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麗らかな季節に戯れ遊ぶは山の神4

 山の神への接待は、普通の接待ではない。貸本屋らしく色々と趣向を凝らしたもの。

 なにせ宴席を彩るのは、物語に登場する料理たちだ。


「これはシャーロックホームズ『白銀号事件』に出てくる羊のカレー料理だよ。羊肉をカレー粉と一緒にスープで煮込んだ料理だね。どうかな、いい匂いでしょ?」

「おお……これはまさしく! フフ、なんて刺激的な匂い。こんなにスパイスの香りがするのであれば、なにがしかの薬が混入されてもわからぬじゃろうなあ!」


 スープを興味深そうに覗き込んだ夜万加加智に、金目は耳もとにそっと顔を寄せて囁く。


「もちろん、今日の料理には変なものは入ってないよ。あなたを眠らせる必要がないからね。時間が許す限り一緒にいたいんだ。僕の気持ち……わかってるでしょ?」


 その瞬間、パッと夜万加加智の顔が桜色に染まった。途端にキョロキョロと辺りに視線を彷徨わせたかの神は、口もとを押さえてやや俯き加減になる。


「……な、なにを……」

「あれ? どうして顔を逸らすの? やっぱり薬入りの方がよかった?」


 悪戯っぽく目を細めた金目は、かの神の手をさりげなく握った。ぶわ、と夜万加加智の顔から汗が滲む。金目は、かの神の手の甲にそっと唇を落として上目遣いになった。


「薬を入れれば、眠ってしまった貴女を、僕の好きな場所に閉じ込めておけるもんね? 今からでもそうする? 僕だけのものになりたい? どうして欲しい?」

「……は? え? 待って、待つのじゃ……」


 その時、銀目がふたりの間に割り込んだ。

 手には、夜空に星屑を撒いたような可愛らしい小箱を持っている。


「お? なんだなんだ、金目ばっかりずるいぞ。俺もいいもん持ってきたぜ。これは『銀河鉄道の夜』に出てくる雁だ!」

「あ、ああ。あの、鳥を捕る人がジョバンニたちに食べさせてくれた菓子じゃな?」

「そうだぜ。チョコレートみたいにスッと脚が離れて、チョコレートよりも美味しい。洋菓子を作る伝手はねえから、知り合いの和菓子職人に頼んでみたんだ。あの世界の鳥は、雪のように舞い降りてくる。空から落ちてくる雁……つまり、落雁だ!」


 ぱかりと開いた箱の中には、鳥をかたどった可愛らしい和菓子が並んでいた。夜万加加智は興味深そうにそれを眺めると、ほうと感嘆の声を漏らす。


「なるほど、砂糖を固めた菓子か。ふむ、きちんと鳥の形をしている。可愛いのう」


 すると、その中のひとつをおもむろに指で摘まんだ銀目が、悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ほら、食わせてやるよ」

「え、いや……それは……」

「遠慮すんなって。はい、あーん」

「……っ!」


 夜万加加智の口に落雁を放り込んだ銀目は「うんめえだろ?」と無邪気に笑った。すかさず大きく口を開けて、自分にもとアピールする。


「うっ……銀目、お前という奴は本当に! 心臓が保たぬ……」


 怒濤の双子の攻撃に晒された夜万加加智は、震える手でお菓子を銀目の口に放り込んだ。

 途端にニコニコし始めた銀目に、夜万加加智は息も絶え絶えだ。

 すると、彼女にネイルを施してあげていたナナシが、呆れた声を上げた。


「アンタたち、少しは手加減してあげなさいよ?」

「「はあい」」

「あっ……」


 パッと夜万加加智から離れた双子は、軽やかな足取りで彼女から遠ざかった。そんなふたりの背中を、夜万加加智はどこか名残惜しそうに眺めている。


「――あら?」


 ナナシがくすりと妖しげな笑みを浮かべる。ぽってりとした唇を三日月型に変えて、長い睫毛で彩られた琥珀色の瞳で夜万加加智を見つめた。途端、匂い立つような色気が滲み出てきて、その視線を真っ正面から受け止めてしまった夜万加加智は、小さく息を呑む。


