2-13. 未来への道筋
卓上にはシロの書き散らかした紙が所狭しと並んでいた。一冊のノートを脇に置き、一心不乱に紙へ書き写す彼女の姿は普段とは異なり、近寄り難い空気を発している。
「少し休んだ方が良いんじゃないかな? 身体を壊しちゃうよ」
鬼気迫るシロの姿に顔を歪ませるアオは、彼女を諭す。
「もう終わるわ。心配してくれてありがとう」
顔を上げて微笑むシロの表情には疲労の色が隠せていない。
シロが妹の研究記録の解読を始めてから丸一日が経とうとしていた。
姉妹で共有していた暗号で書かれていたため、解読自体にはさほど時間は掛かっていない。ただ、個人的な備忘録の位置付けだった研究記録から有益な情報を取捨選択する作業は非常に骨の折れるものだった。
けれど、苦労した甲斐もあり十分すぎるほどの成果を得た。シロはその手に感じた手応えに安堵の息を漏らす。
◇
「さて。やるべきことを整理しましょうか」
作業を終え、シロとアオはひと息つく。
卓上は綺麗に整理整頓され、アオの用意した軽食が広げられていた。握り飯を口いっぱいに頬張りながら顔を向けるアオの姿が小動物の様で、思わずシロは吹き出す。
「わはふこほないあない」
「もうー、食べ物を飲み込んでから喋ってよね」
弛緩した空気を感じたシロは、アオを正面から見つめる。
目の前の軽食は、作業中のシロでも食べやすいものが並べられている。常にシロを気遣い、負担を和らげるべく解読作業以外の雑用を一手に引き受けてくれていた。
もし、これから行う計画の全容を知ってしまったら、この優しい青年は何を思うのだろうか。
(ごめんね、アオくん)
決意が揺らいでしまわない様に両手を握りしめ、シロは話を切り出した。
「私たちの目指す目標は、魔法という概念の破壊よ」
人類から生命力を搾取し、この地にマナを満たす。その魔法という仕組みを破壊してしまえばよい。
それがシロが選んだ選択だった。
「そのために過去、魔法が発見された300年前へ遡るんだっけ?」
「ええ。時間旅行の魔法を使うわ」
ーー時間旅行の魔法
指定した時代、場所への転移を可能にする魔法。モモの研究記録に残された魔法である。こんなものを広く公開してしまえば様々な常識が覆ってしまう、影響力の非常に大きいものだ。モモが秘匿した様にシロも公開する気は毛頭ない。
「過去へ戻った後、何をするの?」
「探索魔法を使って始祖の触媒を見つけ、物理的に破壊するつもりよ」
「始祖の触媒を壊せば魔法も使えなくなるというわけだね」
ーー始祖の触媒
始祖の術式が記録された触媒。魔法というシステムの根幹となる。これを破壊すれば生命力が搾取されることも、マナが供給されることも完全に止めることができるはずだ。シロはそう考えている。
「そうね。大まかな流れはそんなところかしら。何か質問はある?」
シロの問いに、いくつかあるんだけど、とアオは頭を掻きながら言葉を続ける。
「そうだなー。まずは......時間旅行の魔法を起動するための術式はどこにあるの?」
アオの問いにシロは目の前の卓上を視線で指す。そして四隅に纏められた束の中から1枚の紙を取り出すと、アオの前に置いた。
「なになに......丸1三角6正丸33......って、これが術式? 記号の羅列にしか見えないけど」
「やっぱり、そう見えるわよね」
アオの疑問はもっともだ。そして1つ目の課題でもある。
モモは研究記録を料理のレシピに似せて暗号化していた。そのため解読した結果は平文となる。魔法語に詳しい術式研究者であれば、この解読結果から術式を製作できるかも知れない。しかし、術式研究者ではないシロやアオには記号の羅列としか読み取れなかった。
「だから、風島へ行こうと思うの」
「風島? どうしてまた?」
「ねえ。風島の術式管理者の事を覚えてる? マシロさんっていうお婆さんなんだけれど」
マシロは術式管理者でもあり、術式研究者でもあった。シロ達が今まさに探している存在だ。彼女の力を借りることが出来れば、目的に一歩近づく可能性がある。
彼女は味方ではないが、敵でもない。少なくともシロには敵意より好意を強く感じていた。直接会って交渉すれば、力を借りることが出来るかもしれない。
「なるほど。あのお婆さんは術式研究者だったのか」
「そうよ。だからマシロさんに会いに行きたいの」
「わかった。じゃあ列車の手配が必要だね」
そっちは僕に任せて、と言うアオは質問を続ける。
「それでこの術式は本当に起動できるの? 複雑で多くのマナを必要とする大魔法な気がするけど」
アオが投げかけた疑問は2つ目の課題だった。
大魔法は起動できない。多くのマナを必要とするため、始祖の触媒により制限されているからだ。普通に起動しようとすればの話だが。
