倒れこんだ。


 久しぶりによく眠れたからか、僕が昔好きだった子守歌を口ずさむお母さんの夢を見た。

 でも、最後には消えてしまった。




 ☆




「行ってきます!……これも久しぶりだなあ」


 気持ちよく起きる事の出来た朝。今日は学校に行く日だ。


 僕の体質は僕以外の人も巻き込む。だからあんまり学校とか、人の多い場所には行かないようにしている。他にも少しワケがあって、僕が学校に行く日は少ない。


「いってらっしゃい」


「!それも久しぶりだよ!」


「といっても、私もここを出ますが」


「え、そうなの?」


「再度言いますが、私の目的は与吉の監視。外では秘密裡に動くので、同行という形ではありません」


「あ、そっか」


 昨日は色々と楽しかったせいで忘れてたけど、いーちゃんは僕の監視をする為に居るんだった。

 ……なんというか、その事実は少し悲しい。


「いーちゃん」


「はい」


「その監視が終わったら、いーちゃんは帰っちゃうの?」


「そういう事になります」


「嫌だっ」


「……そう言われても、私には何も答える事はできません」


 いーちゃんの表情が少し動揺したように見えた。いつの間にか、まだ弾かれてはいないがいーちゃんに僕の手が伸びていた事に気がつく。


 まただ、またやってしまった。


「ごめんなさい。……行ってくるね」


「はい」


 いーちゃんの声を遮って扉を閉めた。

 いーちゃんが居なくなる。昨日会ったばかりなのに、考えたくない事だった。




 ☆




 学校はあんまり好きじゃない。


 僕自身の問題と学校にあまり行かないもあって、友達は出来た事が無い。自分から友達を作りに行こうとした時もあったけど、僕には難しかった。


「ふぅ……」


 昼休み。昨日の残りを詰め込んだ弁当を食べ終わる。あんまり美味しくなかった。


 教室ではクラスの人達が思い思いに話している。僕が学校で一番嫌いな時間。


 いーちゃんの事を思い出す。


「帰りたいなあ……」


「ーー悪魔だ!」


「うわ、マジじゃん!」


「!」


 窓際に立っていた生徒が声を上げた。それを聞いた皆に混ざり僕も窓から外を見る。


 そいつは校庭に居た。昨日の悪魔と同じような姿をしている。


「またかよ!多くね!?」


「ここらへん、他と比べて出現率高いって聞いたことある」


「呪われてんのかなあ……引っ越してぇ……」


「おお天使様……どうか悪魔を……」


 皆が思い思いに悪魔について話している。この学校の近辺では悪魔の出現例が多い。


 多分、僕のせいだ。皆に迷惑をかけていると思うと、気分が悪くなってきた。


「お、おい、校舎に入って来たぞ!」


 眼下で悪魔が校舎に侵入してきたのが見えた。皆の動揺が強くなる。


 もし、僕を狙う為に校舎に入って来たのだとすれば。


「……!」


 教室が半分パニックになる中、先生が戻って来る前に僕は教室を出た。


 走る。僕を狙っているのだとすれば、悪魔は僕の所にまで来る筈。


「はあっ、はあっ」


 慣れない全力疾走で辿り着いたのは屋上だった。ここだったら来たとしても誰も巻き込まない。


 息を切らしながら屋上の真ん中の方へ着いた時、その鳴き声が聞こえた。


『------ッッ!!』


「ひっ!」


 いつの間にか、さっき僕が居た屋上の入口に悪魔が来ていた。昨日と同じように、大口を開けて僕を睨んだ後、僕の方へと飛びかかって来た。


「いーちゃん……!」


 ここには誰も居ない。昨日と同じ。