「傍にいるのがアタシじゃ不満かしら。やっぱり、若い子たちがいい?」

「い、いや……そんなことは」

「なら――」


 ナナシは夜万加加智の手の甲へゆっくりと顔を近づけていくと、ちゅ、とリップ音をさせてキスを落とした。そして、どこか寂しげに眉を八の字に下げて笑う。


「アタシのことだけを考えていて。今、この瞬間だけでいいから」

「~~~~~~っ!」


 筆舌に尽くしがたいほどに暴力的な色香が放たれる。夜万加加智が仰け反ると、周りにいた眷属たちが、彼女の背中を慌てて支えてやっていた。


「えげつない……」


 私はその様子を遠目で眺めながら、ひとり苦く笑った。

 近くにあったお椀に手を伸ばそうとして――鈍痛が走って顔を顰める。


「いたた……。これ、しばらく治りそうにないな」


 先ほどの件で体が酷く痛んでいる。なので、今日の接待は三人に任せて、私は裏方へと回ることにしたのだ。もちろん、あの三人に夜万加加智が夢中になっている隙に連れ出した水明と一緒。因みに裏方の仕事とは、山の神の眷属への食事の提供だ。


「順番に並んでくださいね。焦らなくてもたくさんありますから!」

「「「はーい!」」」


 私が声をかけると、狩衣姿の眷属や、御斎峠に棲むあやかしたちが元気よく返事をしてくれた。各々好きな場所に陣取って、羊のカレー料理を味わっている。

 これも接待の一環だ。チャンスはどこに転がっているかわからない。本命の夜万加加智はもちろんのこと、眷属たちへのもてなしを蔑ろにするわけにはいかないのだ。


「まったく、酷い目に遭った……」


 隣でお椀を準備している水明は、どこか疲れ切った様子でため息を零している。

 私は小さく笑うと、次々と鍋の中身をお椀に注ぎながら言った。


「あの調子じゃ、今年も受注が期待できそうだね。よかった、よかった」


 夜万加加智の様子を窺い見る。ちょうど今、薬屋お手製の化粧品を試しているところのようで、かの神を膝に座らせたナナシが化粧水を塗ってやっていた。威厳満ちあふれた神であるはずなのに、頬を上気させて「ダースで買う」と目をグルグルさせている姿は、普通の女の人と変わりない。あの感じだと、乳液と美容液もセットで購入しそうな勢いだ。


 すると、水明は酷く苛立った様子で言った。


「なにがよかっただ。さっき、あれだけ危険な目に遭っておいて、呑気過ぎやしないか。あのままだと、お前の内臓が口から出るところだったんだぞ」

「確かに! あれは危なかったねえ。歯磨き粉のチューブになるかと思った」

「笑っている場合か!」


 ジロリと睨みつけられて、小さく肩を竦める。


「そんなに怒らなくても。よくあることだよ、あやかし相手では。あれだって、別に悪意があってしたことじゃない。あの人たちと比べると、私が脆弱過ぎるだけ」


 あやかしたちと付き合っていると、しみじみ思う時がある。

 彼らの考えや行動は、人間の物差しでは決して測れない。彼らは彼らなりの世界をそれぞれ持っていて、その中で自由に生きている。なにものにも縛られず、そして目の前に広がっている世界は、自分のためにあると信じて疑わない。


 あやかしや神が生まれる経緯は様々だ。それによって彼らの世界は変わる。その世界には独自のルールがあり、なんの力も持たない人間である私はそれに従うのみだ。


「今回のことは、私も迂闊だったけどね。付き合い方を間違えさえしなければ、普通に仲良くできるものだよ。それは人間相手であっても一緒でしょ?」

「そうかも知れないが……」


 表情を曇らせた水明に、くすりと小さく笑みを浮かべる。


「時々忘れそうになるけど、あやかしとか神様って、とても怖いものだよね。怖くて、でもすごく近い場所にいる。たとえるなら、よく知らない隣人みたい。ふとした瞬間に存在を感じることはできるのに、よくわからないから身構えちゃう。でもさ」


 私はへらりと緩んだ笑みを浮かべて続けた。


「そういうあやかしたちが、私は好きなんだよね。彼らのルールに反しないように、私の方が色々とわきまえて付き合うべきだなって思うよ。〝郷に入れば郷に従え〟って奴。だからさ、今日のことは心配しなくても大丈夫! それに、君も幽世で生活していくなら、そこんところをわかってないとね?」

