幽世のクリスマス2:パーティの準備
翌日から、私は準備のためにあちこち走り回った。
クリスマスパーティと言えば、キラキラした装飾にご馳走だ。
料理に関しては、ナナシが全面協力してくれることになった。料理上手な彼のことだ。きっとすごいご馳走を用意してくれるだろう。今から楽しみだ。ちなみに、会場もナナシの家を提供してくれるという。ナナシ様万歳だ。
残るは装飾だが――。
アルバイトの終わり。他の店員が全員帰ったのを確認してから、店のバックヤードで、オーナーである遠近さんに相談を持ちかけた。
「幽世でクリスマス!?」
始めは酷く驚いた様子の遠近さんだったが、綺麗に整えた顎髭を指で撫でると、どこか嬉しそうにこう言った。
「いいじゃないか。懐かしいね! 是非、僕も参加させてくれよ。うちの倉庫に、イルミネーションに使う電球なんかはあったはずだ。発電機も提供しよう。その他の飾り付けは……知り合いの問屋を紹介しようかな。こんな感じでどうだい?」
「最高です! ありがとうございます!」
感激のあまりに、遠近さんの手を握って勢いよく上下に振る。すると、茶目っ気たっぷりに片目を瞑った遠近さんは、どこか嬉しそうに言った。
「冬の幽世は少し静か過ぎるからね。こういう賑やかなのも必要だろう。僕にできることなら協力は惜しまないよ。他に必要なものはあるかね?」
すると、一番重要な物を忘れていたのを思い出して、背中に冷たいものが伝った。
「危ない! これを忘れたら台なしじゃない……! あの、モミの木なのですけど」
「モミの木? ああ、ツリーの。大丈夫だよ、わざわざ用意する必要はない」
いきなり断言してのけた遠近さんに目を白黒させていると、彼はいつも被っているハットの鍔を指先でクイと持ち上げて笑った。
「どうせ玉樹がいるんだろう? 自称『親切な男』に任せておけばいい」
「はあ……」
訳もわからず呆気に取られていると、ふと遠近さんの言葉を思い出して訊ねた。
「さっき……懐かしいとおっしゃったじゃないですか。あれってどういう意味です?」
「ああ」
遠近さんは僅かに目を細めると、どこか遠くを見て言った。
「若き日の眩しい思い出ってやつさ」
「……説明になってないですよ」
「アッハッハ。ナイスミドルには謎がある方が魅力的だろ?」
遠近さんは私の肩を抱くと、顔を覗き込んできた。
「この後、時間あるかい? このまま、知り合いの問屋へ行こうじゃないか。飾りを見繕ってあげよう。……ついでに、僕とディナーなんてどうだい?」
「遠近さん、文車妖妃はどうしたんですか?」
「彼女とはビジネス上だけの関係だよ」
「うっわあ。その顎髭、ちょっとむしっても?」
「その蔑むような目。東雲にすごく似てるから、おじさん時たまびっくりするよ」
「遠近さんは、そういうチャラいところがなければ、普通のおじさんなのにっていつも思ってます」
「普通かあ。参ったな」
適当に言い合いながら、店を後にする。
クリスマスを間近に控えた現し世の町は、キラキラ眩いばかり。町を歩いている人たちもどこか嬉しそうで、まるで現し世自体が浮かれてるみたいだ。
でも去年までの私は、自分には関係ないことだとイルミネーションから目を逸らして、街の喧騒に耳を塞ぎ、静まりかえった幽世に帰ったのだ。仕方のないことだとわかってはいたけれど、どこか空しさを感じていたことは否めない。
でも……今年は違う。今年はわが家だってクリスマスを祝うのだ。
「成り行きですることになったクリスマスパーティですけど、私、本当に楽しみで。この歳でクリスマスパーティにはしゃぐって変ですかね?」
「そうかな、僕は可愛らしくていいと思うよ」
