創作物は創作者のモノじゃないという考え方
ゆでたまご先生のウェブ漫画でのネタバレは控えてくれという旨のツイッター上での発言が、いま炎上してるっぽいです。
感想はいいけどネタバレはダメっていう話なんですけれども、感想かネタバレかという境目が曖昧で、量的な問題だと捉えるとグラデーションにしかならず何も発言できなくなるというのが現状です。
まあ、ネタバレか感想かという考察や、そのほかの問題点については、どなたかが書いたもっと詳しいエッセイがあるでしょうし、ここでは述べません。
わたしが語りたいのは、もっと本質的な部分です。
それは、創作物は創作者のモノなのかという問いです。
変だと思いましたでしょうか。
創作物は創作者のモノであるという考え方が常識だろと思われましたでしょうか。
確かにその考え方も間違いではありません。
考えるまでもなく、創作者は創作物を生み出します。
ここ『小説家になろう』でも、小説やらエッセイやらを日々生み出しているわけで、創作物に一番時間を注ぎ、一番はじめに鑑賞するのは創作者であるわけです。
ですから、創作物は創作者のモノという考え方が、ごく自然な発想であると思います。より現実的なオハナシをしますと、創作物には著作権というものが付属してきます。
著作権というのは、創作物を創作したことにまつわる権利で、例えばの話、誰かが勝手に創作者が考えたキャラクターを使い、それを出版したとする。すでに出版済みの場合は、著作権に違反したとして訴えることができるわけです。
つまり、その創作物に対して第一義的なコントロールする権利を有するわけです。
著作権法とのかかわりにおいて、創作物は創作者のモノだといえそうです。
二次創作はどうなんだと思うかもしれません。これは現状ではグレーゾーンと考えることができます。著作権者が明示的に二次創作の条件を示している場合もありますが、ほとんどの場合は何も言っていません。
二次創作者は、一次創作者が黙示的に承諾しているだろうと推認して創作していることになります。この推認は二次創作者の一次創作者に対する信頼と言い換えてもよいでしょう。
沈黙のなかで貴方のキャラクターを使っていいですか、あなたの物語を使っていいですかと問いかけて、YESと答えを返してもらっているわけです。
ただ、商業的に、二次創作のグッズが大々的に出てくると、一次創作物が押しやられてしまう形になるので、明示的に承諾していることはなく、商業的な二次創作は禁止されていることも多いのです。
さて、そのような状況にあると認識していただいたところで、ここであることにお気づきの方もいらっしゃるのではないかと思います。
それは
――二次創作は究極の感想である
ということです。
二次創作は、よく一次創作物に対するある種の不満から生み出されたりすることもよくあります。例えば、お気に入りのキャラクターが死んだり、不幸な目にあったのを救いたいとかという、そういう動機で書かれることも多いのです。
つまり、一次創作物に対する感想から端を発するといえるのです。
逆を言えば、感想にもある種の創作的な意味合いが含まれています。
なろう小説をちょびちょび書いていると、いくつかの感想をいただいたりすることもあるのですが、なかには筆が乗ったのか、AがBしてCすればもっとおもしろいのにとか、そういうふうに長文をいただく場合もあります。つまるところ、そのコメンターは、小説としては短いながらも物語を生成していて、その文章に対しては創作性があるといえるわけです。
これはエッセイでもそうですね。例えば、誰かがエッセイを書く。そのエッセイがなんらかの主張性を帯びたものであれば、反論する感想が書かれることもあります。
この感想は創作者の考えとは異なります。なので、創作物であるエッセイの中に含んでいない価値観を持つわけですから、まぎれもなくコメンターの創作物なのです。
感想が複雑化していき長文化していくと、最終進化形態として二次創作へと至るというわけですね。
わたしはこの二次創作については、一次創作者のモノであるとは言えない側面もあると思うのです。確かに二次創作物は一次創作物を足掛かりにして創作されているのですが、その創作物に内包される価値観は一次創作物とはみだしている部分もあるはずです。
例えば、ガールズ&パンツァーという戦車青春少女アニメがあるんですが、主人公のお母さまが熟れた熟女で、原作ではまったくそんなこともないのに、勝手にキャラクターを添加させて「ふしだらな母と笑いなさい」というふうに薄い本に登場させる。一説によると、主人公の女の子よりも薄い本が作られたとか。
まあ、そういったキャラクター性の添加などは原作には含まれない要素なわけです。
例えば、一次創作者がそういった二次創作的な設定に逆に便乗するといったことも起こりえます。
創作者は創作の反対側に鑑賞する者を想定しているわけですが、創作物を鑑賞する者に向かって放り投げている面があるのです。
キャッチボール的なイメージですね。
それで、創作物というのは、創作者と鑑賞者の中間に存在するのです。
もちろん、創作者には創作物のコントロールする第一義的な権利があると思いますので、その創作物を抱え込んでいてもいいと思います。
しかし、鑑賞には感想が予定されているわけで、創作物を誰かに見せるということは感想を惹起する。そして、感想はコメンターの創作物なわけですから、創作者のモノであるという権利性といいますか、コントロール権といいますか、それをある程度削ぐような効果があると思うのです。
ですから、創作物は創作者の(完全な)モノではないと考えます。