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麗らかな季節に戯れ遊ぶは山の神1

 季節は巡る。そこに住む者たちの意志とは関係なく、ダンスのように軽やかなステップを踏みながら、新しい風を吹き込んでくる。


 ふと過ぎ去った季節を顧みてみると、この冬は本当に色々なことがあった。


 延滞料金を取り立てに、はるばる北海道まで行ったり、幽世に現れた吉原に恋愛ものの本を借りに行ったり、クリスマスパーティをしたり……。

 なにより印象深いのは、私の母のことを知れたことだ。胸の中にぽっかり空いていた穴を、親友が語る母との思い出で埋めてもらったような……そんな感じ。


 物語の結末は、私の母にとって決して幸せなものではなかったけれど、連綿と続いてきた想いや優しさの結果、自分がここにいると知れたのは、本当によかったと思う。


 そうして、現し世の桜の蕾がほころび始めた頃。常夜の世界にも、暖かな風が吹いた。


 冬籠もりをしていたあやかしたちが、町に繰り出す。往来には賑やかな声が行き交い、冬の間、見なかった顔を見つけると、どうにも嬉しくて長話をしてしまう。


 ――この優しい風は、どんな出会いを連れてきてくれるのだろう?


 自然と心がソワソワするような季節に、私――村本夏織は、どこかで聞いたことのあるような台詞を耳にして、数瞬の間、思考を停止させた。


「急なことですまないが……しばらくの間、ここに俺を置いてくれないか」

「へっ……?」


 ――嘘! 本当に


 思わず間の抜けた声を出してしまい、慌てて口を閉じる。ちゃぶ台に人数分のお茶を並べながら、相も変わらず無表情なその人を見つめる。


 その人物の名は、白井水明という。


 まるで月光を写しとったような白い髪、幻光蝶の明かりが差し込むと、金色にも見える薄茶色の瞳。透けるような肌に、スッと通った鼻筋。薄めの唇はほんのり桜色に色づいていて、文句なしの王子様顔。無愛想なのがたまに傷だけれど、時々見せる笑顔の破壊力が凄まじい年下の男の子。


 元祓い屋の彼は、わが家を訪ねてきたと思ったら、突然、そんなことを言い出したのだ。


「なにかあったの?」

「ここ最近、祓い屋が怪しい動きをしているだろう?」

「ああ、この間の……」


 水明が言っているのは、「件」の予言に関わる一連の事件のことだろう。


 去年の暮れのこと。幽世に現れた「件」が残した言葉――『幽世の冬は明けない』

それは、その時点で妊娠しているあやかしが無事に出産を終えないと、幽世に春が訪れないという恐ろしいものだった。結局、いつものように幽世に春はやってきたのだが……。


 その際、はっきりとはわからないが、祓い屋の関与が疑われるできごとがあったのだ。


 事実、わが家の隣家に棲む鬼女、お豊さんの出産を阻止しようと、産女らしきあやかしが、姑獲鳥を引き連れて襲ってきていた。どうも、水明はそれを気にしているようだ。


「東雲、土蜘蛛の件を聞いたか?」

「ああ……子どもが攫われたって騒いでいた話な。お前はあの件と、祓い屋が関係していると思っているのか?」

「そうだ。もし、あの産女を遣わした祓い屋がまだ幽世にちょっかいを出すつもりなら、子を攫い、引き出した負の感情を媒体として、なにかを仕掛けようとしている可能性は大いにあるだろう。その場合、夏織が狙われる可能性が高い。大勢のあやかしたちに好かれ、しかし無力な人間であるコイツは、格好の標的になるだろうからな」


