幽世のメリークリスマス1:常夜の世界に響く慟哭
幽世クリスマス編はじまりです!
かる~い感じの短めエピでございます!
――拝啓、養父様。
あなたに直接言うことはしませんが、この度好きな人ができました。
思えば、初恋です。
異性を好きになったのは、二十年生きてきて初めてのことで戸惑っています。
でも、せっかく好きになったのですから、どうか無事に恋が成就するように願っていてください。……いや、打ち明けていないので無理だとは思いますが。
世間はもうすぐクリスマスです。
イルミネーションに彩られ、恋人たちが想いを語り合う聖なる日……去年までは、アルバイト先の雑貨屋が混み合うだけの日、という印象でしたが、今年は違う一日に感じられそうです。
ところで……養父様。ひとつ訊ねたいことがあります。
クリスマスも目前だというのに、どうしてわが家は、阿鼻叫喚地獄のようになっているのでしょう?
* * *
「うおおおおおおん! うわああああああああん!」
「ぴゃああああああ! やだあああああああああ!」
お世辞にも広いとは言えない貸本屋の居間に、けたたましい泣き声が響いている。
泣いているのは小さな子どもだ。それもふたり。
ひとりはモコモコした素材の、兎耳がついたジャンプスーツを着ている。もうひとりは、犬耳がついたジャンプスーツ。共通しているのは、年齢が三歳くらいの男の子だということと、顔がそっくりなこと、背中から黒い小さな翼が生えていること。
そして……金目銀目に米俵よろしく担がれていることだ。
「いい加減にしなよ~。僧正坊様に言いつけるよ?」
「そら、うみ! 暴れんなって!」
烏天狗の双子を困らせているのは、彼らと同じように鞍馬山僧正坊のもとで修行している幼い子どもたちで「そら」と「うみ」という。彼らもあやかしの烏天狗だ。日々、立派な天狗になるために修行に励んでいて、普段はとっても素直ないい子たちなのだが……。
「ぎゃあああああ!」
「びゃあああああ!」
「うおお、わかったから! わかったってば!」
「僕、段々腰が痛くなってきたよ~……」
まるで釣り上げたばかりの鰹のように、子どもたちは金目銀目の腕の中で暴れている。
いつもそらとうみの面倒を見ている双子だが、今日はどうにも手に負えないらしい。
「うるせえな、原稿が進まねえだろう!?」
眉間に血管を浮かび上がらせ、苛立ち気味に叫んだのは東雲さんだ。
「ちょっと、言い方! ふたりが騒いでなくても、どうせ原稿なんてこれっぽっちも進んでない癖に」
「……娘の言葉が辛辣すぎて泣きそう」
しかし威勢のいいのも束の間、体育座りをしてしょぼくれてしまった。
すると、炬燵に入ってお茶を飲んでいたナナシが苦笑いを零した。
「自業自得すぎて、慰める気にもならないわね。それにしても、魔の二歳児、悪魔の三歳児って言うんだったかしら。こうなったら、本当にどうにもならないわね。……はあ。夏織の小さい頃を思い出すわ」
「わ、私もこんなんだった……?」
「ええ、そりゃあもう。大変だったわよ」
私の母代わりであり、薬屋の店主であるナナシは、口もとを手で隠すと「知りたい?」と悪戯っぽく笑った。幼い頃の自分が仕出かしたアレコレなんて聞きたいものではない。丁重にお断りしておく。
「……それにしても。どうしてこうなったの? 銀目」
すると、そらに顔面を蹴られた銀目は、涙目になって炬燵の上を指さした。
「アレだよ、アレ! あの本を読んでから、こうなっちまったんだよ……!」
「……あ」
そこにあったのは、一冊の絵本だった。
クリスマスの日に家にとんでもなく大きなツリーがやってきて、それを飾り付けるのに四苦八苦するネズミの双子の話。綺麗に飾り付けできれば、それだけサンタさんが素敵なプレゼントをくれるはず! と小さな身体で一生懸命頑張るのだ。もちろん最後には、ふたりのもとにサンタクロースがプレゼントを持ってきてくれる。
