2-19. 選択のその先には
シロは足元の布を静かに見下ろしていた。
この布には黒鉛の様な深い黒色の灰が散り積もっている。洞窟の入り口から吹き込む微かな風によって、僅かに灰の山の形が変わったようにシロは感じた。
「クロ室長。私のことを恨んでもいいですよ。私も後悔なんてしていませんから」
そう呟くシロは布の前に腰を降ろすと、灰の山に手を触れる。
クロは奥さんに関する問題を抱えている。シロはそのように予想していた。
病気に関するものか、事故に起因するものか。問題の詳細は分からないが、過去をやり直したいと強く望む程には深刻な状況だと。それが彼の弱点であり、大臣に従っている理由の一つでもあるのだろう。そうシロは考えていた。
だから、シロは甘美な果実を彼の目の前に差し出した。
その果実がより魅力的に感じる様に『過去をやり直せば故人の命すら救う』ことが出来る可能性をシロは示した。己の願望を満たすそれは、クロにとってさぞ魅惑の存在に感じただろう。結局、誘惑に負けた彼は甘く見える果実に手を出した。その選択がシロによって誘導されたものだと知りもせずに。
シロは灰の山に埋もれていた起動石を掘り起こし、右の掌の上に置く。僅かな生温かさをシロは感じた。
起動石に己の血液を注ぎ込んだ意味。
術式の使用者を制限したい場合、起動石に血を注ぎ込むことで使用者登録を行うことが可能だ。時間旅行の術式には、既にシロが使用者として登録されている。
では、未登録者が勝手に術式を起動してしまった場合はどうなるのか?
略奪者の末路は目の前の灰の山だ。資格を持たぬ者が起動した場合、その咎は命をもって償うこととなる。
シロは山から一握りの灰を持つと口元へ近づける。そっと息を吹きかければ灰は辺りに舞い散った。光源に照らされて黒く輝くそれを眺めながらシロは呟く。
「クロ室長。小さな綻びだけを直そうとしても意味がないんです。やり直すなら根本的な原因を取り除かなければ、形を変えて再び奥様の問題を抱える事になったでしょう。それが因果の自己修復です。だから、貴方は私と同じ志を持つべきでした。大変残念です」
しばらくの間、舞いながらゆっくりと地面に落ちる灰をシロは静かに見つめていた。
◇
シロは集めた灰を近くに埋めて簡素な墓を作った。墓標の無い墓へ手を合わせるとシロは立ち上がる。
辺りを見渡すシロは目的のものを見つけると、歩みを進めて一枚の布を拾い上げる。この布にはマシロに製作をお願いしたもう一つの術式が描かれている。マナクリスタルの特性を変質させる術式だ。対となる起動石はシロのポケットで出番を待っている。
シロは布を改めて丸め直すとそれを抱え、時間旅行の術式の前に立った。
この旅の行く先は既に決まっている。
術式は一切の曖昧さを許さない。念じるだけで好きな過去に遡るという自由度の高いものはファンタジー小説の中にしか存在しないのだ。例外なく、転移先はマシロの手によって術式に刻み込まれていた。だから、目の前の時間旅行の術式はシロの目的を叶えるためだけに存在するものなのである。
(さあ、行きましょうか。300年前の大森市へ)
シロは目の前に敷かれた布の上に足を載せる。
研究室のある大森市。その郊外には街を見下ろせる小高い丘がある。長い年月を自然と共に存在してきた丘であれば、300年前に降り立っても問題ないだろう。人気も少ない場所のため邪魔される可能性も低い。シロはそう考える。
シロは布の上に腰を下ろし、掌にあった起動石を布に接近させる。布全体が銀色に発光するとその光はやがてシロを包み込んだ。
***
強烈な浮遊感が収まったのを感じたシロはその目を開けた。
辺りは草木で囲まれており、芝のように見える低草の上にシロは座り込んでいる。背後から差す夕陽によって長く薄い影が背を伸ばしていた。肌で感じる空気の冷たさにシロは身震いする。
(成功したのかしら? あれ、体が......)
突然の脱力感に襲われたシロはその場に横たわった。衝撃で手元から転げ落ちた布がシロの目の前で自然に開かれる。
全身に力が入らない。一方で、先程から全力疾走した直後の様に鼓動が激しく胸を打つ。視覚は良好だが、キーンという高音が鳴り続けており聴覚は言うことをきかない。これが命の半分を失うことかとシロは思った。
(目的まであともう少しだから)
シロは起動石を取り出そうと手を動かす。だが鉛のように重い右手は思い通りに動かない。
「お姉ちゃん頑張って! ほら、もうちょっと!」
モモの声を聞いた気がする。
魔法の仕組みを知る過程でモモは命を落とした。根本原因を排除してしまえば妹の命を救えるだろう。早く妹の顔を見たい。そう思うシロは右手に力を込める。
「シロちゃん。落とさないようにちゃんと掴んで!」
アオに似た声を耳にした。
魔法の概念を壊す過程でアオは騒動に巻き込まれた。騒動の顛末は分からず終いだが、どんな結果だったとしても彼の命は取り戻せるはずだ。早く彼の声を聞きたい。そう願うシロは起動石を握る掌に力を込める。
「シロさん。貸したものはちゃんと返してもらうわよ。だから無事に目的を達成しなさい!」
マシロのような声を聞いた。
マシロに対しては申し訳ない気持ちで一杯だ。シロの行動が変わる事で血族である彼女の出生にどのような影響が出るのか分からない。それくらいの事は彼女も察していたはずだが力を貸してくれた。それだけではなく、製作してもらった術式への感謝も告げていない。お礼の言葉すら発する時間を貰えなかった。叶うなら彼女と再会して言葉を積み重ねたかった。借りを返す機会が欲しい。そう後悔するシロは握った掌を胸元まで引き寄せる。
(この術式を起動すれば私の目的は達成する。ここまで長かったけれども、ようやくこれで決着するわ。賭け金はもう半分の私の命、幸せという利子をつけてちゃんと返してもらうわよ!)
震える拳を伸ばし、シロは布の上で掌を広げる。
布に起動石が接触した瞬間、辺りは銀色の発光色に包まれた。
次が最終話となります




