1-8. 空回りの輪舞
先程から拭っても手汗が止まらない。喉が渇きを訴え、声が思うように出せない。会議室の入り口を前にして、シロは緊張の色を隠せなかった。
ここでは、魔法省の責任者が一斉に集う会議が行われるからだ。
無彩色で統一された会議室には、『コ』字型に机が並べられており、それぞれの席には発言用にマイクが常設されている。正面には大きな画面があり、会議資料を射影できるようになっているようだ。
『魔法考古学研究室』と書かれたプレートを探し、シロは近くの席へ座る。黒いレザーで覆われた椅子からは、他の会議室とは比較にならない品と座り心地の良さを感じ、この会議が特別であることを殊更印象づける。
シロに続いて隣に座ったクロへ恐る恐る質問する。
「私がこのまま同席していてよいのでしょうか? 場違いな気がするのですが」
「問題ない。今後シロには他の会議にも同席してもらう。今日は黙って座って様子を見てなさい。成果報告は俺が行う」
「分かりました。うちの研究室ではどの件を成果として報告するのでしょうか?」
「いや、うちの研究室の成果はナシだ」
クロの言う意味が理解できず、シロは同じ質問を繰り返した。
「最近の我々の仕事は全て他課を支援したものだ。うちの成果ではない」
苦々しく答えるクロの表情に、政治的な理由で成果を奪われたのだな、とシロは察した。
成果を残すことは重要である。翌年度の予算確保に意味を持つからだ。故に、どの課も成果は欲しいだろう。しかし、政治力で奪い合う程とは、とシロは苦虫を噛み潰したような気分になった。
気分を変えるつもりで周囲を見渡すと、半分ほど席は埋まっており、背広を着た年配の男性達が着席している。どの課も5名前後の人数を揃えているようだ。独特の威圧感を感じる人達ばかりの様子に、みな肩書きを持つ偉い方々なんだろうな、とシロは思った。同時に、若い室長と新人の2名だけが着席するこの研究室の異質さを強く感じる。
ふと目の前の男性と目が合った。いや、よくよく意識を配らせてみれば、あちこちから遠慮のない視線がシロに向けられている。そこには好意的な色は含まれない。嫉妬、蔑み、妬み。仄暗い色を帯びた視線は彼女の心に浸食し弱らせていく。異質な研究室には風当たりが強い、それを身を以て知った。
魔法省。人類存続のためと熱意を燃やす愚直な若い研究者達は淘汰され、腹芸に秀でた老獪な猛者達が闊歩する場所。
この会議室は縮図であり、彼女は今そこに座っている。
***
「このように、我々の試算に拠れば、中魔法の停止まで残り半年を切るという状況だ」
会議が始まって僅か10分だが、終始シロの表情には驚きと困惑が浮かんでいた。
(半年以内に中魔法が停止するって......)
聞いていたより、そして想像していたより遥かに早い。だが、何故周知されていないのか。少なくともシロは初めて聞く話だ。
何が起こっているのか? 何故これほど早いのか? 何か手を打てないのか?
様々な疑問が渦巻くが、一先ずは一番の疑問を解消すべく、シロは横を向いた。
「クロ室長。マナ残量の試算ってどのように行なっているのでしょう?」
マナ。未だ正体の分からないエネルギー資源。
分からないものをどのように試算するのか? シロの疑問は尤もだ。
「俺も知らん。だが、こうして試算できている以上、非公開の方法があるんだろう」
「では、この報告には信憑性があると?」
「そうとしか言えん。現に、大魔法の停止時期は事前に当てたと聞く」
根拠は不明だが信憑性は高い、そう理解しよう。これを前提に今後の行動指針を見定めよう。
ーー人を生贄に捧げて大魔法を発動させるって、中世の黒魔術っぽいね
不意に浜風村でのモモの言葉が脳裏をよぎる。
いや、あれは鍵を掛けて心の奥底に閉じ込めた物だ。だって、モモが言ったから。冗談だよって、気にしなくて良いよお姉ちゃんって。モモが間違えるはずがない。
......思考が乱れている、話を変えよう。シロは質問を続ける。
「クロ室長、もう一つ。この情報は広く周知すべきだと思うのですが。何故、大魔法の件も事前に周知していないのですか?」
「待つしかできないのに周知してどうする? 混乱を招くだけだ。以上」
「それは受け取る側が考える話です。知るべき人達への周知は必要ですよ」
「知る必要のある者には周知されているよ、今ここにいる者たちには。お前は選ばれたからここで知った。それ以外は知る必要がない者たちだ」
「それではまるでーー」
そろそろ前を向け、というクロの言葉に、シロは紡ぐつもりだった言葉を飲み込む。感情と共に。
◇
その後も暗い内容の報告は続く。
数字はお喋りだ。感情が籠らない分、忖度のない残酷な現実をシロに語りかける。
雇用統計・物価指数・国内総生産などの各種経済指数が経済活動の限界を、人口推移・出生率・平均寿命などの各種統計情報が人類存続の危機を、声高に叫んでいる。
中魔法という存在が、人類をギリギリのところで支えている現状がとてもよくわかる。
半年後、人類はどうなってしまうのだろうか。シロの背には冷や汗が流れる。
「どこかの誰かさん達が早くマナの正体を突き止めていればね......」
そんな呟きが耳に入り、シロは顔を上げる。物音一つしない会議室の中で、周囲の視線は発言主ではなくシロに集中していた。
ーー私が、魔法考古学研究室が、責められているの!?
