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安達ヶ原の母子2:件

 それから焼きそばを食べて、甘酒を飲んだ。久しぶりに会った常連さんと立ち話をしたり、道ばたで演奏しているあやかしたちを眺めていると――ある場所に人だかりができているのを見つけた。


「なんだろう?」

「行ってみるか?」


 水明たちと連れ立って、あやかしたちの合間を縫って進む。すると、人混みの中に見慣れた顔を見つけて声を掛けた。


「お豊さん!」

「あら、夏織ちゃん。明けましておめでとう」


 そこにいたのはお隣に住む鬼女、お豊さんだった。新年らしく松竹梅の着物を着ていて、華やかな出で立ちをしている。そのお腹は前回会った時よりも大きく前にせり出していて、少し動きづらそうだった。


「明けましておめでとうございます! お豊さん、人混み大丈夫?」

「平気よ、ありがとう。それより、夏織ちゃん。見てみて!」


 お豊さんは興奮気味にある場所を指さした。背伸びしてその場所を覗き込む。


 そこは人だかりの中心部だった。民家の壁を背に、誰かが座っているのが見える。


 ――べべん。べんべんべん……。


 琵琶の音色が聞こえる。演奏しているのは、編み笠を被った縦縞の着物を着た女性だ。


 隣に竹かごを置き、琵琶の弦を調子よく掻き鳴らしている。旅装のまま演奏しているようで、お世辞にも綺麗とは言えない恰好だが、その手が紡ぐ琵琶の音には目を見張るものがあった。その演奏は巧みで、琵琶が醸し出す心地よい低音にうっとりと聞き惚れていると――その人が顔が見えた。編み笠の下にあったのは牛の顔だ。


()()……?」

「いいえ、地獄の獄卒じゃなくて牛女みたいよ。それよりもほら、牛女の隣!」

「ええ……?」


 お豊さんは余程興奮しているのか、私の肩を何度も叩いた。なにごとかと怪訝に思っていると、周囲のあやかしたちが熱心に竹かごを見つめているのに気がついた。どうやら、こんなにもあやかしたちが集まっている理由は、あの竹かごにあるらしい。


 腕で抱えられるほどのサイズのそれは、猫ちぐらと呼ばれるものによく似ていた。

 ドーム状になっていて、中が空洞だ。ふかふかのクッションが敷かれているのが見える。

 しかし、その中に入っていたのは猫などではない。小さな小さなあやかしだった。


「……! あれって、(くだん)!?」


 驚きのあまりに声を上げると、お豊さんが大きく頷いた。

 件とは、身体は牛だが顔は人間という面妖な風貌をしたあやかしだ。


 中国、四国、九州などに伝わるあやかしで、天変地異や戦争など社会が大きく動く時に姿を現すと言われている。生まれ落ちてすぐ死んでしまうのが特徴で、その際に予言を遺すのだそうだ。そしてその予言は――必ず当たる。


「……不吉だな」


 すると、いつの間にか隣に立っていた水明が低い声で言った。その腕に抱かれたクロも、どこか不安そうな顔をしている。確かに、件の遺す予言は不吉なものも多い。かつて現し世では、疫病の流行や世界大戦、終戦をも予言したとも言われている。


 すると、お豊さんがそんなふたりを見て笑った。


「まあ! 不吉だなんて。現し世に長く住むとそう思うのかもね。でも件は、元々吉兆を予言するあやかしとして知られていたのよ?」


 件の絵姿は、天保の大飢饉の頃には魔除けになると人気だったらしい。


 天保七年の瓦版にも「大豊作を()らす件と(いう)獣なり(中略)此絵図を張置バ、家内はんしゃうて厄病をうけず、一切の(わざわい)をまぬがれ大豊作となり誠にめで(たき)獣なり」とあった。


 そういった風潮は昭和の時代になると廃れ、その後は不吉な予言をする部分だけが強調されていったようだ。だから水明たちは不吉だと思ったのだろう。しかし幽世では、今も件は吉兆だった。なにせ、停滞と緩やかな変化を象徴するような幽世では、滅多に大きな災害や厄災などは起こらない。結果、件が遺す予言は必然的によいものばかり。件の出現は、紛れもなくよい兆しなのだ。