 でも。


「ーーはあッ!」


『ガアッ!?』


 屋上には確かに僕以外誰も居なかった。でもいーちゃんは隠れながら僕を見ていると言った。


 昨日と同じ炎の剣を片手に悪魔を真っ二つにしたいーちゃんを見て、それが本当だった事を悟った。


「悪性魔獣消滅、守護武装送還。……良い判断でした、与吉。ここなら周囲に気にすることなく私が動ける。……分からない。何が起因となってこんな現象がーー」


「いーちゃん!ーーうわっ!」


「……接触は不可能と言ったでしょう」


「あはは、そうだった」


 いーちゃんは少し呆れているように見えた。

 本当に僕を見守ってくれていた。昨日と同じように僕を守ってくれた。


 朝の会話を思い出す。いーちゃんと離れるくらいなら、死んだ方がマシだと思った。




 ☆




「遊ぼう!いーちゃん!」


「はい?」


 いーちゃんは昼ご飯のパスタを食べながら、僕の言葉に疑問符を浮かべた。


 学校での悪魔騒ぎがあった翌日、この日から僕はしばらく休みだ。


 つまり、しばらくの間いーちゃんと一緒に居る事が出来る。


「今日から休みなんだ。家にずっと居られるから、いーちゃんと遊べる!」


「遊ぶ……遊戯の類を指しているのは分かりますが、具体的に何を?」


「ゲーム!」


 僕はテレビの下を指さした。そこにはいくつかのゲーム機とソフトが置いてある。


 僕はあまり家から出ない。そうなると家でやる事と言ったら大体はゲームだ。その中には二人で出来る物もある。


「ゲーム……多少の知識はありますが、私がそれに適応出来るかはーー」


「大丈夫、簡単だから!どれからやる?いっぱいあるよ!アクションもレースも対戦系も!……二人でゲームやるの、いつぶりかなあ」


「種類がある事は理解出来ますが、私では決める事が出来ません」


「なんとなくで良いよ、一番気になったやつ!」


 適当にソフトを手に取って机の上に並べた。いーちゃんは難しい本でも読むような感じでそれぞれを見始める。


 しばらくして、その内に一つに指を向けた。


「あ、それは……」


「外見が特異であるという点で選びました」


「これ、二人プレイは出来ないやつなんだ」


 いーちゃんが選んだのは少し古いノベルゲーム……というか恋愛ゲームだった。置いてあった物を適当に並べたから混ざっていたようだ。確かに、女の子が主体のパッケージは他のアクションゲームとかと比べて異質だ。


「そうですーー」


「あ、でも別に後ろから僕が見てればいっか!気になるんだったらやるべきだよ!」


 ディスクをゲーム機に入れて、ゲームを起動してからコントローラーをいーちゃんに渡す。明るいオープニング曲と映像が画面に流れ始めた。


「私は……どうすれば?」


「映像が終わったら始まるから。あ、これは恋愛ゲームって言ってね」


 僕が出来る限りの恋愛ゲームの説明をする。いーちゃんは画面をしっかりと見ながらも僕の説明を聞いているようだった。


「つまり人物の関係、及びそれに付随した出来事を疑似的に再現した物、という事ですか」


「多分、そんな感じかな。途中に選択肢があって、それによってストーリーが変わるんだ」


「……率直に言って、私がこれを十分に遂行出来る可能性は低い」


「え?」


「以前伝えた通り、私ーーEG-104の内部で行われる思考や人間で言うところの感情といった物は、あくまで与吉との意思疎通を円滑に行う為の模倣でしかない。そしてその精度も人間には及ばない。人間が持つ感情は、私達でさえ完璧に再現するにはあまりに複雑」


