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麗らかな季節に戯れ遊ぶは山の神3

 ――山岳信仰のひとつに「山の神」という概念がある。


 春になると山におわす神が里へ下りてきて、「田の神」へと変じるというものだ。


 山で生きる民と里で生きる民によって、山岳信仰は様々な顔を持つが、これは主に農村部に於いて信じられていたものだ。山から下りてきた神は、秋の収穫後に山へと帰っていくとされている。案山子はこの山の神が田の神になった姿だ。長野県や新潟県では、田の神を山へ送る作法として「案山子揚げ」と呼ばれる行事が執り行われる。


そして今日は、ここ三重県で山の神が田の神となる日。


 私たちがお得意様としている神は、ここ三重県伊賀市御斎峠におわす。御斎峠は、かつて本能寺の変の際に、徳川家康が峠越えしたことで有名な場所だ。


 その神とは、東雲さんが貸本屋を開いた当初から付き合いがあるらしい。

 普通、神というものはあまり人やあやかしと関わり合いを持とうとはしない。

 限りなく人に近い場所に存在するものもいるにはいるが、基本的には自分と眷属以外のものの間に、明確な線引きをしているのが大多数だ。何故ならば、時には天候さえも操るほどの強力な力を持つ彼らは、人を同格のものとは見なしていない。だから、それらの生活に基づいた本や化粧品などに興味を持つこともないのだ。


 しかし、うちの常連客である神はそうではなかった。


 ここの「山の神」は変わり者だ。人の生活に興味を持ち、肌の調子が悪ければ化粧品を欲し、オシャレに気を配り、時間がある限り本などの娯楽に興じる――そんな神様だ。

 それには理由があった。ここ上野盆地は伊賀盆地とも呼ばれ、中世の頃には、この地に住まう人々は「伊賀忍者」として傭兵稼業に身をやつしていた。彼らがそうしなければならなかったのは、かつてここが湖底にあったがために、土壌が粘土質で、稲作が困難な土地だったからだ。


 つまりはこういうことだ。ここでは、春になって山の神が下りてきたとしても、田の神になるための受け皿が他の土地に比べると少なかった。

 暇を持て余した山の神は、たまたま知り合った東雲さんやナナシに娯楽を求めたのだ。


 とはいえ、土壌改良の技術が進んだ現代では、ここ伊賀盆地にも多くの水田がある。

 昔のように暇で仕方がないということはなくなったようだが、山の神と私たちの関係は今もなお続いている。人間は非常に欲深い生き物だ。彼らが創り出した娯楽やケア製品を一度知ってしまったら、神といえど簡単に戻れるものではないのだろう。




 水明が、驚きのあまりに固まってしまったあの日から数日。

 私たちは現し世へやって来ていた。


「ぜっっっったいに、駄目だ!!」

「水明ったら、往生際が悪いわねえ」

「夏織を気遣ってるんでしょ。いやあ。僕、感動しちゃったなあ!」

「なんだよ、金目。俺だって夏織のことはちゃんと考えてるぞ!」


 暴れる水明をナナシが逞しい腕でがっちりと押さえ込んでいる。水明は必死にもがいているが、完璧に決まっているのかナナシはびくともしない。双子はそんなふたりをケラケラ笑いながら眺めている。そんな昼下がりのことだ。


 私たちは、御斎峠展望台のほど近くにある山の中へやってきていた。

 広場のようにぽっかりと開けたその場所からは、普段なら伊賀盆地を一望することができるはずだった。しかし、一面濃い霧で覆われているせいで、数メートル先を望むことすら難しい。この辺りは、かつて湖底であったこともあり、かなり霧が出やすい場所だ。広場の隅にある苔むした磨崖仏――自然石などに彫られた仏像――が、ぬらぬらと動く霧の中からたまに顔を覗かせては、独特の雰囲気を醸し出している。


 そんな場所で、私たちは接待が始まるのを今か今かと待っていた。


「そもそも! 今日は山の神が田の神になる祭事の日だ! 女である夏織が山へ入るのは禁忌だろう!? 神の機嫌を損ねかねない。一刻も早く帰るべきだ!」


 ぜいぜい肩で息をしながらも、水明が必死に叫ぶ。

 山岳信仰では、女性の入山が許されていない日というのがある。それは、山の神が女性だからだ。山の神は大変嫉妬深く、出産や月経を忌み嫌う。山の神を醜女とする場所も多く、マタギの間ではオコゼの干物を持ち歩いたりするらしい。それは、「自分よりも醜いものがある」と山の神が喜ぶからなのだそうだ。