「ええ、確かに大魔法よ。ただ、モモの残した研究記録に解決方法があったわ。代償を術式に組み込むの」
「代償?」
ーー代償
マナの代わりに供物を捧げて、より複雑な術式を少ないマナ消費量で起動する技術。ここで言う供物とは使用者の血液になる。
シロが初めてモモから説明を受けた時には原理を理解できなかった。だが、魔法というシステムの正体を知った今では、なるほどと感じる。マナとは人類の生命力そのものだ。足りない分は使用者から血液という形で補えば良い。代償とはそういうものだったのだ。
「血液......。だったら、僕の分も使って! 2人で協力して術式を起動すれば負担も少なくなるはずだし」
焦りに似た表情を浮かべるアオの提案に、シロは顎に手を添え考え込む素振りを見せた後、口を開く。
「それが難しいの。術式考案者の血族でないとダメらしいわ。だからモモの姉である私でないとダメなのよ」
「そんな......シロちゃんだけが過去に戻るってこと? そもそも、血液ってどのくらい必要なの? まさか命に関わる量じゃないよね?」
人体に流れる血液はおよそ3割以上を失うと死の危険があると言われている。
「モモの試算によると1割程度よ。だから安心して」
「本当だね? もしシロちゃんの命に関わるんだったら僕はこの計画を阻止するから」
「心配しすぎだってば! 大丈夫だから次の質問にいこうよ」
ふふ、と笑うシロはアオを促す。
「わかった、シロちゃんを信じるよ。次に聞きたいのは......時間旅行の魔法についてかな」
「ん? 具体的には?」
「親殺しのパラドックスについて」
有名な論理的パラドックスである。
シロの身に置き換えるならば、過去に遡り魔法を廃して現代に戻ろうとした場合どうなるのかだ。
1つ。過去に遡り魔法を廃した瞬間に、「魔法のある世界」と「魔法のない世界」の2つが同時に存在することになる。シロが戻る現代とは「魔法のない世界」だ。パラレルワールドとも呼ばれている。故に、厳密な意味でこの現代に戻ってくることはできない。
1つ。この世界に存在し得る世界線は唯一であり、完全に首尾一貫している。現代には既に魔法が存在しているわけなのだから、過去に遡り魔法を廃そうとしても何らかの要因で阻害される。故に、そもそも魔法を廃することはできない。
このように諸説あったのだがーー
「魔法という存在がどうなろうと僕には正直どうでもいい。この現代でもう一度シロちゃんと再会できるのかどうか、それだけが心配なんだ」
「恐らく、初めて時間旅行をする人類が私になるのでしょうね。だから、机上の空論ではあるけれども『因果の自己修復論』を私は推すわ」
ーー因果の自己修復論
数年前に発表された時間旅行に関する論文である。この新説の登場により、旧説は否定されることとなった。
この世界に存在し得る世界線は唯一であり、過去を改変した場合には世界が再構成される。ただ、再構成される際には限りなく元の世界に近しい存在に修復する力が働く。簡潔に言えばこのような説である。故に、シロが魔法を廃した瞬間に、この現代はシロとアオが存在する「魔法のない世界」に再構成され、そこでシロは意識を取り戻す。シロはそう考えている。
「つまり、再構成された現代で、私とアオくんは再会できるはずよ」
「その論文なら僕も読んだよ。科学的な根拠もしっかりしていたのは分かっているんだけどーー」
「確実性は無いし、想定外の事が起こる可能性はある。でも、勝算の高い賭けのはずよ」
「......シロちゃんって、もっと慎重じゃなかったっけ?」
「そうかしら? アオくんが心配性なだけよ」
クスクス、とお互いに笑い合うと、シロは表情を元に戻す。
「じゃあ、私はマシロさんとの交渉に向けた準備を進めるわ」
「僕は旅の準備を進めるよ。列車の手配もやっておくからね」
作業の段取りについてアオと話し始めたシロは、ふと思う。
代償。
モモ曰く、代償という技術自体は一般的では無いものの、術式研究者の中には概念として知っている者もいるらしい。
しかし、この技術に代償という呼称をつけているのはモモだけだ。他の技術者の間では別の呼称で呼ばれていると想像される。そして、その事実を知っているのは妹から直接話を聞いたシロだけだ。
先日、マシロと会話した際、彼女には代償という呼称で会話が成立していた。少なくとも、マシロとモモの間には面識がなかったはずである。彼女は一体どこでその呼称を知る機会があったのだろうか。また一つ、あの老婆に関する謎が生まれている。
三度の風島への旅。あの地をこれほどの頻度で訪れることになるとは思わなかった。偶然か、あるいは必然か。そして、そこでマシロの秘密の全てを知ることはできるのだろうか。
いつかの夜に見た星空に、シロは想いを馳せる。




