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幽世のクリスマス3:特別なツリー

「……遠近」

「ラジャ~」


 玉樹さんの呼びかけに、やけに楽しそうに遠近さんが応じる。


「……筆?」


 遠近さんが持ってきたのは、見るからに上等な絵筆だ。

 雪の上で習字でもするのだろうか。この状況で? いやいや、そんな訳がない。遠近さんや東雲さんはともかく、玉樹さんは好きこのんで巫山戯るタイプではないだろう。


「まったく。『物語屋』になったからには、なにも創らないと決めたのに」


 ブツブツとまだ文句を言っている玉樹さんに、東雲さんは洟を啜ると声を掛けた。


「昔、自分が創ったものをなぞるのは、新しく創ったとは言わねえよ」

「…………」


 玉樹さんは濁った右目で東雲さんを睨みつけた。しかし、東雲さんはニカッと白い歯を見せて笑い、真っ赤になった鼻を擦っている。


「……付き合いが長いだけに、扱い方を知っていて腹が立つ」


 玉樹さんは吐き捨てるようにそう言うと、左手で筆を持った。


「利き手ではない。出来に期待はするな」


 そして墨壺を雪の中で固定した玉樹さんは、筆を手にすると穂先をじっと見つめた。

 すると驚いたことに、穂先にじわりと墨が滲んだではないか。驚きのあまりに目を瞬かせていると、おもむろに玉樹さんは真っ白な雪の上になにかを描き出した。


 するり、するする。玉樹さんの手が、雪の上で踊っている。


 東雲さんに比べるとどこか細くて、筋張っている手。青い血管が浮き上がっていて、どこか神経質そうな雰囲気を漂わせているというのに、その動きはどこまでも自由奔放だ。


 まるで筆に意識が宿っているかの如く一箇所に留まること知らず、雪の上を自由気ままに遊び回っている。筆は流れるように動き、無垢だった雪を汚し、時には細く、時には力強く――抑揚をつけて描かれた線は、不思議なことに雪の中に沈み込むことはなかった。


 墨で塗れた筆先は、雪上に青々とした葉を刻み込み。

 玉樹さんの濁った右目の視線の先には、拗くれた幹が描かれていく。


 ――気がつくと、そこには一本の松の木が現れていた。


 天に向かって自慢げに枝を伸ばし、尖った葉をまるで胸を張るように開いている。枝振りは見事の一言。長い幹は複雑な凹凸を作り出し、長い年月風雨にさらされてもなお、倒れない力強さがそこにあった。


「……あれ?」


 その瞬間、今見ている光景に既視感を覚えて首を捻る。

 必死になって記憶を探るが、どうもハッキリしない。胸がモヤモヤしてきて堪らないが、そうこうしているうちにもドンドンと状況は進んでいく。


「……これで終わりだ」


 そして最後に、玉樹さんは雪上へある言葉を書き連ねた。


『百年の樹には 神ありてかたちを あらはすといふ』


 やたら達筆な文字だ。その文字だけは、何故だか雪の中へと沈んでいく。


 玉樹さんは顎髭を左腕でショリと撫でると、全体図を眺めるように目を細め――。


木魅(こだま)


 と、呼びかけた。


 ――一体、誰に声をかけているの……?


 不思議に思っていると、不意に誰かが返事をした。


「随分とご無沙汰しておりました、旦那様。なにかご用でしょうか」

「えっ……」


 驚きのあまりに目を瞬く。

 声がしたのが、玉樹さんのすぐ傍……絵の中のように思えたからだ。

 すると東雲さんが傍によってきて、どこか楽しげに雪上に描かれた絵を指さした。


「ほれ、夏織。見てみろ、しわっしわの爺さんがいるぜ」

「ええええ……」


 私は絶句するほかなかった。何故なら――玉樹さんが描いた松の木の中に、動く人の姿を見つけてしまったからだ。


 それは、まるで枯れ木のような老人だった。その姿も墨で描かれたようだったから、色はわからない。けれど、きっと髪の量が減った髷は白かろうと予想できたし、腰が曲がった小さな身体を包む着物は柿色などの渋い色なのではないかと思えた。老人は今にも折れそうな骨張った手で熊手を握りしめたまま、玉樹さんをじっと見つめている。


 玉樹さんは、老人に向かって淡々と告げた。


「前のと同じのを頼む」


 すると、老人は元々皺くちゃな顔を更に皺くちゃにして、とても嬉しそうに笑った。


「ああ、ああ。かしこまりました。喜んで。是非とも! おおい、婆さんや」


 ペコペコと何度も頭を下げた老人は、後ろにいる誰かに声をかける。そこには、老人と同じくらいに年齢を重ねた老婆がいて、私たちの視線に気がつくとゆるりと一礼した。


「立派なのをご用意しましょう。一夜限りの聖樹。夢幻の如く、けれどどこよりも立派な枝を持った木を」


 そう言うと、老婆は手にしていた箒を数回サッサッと掃いた。


 その瞬間、雪の上に描かれていた松の木が劇的に変化した。まるで水面に一滴の雫が落とされたかの如く、ゆらり、墨で引かれた線が揺らぎ――その中から、ボコボコと歪な音を立てて、なにか黒いものが姿を現し始めたのだ!