ウキウキしつつ、隣を歩く遠近さんを見上げる。すると遠近さんは柔らかな笑みを浮かべ――気障ったらしく胸に手を当てて言った。
「なら、その胸のときめきがしぼむことがないよう、僕も精一杯お手伝いするよ」
その瞬間、通りすがったらしい女性たちが黄色い声を上げたのが聞こえた。すかさず、遠近さんはその女性たちに向かって手を振っている。
「もう。相変わらずなんだから」
私は苦笑いを零すと「お願いします」と頼りがいのある養父の友人に頭を下げた。
クリスマスパーティに必要なもの。ご馳走に……キラキラした飾り付け。
最後に忘れちゃいけないのが、子どもたちの夢を壊さないための計画。
それは、みんなで集まって綿密に練り上げた。
「喜んでくれるかな?」
「ワハハ、大丈夫だろ。きっと大喜びだ」
現し世の聖なる夜が、今年は幽世へも訪れる。
こうして、諸々の準備は整ったのだった。
クリスマス当日。
幽世は生憎の曇り空。風はなく、いつもよりも静まりかえった常夜の街に、ふわふわと綿雪が舞い落ちてくる……そんな日。
私たちは幽世の薬屋に集まっていた。
ナナシの家は独特な造りをしている。彼によると、中国の北京市街などでよく見られる、四合院と呼ばれる形式なのだという。中庭を中心に、東西南北に四つの建物で囲まれていて、かつて中国ではそこに一族で住んでいたらしい。パーティのために使用させてもらうのは、普段は水明たちが利用している「東廂房」の部屋だ。
「なんでナナシの部屋じゃないの?」
準備の時、ふと疑問に思って訊ねると、水明が呆れ顔で教えてくれた。
「正房のナナシの部屋は散らかってるし、西房はナナシの荷物で満杯なんだ。店で騒ぐわけにもいかないだろう? 結果、この部屋ということになった」
「ちょ、ちょっとお!? 水明、それは内緒って言ったじゃない!」
「いい加減、自分の部屋を片付けろと言っただろう。店はこまめに掃除をする癖に、自分のこととなるとどうしてこうなんだ」
「水明ったら……お母さんみたいだわあ。嫌あね~」
「やめろと言っているだろう……!」
……とまあ、こんな風に賑やかに準備を進めた。もちろん、お子様たちには内緒だ。
準備はつつがなく進み、部屋はパーティ仕様へと変わった。
残るはツリーだけ。……でも、肝心のモミの木がない。
けれど、東雲さんも遠近さんもナナシも、玉樹さんに任せておけと言う。
……本当に大丈夫だろうか?
中庭に足を踏み入れる。せっかく雪かきをしておいたのに、延々と降り続けている雪はあっという間にすべてを覆い尽くして、無垢な小さい雪原を形作る。踏み荒らすのが惜しいほどのまっさらな雪だ。しかし、入らない訳にもいかない。私は無粋なのを理解しつつも、雪に自分を刻み込みながら進む。
その先で私を待っていたのは、三人の人物だ。
「お待たせしました。パーティ会場の準備は無事に終わりましたよ」
私の声に応えたのは、どこか皮肉っぽい……それでいて物語の喩えを混ぜて話す人物。
「自分としては、無事でなくてもいいんだがね。物語で言うならば、その『無事』はブラフであって欲しいものだ。この先なにか大騒動があって、今日この日の計画がすべて台なしになればいいのにと、心底願っているのだが」
「相変わらずよく喋るね……」
「君も、問答無用で元祓い屋の少年に捕まえられて見ればわかる。自分の不機嫌さを」
「水明は私に酷いことはしないので」
「たいした自信だ。呆れた」
深々と嘆息したのは「物語屋」の玉樹さんだ。普段の恰好とは違い、屋外だからか黒地の鳶コートを纏って、革のブーツを履いている。中折れ帽の上にはうっすらと雪が積もっていて、結構な時間待っていたのだとわかる。
