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閑話 幸せの定義、幸せのありか2:黒猫の理由

火を落とした長火鉢に炭を入れ直し、炎の赤色を見つめる。


 冷え切っていた室内に暖かさが戻ったことに安堵していると、どこか緊張しているような夏織の姿が視界に入ってきた。森の中で泣きじゃくっていたころとはまるで変わってしまった大人びた顔つきに、一瞬だけ目を見張る。


 ――似てきたわねえ。本当に。……ねえ? びっくりするくらいよ。


 あたしは心の中である人物に話しかけると、ややあってから口を開いた。

「あれは、しつこいくらいに蝉が鳴いていた夏だった」


* * *

 

 あの頃、現し世では台風が立て続けにやってきて、あちこち水が溢れて大変だったようだった。川は優雅に流れることをすっかり忘れて、凶暴な牙を剥いた。たくさんの人間が命を落としたらしい。その夜、幽世の空に多くの流星が流れた。閻魔なんかは、忙しさのあまりに目を回していたんじゃないだろうか。


 そんな中、幽世の貸本屋では、あやかしたちが頭を突き合わせてウンウン唸っていた。


「どうすんだ、これ……」

「どうするもなにも。食べないなら、誰かにくれてやりなさいよ」

「うっわ。お前、意外とひでぇこと言うんだな? ナナシ」

「あやかしにとって、人間なんてそんなものじゃない。なにを言ってるのよ」


 それは東雲と薬屋のナナシだ。


 夏織を森の中で拾った私は、光る蝶に誘われてご馳走目当てに現れたあやかし共を蹴散らしたあと、東雲のもとへと幼子を連れてきた。自分ではどうすることもできなかったし、決まった棲み家を持たない自分の手には余ると判断したのだ。


 東雲は、幽世の町でも一風変わったあやかしとして知られていた。

 何故ならば、あやかしの癖に、人間の作った本を蒐集して貸し出していたからだ。


 誰がそんなものを借りにくるのかと思ったが、意外と繁盛しているらしい。仲間うちでこの本がいいだの悪いだのと評論したりして、人間が創り出した世界を楽しく感じているようだった。


 だから、あたしは東雲を選んだのだ。人間が創った物語が好きなのであれば、少なくとも人間に悪感情は持っていないだろうと。その読みは当たった。東雲は夏織を食べるつもりはないようだった。


「ふ、ふえええええええ……」

「ちょ、待て。鼻水を擦りつけるな! 一張羅だぞ、コレ!」


 夏織はそれを本能で理解したらしい。号泣しながらも、東雲の膝の上にちょこんと居座って袖を掴んで離さない。東雲は小さな手を引き剥がそうと四苦八苦しているものの、乱暴に扱うことができずに困り果てているようだ。