 そう説明すると、水明はやや呆れたように肩を竦めた。


「なんだその理由は。今まではそうだったというだけじゃないのか? これから災害が起こるかもしれないだろうが」


 すると、私の肩に乗っていたにゃあさんが鼻で笑った。


「あら、水明って意外と肝が小さいのかしら」

「……甘い考えはやめておけというだけの話だ。それに、すぐに死ぬ生き物をありがたがること自体、俺には理解できない」

「魂は回っている。死んでもそのうち戻ってくるだけの話だわ。やあね、現し世育ちはでりけえとで」

「お前も元々は現し世で生まれたんじゃないのか?」

「そんな昔のこと、忘れちゃったわ」


 ふたりのやり取りを聞きながら、竹かごの中で丸くなっている件を見つめる。


 件の顔は、生まれたての赤ん坊そのものだった。しかし伝承どおりに身体は仔牛だ。今は眠っているらしく、柔らかそうなクッションの上で心地よさそうに寝息を立てている。


 件は吉兆であるとは知っていたものの、幽世でも滅多に現れるものではなく、私も初めて見る。なにを予言してくれるのだろう。期待に胸が高鳴る。


「うちの子が生まれるこの年に件が現れるなんて。縁起がいいわね」


 お豊さんも私と同じ気持ちらしい。愛おしそうにお腹をさすった。


 ――べべん!


 その瞬間、琵琶が一際大きな音を鳴らした。


 しん、と辺りが静まりかえり、集まっていたあやかしたちの注目が竹かごに集まる。


「新年を無事に迎えましたるこのめでたき日。件が幽世へ現れたことはご覧のとおり。さてさて件が遺す言葉は吉兆か、はたまた凶兆か――」


 ――べべん!


「この牛女にもわかりかねます。さあ、生まれ落ちたるばかりの幼子が、その命と引き換えに遺す予言。みなさま、一言も聞き漏らさぬよう……とくとご覧じろ」


 牛女はそう言うと、琵琶を置いて頭を垂れた。まるで、舞台の一場面でも見ているような雰囲気に呑まれ、息をするのも忘れて見守る。


 竹かごの中で眠っていた件は、琵琶の音で目覚めたのか身体を捩った。んん……と小さく声を漏らし、前脚で顔を擦る。


 誰も彼もが息を呑んで見守っている。寝ぼけているのか、件はなかなか言葉を発しようとはしない。一言も聞き漏らさぬようにという牛女の言葉のせいか、そこにいる誰もが全神経を件の一挙一動に集中させた――その時だ。


 どさり、と大きな音がした。民家の軒先にある松の木から、積もっていた雪が滑り落ちたのだ。その下には、件の様子を見守っていたあやかしがいた。


「ひゃあ!」


 なんとも間抜けな声を上げて、背中に雪が入ったのか大騒ぎして飛び跳ねる。直前まで気を張っていたせいか、途端にわっと笑いが沸き起こった。


「ああもう、台なし!」

「俺の緊張を返せよ!」


 野次が飛び交う中、雪の直撃を受けたあやかしが照れ笑いを浮かべている。周囲のみんなが顔を綻ばせ、件から意識が逸れた次の瞬間――。


「……幽世の冬は明けない」


 件が口を開いた。


 ――しん、と辺りが静まりかえる。誰もがギョッとしたように顔を引き攣らせ、動きを止めたまま顔だけを件へ向ける。そして件の瞳を見た瞬間、悲鳴を呑み込んだ。


 生まれたばかりの赤ん坊の顔、その両の瞳の中には宇宙が広がっていた。


 白目どころか眼球すらない。眼窩の向こうには数多の星々が煌めく無限の空間。件は瞳を三日月型に歪めると、まだ乳を吸うことしか知らなそうな口を滑らかに動かした。


「どんなに時が経とうとも、暖かな風は吹かない。麗らかな季節を焦がれても、蕾は硬く締まったまま。水は凍りつき、流れることはない。幼子は死に、母の目から零れるは血の涙。赤い涙は心を忘れさせ、寒さに耐えかねたあやかしどもは現し世へ溢れ出す」


 そしてぐるん、とその首を巡らせる。底が知れないその瞳。それとばっちり目が合った気がして、あまりの恐ろしさに悲鳴を上げそうになった。


「春が欲しくば、子を産むことだ。子は世界を言祝ぎ、幽世へ暖かな風を呼び込む。混ざり物の咎を祓うは幽世へ落ちた子ら。子はたやすくは生まれぬ。憎き母を赦し、子を慈しみ、子のために助け合わねば――」


 すると、件は幼い身体を竹かごから乗り出した。のそり、のそりと緩慢な動きで、踏み固められた雪の上を歩いて行く。そして、お豊さんの前までたどり着くと、じっと彼女のお腹を見つめて言った。


「――子は死に、亡骸は幽世へ冬を留め置く。春を呼び込めあやかしども。さもなくば、幽世の終わりは近い」


 そして――それだけを言い遺すと、ゆっくりとその場に横たわった。規則的に上下に動いていた腹部は徐々にその動きを緩慢にしていき、やがて止まる。件の命が尽きたのだ。


「……ああ……」


 すると、お豊さんは苦しげに天を仰いだ。

 そして、誰かから守るように自身のお腹を抱きしめ――さめざめと泣き始めたのだった。

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