「その本、この間、借りて行っただろ?」
「そういえば、そうだったね」
クリスマスにちなんだ絵本は、装飾が施されていたり、面白い仕掛けがあったりと多種多様な工夫が凝らされている。わが家に遊びにきたそらとうみは、店頭で絵本を見つけるなり、キラキラと目を輝かせて借りて行ったのだが……。
すると、既に疲れ切った様子で銀目はため息を零した。
「本、すっごく気に入ったみたいでさ。何回も読み聞かせさせられて。なあ、金目」
金目はうみに両頬を引っ張られながら、どこか苦々しい様子で言った。
「そうそう。自分たちのとこにもサンタが来るんじゃないかって盛り上がってたよね。寺の周りの杉の木に飾り付けしようかなんて言っちゃってさ。けど、うちって寺でしょ~? 僧正坊様、異国の爺ィがうちに来るわけねえ! って怒鳴り散らしたんだよね~。あの爺様、少しは融通効かせればいいのに。あ、いててて……うみ、やめてよ~」
――まあ、僧正坊様の気持ちもわからなくもないけど。
そのせいで、うみとそらはこんな風に大暴れしているらしい。
半ば呆れて幼児たちの精一杯の反抗を眺めていると、誰かが居間へ入ってきた。
「……なるほど。なにを大騒ぎしているのかと思えば、そういうことか」
――うっ……。
それは水明で、私は彼の姿を認めた途端、口もとを引き攣らせた。急にソワソワしてきて、それを誤魔化すために手を擦り合わせる。
「夏織、寒いのか? こんだけ人数がいるんだ、暑いくらいじゃないか」
「え? あはははー」
隣に座った水明が視界に入らないように顔を逸らしつつ、ぎこちなく答える。
頭の中がグルグルして、どうして自然に隣に座るんだろうと混乱の極地に陥る。こうも頻繁に顔を合わせるとなると、心臓が変になりそうだ。
――ああああ。本当にどうしよう……。片想いってしんどい……。
ドッと疲れが押し寄せてきて、思わず胸の辺りを摩る。どう見たって挙動不審な自分を自覚して、落ち着けとひたすら言い聞かせた。
――万が一にでも態度でバレたらどうするの。それで、ドン引きでもされたら……。
そこまで思い至った時、スンッと唐突に冷静になった。
――失恋ってめちゃくちゃ怖いな……?
ぞわぞわと恐怖が這い上がってきて、ゴクリと息を呑む。同時に、絶対にバレないようにしなくてはという使命感が湧いてきた。
――うん。忘れよう……。とりあえず、今は。
恋を自覚した後に踏むべき段階なんてよくわからない。私はさっさと思考を放棄すると、愛想笑いを浮かべて水明に話しかけた。
「きょ、今日はどうしたの? あ、ナナシのお迎え?」
ナナシは、昨日作りすぎたという煮物をお裾分けに来てくれていた。ナナシの作る筑前煮は、東雲さんと私の大好物だ。
しかし水明は深く嘆息すると「ほら」と、腕の中を見せてきた。
「……どうし――」
何事かと覗き込む。しかし次の瞬間、私は固まってしまった。
「……うぅ。サンタさああああん……!」
水明が抱いていたのは、苺トッピングのチョコドーナツ……じゃなくてクロだった。鼻先を水明の脇の下へと差し込み、まん丸になって震えている。どうも、その震えは寒さからくるものではないようだ。
「これって」
嫌な予感がしつつ訊ねると、水明は私にあるものを差し出した。それは、先日クロが借りて行った絵本だ。表紙には真っ赤な鼻のトナカイとサンタクロースが描かれている。
「クロもこの本を気に入って読んでいた。胸を躍らせ、サンタはいつくるのかとナナシに聞いたりしていたな。……が、そこにたまたま玉樹がやってきて」
「物語屋」を営んでいる癖に、玉樹はクロへ冷たくこう言い放ったのだそうだ。
「『サンタなんて幻想だ』……そのせいでこのザマだ」
「……うわあ」
――ここもか!