チラリと横を見るが、クロは伏して沈黙している。
彼は研究室の最高責任者だが実務は行なっていない。実務責任者は私が担うべきなのだろう、妹やアオには務まらない。ならば、私も甘んじて受け入れる必要があるのだろうか。
静まり返る会議室の中で、数多の視線の矢は苛烈に語る。それらに耐えきれずシロは俯いた。
もし、ここにモモが居たならば、きっと彼女は吠えただろう。
ーーマナの正体が知りたければ、始祖の術式をここに持ってきなよ! この私が10分で解読してやるから!
ーーあれれー、偉そうな事を言ってる癖にもしかして出来ないの? ププッ、揃いも揃って口先だけのポンコツかよ!
だが、モモはこの場には居らず、シロは1人だった。彼女は矢が心を居抜き、流血していく様子を静かに見つめていた。
◇
議題は各課の成果報告に移り、シロは背筋をピンと伸ばす。
研究成果は人類にとって無限の可能性を秘めている。だが、磨かなければ宝石にならないように、研究成果も活用を考える必要がある。
それは、シロにとって己の力を発揮できる分野であり、人類存続に貢献できるものである。先程、傷つけられた尊厳も取り戻せるかもしれない。そう考えるシロは、気を引き締めた。
高度な議論を期待していたシロだったが、しかし、先程から目の前で行われているやり取りに困惑を覚える。
淡々と報告がなされるだけ。意見交換どころか質疑応答すらない。先程、マナの枯渇問題について危機感を煽られたではないか。何故、誰も真剣に向き合おうとしないのか。シロは状況を理解できず、発言を行う隙を窺っていた。
医療魔法研究課の成果報告で、堪らずシロは挙手した。クロの制止を振り切り、マイクを入れて言葉を発する。
「魔法考古学研究室です。先ほどの医療魔法について提案があります。呼吸器疾患関連の医療器具では、中魔法を使用されているものが多数存在します。先日、術式研究課より公開された術式への置き換えをーー」
「考古学!」
苛立ちを含んだ声により、シロの発言は中断された。視線を向けると、白髪混じりの男性が挙手しており、その口元には嘲笑を見て取れる。
発言を許された男性は言葉を続ける。
「今の発言は、医療魔法研究課と術式研究課との調整が終わった上でのものか?」
「いいえ。ですがーー」
「なら、この場で取り上げるに相応しくない。取り下げなさい。それとも君が両課を兼任するからこの話を議題にあげたいと理解すればいいか?」
男性の発言に慌てたクロが発言する。
「部下がこの場を混乱させてしまい失礼しました、発言を撤回します。それから、部下は現状に満足していますので、この場で勝手に引き抜く行為はやめていただきたい」
「残念だ。この場ではそういうことにしておこう」
マイクを切ったクロは、シロを睨むと言葉を発する。
「シロ、説明が足りなかったのは詫びる。だが、お前も理解していないから正しておく」
「理解していないって何をですか?」
「先程からこの場で行われているのは会議じゃない、政治だ。そこを間違えるな」
「なにを言って......!?」
「だから、勝手に見当違いの発言したお前に非がある。そういうのはこの場に必要ない。後で研究者同士でやれ」
「じゃあ、私は何故ここに座らされているのでしょう?」
「政治を覚えてもらうためだ、大臣の指示だよ。それからもう一つ。会議前に俺が指示した内容はなんだ?」
「......黙って座ってろ......でしょうか?」
「そうだ。この場での発言を禁止する。黙って座ってろ」
発言を禁止されたシロは、会議の様子を静かに眺めていた。
その後の会議は滞りなく進んでいた。何も決まらず、何も決めず。予め決まっていた内容をなぞるだけの会議が進んでいた。
中魔法の停止が危ぶまれ、人類はマナ枯渇の危機に直面している。この問題は全世界で協調して対策を進めなければならないものの筈だ。しかし、国内どころか魔法省内ですら足並みが揃わない。このまま指を咥えて眺めているしかないのだろうか。
少なくともこの場においては、発言を禁じられたシロに出来ることは何もない。シロは唇を噛み締めた。