幽世のクリスマス4:笑顔の聖夜
「じんぐるべーる。じんぐるべーる」
お子様たちの可愛い歌声が響いている。
雪雲が去った真っ赤な夜空に数多の星が瞬き、一層冷え込んできたけれども、凍えた顔をした者は誰もいない。
みなそれぞれ笑みを浮かべて、墨で出来た真っ黒なモミの木を飾り立てていく。
発電機が駆動音を辺りに響かせ、イルミネーションが一定間隔で瞬き始めると、自分たち以外の明かりが珍しいのか、蝶避けの香を焚いているにも拘わらず、ふわふわと辺りに幻光蝶が集まってきた。それを面白く思いながら、装飾入れを漁っていた私は、ふと近くにいた東雲さんに話しかけた。
「一時はどうなることかと思ったよ……」
「あん? なんでだよ」
「モミの木が真っ黒だったから、下手したら子どもたち泣くんじゃないかって思ったの」
すると、東雲さんは酷く複雑そうな顔をして、そして少し眩しそうにイルミネーションを見つめて言った。
「大丈夫だとは思ってたぜ。……あん時は平気だったしな」
それを聞いた私は、少し不満に思って言った。
「なんかさ、ちょっと前から過去にもやったことがあるって匂わせてくるけどさ~。なんなの、いつやったの! 私、全然記憶にないんですけど!」
立ち上がって、東雲さんに詰め寄る。
「もしかして、私の知らないところでやったの? 誰とやったの!? 内緒で美味しいもの食べたでしょう~!」
「食い気の権化か、お前は!」
たじろぐ東雲さんを、やや涙目になって睨みつける。すると、養父は呆れたように嘆息すると、どこか気まずそうに言った。
「夏織が三歳の時。幽世に来た年にやったろうがよ。お前は忘れちまったようだが」
「えっ……」
東雲さん曰く、三歳の私はあの黒いモミの木を見て、
『チョコみたい!』
と、言い放ったらしい。だから大丈夫、と思ったのだそうだ。
慌てて記憶を辿る。すると、先ほど既視感を感じた理由がわかった。
玉樹さんが木を呼び出す様を、私は以前も見ていたのだ。
「ううん……」
――でも。駄目だ、ほとんど忘れている……!
「なんだ、忘れたのか。世話のし甲斐がないやつだな」
ウンウン唸っていると、皮肉交じりの声が聞こえてきて、勢いよく振り返る。そこには、どこか嫌みったらしい笑みを浮かべた玉樹さんがいた。
「三歳の頃の記憶なんて普通はないと思う。玉樹さんはあるの?」
「さてね? 本の内容以外のことは忘れることにしている」
「矛盾してるよ、玉樹さん。それだったら過去のことは語れないでしょ」
「自分の過去と、過去にあった事象はまた別物だろう?」
「ああ言えばこう言う!」
ひとりむくれていると、そこに陽気な声が割り込んできた。
「おや。昔話でもしてるのかい? 懐かしいよね。この光景――あの頃を思い出す」
それは遠近さんだった。古めかしい木箱を抱えた遠近さんは、楽しげに笑っているお子様たちを目を細めて眺めている。
「夏織がサンタの絵本を見て号泣しちゃってねえ。サンタサンタって言うから、僕たちが見様見真似でクリスマスパーティを開いたんだ。今日みたいにナナシが料理、僕と東雲が飾り付け。玉樹がモミの木担当でね」
四人ともクリスマスという存在は知っていたものの、自分たちでやるなんて初めてのことだから、なにをどうすればいいかわからず四苦八苦したらしい。
「折り紙で不格好な鎖を作ったり。林檎の飾りなんてなくて、急遽ミカンをぶら下げたんだ。あの時の夏織、不思議そうな顔をしてたなあ!」
遠近さんは楽しそうに笑うと、木箱からあるものを取り出して私に渡した。
「思い出はいつだって美しい。苦労はしたが、とても楽しかった」
「これって……?」
「倉庫の奥に埋もれていたんだよ。若き頃の思い出の煌めきだ」
それは金の折り紙で作られた大きな星だった。何枚も糊で貼りつけて厚みを出しているのだろう。なんだか歪んだ星になってしまっている。でも――それはどこか、とても温かな熱を持っていて。その熱はすぐに私の胸に伝搬すると、じんと心を震わせた。
「……どうして幼い頃の私は、サンタの絵本を見て泣いちゃったんでしょうね? プレゼントが欲しくなっちゃったのかな。お子様たちみたいに」
ふと思いついた疑問を零す。
すると、遠近さんはちょっぴり困ったみたいな顔になって言った。
「さあね。幽世に来る前……君が現し世にいた頃を思い出したんじゃないか?」
「現し世に……いた、頃のこと」
――幽世に迷い込む前。私のもとへも、サンタが来ていたのだろうか……。
「……夏織くん?」
「あ、いえ。なんでもありません」
私は曖昧に誤魔化すと、笑みを形作って言った。
「……こういう話を聞くと、私ってみんなに本当に大切にされてたんだなって思います」