「……わかっている。わかっているが、先輩風を吹かすな」

「いやいや、事実、私は先輩ですし?」


 クスクス笑うと、水明はほんのり頬を染めて、そっぽを向いたまま言った。


「お前の考えはよくわかった。あやかしは倒すべき相手じゃなくて隣人なんだと、改めて肝に銘ずる。……まったく、今日は厄日だな。あの双子すらなにがしか貢献しているというのに、俺だけ役立たずで腹が立つ」

「あらま。じゃあ、今からでも夜万加加智のところに行く?」

「ぐっ……! それは勘弁してくれ……! さっきだって死にそうだったんだ」


 その時のことを思い出したのか、水明は身震いしている。それがどうにもおかしくて笑っていると、私たちの近くに、あるあやかしが立っているのに気が付いた。


「…………」


 それは、餓鬼にとてもよく似た姿をしたあやかしだった。


 名はヒダルガミ。ここ御斎峠によく現れるとされていて、旅人の腹を引き裂いて、胃の中に残っている飯の粒を食らう。ヒダルガミには山での横死者や変死者がなるとされ、山中で突然お腹が空いて動けなくなった場合、それはヒダルガミの仕業だと謂われている。


 落ちくぼんだ瞳をぎょろりと私に向けたヒダルガミは、酷く頼りない足取りでこちらに近づいてきた。今にも倒れそうな様子に心配になるが、どこか異様な雰囲気を纏っていて、どうにも声をかけづらい。


「夏織。下がっていろ」


 水明も同じように感じたのか、警戒した様子ですかさず私の前に出た。

 ヒダルガミはぼんやり虚空を見つめたまま、徐々に距離を詰めてくる。やがて、私たちの傍へとやってきたヒダルガミは、蚊の鳴くような声でなにか呟いた。


「……人……」

「え?」


 思わず聞き返すと、ヒダルガミは痩せ細った手をこちらに伸ばしながら言った。


「人魚の肉はねえのかい?」

「人魚……?」

「風の噂で聞いたんだ。人魚の肉を売ってる奴がいるって。その肉を食えば、どんな願いも叶うんだそうだ。ソイツは、困っているあやかしのもとにどこからともなく現れる。兄さんたち飯を配っていただろう。本当は人魚の肉もあるんじゃないのか……?」


 掠れた声で、まるで希うように話しながら、ヒダルガミは水明の服を掴む。


「くれよ。人魚の肉が欲しいんだ……!」

「悪いが、そんなものはない」


 きっぱりと言い切った水明に、ヒダルガミは血相を変えて叫びだした。


「……じょ、冗談はよしてくれよ! 本当はあるんだろう!? 俺はもう、この絶え間なく襲い来る飢餓感にうんざりしているんだ 食っても食っても満たされない! そんなの地獄だろう。俺は満腹になりたいだけなんだ。頼むよ、俺を助けてくれよ……!」


 あまりにも必死な様子に、水明は私と視線を交わす。

 どうにも様子が変だ。なにか仕出かしそうな予感がひしひしする。今は大切な接待の最中だ。ここは、刺激しないように距離を取るべきかも知れない。


「事情はわかった。詳しく話を聞こう。とりあえず、落ち着くんだ……」


 水明が、なだめすかすように語りかけたその時だ。

 血走った瞳を大きく見開いたヒダルガミは、声を荒げて詰め寄ってきた。


「これが落ち着いていられるか!! クソッタレが! どうして俺の苦しみを理解してくれない? どうして手を差し伸べてくれないんだ。どうせ俺の気持ちなんて、欠片もわからんのだろう! どうして。どうしてだ! お前、もしかして――」


 ヒダルガミは赤く染まった瞳を限界まで見開くと、地を這うような低い声で言った。


「――人魚の肉を独り占めしようとしているな?」

「……っ!?」

「ふざけるな! 人魚の肉は俺のもんだ!!」


 あまりにも支離滅裂で偏った思考に、水明が一歩後退った。私も釣られて数歩下がる。


「……わっ!」


 その瞬間、食器洗い用に置いておいた水瓶に脚を引っかけてしまった。体勢を崩して地面に倒れ込み――次の瞬間には、大量の水を頭から被ってしまった。


「あちゃあ……」


 ずぶ濡れになってしまった自分を見下ろして、思わず声を漏らす。

 せっかくナナシに用意してもらった衣装が台なしだ。

 どうしようかと途方に暮れていると――ゾクリと怖気が走った。


 気が付けば、宴を賑やかしていた笛と鼓の音が止んでいる。先ほどまで音で溢れていたぶん、静寂が耳に痛いほどだ。あまりにも突然訪れた異変に、恐る恐る辺りを見回した。今まで楽しそうに食事に舌鼓を打っていた眷属たちが、その場で立ち尽くしている。