 ――やれやれ。これなら大丈夫そうね。


 一瞬でも情が移った存在が、誰かに食い散らかされるのは気分が悪い。

 東雲ならいいようにしてくれるだろう……。そう思ったあたしは、足音を消して貸本屋から立ち去ろうとした――その時だ。


「あら、駄目じゃない。猫ちゃん? それは無責任が過ぎるわ」


 ムンズと尻尾を掴まれて、全身に怖気が走った。

 反射的に、尻尾を掴んだ主へと爪を向けるが、さらりと避けられてしまって歯がみする。


 尾を掴んだ張本人……ナナシはどこか不敵な笑みを浮かべると、あたしの首根っこを捕まえて東雲のもとへと戻り、ぽいと幼子の膝の上にあたしを放り投げた。


「ふみゃあ!? なにすんのよ!」

「あらお前、可愛い声も出せるのね?」

「殺すわよ、薬屋!」


 男のくせに女みたいな恰好をしている変わり者に威嚇音を発する。腹立たしいことに、ナナシはなんとも思っていないようで、余裕綽々であたしを見つめていた。


 すると――。


「めっ。だめだよ」


 頭上から幼い声が落ちてきて、威嚇音を中断する。


「ママ、けんかしたらだめっていつもいってた。かなしくなるからって」


 だから喧嘩を止めろと、夏織は懸命にあたしたちに訴えかけている。けれど、その身体は小さく震えていて、更には丸い瞳からは壊れた蛇口みたいに涙が溢れ続けていた。


 その姿があまりにもいじらしくて……猛烈な罪悪感に襲われた。


「子どもを泣かすなんて、薬屋って最低ね」

「自分で拾ったくせに、無責任な猫って最低だわ」


 あたしと薬屋はお互いに睨み合うと、ツンと視線を逸らした。


「……いい加減にしろよ、お前ら」


 呆れ声を発したのは東雲だ。なにもせずにぼんやりと状況を眺めていた癖に、口だけは達者な男に呆れた視線を返すと、東雲は深いため息と共にこう言った。


「わかった。なにはともあれ、この人間の子どもは一時的に俺が預かる」

「……預かる? 一時的に?」


 くれてやったつもりなのに、なにを寝ぼけたことをと不審に思っていると、東雲は泣き続けている夏織の頭をポンと叩き、あたしからすると非常に不愉快な表情で笑った。


「こいつのママとやらも心配してっだろ。早く見つけてやんなきゃな」

「待って。なにを……」


 段々頭が痛くなってきて、頭上の間抜け面を睨みつける。けれど、ヘラヘラ笑った無精髭の馬鹿男は、あたしの気持ちなんてこれっぽっちも汲み取らずに続けた。


「お前、素直じゃねえよなあ。俺んちに連れてきたわけは、コイツを親元へ帰してやろうってことだろ? そうじゃなきゃ、喰っちまえばいい話だしな」

「ちょ、待って……待ちなさい、馬鹿」

「俺は幽世の町でも変わり者で知られてるからな……。だが、お前の判断は正しいぜ。この子が無事に家に帰れるまで、俺が守ってやるから。だから――」


 ――ああ、なんて人の話を聞かないの。この男!!


 あたしは食べる気が失せただけ! それを言おうとしたのに、東雲はやけに上機嫌な調子で話を続けた。


「頑張って捜してこいよ。お前の優しさ、無駄にしねえようにな」

「あら? そうだったの……」


 すると、薬屋のナナシが意外そうな声をあげた。東雲が勘違いしていると理解しているだろうに、酷く底意地の悪そうな笑みを浮かべて片目を瞑る。


「なら、アタシも手助けするわ。この男だけじゃ、ちみっこの相手は大変だろうもの。アンタの親切の行方も気になるし」

「なっ……あんたら、いい加減に……!」


 思わず声を荒げると、あたしの前にしゃがみ込んだナナシは、すべてお見通しだと言わんばかりの顔をして言った。


「自分で拾ったんだもの。自分で責任持ちなさいよね。ああ、それとも……お猫様は、ご自分の尻も拭えないほど、お手てが短いのかしら?」


 ――あったまきた!! このクソ野郎!!


 みるみるうちに怒りがこみ上げてきて、視界が真っ赤に染まる。あたしは両爪を飛び出させると、目の前の間抜け面を引っ掻いてやろうとして――。


「けんか、だめぇえええぇえええ……!」


 泣きじゃくる幼児に抱きしめられて、固まった。


 ――ああ、うるさい……。


 鼓膜がビリビリ震えるくらいの、あまりにも大きな泣き声にため息が漏れる。


「……あーあ。泣かしたの、お前らだぞ。大人げねえ」


 心底呆れかえったような東雲の声に、あたしたちはいがみ合っていたのも忘れ、慌てて宥めに掛かった。


「いやあね~。喧嘩なんてしてないわ? ウフフ、ほら。仲良し~」

「そうよ。こういうもんよ、こういうもの……」

「してない? なかよし?」


 途端にピタッと泣き止んだ夏織に、あたしたちは作り笑顔を浮かべるとコクコクと素早く頷いた。すると、夏織は安堵の笑みを浮かべ――次の瞬間にはまた泣きだした。


「それはいいけどおぉぉ……。うっ……ううう。ねえ、おじさん……なんでねこちゃんしゃべってるのお? 怖いぃ……! ママぁああああ……!」

「今更それ!? あんたの情緒、どうなってんのよ!」


 あまりの理不尽さに怒鳴る。すると、夏織はますます泣きだしてしまった。焦って東雲を見るも、何故か白く燃え尽きている。


「おじさん……」

「し、東雲。おじさんですって。ブフッ……」


 ――役に立たないわ、こいつら……。


呆れている間にも、夏織は耳がおかしくなるほどに泣き叫んでいる。あたしはほとほとうんざりして、自棄気味に叫んだ。


「ああもう、あんたのママ、見つけてやるから! だから泣き止みなさいってば!」

「そうよ、猫に任せておきなさい。さ、よい子はそろそろ寝る時間じゃないかしら~?」

「寝ないぃぃぃ! ママと寝るううう! びええええええ!」

「寝るのか寝ないのか、どっちなのよ!?」


 ――ああ、とんだ貧乏くじを引いちゃったわ!


 あたしは思わず天を仰ぐと、これまで生きてきた中で一番深いため息を零したのだった。


 こうしてあたしは、夏織の親を現し世で探す羽目になったのである。

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