 淡々といーちゃんは語り続ける。その目にはゲームの映像が反射して映っていた。


「なので、やはり私は与吉が求める友人としての役割を十分に果たせない場合がある。これにもそれが当てはまる」


「……そんなに難しく考えなくていいと思う」


「?」


 いーちゃんの話を完璧に理解出来てる気はしないけど、僕にも言いたい事があった。


「僕は今、凄い楽しい。誰かとご飯食べたり話したりする事って無かったから。友人としての役割とか、そんなのどうでも良い」


「……」


「感情に関しては僕も良く分からないよ。元々このゲームを買ったのも、他人との会話の練習になるかなって思って買ったんだ。僕は人と接するのが下手くそだから」


 ゲーム画面では登場人物達が楽しそうに笑ったり、色んな表情を見せている。何度かやったゲームだけど、彼女達をちゃんと理解出来た気なんて全く無かった。


「あんまり意味無かったけどね……ゲームだし。だから、そういう意味では僕もいーちゃんと同じ、よく分かんない」


「そう、ですか」


「感じたままで良いんじゃないかな、僕はいっつもそれで失敗しちゃうんだけどね。……あ、始まったよ!」


 いーちゃんが天使だとか、監視が目的だとかは僕にとってはどうでも良かった。


 始めて出来た友達なんだ。




 ☆




「ここ!ここ凄い重要なんだよ!」


「分からない……この選択肢に何の違いが?」


「ここで間違えたらバッドエンド直行になっちゃうんだ!慎重に!」


 学校に行く日の間隔は結構空いている。この休みの間、僕はずっといーちゃんと遊んでいた。


「……何も言う事はありません」


「え、それって美味しいって事?」


「少なくとも、私の味覚には合致している」


「やった!……僕はちょっとしょっぱいかなあ」


 本当に楽しい日々だった。遊んだ後は気持ちのいい疲労感で毎日ぐっすりと眠る事が出来た。


「こ、これは卑怯では?」


「このボス回復封じてくるんだよね。あ!防御ばっかりしてるとーー」


「あ、あ……」


 いーちゃんもまでの固い感じが少しずつ無くなってきた気がして、僕も自然と接する事が出来た。


「いーちゃんは、今楽しい?」


「……そう表現するべきでしょうね」


「え?今笑った!?初めて見た!」


「感じたままで良いと言ったのは与吉でしょう」


 こんな日々がいつまでも続けばいいのに。




 ☆





「めんどくさいなあ」


 今日は学校の日だ。本当は行きたくなかったけど、普段あんまり行かない分休むともっとめんどくさい。


 天気が曇り気味なのもあって、気分はどんどん落ち込んでいく。


 いーちゃんから離れたくない。ずっと二人で遊んでいたい。


「でも、今日が終わったらまた遊べる。次は何のゲームを一緒にやろうかなあ……」


 いーちゃんのゲームに対する理解も結構進んだようで、最初のおぼつかない感じと比べたら随分慣れたようだった。高難易度ゲームのボスで唖然としてたのはつい笑っちゃったな。


 そんな事を考えていると、いつの間にか教室の前についていた。帰りたくなる気持ちを抑えてドアを開ける。


「……?」


 教室の雰囲気が少しおかしかった。いつもより人数が少ない気がする。


 それに加えて、何人かが教室に入った僕を見ていた。その内の一人が僕に近づいて来た。


「な、なにーー」


「よくのうのうと来れたものですね。……悪魔の僕よ」


 その男子生徒の手の甲には、天使の翼が彫られていた。


 天使。悪魔から人間を守ってくれる、未だに何もかもが不明な存在。


 大体の人は天使に感謝と畏怖を向けているが、その中でも熱烈に崇めている人というのは多い。


「え、え」


「既に調べはついている。アナタが幼少期から、異常な程悪魔と接触している事は」


「あ……」


 僕は他の人と比べて悪魔に襲われやすい。そしてその事をはっきりと理解しているのは何人かだけだ。


 僕といーちゃんとお母さん達ぐらいな筈なのに。


「事実この近辺では悪魔が多数出現している!……私は騙されませんよ、アナタは襲われたと主張するでしょうが、アナタこそが悪魔を現世に呼び込む元凶、悪魔の僕なのです!」