「東雲さんの原稿もまだなのに、付き合わせてごめんなさい」
ぺこりと頭を下げると、玉樹さんはどこか気まずそうに視線を逸らした。そして隣に立つ人物をジロリと睨むと忌々しげに言った。
「ならば、この愚か者をもっとせっついてくれないか。幽閉されたヒロインでもあるまいし、悠長に待っているわけにはいかないのだよ」
すると、隣の人物――東雲さんはまるで悪びれた様子も見せずに笑って言った。
「ワハハ、しゃあねえだろ? 筆が進まねえもんは。ビビッとなにかが降りて来りゃあ、ドンドコ進むんだがなあ……」
「そのなにかはいつ降りてくるんだ、いつ!!」
「俺が知るかよ。……へっくし」
東雲さんはズビズビ洟を啜ると、首に巻いた手ぬぐいを締め直した。他の人は洋装だからというのもあるのだろうが、冬用の綿が入った着物に、綿入りの袷羽織、それに黒い股引に足袋を履いてはいるものの、足もとが雪駄ということもあり、どうにも寒そうだ。
「マフラーしてこなかったの? 風邪引いちゃうよ」
「あん? あれか、ナナシが編んだやつか? 俺は嫌だぜ。男の手編みなんて」
「じゃなくて、私がプレゼントしたの! 去年、買ってあげたじゃない」
東雲さんは一瞬目を逸らすと、モゴモゴと口の中でなにか言っている。
「なに? はっきり言って」
「……うるせえな」
そして東雲さんはほんのりと頬を染めると、どこかぶっきらぼうに言った。
「もったいねえだろ。汚れたら」
「可愛い!」
……言っておくが、黄色い声を上げたのは私ではない。
「や~。東雲は可愛いね! おじさん、ときめいちゃったよ!」
それは遠近さんだった。
遠近さんは東雲さんの頭を撫でくり回すと、へらっと緩んだ笑みを浮かべた。
「僕も娘が欲しくなっちゃった。うんうん。作ろうかなあ、嫁さん」
当の東雲さんは、乱暴に遠近さんの手を払いのけると、
「五百年も前から同じこと言ってるだろ。そう言うなら、いい加減ひとりに絞れ」
と言い放った。しかし遠近さんは、まるで聞こえないと言わんばかりに笑みを形作り、玉樹さんへ向かい合った。
「さて、ここでゴチャゴチャ話している暇はないよ。子どもたちが来る前に支度をすまさなくちゃね。よろしく頼むよ、玉樹」
「…………」
玉樹さんはどこか恨めしそうに、サングラス越しに遠近さんを睨みつけている。
「なんだ玉樹。まだ不満があるのか」
「……黙れ、東雲。前回は仕方なしにやったが、今回の相手は見も知らぬ子どもらしいじゃないか。やりたくない」
「なんだよ、ケチくせえな。出し惜しみするなよ」
「東雲。貴様、本気で言っているのか……?」
玉樹さんは、聞いたことがないくらいに低い声で言った。けれど、東雲さんは動じる様子は見せずに、肩を軽く竦めただけだ。
「いつまでも昔のことに拘ってんのか。お前らしくない。新しいこと、革新的なことが素晴らしいんだろ? 古くせえ拘りは捨てちまえ」
「…………」
口癖のようにいつも自分が話していたことを代わりに言われ、玉樹さんはムッツリと黙り込むと雪の上を歩き出した。
――過去に玉樹さんになにがあったのだろう……?
思えば、玉樹さんは謎の多いあやかしだ。素性は明らかではなく、なんのあやかしかも私は知らない。もちろん、東雲さんや遠近さんは知っているのだろうけど……。
角も爪も尻尾もない。こうして見ると、玉樹さんは一見、普通の人間としか思えない。
そんなことを考えていると、玉樹さんは中庭の中心までやってきた。足を止めて、空を見上げる。風が凪ぎ、地面に向かってまっすぐに落ちてくる綿雪。顔面に雪が落ちても構わず、睨みつけるように空を見つめていた。