「下がれ。巻き込まれるぞ。物語の隅で、名も知られずに死ぬ群衆のようになりたくなければ、そこを退け」

「なんだ、天下無双の武将みたいな台詞だな」

「茶化すな、東雲」


 その瞬間、最高に不機嫌そうな玉樹さんが、東雲さんごと私を引きずって庭の端へと寄って行った。雪に足を取られて転びそうになる。前を向けばいいのをわかっているのだが、それでもその光景から目を離すことができなかった。


「アッハッハ! こりゃ見事だね!」


 やがて――遠近さんが嬉しそうに手を打った。

 私が呆気に取られている間に、あっという間に姿を現したものを目にして子どもみたいにはしゃいでいる。私は、寒さで滲んできた洟を啜ると呆然とそれを見上げた。


 そこには――巨大な、それでいて黒く塗りつぶされたようなモミの木がそびえ立っていた。かといって、黒一色というわけではない。黒の中にも濃淡があり、雪明かりを僅かに反射して青白く浮かび上がって見える。そう、それは墨で形作られたモミの木だったのだ。


「玉樹さんに任せろって……こういうこと……!?」


 こくり、と自然と唾を飲み込む。気がつけば雪雲がどこかへ行ってしまっていた。


 赤い冬の夜空を背景に、黒々とした針葉樹がそびえ立っている姿は、どうにも威圧感があり――……聖なる夜に捧ぐ聖樹としては、あまりにも禍々しかった。


 すると、にわかに玄関の方が騒がしくなった。


「お前ら、さっさと来い! 早くしねえと楽しいことが終わっちまうぞ!」

「なあに? なにがあるの? ぎんちゃん、おしえて!」

「きんちゃん。うみ、ねむい……」

「寝たら駄目だよ、うみ」

「ねえねえ、水明もここにいるの? オイラ、水明と遊びたい!」


 それは金目銀目が連れ出していたお子様たちだ。

 ワイワイ賑やかな声を上げて、銀目を先頭に入ってくる。うみは、手にクリスマスの絵本を握りしめていた。もしかしたら、また読んでもらっていたのかもしれない。


「あ、ちょ。待って!」


 私は大慌てでお子様たちに向かって走り出した。

 お子様たちは、私が走ってくるのに気がつくと、瞬間、表情が明るくなった。しかしすぐにそれは、まるで北極の氷みたいに凍り付くことになる。


「……なにこれ?」


 どうやら遅かったようだ。中庭にそびえる巨大なモミの木は、隠すには些か大きすぎた。


 その時、私は暗澹たる気持ちだった。

 だってそうでしょう? 誰だって、用意したツリーがこんな黒々としているだなんて思わない。これじゃ聖なる夜どころか邪神誕生の夜じゃないか!


 なのにどうして、東雲さんを始めとする大人たちは自信満々で子どもたちを見つめているのだろうか。これのどこに自信を持つ余地があるというの!


 ――もしかして、ここまで準備して失敗しちゃった……?


 あまりのことにしょんぼりしていると、私の耳に可愛らしい声が聞こえてきた。


「「もしかして、もみのき……?」」

「……!」


 勢いよく顔を上げる。すると、飛び込んできた光景に、一気に身体の力が抜けた。

 そらとうみ、ふたりはがっかりするどころか、破顔一笑してこう言ったのだ。


「「これってつりーになるきだよね? かっこいいね!」」


 そして、きゃあ! と歓声を上げて、お互いの周りをクルクル回り始める。その輪に加わったのは犬神のクロだ。赤い舌を出し、尻尾を千切れんばかりに振って、興奮気味に双子の後をついて回っている。


「え。これが、ツリーになる木なの? あのキラキラした? どうやって? ねえねえねえねえ、オイラに教えてよお!」


 クロがうみとそらに訊ねると、ふたりはどこか大人ぶって言った。


「かざりつけをするの。ちかちかひかるでんきゅう」

「きんぴかのりんご。ふわふわのゆき。おにんぎょう。もちろん、てっぺんには」

「「おおきなおおきな、おほしさま!」」


 うみは、手にした絵本をうっとりと抱きしめると、これから飾り付けできる喜びに浸っている。そらは、そんなうみに寄り添ってニコニコ笑っていた。


「よくわかったわね。お子様たち、偉いわ~」


 するとそこに、大きな箱を抱えたナナシがやってきた。彼は雪の上に箱を下ろすと、みんなに向かって言った。


「内緒にしていたけれど、今日はクリスマスパーティなの。後は飾り付けだけ。そうしたらお迎えの準備が完了よ。さあみんな、手伝ってくれるかしら?」


 すると、お子様たちがワッとナナシに集まった。ナナシの用意した箱の中を覗き込み、そこに様々なオーナメントが入っているのを見て目を輝かせている。


「ねえねえ、おっきなくつしたは? ある?」

「もちろんあるわよ」

「サンタさんへのお礼は?」

「それももちろん、作ってあるから安心して」

「「「じゃあ……!」」」

「そうね。いい子にして、お手伝いをたくさんしたら来てくれるわ。サンタさん」

「「「…………!!」」」 


 子どもたちはお互いに顔を見合わせると――頬を薔薇色に染めて歓声を上げた。

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