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安達ヶ原の母子7:そして母子は

 私たちは、岩手さんを連れて元の世界へと戻ってきた。


 怪我をしてしまった東雲さん、ぬらりひょんを水明たちに任せて、岩手と共にお豊さんの家へ向かうことにする。


「私は……帰ります」


 しかし、岩手はお豊さんの家に行くのを頑なに固辞した。自分の役目はこれで終わりなのだと、どこかへ去ろうとする。


「駄目です。お孫さんの顔を見てあげてください」

「でも……」


 私は容赦なく岩手の腕を掴むと、ぐいぐいと隣家へと連れて行った。


「ねえ、お婆ちゃん。お孫さんの顔、見てみたくないですか?」

「おばあ……」

「お孫さんだって、お婆ちゃんの顔を見たいと思いますよ」


 そう言うと、岩手は黙り込んでしまった。本心では、孫と娘に会いたいのかもしれない。


 お豊さんの家に着くと、ナナシが出迎えてくれた。


「まったくもう。そんな汚れた姿で赤ん坊に会うつもり?」

「――あ」


 そう言えば、私も岩手も血やら埃やらでドロドロだ。


 お湯で濡らした手ぬぐいを借りて、玄関前の衝立に隠れて身体を拭う。その間にも、赤ん坊の元気な泣き声が聞こえてくる。手伝いに来た女性たちが、可愛い可愛いと褒める声も聞こえて、自然と顔が緩む。


 支度が終わった私たちは、足音を立てないようにソロソロとお豊さんの家の奥へと向かった。どうやら居間に布団を敷いて出産したらしい。障子戸の向こうがやけに賑やかだ。


 可愛い赤ん坊の姿を想像して、ワクワクしながら障子戸へ手を掛ける。


 するとその手を、岩手に掴まれてしまった。


「………………待って」


 岩手は震えていた。青ざめた顔をして俯いてしまっている。


 これから会うことになるお豊さんの反応が怖いのかもしれない。それは仕方のないことだ。実の娘を殺し、孫をも殺したのは岩手自身なのだから。


 するとその時、部屋の中から声が聞こえてきた。


「それにしてもお豊ちゃん。無事に生まれてよかったわねえ。旦那さんと結婚してから、二百年も経っているでしょう? 赤ん坊を作るつもりがないのかと思っていたわ」


 それは近所の奥さんの声だった。心配そうな声色で、けれどどこか興味津々の様子だ。


 ――ズケズケ聞きすぎじゃないかなあ……。


 あまりにも不躾な質問に眉を顰めていると、意外にもお豊さんは楽しげに笑って答えた。


「最初から子どもは作るつもりだったのよ。でも、私は待たないといけなかったから」

「……待つ? なにを?」

「――決まってるわ。死んだ子どもが戻ってくるのを、よ」


 そしてお豊さんは語り始めた。


 魂は回っている。それはあやかしにとっては当たり前の常識だった。たとえ死んでしまっても、巡り巡ってこの世界に戻ってくる。だから死はそれほど厭うものではない。あやかしたちが、死というものに寛容な理由がこれだ。


「私の夫は地獄の獄卒だから、閻魔様へ特別にお願いしていたの。死んだあの子が、私のもとへ戻ってくるようにって……」

「それじゃあ、まさか」

「そう。この子はあの時の子なのよ。二百年もかかってしまった。でも、ようやく私のもとへ戻ってきてくれたわ」


 その時、ふにゃあと小さな声がした。すかさず、優しい声でお豊さんがあやし始める。


「いい子。いい子ね……今度こそ、幸せにしてあげるから」


 するとすぐに、赤ん坊が泣き止んだ。


 お豊さんはほうと息を漏らすと、クスクス笑って話を続けた。


「こればっかりは鬼になれてよかったと思うわ。人間のままではこうはいかないもの。これで……これで、改めて始められる」


 そしてお豊さんは洟を小さく啜ると、しみじみと言った。


「これで全部元通り。私はこうやって生きているし、この子も私のもとへ生まれてきてくれた。私が母を恨む理由はなくなったのよ。やっと……母を赦せる」

「……っ!」


 それを聞いた瞬間、岩手が息を呑んだのがわかった。信じられないという顔で、障子戸をじっと凝視している。硬く拳を握りしめ、小刻みに首を振った岩手は、すぐにはお豊さんの言葉を呑み込めないようで、混乱しているようだった。


 私はひとつ息を吐くと、障子戸へ手をかけた。そして静かな声で中へ話しかける。


「お豊さん? 入ってもいい?」

「夏織ちゃん? 来てくれたのね。どうぞ」


 障子戸を明けると、そこには布団の上に赤ん坊を抱っこして座っているお豊さんがいた。


「おめでとう。赤ちゃん、見せてもらってもいいかなあ?」

「もちろんよ! 抱っこしてあげて」

「ありがとう! それと……」


 私はチラリと後ろに視線を投げると、身体を横にずらして座った。


「この人もいい?」

「――!!」


 お豊さんの瞳が驚愕に見開かれる。焦げ茶の瞳に映っているのは、お豊さんに面差しがよく似た老婆だ。けれども、その瞳はすぐに涙で濡れてしまったから、老婆の姿は見えなくなってしまった。


「……もちろん。もちろんよ、ありがとう夏織ちゃん……」


 すると、産後で弱りきっているだろうに、お豊さんは赤ん坊を片手に立ち上がった。


「お母さん。見て、私の子よ……可愛いでしょう……私、頑張ったのよ。あっ……」


 けれども、すぐに体勢を崩してしまった。

 よろめいたお豊さんの背中を、すかさず岩手が支える。


「無理したら駄目よ! 馬鹿ね。産後を甘く見ないの」


 そして優しく背中を摩ってやる。するとお豊さんは、まるで少女のように頬を赤く染めて、目をキラキラ輝かせて岩手を見つめた。


「うん。うん……ごめん、お母さん。どうしても早く抱っこして欲しくて」

「もう、まったくもう。あなた、昔からせっかちだったわね。母親になってからも変わらないんだから」

「フフ……ごめん。駄目ね、もっと母親らしくならなくちゃいけないのに」


 クスクス笑ったお豊さんは、抱いていた赤ん坊を岩手へ見せてやる。すると、岩手は皺くちゃな指先で、ふっくらした頬を指で突き――そして、ゆるゆると顔を緩ませた。


「……可愛い。なんて可愛いの」


 そう言って、ぎこちない手付きでお豊さんごと赤ん坊を抱きしめる。そして震える声で言った。


「――ごめんなさい。本当にごめんなさい。必死だったの、早くあなたのもとへ帰りたくて。姫様の薬を手に入れなくちゃって……本当にごめんなさい」


 岩手はお豊さんの頭に頬ずりをした。そして、酷く掠れた声で言った。


「気づかなくて……可愛いお豊が、立派な娘さんになっていたのに全然気づかなくて、ごめんなさい……こんな母親でごめんなさい……!」


 それはお豊さんも抱いていた罪悪感。

 お互いの顔がわからなくなってしまうほどに離れてしまった母子の悲劇。

 ふたりは同じ想い胸に抱き、そして今日この日まですれ違っていたのだ。


「いいの。それは私も同じだもの……お母さん。お母さん。お母さん……っ!」


 お豊さんは大きな声で何度も岩手を呼ぶと、今までずっと甘えられずにいた母に縋りつき――まるで、生まれたての赤ん坊のように泣き続けたのだった。

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