「……」


 彼の言う事は別に間違ってなかった。だって、事実として僕の周りでは悪魔が良く出現する。


 教室を見る。皆の僕を見る目は、得体の知れないモノを見る目だった。


 天使が崇められているのに比べて、無差別に人間を害する悪魔は当然の如くほとんどの人に嫌われている。


 その視線は、この世の大多数の人が僕に向けるだろう視線だった。


「じきに学校全体……いや、地域一帯にこの事は広まります。さあ、大人しく天の裁きをーー」


「っ!」


「あっ、待てっ!ーー見たでしょう!逃げるという事はそういう事です!勇気ある者はーー」


 持ってきた荷物を全部捨てて、僕は駆け出していた。


 何も間違っていない。僕は居るだけで皆に迷惑をかける。


「はっ、はっ」


 悪魔を呼び寄せるんだから、嫌われるのも仕方がない。一人で暮らす事になったのも、今まで友達が出来なかったのも当たり前。


 それがバレて、酷い目に合うのだって仕方が無い事。


「う、うう」


 なのに、僕はこうやって逃げている。


 学校を出て、来た道を必死に走る。通行人が僕を責めるような目で見ているように感じた。


 涙が溢れる。ぐちゃぐちゃな頭の中で、ただただこう思っていた。


 いーちゃんに会いたい。


「はあ、はあ。--っいーちゃん!」


 家のドアを開けて飛び込んだ。中は暗くて、当然のように誰も居ない。いーちゃんも居ない。


 そして思い出す。いーちゃんは僕の監視の為に、隠れて僕の近くに居るという事に。


「いーちゃん!帰って来たよ!もう誰も居ないよ!いーちゃん!」


 不安感をそのまま口に出すように、いーちゃんの名前を呼ぶ。


 でも、いくら経ってもいーちゃんは出てこなかった。


「……何で」


 いーちゃんの仕事は僕の監視。だから僕の近くに居るって言ってたのに。友達なのに。


 何で。


「は」


 もう監視が終わっちゃったのかな。それとも僕の事が嫌になったのかな。お母さん達みたいに。


 胸が苦しい。頭が痛い。気分が悪くなって吐きそうになる。久しぶりの感覚だった。


「疲れたな」


 そういえば、中学校の時にロープを買ったんだっけ。ちゃんと重さに耐えられる頑丈なやつ。


 テーブルに散らばるゲームを少し眺めた後、リビングと玄関の間にあるドアのドアノブが目に入った。





 ☆





 今までの人生の中で一番苦しい時間が続いたと思うと、それは突如として終わった。


「ーー!?----」


 咳き込むのが止まらない僕は、朦朧とする視界の中で見た。


 いーちゃんの顔だ。息苦しいのと反発するように、安心感が溢れてくるのを感じる。


 いーちゃんは珍しく取り乱していた様子だった。ゲームで致命的なミスをした時みたいな顔。


 意識が薄れる中、僕には触れられない筈のいーちゃんの手が僕に触れた気がした。





 ☆




 その日は監視経過の報告を含めた諸々の事情で、私ーーEG-104は一時的に地上から離れなければならなかった。それは私という存在に課せられた義務である。


 それに対して、私の中で再現された感情が訴えたのは、言うなれば煩わしさだった。


「……?なぜここに」


 地上に戻る際は出現位置を紐付けしている為、即座に与吉の付近へと戻る事が出来る。


 全てを済ませた私は再び地上に戻り、そこが与吉の自宅の居間であると気がついた。


 この時間帯、与吉は学内に居る筈。何かがおかしかった。


「……っ……っ!」


「っ与吉!?何をーー」


 居間の扉の前、そこで手足を暴れさせてもがく与吉。首元には縄が見えた。


 自殺。そう判断した私は即座に腕を振るった。縄が切れ、それに伴って与吉の体が床へと倒れる。


「なぜこんな……無事ですかーーくっ!」


 激しく咳をする与吉に自然と手が伸びていた事を、拒絶されて初めて認識する。


 天界規定の一つ、人間との直接的な接触を禁ずる。それに当たって発生するのがこの拒絶障壁。


 だからこそ、私と与吉は今まで言語での意思疎通しか行っていない。