 どうやら、彼は私を慮って居候を申し出てくれたらしい。


 ――そこまで私のことを考えてくれているんだ。


 じん、と胸が熱くなる。彼の気遣いを嬉しく思っていると、それまで黙って話を聞いていた東雲さんが、おもむろに口を開いた。


「おめえの言いたいことはわかった。……が」


 無精髭だらけの顎を、しょり、と手で撫ぜると、執筆疲れで深い隈が刻まれた眼差しをジロリと水明に向けた。


「そんなに、俺のことが信用ならねえか」


 私の養父でもある東雲さんは、龍が描かれた掛け軸の付喪神だ。


 かなり由緒ある品で、一時期、時の権力者たちが所有していたこともあったのだという。


 そんな東雲さんは、ここ幽世の町でも随一の実力を持っている。ナナシによると、付喪神の力は、過ごしてきた年月と本体の品質や価値に比例するそうなのだが、東雲さんは強い部類に入るらしい。今までも、あやかし絡みでトラブルに巻き込まれたことはあったが、その度に、東雲さんがすんなり解決してくれていた。東雲さんの腕っ節は確かだ。


 水明は小さく首を横に振ると、真摯な眼差しを東雲さんに向けた。


「そうじゃない。お前たちには今までずいぶん世話になった。同業者が迷惑をかけるのを見過ごせない。どうか、ここでの滞在を許してくれないか」

「…………」


 ひたむきな水明の態度から、彼の本気がひしひしと伝わってくる。流石の東雲さんも無下にできないようだ。一服すると、苦み走った表情で呟いた。


「チッ……。自分の娘くらい、自分で守れるが……ったく、仕方ねえな」


 バリバリと雑な手付きで頭を掻いた東雲さんは、小さく肩を竦めた。


「そこまで言うなら別に構わねえ。だが、一度口にした言葉はやり遂げろよ」

「……! ああ! もちろんだ!」


 パッと表情を輝かせた水明は、心底嬉しそうに笑う。

 そして、勢いよく私に顔を向けると――途端に、怪訝そうに眉を顰めた。

 何故ならば、顔を真っ赤にした私が、汗をダラダラ流しているのを見てしまったからだ。


「……どうしたんだ? 夏織」

「あ、いや……お構いなく……」


 水明から顔を背け、激しく鼓動している心臓を必死に宥める。


 ――うっ……! あっさり決まってしまった……!


 実は、水明は私の想い人だ。そのことを自覚したのは、つい先日だったりする。

 しかも初恋だ。自慢ではないが、この歳になるまで恋愛にとんと縁がなかった。

 水明のことは前々から気になっていたが、その感情が〝恋〟なのだと気が付くまで結構な時間を要してしまったくらいには、そちら方面には疎い。


 なのに。なのにだ


 前置きもなく、好きな人との同棲が始まるなんて……!


 朝から晩まで一緒なんて、想像しただけで汗が滲んでくる。なにか粗相して幻滅されたら……なんて、ネガティブな考えが頭を過り、みるみるうちに血の気が引いていく。


 ――前に水明が居候していた時、どうしていたんだっけ……?


 すると突然、当時の光景が脳裏に浮かんできた。


 それは、去年の梅雨時期――水明がわが家に居候し始めたばかりの時のことだ。


 朝の忙しさにかまけて、自分の格好をおろそかにしていた私は、寝起きの水明にタンクトップとホットパンツだけの姿を目撃されてしまったのだ。「大人の女性としての自覚を持て」と忠告してくれた水明に、確か……私はこう言った。


『変なもの見せてごめ~ん』

「グフッ……!」

「夏織」

「お、お構いなく! ちょっと自己嫌悪に陥ってるだけだから……!」


 ――酷い。酷過ぎる……!


 襲い来る強烈な羞恥心に、その場でゴロゴロ転がりたくなる衝動に駆られる。

 ああ! あの時、間抜け面を晒して、馬鹿みたいに宣った自分が愚かしい。


 それにだ。頭の隅で、こう囁く自分もいるのだ。


 ――朝から晩まで、いつでも水明(すきなひと)の顔が見られるって……最高じゃない?