 彼らは――何故か無表情のまま、私をじっと見つめていた。


「おなごの臭いがする」

「……っ!」


 その瞬間、地の底まで冷え切ったような声が、森の中に響いた。

 ずる、ずるりと地面を這いずる音が聞こえる。なにかを見たらしいヒダルガミが逃げていった。しかし、今はそれどころではない。


 私は音が徐々に近づいてくるのを知ると、ゴクリと生唾を飲み込んだ。


 ――バレた……? どうして? さっきまでは平気だったのに。一体なにが――。


 すう、と体温で温まった水が頬を伝っていく。それで状況を悟った。


 ――水で、香水が落ちたんだ。


 ぽたん、ぽたんと水滴が肌を濡らす度、私の体温まで奪われていくような感覚に襲われた。心拍数が上がり、指先が痺れてきた。心臓の音がうるさい。泣くことも、悲鳴を上げることすらできない。逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。


「水明……ナナシ……銀目、金目……」


 仲間の名を呼ぶ。声が震えている。すると、視界の隅に動くものが映り込んだ。蝋人形のように白い手だ。それは私の頬をするりと撫でると、肩、背中、腕――まるで私の形を確かめるかのように動き、やがて止まった。


「なあ、どうしてなのじゃ?」


 息づかいが、そして女の声がすぐ傍で聞こえる。


「妾が田の神になるめでたき日に、宴席で穢らわしい雌の臭いがするのは何故じゃ?」


 呼吸が乱れる。涙で視界が滲む。思考が鈍くなり、体が硬直する。するり、白い手がまた動き出した。私の濡れた頬を体温を感じさせない指がなぞる。


 ……ああ、夜万加加智の尾が。長い蛇の尾が――私の体に徐々に巻き付いてくる。


 先ほどの苦痛が脳裏に蘇る。あの時の夜万加加智は無意識だった。しかし、神というものは、禁忌を犯した者に容赦はしない。恐らく今度は、確実な意志で以て、私の命を刈り取るためにその尾を使うのだろう。


「どういうことか、教えてくれるじゃろう? 夏織?」


 ぬう、と夜万加加智の顔が、私のそれを覗き込んだ。ちろりちろりと赤々とした長い舌が揺れている。私は恐怖に耐えきれなくなって、固く目を瞑った。


 ――死ぬ……!


「オイ、夜万加加智」


 その時、静まりかえったそこに、どこかぶっきらぼうな声が響き渡る。

 驚いて目を開けると、すぐ傍に水明の姿があった。


 水明はじっと私を見つめると、声は出さずに口だけを動かし、言った。


『お前のことは、俺が守る』


 そして、私の体をなで回していた夜万加加智の手を掴む。僅かに眉を寄せ、ぎょろりと視線を向けた夜万加加智を、挑戦的な眼差しで眺めた。


「なんじゃお主。人見知りのおのこではないか。妾は今、夏織と話しておるのだ。黙って見ておれ、さもないと――……」

「うるさい。よく口が回る女だな」


 そしてそのまま、ぐいと乱暴に引っ張ると、端正な顔を夜万加加智に寄せ――ほんのりと頬を染めて、どこかじれったそうに囁いた。


「やっと俺のところに来たと思ったら、どうして夏織なんぞに構っている? ……まったく、人の気も知らないで」

「……は?」


 予想外の水明の発言に、思わず素っ頓狂な声が出た。


 水明は物憂げに目を伏せ、長い睫毛越しに夜万加加智に熱っぽい視線を注ぐ。彼女の首筋をぎこちない手付きで撫で、どこか余裕たっぷりの口調で言った。


「他の男なんてどうでもいいだろう? 俺だけを見ていろ。わかったな?」


 ――こ……これは一体……!?