 すると、澄ました顔で水明を押さえつけていたナナシが口を開いた。


「毎年のことだし大丈夫よ。雌のにゃあは置いてきたし、夏織が女の子だってバレないように準備もしているしね」


 私に視線を移したナナシは、ニッコリ笑って言った。


「ああん! 今年は本当にいいできだわ~! うちの子が可愛い!」

「えへへ。ありがとう」


 私は照れ笑いを浮かべると、自分の格好を見下ろした。

 今日の私の格好は、普段とはまるで違う。

 白シャツにチェック柄のベスト、黒のパンツに革靴。黒い棒タイに、ベストのポケットからは金のフォブチェーン。手には革手袋を嵌めている。それらは明らかにメンズで、胸はサラシで潰して、衣装と違和感がないように髪もワックスで上げているのだ。

 そのおかげで、高校生くらいの男の子に見える……と思いたい。


「まさか、男装しているからバレないとか言わないだろうな……? 見た目だけで神を騙せると思っているのか?」


 疑わしそうに、水明がじとりと私を睨みつけている。

 すると、私と同じ格好をした金目と銀目が、ニコニコ笑いながら言った。


「大丈夫、大丈夫。ナナシ特製の香水をかけてあるから、匂いで女の子だってバレないようにもしてあるよ。その辺りはぬかりない」

「ワハハ! 水明は心配性だなあ。男の格好してたらわかんねって!」

「本気か? 危機感がなさ過ぎるだろう!」

「「そうかな~?」」


 双子がハモって返事をすると、とうとう水明は脱力してしまった。


「くそ……っ! 俺がしっかりしないと」


 抵抗するのを止めて、なにやらブツブツ呟いている。

 ナナシはクスクス笑うと、水明を離して、私たちの前に立った。

 今日の彼も、普段とは違う格好をしている。クラブのオーナーを思わせるベスト姿で、濃緑の長髪は頭の天辺近くで結っている。化粧も控えめで、派手派手しい普段の格好からするといやに地味だ。しかし、うなじから零れる後れ毛や、眩しいほどに白いウィングカラーシャツ、センスのいいタイや、口紅を塗らずともぽってりとした唇、アイメイクが薄いからこそ強調される睫毛の長さ。ベスト姿だからこそはっきりと浮かび上がる、体の細いライン……挙げればきりがないほどに、色気が増しているように感じる。


 ナナシは薄桃色の唇を自信たっぷりに歪めると、私たちに向かって威勢よく言った。


「みんな、よろしく頼むわよ! お客様に気持ちよくお金を払って頂く……ただそれだけを考えて。羞恥心? そんなもの捨てておしまいなさい。たくさんお金を払ってもらうなんて申し訳ない? お金を払うことでお客様の心が潤うの。遠慮することなんてないわ。なにかあったらアタシに言って。すべての責任は私が負うわ!」


 私と双子は大きく頷くと、逸る心を抑えきれないまま返事をする。


「私、頑張るね! 本をたくさん貸して、新書をいっぱい買うぞ!」

「僕も精一杯やれることをやるよ~。なんか面白そうだし」

「ああ腹減った! 早く始まんねえかなあ。今年もご馳走いっぱい食えるかな?」

「……はあ。お前ら……いい加減に――」


 水明が心底呆れた声でそう言った瞬間……辺りの空気が一変した。

 肌がひりつくような威圧感を感じる。周囲に満ちていた濃厚な霧が一斉に動き出して、みるみるうちに視界が白く染まった。


「……きた」


 次の瞬間、どこかハレの日を思わせる陽気なリズムが聞こえてきた。


 とん、とこ、とん。ぴい、ぴい、ぴいひゃらら。


 こくりと唾を飲み込み、ぬらぬらと蠢く乳白色の霧の向こうを見つめる。

 やがて大勢の人影が見えてきた。それらは皆、狩衣を纏っている。すべて男性だ。面布で顔を覆っていて、表情は窺えないものの、耳や尻尾があるものもいれば、は虫類のような長い尾がはみ出している者もいる。彼らは山の神の眷属だ。つまり人ならざるものたち。それらが鼓や横笛を手にして、縁日を思わせる音を紡いでいる。