「……」


 監視が始まったこの数日間で、私は自身が変化していくのを感じていた。


 私の感情は所詮紛い物で、ただの模倣。


 でも。


『いーちゃん!』


 与吉が私をそう呼ぶ度に、不思議と何かが満たされていた。


『感じたままで良いんじゃないかな』


 天界規定。拒絶障壁。監視。義務。その全てがこの瞬間に。


「ーー邪魔だっ!!」


 私の頭上にある輪ーー拒絶障壁の発生原因であるそれを掴み、力任せに引き剥がし潰す。


 これで私の天使としての機能はほぼ失われた。しかし喪失感は一瞬で、何よりも大きかったのは解放感だった。


「与吉っ」


 脈拍や心音を確認し、目を閉じて動かなくなった与吉が問題無く生命活動を続けている事を確認する。一時的に意識を失っているだけだ。


「良かった」


 与吉の手を握る。初めて感じた人間の体温。

 与吉の顔を見る。初めて見た時にはあった目元の濃い隈は、今では薄くなっている。


「与吉、貴方は……」


 幼少期から持つ悪魔を誘因する性質。当然それは、出現した悪魔により本人以外にも影響を及ぼす。


 その結果、与吉の身近に居た彼の家族はその事を理解した上で、自らの保身の為に与吉との別離という手段を取った。


『こ、ここが僕の家で、一人暮らしです』


 その事実は与吉の人格形成と精神状況に大きく影響を及ぼす。それは人間関係にも同じ事が言える。


『僕は人と接するのが下手くそだから』


 孤独で不安定な人間。それが監視を始める以前に得ていた、与吉の人物像。


「ーー悪魔の僕よ!大人しく投降しなさい!」


「っ!」


「隠れても無駄だ!大人しくーー」


 外から聞こえだしたのは、間違いなく与吉の事を指す内容だった。


 何人もの怒号が響いた後、玄関の扉が殴打される音が聞こえ始めた。


 天使と悪魔。人間がその二つをどう認識しているか、想像に難くない。その中には過激な思想を持つ者が居るという事も。外の群衆は、与吉の悪魔を誘因する性質をどうにかして突き止めたのだろう。


「ああ」


 少し安心したような与吉の寝顔を見る。私の居ない間に何が与吉を自殺に追い込んだのかは明白だった。


 鳴り止まない怒号の中で、私は自らにある二つの大きな感情を自覚する。一つは与吉へ。


 もう一つは、与吉を見捨てた家族、この瞬間彼を害そうとする人間、今まで彼を救わなかった者全てに向けて。


「どいつも、こいつも」


 感じたのであれば、感じたままに動こう。





 ☆





「ん……あれ?ーーっ」


 顔に風が当たる感覚と一緒に、僕は目を覚ました。

 目の前にあった太陽が眩しくて、思わず目を逸らした。


 ここは……。


「天国?」


「起きましたか」


「えっ、いーちゃん?」


「今、飛んでるので動かないでください」


「飛んで?ーーうわっ!」


 いーちゃんに抱えられて、僕は飛んでいた。下にいくつもの建物が並んでいるのが見える。


 怖い筈なのに、僕を抱えるいーちゃんの手が頼もしくてそこまで怖くない。


「何が、あったの?というか、いーちゃん僕に触ってない!?あれ、確か僕は……」


「気にしないでください、何も」


「いや、気にしないでって……」


「何も考えなくていい」


 穏やかな声でそう言われると、もう何も言い返す気が起きなかった。


 温かい。太陽と風が気持ち良い。起きたばかりなのに眠くなってきた。


「----」


 いーちゃんが何かを呟いたのを最後に、僕の意識は再び落ちていった。




 ☆




 子守歌が聞こえる。でもこれはお母さんの声じゃない。


 とても安心するような、天使の声だった。

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[一言] とても面白く、楽しめました。ありがとうございます。
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