「お、おい。本当に大丈夫か……?」


 真っ赤になって固まってしまった私を、水明が心配そうに見つめている。


「だ、大丈夫。大丈夫。なにもないよ」


 挙動不審が過ぎたなと反省しつつ、必死に表情を取り繕って顔を上げると――ふと、東雲さんと目が合った。


「…………」


 東雲さんは、目玉が零れそうなほどに大きく目を見開き、私を凝視している。口に咥えていた煙管がぽろりと落ち、畳の上をコロコロと転がっていった。


 ――あ、ヤバイ。


 サッと血の気が引いていく。しかし、時既に遅し。プルプルと小刻みに震え始めた東雲さんは、ジロリと水明を睨みつけると、どこか必死な形相で首を横に振った。


「だっ、駄目だ、駄目だ! やっぱり駄目だ!」

「……なっ、なんでだ! 去年は問題なかっただろう!?」

「そういう問題じゃねえんだよ、そういう問題じゃ! 年頃の娘がいるってえのに、男を居候させるわけねえだろ」


 水明は小さく息を漏らした。鞄から、あるものを取り出してちゃぶ台の上に置く。


「できれば、この手段はとりたくなかったんだが」


 それはお金の入った封筒だ。しかも、結構な厚みがある。


 ――ああ、またデジャブ……!


 それこそ、去年の晩春を思わせるやり取りに頭を抱える。それは、ここ最近お財布事情が苦しかった東雲さんには効果抜群だったらしい。大きく呻いたかと思うと、心底悔しそうに顔を歪めた。


「ぐっ……おめえ……! 誰があやかしを狩って得た金なんか」

「これは俺が薬屋で働いて貯めた金だ。遠慮なく受け取れ」

「…………」


 脂汗をたらたら流しながら、東雲さんは半目になって茶封筒を見つめている。震える手を封筒に伸ばし……ちょん、と指先で視界の外へと追いやって苦しげに言った。


「お、おおお俺を馬鹿にするなよ? か、金で解決できる問題じゃねえんだ……」

「なら、この倍を出せば満足か? なに、ただ飯食らいになるつもりはない」

「うっ! ……そういうことじゃねえって言ってるだろ!」

「やれやれ。我が儘だな」

「誰が我が儘だ、この横暴小僧!」


 すると、水明と東雲さんは睨み合いを始めてしまった。


 ――あああ。どうしよう……。


 ひとり途方に暮れていると、勢いよく貸本屋と居間を繋ぐ引き戸が開く。

 そこにいたのは、やけに目をキラキラ輝かせている烏天狗の青年だった。


「話は聞かせてもらったよ~! なになに、揉めてんの?」


 まるでスキップのようなふわふわした足取りで入ってきた彼は、水明と東雲さんの間に座った。好奇心いっぱいの金色の瞳をふたりに向けて、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「別にいいじゃん。ここに置いてやれば?」


 彼の名前は金目という。私の幼馴染みで、彼がまだ普通の烏の雛だった頃、双子の弟と一緒に地面に落ちているところを拾ってあげたのだ。


 性格は自由奔放。面白いことをなによりも好み、興味がそそられたものには首を突っ込みたがるきらいがある。どうも、水明と東雲さんのやり取りが彼の琴線に触れたらしい。ソワソワと落ち着かない様子で、渋い顔をしているふたりを眺めている。