「お待ちしておりましたわ! 夜万加加智(ヤマカカチ)様!」


 すると、大仰に両手を広げたナナシが一歩前へ出た。


「……ホホホホホホ!」


 その時、笑い声と共に、霧の向こうに巨大な影が動いているのが見えた。

 ――山の神だ。


 心臓が跳ね、緊張感が高まった。毎年のこととは言え、自分よりもはるかに巨大なものがすぐ傍で動いていることは、私にとって恐怖以外のなにものでもない。

 襲い来る恐怖心にじっと耐えていると――ぬう、と乳白色の壁の向こうから、女性の顔が浮かび上がってきた。


「いつにも増して美しいのう。ナナシ」

「お褒め頂いて光栄ですわ、夜万加加智様」


 姿を現したのは、この山に棲まう神、蟒蛇(うわばみ)の化身だ。


 森を煮詰めたような濃緑の鱗を持つ大蛇で、下半身は蛇そのものだが、へそから上は人とまるで同じ作りをしている。ラミアーと呼ばれる半人半蛇の姿に近いかも知れない。大蛇部分が恐ろしく長い。大きくとぐろを巻いた姿は圧巻で、まさしく異形の女王だ。


 更に、彼女は豪奢な十二単を纏っていた。まるで晴れ着のような大きな牡丹柄の唐衣は、普通ならば華美になり過ぎる印象なのだが、山に息づく生命を思わせる彼女の鱗の緑と合わさると、とてもしっくりくる。下に着ている五衣(いつつぎぬ)は伝統的な「合わせ色目」に即し、春らしい色合いになっているのも趣味がいい。


 夜万加加智が動く度に、背中に流した長い黒髪がサラサラ揺れる。彼女は、ぐんと体を伸ばすと、ナナシの美しい顔に自分のそれを寄せて訊ねた。


「ナナシ。妾の今日の装いをどう思う? この日のために、新しく仕立てたのだ」


 クスクスと楽しげに笑う夜万加加智に、ナナシは笑みを深めた。


「まあ! やはりそうですか。その大ぶりの牡丹! 今風の柄が新しいですわね」

「じゃろう? 京友禅を取り寄せて仕立てさせたのじゃ。唐衣にするには重いのではないかと言われたが、些細なこと。これほどまでに雅な着こなしは妾にしかできぬ」


 檜扇で口もとを隠した夜万加加智は、黒目がちな瞳をにんまりと細めて笑った。新しいものが大好きな彼女にとって、今日の装いは自信があったらしい。ナナシの言葉に満足した夜万加加智は、次に双子へ目をとめると、パッと頬を赤く染めた。


「ああ! お主たち……! 今年も来てくれたのか。ささ、近う寄れ」

「お久しぶりでっす! 僕のこと覚えていてくれて嬉しいな~」

「なあなあ、メシは? 腹減った!」

「お主たちは相変わらずじゃの。変わらず愛らしい! 腹一杯食わせてやろう」


 次に夜万加加智が視線を向けたのは、私だ。にやりと妖しい笑みを湛える。

 ドキン、と心臓が跳ねた。動揺を露わにしないように苦労しながらも、小さく会釈する。


 その瞬間、ぬらりと夜万加加智が動いた。


 ズルズルと地を這う音がする。巨大な生き物が近づいてくる光景は、正直あまり心臓によくない。手に汗が滲み、手袋の中がしっとりと濡れる。


 ――ああ。やっぱり大きな人外は怖いなあ……。


 いつまで経っても慣れない自分に呆れながら、手が震えているのがバレないように、背中に隠す。神様というものは本当に気まぐれだ。なにを不敬だと思われるかわからない。怯えの感情を見せてはいけない。すべてに於いて慎重に行くべきだ。