叫びたくなる衝動を必死に堪える。
どうも、子どもたちに対して絵本は抜群に効果があったらしい。胸が痛む。なんてったって、うちから借りて行った本のせいでこんなことになっているのだ。
「あら、どうしたのクロちゃん!」
「ナナシぃ! オイラ……オイラああああ!」
するとナナシが水明からクロを抱き取った。滂沱の涙を流しているクロの頭を撫で、話を聞いてやっている。
――それにしてもサンタクロースは強い。
子どもたち自身が純粋なこともあるのだろうが、異国の文化をこんなにも簡単に受け入れ、自分たちがそれに参加できないことを嘆く程度には影響力がある。キリスト教徒でもないのに、日本人がこぞって生誕祭を祝う理由を垣間見たような気がする。
「どうしよう……」
思わず声を漏らすと、水明はナナシに抱かれたクロを優しげな眼差しで見つめて言った。
「俺としては、なんとかしてクロの希望を叶えてやりたいと思っている」
「そうなんだ」
水明は相棒思いだなあと感心していると、その後に続いた言葉に噴き出しそうになった。
「サンタクロースも、地獄を超えてまでは幽世に来れないだろう? どうにかして、あの赤服の爺を捕獲できないものか……」
「待って」
思案げな水明の言葉を思わず遮る。水明はというと、不思議そうにやや首を傾げただけで、私の行動の意味を理解していないようだ。彼の薄茶色の瞳を見つめる。透き通ったその瞳に、冗談を言ったような色を見つけられなくて悲しくなった。
私は、水明を部屋の端まで引っ張っていくと、うみやそら、クロに聞こえないように苦心しながら真実を教えてあげた。
「……フィクション……だと……!?」
神妙な面持ちで頷くと、水明は酷くショックを受けた様子で私の顔を見つめた。
「あの赤服の爺は、実在しないというのか」
「そう」
「なら、現し世で浮かれているやつらは、一体なんの目的があって騒いでいるんだ?」
「ただのイベント?」
「くっ……! 待ってくれ、頭が混乱してきた」
水明は眉間を指で解して懊悩している。
「いもしない爺の訪れを焦がれ、浮かれるのか。……理解不能だ」
水明は盛大に渋い顔をすると、やれやれと首を横に振った。
「老爺たちが俺をあらゆるものから遮断した弊害だな。夏織、教えてくれて助かった」
そう言うと、未だナナシの腕の中でメソメソ泣いているクロへと視線を移す。
なんとなく水明の考えていることがわかってしまって、私は小さく笑みを零した。
「これじゃあんまりだよね。なんとかしてあげたいな」
「なんだって?」
「騒ぎの元凶はうちで借りた本みたいだし。お詫びもかねてパーティでもしようか!」
今回の騒動……その原因は明らかだ。
ひとつは、うちの店で貸し出した本。もうひとつは――純粋な子どもたちの夢を容赦なく打ち破った、デリカシーの欠片もない大人たち。
「夢を忘れた大人って嫌ね」
ため息と共に呟く。すると、その言葉に何故か東雲さんが反応した。
「なら、その子どもたちが夢を守るのも、大人の役目じゃねえか?」
しょぼくれていたはずの養父の言葉に、私は何度か目を瞬くと「そう?」と首を傾げた。
「せっかくだ、派手にやろうぜ! 酒にご馳走に、パーッと!」
すると、東雲さんの目が急にキラキラと輝きだした。
そう言えば、東雲さんの出版記念パーティはすごく楽しかった。
幽世でクリスマスパーティ。うん、なんだかワクワクしてきた!
「やろうやろう! ねえ東雲さん、パーティに必要な物を手配する伝手はある?」
「遠近に相談しろ。アイツならやってくれる」
「特別に用意するものは?」
「玉樹だな。アイツは結構便利だぞ」
すると隣で話を聞いていた水明が、怪訝そうに眉を顰めた。
「……夏織、東雲。お前ら、なにを企んでいる」
私は水明の肩をポンと叩くと、爽やかな笑みを浮かべた。
「お願いがあるんだけど」
「な、なんだ」
すると水明は顔を引き攣らせた。
「なによ、水明。その顔」
「いや……果てしなく嫌な予感がしただけだ」
「ふうん? 大丈夫、大丈夫。無理なお願いはしないよ。できることしか頼まないし」
私は笑みを湛えたまま、瞳の中に冷たい光を宿して言った。
「ねえ、水明。玉樹さんを、軽くふん縛って連れて来てくれない?」
「……ふん縛る……」
「幼い双子を傷つけた戒めを籠めて、ちょっとキツめにお願いね!」
「やっちまえ、やっちまえ。大丈夫だ、アレもああ見えてあやかしだし。ちっとくらい痛くても死にやしねえよ」
「ね~」
ニコッと笑って親指を立てる。すると東雲さんもガハハ! と豪快に笑う。
すると水明は一瞬だけ絶句して――呆れたように言った。
「親が親なら、子も子だな……」
私と東雲さんは顔を見合わせると、お互いに首を捻ったのだった。