星を胸に抱いて、昔の自分に想いを馳せる。
たったひとり、現し世から落ちてきた人間の女の子。
しかも三歳の幼児だ。理屈すら通じるか怪しいレベルの子どもを、この人たちは懸命に世話してくれた。食べずに命を繋いでくれた。私は彼らに見守られて育ったのだ。
――みんなへの感謝の心を忘れないでいよう。それが、ここまで育ててもらった者のするべきことだ。
「クロ! おいで」
手の中の星をじっと見つめ、私は近くにいたクロを呼び寄せると、星を咥えさせた。すると、クロは赤い瞳をパッと輝かせて、大急ぎでそらとうみのもとへと走って行った。
「おほしさまだ!」
「てっぺんにかざろう」
小さな黒い翼を羽ばたかせ、モミの木の頂上を目指し始めたうみとそらを見送ると、私は東雲さんに向かい合った。そして疑問に思っていたことを訊ねた。
「それで、どうして翌年からはやめちゃったの?」
「……それがなあ」
東雲さんたちは、翌年もクリスマスを祝おうとはしていたらしい。しかし、クリスマス時期に私が酷い風邪を引いてしまい、更にはその風邪が東雲さんたちに感染るというのを二年繰り返したのだそうだ。その後も、やろうやろうと思ってはいたものの……結局やらないままズルズルと今に至る、という話だった。
「ええ? そういう理由? 私としてはやって欲しかったなあ」
「玉樹が逃げたりとか、色々あったんだよ」
東雲さんの言葉に、玉樹さんの顔がみるみるうちに苦々しいものへと変わっていった。
「願いが叶うとか、贈り物をばらまくような善意の押しつけが、自分は反吐が出るほど嫌いでね。そういうのは創作の中だけで充分だ」
そっぽを向いてしまった玉樹さんに、私はクスクス笑って言った。
「それでも、今回は逃げずに協力してくれたんだよね。玉樹さん、本当にありがとう」
「…………フン」
「お前ってやつは! 素直に感謝の言葉を受け取れっての!」
「重い。離せ! 締め切り早めるぞ、この野郎!」
東雲さんと玉樹さんがじゃれついているのを横目に見ながら、ふと黒いツリーを見上げる。何度見たって真っ黒だ。現し世では白いツリーがあるくらいなのに、敢えて流行に逆らったみたいな黒さ。
「……でも、なんか幽世っぽいし。いいかなあ」
現し世が白なら、幽世は黒。うん、確かにかっこいい。
内心でそらとうみに全面同意して、顔を綻ばせる。すると――。
「ぎんちゃん、おほしさまつけたよ~!」
「おう。じゃあ、電源入れるからな。お前ら、少し離れてろ!」
銀目の言葉に、そらとうみがツリーから離れる。その瞬間、銀目が発電機のリコイルスターターを引っ張った。駆動音が響き渡り、徐々に期待感が高まっていく……!
「着けるよ~?」
やがて、金目のやや間延びした声が聞こえたかと思うと――。
儚げな蝶の明かりだけで照らされていた世界に、眩く輝く一本の聖樹が現れた。
金銀に煌めくオーナメント。賑やかに点滅を繰り返すイルミネーション。みんなで頑張った甲斐もあり、黒いツリーを彩る装飾は鮮やかで、見ているだけで心躍る。
でも――私にとって一番輝いているのは、てっぺんの歪なお星様。
みんなで作り上げた、思い出の籠もった一番星だ。
私は、途方もなく胸が温かくなるのを感じて微笑んだ。
「これできっと、サンタさんも迷わずやってくるね」
――後は、ご馳走を心ゆくまで楽しんで、寝ているお子様たちにプレゼントをあげるだけ……あれ?
「そういえば、誰がサンタ役をやるんだろう……」
すると私の独り言に、どこか剣呑な笑みを浮かべた東雲さんが答えた。
「適役が残ってんだろ?」
「……?」
それが誰なのかすぐにわからず首を傾げていると、東雲さんは白い歯を見せて笑った。
「まあ、それは後だ。今はこの聖なる夜を楽しもうぜ。メリークリスマス!」
――ま、いっか。
私はみんなへ目配せをすると、
「メリークリスマス!」
と、今日という日を祝う言葉を高らかに叫んだのだった。
* * *
現し世ではクリスマスと呼ばれる日に、幽世の町で今まで誰も見たことのないあやかしがいたという目撃情報がある。情報によると、小柄ではあるが筋肉隆々。肌は紅に染まり、鼻は高く、そして長い。全身を赤い衣で包み、長い髭を靡かせ、黒い翼を背に、雪の町を闊歩していたそうだ。
「……なんで俺が……ちくしょうめ、金目銀目……覚えてろよ!」
そのあやかしの姿は、鞍馬山を棲み家とする大天狗に酷似していたという話もあるが、真実は定かではない。わかっているのは――。
「サンタさんが来た……!」
そのあやかしが目撃された翌朝。子どもたちの嬉しそうな声が、町に響いていたということだけである。