 すると、その手を誰かが掴んだ。後ろを振り返ると、そこにいたのは水明だった。


「……大丈夫か?」


 驚きと共に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「俺がついている。安心しろ」


 私は目で水明に礼を言うと、覚悟を決めた。ニッコリ笑って夜万加加智へ向かい合う。


「夜万加加智様! 今年もお会いできて嬉しいです!」

「夏織。妾も同じ気持ちじゃ……! ああ、夏織……」


 夜万加加智は頬を染めて私に触れると、指先で顎のラインを撫でる。恍惚に瞳を潤ませると、熱い吐息を零した。


「ほんに、幾年重ねようともお主のこのまろみのある顔は変わらぬのう。めのこかと見紛うほどの愛らしさ。堪らぬな。あちらの双子もよいが、お主の顔が一等好みじゃ」

「ありがとうございます」


 内心、ヒヤヒヤしつつもお礼を言う。すると、彼女は唐衣の表面をさらりと撫でた。


「……そうそう、夏織よ。この牡丹の唐衣、お主から借りた本から発想を得たのじゃ」

「……本?」


 首を傾げると、スッとひとりの眷属が本を差し出してきた。


 それは、小泉八雲が蒐集した日本の民話を収めた本だ。小泉は、ギリシャ生まれで本名をラフカディオ・ハーンという。日本語が読めない小泉が、妻である節子に語らせたものを書き取った再話集だ。


「この中で特に気に入ったのが牡丹灯籠の話じゃ。お主も知っておろう?」

落語家(はなしか)円朝の人情(ばなし)を元にしたお話ですね。美しい若侍のもとに、死んだはずの娘が毎夜家に訪れる……相手が人ではなく、死霊だと気が付いた若侍は、娘の侵入を阻止しようとしますが、結局最後は取り殺されてしまう」

「前々世から娘は若侍に恋をしておったのだそうじゃ。だからこそ、亡霊と成り果てても男のもとへと通った。まこと、おなごの執念は蛇にも負けぬ」


 夜万加加智は、二股に分かれた長い舌をチロチロと伸ばすと、瞳をすうと細めた。


「物語として興味深く読んだぞ。だがしかし、ひとつ不満があってな」

「――不満?」

「そうじゃ。なあ、夏織。お主はこう思わぬか?」


 その瞬間、彼女は蛇体を大きくくねらせると、私の体へ巻き付けてきた。反射的に悲鳴を上げそうになって必死に呑み込む。夜万加加智はニタリと目を三日月型に歪めると、私をやわやわと締めつけながら、瞳の奥に仄暗い炎を灯らせた。


「相手のもとへ通った挙げ句、符だの仏像だのに右往左往するなぞ甘いわ。男がそこにいるとわかっているならば、家ごと尾で締め上げればよかろう。逃げぬように足を折れ。泣いて許しを請うのなら、すべてを諦めるまで飼い慣らせ。やり方はいくらでもある」

「う……」

「己の中に渦巻く欲望を、よくも抑えられたものだ。男の断末魔の声を聞き、愛しい者のすべてを手に入れた瞬間、その娘はとてつもない快感に見舞われただろうの! ああ! 羨ましい……! そう思ったら、この牡丹の唐衣を作らねばと思ったのだ!」

「うううっ……!」


 ギシギシと全身の骨が軋んでいる。

 夜万加加智との付き合いは長いが、彼女は時たま理性のタガが外れることがあった。

 いや、それは夜万加加智に限ったことではない。神というものは山の天候のように気まぐれで視野が狭い。今回も、別に私を害しようとしているわけではないはずだ。興が乗り、下半身が自然と締まっているだけなのだろう。たまたまそこに私がいただけ。それだけだ。


 ――このままじゃやばいかも……!


 徐々に締めつけがキツくなり、痛みに顔を歪める。


 しかし、夜万加加智はまるでなにごともなかったのように話を続けた。


「欲しいものは力尽くでも手に入れよ。妾には、この話がそう教えてくれているように思えてならない。なあ、夏織。お主もそう思うじゃろ?」


 潰れそうなほどに強い力で締めつけている相手に、夜万加加智は無邪気に訊ねる。

 まだ気が付かないのかと、絶望的な気分になる。いや、むしろこの程度のことで(、、、、、、、、)人間がどうこうなるだなんて考えつきもしないのかも知れない。それほどまでに、神は人間に対して無理解だ。


「――おい、やめろ!」


 すると、私の状況を見かねた水明が叫んだ。激痛の中、やっとのことで視線を向けると、今にも飛び出そうとしている水明を、ナナシが必死に止めているのが見えた。


 ――駄目。まだ接待は始まったばかりなのに……!