「絶対に駄目だ! 敵は外だけじゃねえ、内にもいるかも知れねえんだぞ……!」

「なにそれ。本気で言ってんの。ウケるんだけど」


 血走った目で水明を睨みつけている東雲さんに、金目はケラケラ楽しげに笑う。

思う存分笑い転げていたかと思うと、ポンと手を叩いてぱあっと明るい表情になった。


「あっ! 僕、いいこと思いついちゃった~!」


 すっくと立ち上がった金目は、ウキウキした様子で店舗へ続く引き戸へ向かう。戸の向こうに手を伸ばすと、なにか大きなものを引きずりながら戻ってきた。


「……って、銀目」

「うう。夏織……」


 それは双子の片割れ、銀目だった。見かけは金目とそっくりだが、垂れ目な兄と違い、ややつり目で瞳が銀色をしている。彼は、両手で顔を覆ってさめざめと泣いていた。


「ど、どうしたの なんで泣いてるのよ」

「そっ……それは。お前がまた水明と一緒に暮らすかも知れねえと思ったら……」


 銀目は、なにやら口籠もっていたかと思うと、仕舞いにはそっぽを向いてしまった。

 弟分の不可解な行動に首を傾げていると、金目がニッと白い歯を見せて宣言する。


「というわけで、今日から僕たちもこの家に住もうと思いま~す」

「「「「はっ……」」」」


 東雲さんと、銀目、水明、私とで素っ頓狂な声を上げる。

 金目はどこか自信たっぷりな様子で、そこにいる全員を見回して言った。


「年頃の男がひとり、女がひとりって状況が駄目なんでしょ。だったら人を増やせばいいだけの話じゃない~? 昔はさあ、銀目とふたりして泊まりに来たでしょ~? 最近、修行だのなんだの忙しくて、夏織とあんまし遊べなかったし」

「おめえら、自分の図体のでかさを自覚しろ! どこに寝るんだ、どこに!」

「え~? 二階の客間に男三人で寝ればいいでしょ。あ、なんなら」


 金目はちろりと私を見ると、心底楽しげに目を細めた。


「僕は夏織の部屋でもいいよ? 昔はよくお布団並べて寝たよね」

「「絶対に駄目だ」」


 その瞬間、水明と銀目が金目の話を遮った。キン、と鼓膜が痛くなるほどの大音量に顔を顰めていると、視線をあちこち彷徨わせた銀目が焦ったように続けた。


「し、仕方ねえなあ。夏織に危機が迫っているってんなら、俺も黙っちゃいられねえ。東雲、世話になるぜ。水明、俺たち……一緒の部屋でいいよな」

「そ、そうだな。狭いだろうが……別に構わない」

「わ~。決まりだねえ。お泊まり楽しみだな~。銀目、荷物を取りに鞍馬山に戻ろう。夏織、悪いけどお布団の用意、お願いね~」

「夏織。また後でな! あ、肉とか山菜とか持ってくるわ。家賃代わりに!」

「おい。勝手に話を進めるな。ここの家主は俺だ 頼むから、話を聞け……!」


 東雲さんの制止もどこへやら。双子はウキウキとした様子で立ち上がった。

 呆気に取られてその様子を見ていると、居間を出ようとした金目が私に手招きをする。

 不思議に思って近づくと、彼は私の耳もとで囁くように言った。


「とりあえずは、これでうやむやになったでしょ。やったじゃん。この機会に、水明との距離が近づけばいいねえ」

「なっ……」


 金目は悪戯っぽく笑うと「頑張って」と私の肩を叩き、居間を出て行ってしまった。


「うう……金目ったら」


 顔がどうしようもなく熱くなるのを感じながら、そっと水明と東雲さんの様子を窺う。

 すると、ふたりは同時にため息を零すと、小さく首を横に振った。


「俺のせいで大事になってしまってすまない……」

「もういい。くそ、どうしてこうなった……」


 真面目な顔で謝る水明。それに心底嫌そうな顔をしている東雲さん。

 ふたりの様子がどうにも面白くて、思わず笑ってしまった。


「アハハ。今年は、賑やかな春になりそうだねえ?」


 すると、水明はグッと眉根を寄せた。


「状況を理解しているのか、馬鹿」


 更には、東雲さんは疲れ切ったかのように天井を仰ぐ。


「ああ、めんどくせえ……」


 クスクス笑った私は、双子のための布団を用意しようと押し入れに向かう。心臓が高鳴っているのを感じながら、ソワソワ落ち着かない自分にちょっぴり呆れる。


 ――ああ。この先、なにが待っているのだろう。


 ちら、と覗き見た先には、無表情のまま、温くなってしまったお茶を啜っている水明。

 私は、ともすればニヤけそうになる顔を必死に引き締めながら、仕舞い込んでいた布団に手をかけたのだった。

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