 目の前で繰り広げられているあまりにも衝撃的な光景に、脳内が混乱に陥る。

 水明が。あの水明が、まるで傍若無人な俺様キャラみたいなことを言っている……!


 ――ああ、明日は空から槍が降るのだろうか。それとも天変地異でこの世が終わるのか。

 口説き文句がこなれている。他の誰かにも言ったことがあるのだろうか。……って相手は誰だ。誰なんだ!? そこんとこちょっと詳しく! てか、そもそもそんなことしている場合じゃないでしょ、私が死ぬか生きるかの瀬戸際に、この男は一体なにをしているの! ――万が一にでも夜万加加智の怒りを買ったら……!


 あまりのことに、一瞬にして色々な考えが脳内を駆け巡った。

 嫌な予感がして、恐る恐る私に巻き付いたままの夜万加加智に視線を向ける。

 しかし次の瞬間、私はあんぐりと口を開けて固まってしまった。


「……ひゅっ」


 何故ならば、先ほどまであれほど恐怖を振りまいていた夜万加加智が、恋する乙女のような可愛らしい顔で息を呑んでいるのを間近で見てしまったからだ。


 水明はにやりと不敵な笑みを浮かべると、夜万加加智の耳もとで囁くように言った。


「聞こえているのか? わかったなら、返事をしろ」

「はい……」

「いい子だ。さあ、宴席に戻るぞ。ついてこい」

「はい……」


 水明が手を差し伸べると、いやに素直に手を重ねる。


 一瞬、手が触れるのを躊躇した夜万加加智に、水明はフッと不敵な笑みを浮かべ、自然な動きで彼女をエスコートしてやった。そんな水明を、夜万加加智は蕩けそうな表情で見つめている。その目に浮かぶのは――まさにハートマークだ。


「た、助かった……?」


 体から蛇の尾が離れて行くのを見ながら、私はその場にくずおれた。

 するとそこに、ナナシたちが駆け寄ってきた。


「夏織! ああもう、アンタ大丈夫!? ほら、香水つけ直すわよ!」

「神様と戦わなくちゃいけねえかと思ったぜ! ヒヤヒヤした~!」

「アッ……アハハハハハハ! ヒィ、駄目。僕、笑い過ぎて腹筋が割れる……」


 ――どうやら私は助かったらしい。


 いつの間にやら笛と鼓の音が戻ってきている。夜万加加智は、先ほどのことなんてすっかり忘れ、楽しそうに水明と語り合っている。


 そのことに安堵しつつも――私は、どこかモヤモヤしたものを感じて、思わず自分の頬を抓ったのだった。


***


 結局、今回の接待は大成功を収めた。

 本の貸し出し受注は去年の二倍。ナナシお手製の化粧品の販売数は三倍。


 私たちの懐は充分に暖まった……のだが。どうにも、あの時の水明の振る舞いが納得できなかった私は、後々彼に詰め寄った。すると、水明は一冊の本を取り出してこう言った。


「文車妖妃から借りたこれを参考にしたんだ」


 それは「俺様王子に堕とされて」というTL小説だ。学園に君臨する、あだ名が「俺様王子」なヒーローに、主人公がひたすら溺愛されるという作品で、なんと彼はこの中の登場人物の行動を真似たらしい。


 ――そう。あの時の行動のアレコレは、彼の経験からくるものではなかったのだ。


「女はこういう男が好きなんだろう?」


 無表情のまま首を傾げる水明に、私は至極真面目な顔を作って言い聞かせた。


「それは違うからね!? 優しいのが好きな人もいれば、ちょっとサディスティックに扱われたいって人もいるけど、今回はたまたま夜万加加智の性癖と合致したってだけで」

「性癖?」

「ああああっ! 今のは聞かなかったことにして! それと、ああいうことはもう二度としないで!」

「……? まあいい。わかった、二度としない」

「水明ったら素直でいい子!」

「……子ども扱いするな。馬鹿」


 そっぽを向いてしまった水明に、私は大きく息を零す。しかし、どうにも自分の中で渦巻く感情を上手く整理できなくて、その場でゴロゴロ転がりたい衝動と戦う羽目になった。


 はっきりしていることはひとつある。


 ――絶対に文車妖妃にクレーム入れてやる……!


 私は拳を強く握りしめると、決意を固めたのであった。

我ながらひどいなって思う。

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