 私は襲い来る痛みに耐えながらも、首を横に振った。水明の表情に動揺が走り、体から力が抜ける。どうやら、私の意図が伝わったようだ。


「ん……? そこなおのこ、お主は誰じゃ」


 すると、水明の存在に気づいたらしい夜万加加智の注意が逸れた。

 締めつけが緩み、痛みが遠のいていく。


「夏織、こっち!」


 その瞬間、金目が動いた。私を夜万加加智の体から素早く抜き取ると、距離を取った。

 銀目と一緒になって、異常がないか確認する。


「よかった! 問題ないみたいだ。まったく……あのババア。鈍感にもほどがあるだろ。ほんと仕事じゃなかったら勘弁してくれって感じだよね~」

「俺も心臓が止まるかと思ったぜ! ああ、嫌だ嫌だ。夏織に触んなっつの」

「金目、銀目、シッ!」


 慌てて双子の口を塞ぐ。不満そうなふたりを睨みつけて、恐る恐る水明の様子を窺う。

 かの神は見慣れない新顔に興味津々のようで、今の発言は聞こえていなかったようだ。


「おお、おお! これはこれは。なんとも綺麗な顔じゃ! ほれ、妾の方を見よ。どうした、恥ずかしがっておるのか?」

「…………うっ」


 夜万加加智からのアプローチに、水明は嫌な顔を隠そうともしない。必死に、かの神から少しでも離れようと体を反らしている。

 すると、見かねたナナシが慌ててふたりの間に割り込んだ。


「あらあ! 夜万加加智様ったらお目が高い! この子、最近うちで面倒を見るようになったの。お気に召してくれるかしらって、連れてきたのだけれど……」


 ちらりと後ろにいる水明の様子を窺ったナナシは、今にも噛みつきそうなほどに険しい顔をしている少年にため息を零した。


「この子、人見知りで……ごめんなさいね。あまり上手くお話できそうにないわ」


 ――ナイス言い訳!


 グッと拳を握りしめる。感情を制限されて生きてきた水明には、双子や私のように相手のご機嫌とりなんて器用なことはできないだろう。だから、元々は目立たないように木の陰にでも隠れていてもらう予定だったのだ。見つかってしまった以上は、適当に言い訳をして対象外だと暗に告げるのが一番だ……と、思っていたのだが。


「なあに、構わぬ。そういう手合いを手懐けるのも、また一興!」

「……!? なっ……! お前なにをする! 下ろせー!」


 私たちの目論見は外れ、夜万加加智は嬉々として水明を小脇に抱えた。暴れる水明なんてなんのその、眷属たちが集まる場所へ悠々と移動して、上機嫌に指示を出す。


「さあ、そろそろ始めようぞ。酒を! 料理を並べよ。踊れ、歌え。妾を楽しませよ!」


 赤い毛氈が敷かれた主賓席に陣取った夜万加加智は、傍らに水明を置き、笛を吹き鳴らし始めた眷属を眺め始めた。


「……ど、どうしよう? ナナシ!」

「と、とりあえずは接待を始めるのよ! あの子、この世の終わりみたいな顔をしているわ! あれは虚無。虚無よ……! 金目、水明がボロを出さないようにフォローしてあげて。夏織、不自然にならないように水明を下がらせるの。銀目は盛り上げ役に徹して!」

「わかった!」

「あいあいさー!」

「おう、任せろ! ……その前に飯、食っていい?」


 私たちは、各々役目をまっとうするために動き出した。


 和楽器の鳴り響く山の中、笑顔を作って山の神へ近づく。内心ではヒヤヒヤしつつも、大量受注を得るために、じっと彼女の話に耳を傾けた。


 ――貸本屋の接待は危険がいっぱいだ。


 こうして、山の神VS貸本屋&薬屋の、勝負の時が始まったのである。

貸本屋一同の格好はどう考えても忍丸の趣味です

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