富士の大あやかし1:双子の烏天狗、ご馳走朝ごはん
常夜の世界にある隠世の朝に、爽やかな光が差し込むことはない。
その代り、空は夜よりも一層強く色合いを増し、星が霞むほどに極彩色に彩られる。梅雨が終わり、夏がそろそろ訪れようとしている昨今は、雲が掛かることも少ない。からりとした乾いた風が吹き込み、普段よりも緑色が濃い空を戴く隠世では、洗濯物がよく乾く。
ふと窓から空を見上げると、一反木綿が気持ちよさそうに泳いでいるのが見えた。きっと、今日は一日晴れだ。お布団も干しちゃおうか、そんなことを思いながら少し微笑む。
私は洗濯機を回しながら、朝ご飯の支度をしていた。
因みに、洗濯機は二層式。最新式が欲しくはあるけれど、隠世で流通する現世の家電は結構なお値段がする。随分前に、中古で譲り受けたこの洗濯機。正直、変な音はするしうるさいし、汚れは落ちづらい……でも、大切に使わなくちゃなんて思う。
するとそこに、寝ぼけ眼の水明がやって来た。
「おはよう! 爽やかな朝だねえ」
「どこがだ。暗くて、昨日の晩とちっとも変わっていないだろう……ふあ」
水明は涙を浮かべると、大きなあくびをした。
暗い中起きてくるのは、現世に住んでいた者にとっては辛いのだろう。
「隠世の朝は暗いものね。わかるわー。私も、高校生の時は現世で暮らしていたんだけどね、戻ってきた時の違和感が半端なかったもの」
「……お前、高校を卒業していたのか」
「そうよ。今、22歳だし」
「……22」
すると、水明は目眩がするのか、目頭を指で揉み始めた。
……どうしたのだろう。はっ!? もしかして私ってば、もっと大人の女性に見えていたのかしら……!? 水明は、私の内から放たれる眩いばかりの大和撫子感に惑わされたに違いない。
私はバシバシと水明の背中を叩くと、洗顔用のタオルを手渡した。
「ふふふー! ほら、顔を洗ってきて。裏の井戸……場所、わかる?」
「痛い。やめろ。……そう言えば」
その時、水明は轟音を立てて動いている洗濯機をちらりと見て、ぐっと眉根を寄せた。
「……ここ、電気は通じているのか?」
私は、そんなことかと肩を竦めると、さっと目を反らした。
「現世の皆様には、大変お世話になっております」
「……盗電!?」
「だって、発電所なんてないもの!! ええい、さっさと顔を洗ってらっしゃい!」
私は、のそのそと縁側に向かう水明を見送り、未だ寝ている東雲さんの下へと向かった。東雲さんは、薄いせんべい布団をまるで抱きまくらみたいにして、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
「さあ、起きて!」
私は遠慮なしに、せんべい布団を東雲さんの腕から抜き取ると、床に散らばっている書きかけの原稿を片付ける。東雲さんは、布団を抜かれたのにも気が付かずに、むにゃと気持ち良さそうに寝返りを打った。
――その時だ。
「……うああああああ!!」
「す、水明!?」
「ぐえっ!」
水明の悲鳴が聞こえて焦った私は、東雲さんを思い切り踏みつけて裏庭の井戸に向かった。我が家の裏庭は、居間を抜けた向こう側にある。ふたりも座れば満員の縁側に、苔生した小さな坪庭。そこの隅に、小さな井戸があるのだ。
私は勢いよく障子戸を開けると、目の前に飛び込んできた光景に、唖然として立ち止まった。
「お前、誰だ! 何故、夏織の家にいる――!!」
それは、水明を大烏が襲っている光景だった。大烏は、しきりに水明の頭を嘴で突き、激しく攻撃している。その度に濡羽色の羽が宙を舞い、庭中に散らばった。
「あっ、夏織。邪魔しているよ〜」
すると、ふと誰かに声を掛けられて、その存在に気がついた。我が家の狭い縁側に、誰かが座っている。それは、あの烏にそっくりな濡羽色の髪を持った青年だ。瞳は透き通るような金色。目尻は眠そうにとろりと下がっていて、黒地に菊の柄の着物を着ている。私は見知った顔に頬を緩めると、さっと手を上げて挨拶をした。
「金目、いらっしゃい。銀目は今日も元気だねえ」
「ウキウキで朝一で突撃訪問したら、この裏庭に見知らぬ雄がいたから興奮しているみたいだねえ」
「そりゃあ大変だ」
私は縁側に腰掛けている金目の隣に座って、今も格闘しているふたりの姿を眺めた。
金目は、あの水明に襲い掛かっている烏の双子の兄だ。ふたりと私の付き合いはかなり長い。彼らとの出会いは、私が7歳の頃。傷つき、親から見捨てられた双子の烏の雛を助けたのが切っ掛けだった。何の因果か、普通の烏ではなく、あやかしの烏天狗に成長した彼らは、こうして今でも私と親しくしてくれている。所謂、幼馴染と言うやつだ。
いつもにこにこしている、のんびり屋さんの金目。
勢いに任せて、馬鹿なことばっかりするやんちゃな銀目。
ふたりの中でも、特に銀目は私に懐いていて、良く遊びに来てくれる。
私にとっては、かわいい弟分だ。
「銀目、いい加減にしないと怒るよー」
「……はっ!?」
銀目は、私が来たことに気がつくと、ぱっと水明から離れて、空中で人間の姿に変化した。双子だけあって、見た目は金目にそっくりだ。けれど、目の色が銀色なことと、目尻が釣り上がっていること、それと着物の紋様が流水紋だというところが違っている。
銀目はニコニコ顔で私の傍に寄ると、元気いっぱいに挨拶をした。
「夏織、おはよう! 今日も元気か?」
「元気だよ、銀目。君も、相変わらず元気そうだねえ」
「うん。俺は元気だぞ」
……ああ、銀目の背後に、激しく振られている尻尾が見える気がする。
銀目は照れくさそうにはにかむと、次の瞬間にはじろりと水明を睨みつけた。水明は、頭や顔から血を流して、げんなりした様子だ。
「で、夏織。あれは誰」
「水明って言うのよ。昨日から、うちに居候することになったの」
「い、居候!?」
すると、銀目は途端に慌てだして、あわあわと金目に視線を投げた。すると、金目はふむと腕を組んで、冷静に私に尋ねた。
「……あれが、例の大通りに唐突に現れた人間? 稀人が落ちてくるのは、随分と久しぶりのことだね」
「あれ、もう噂がそっちに行ったの? 相変わらず、隠世の皆は噂好きだねえ。なんかね、隠世にあやかしを探しに来たんだって。拠点が欲しいからって、うちに滞在することになったの」
「東雲は承知しているんだよね?」
「勿論」
すると、さっと銀目の顔が青ざめた。ブツブツと「親公認……!」なんて呟いている。私は首を傾げると、憮然とした表情でこちらを見つめている水明に近寄った。
「ありゃりゃ。こりゃ、随分とやられたね。昨日の傷も開いちゃったんじゃない? 薬を貰いに行かなくっちゃ」
「……これくらい、かすり傷だ」
「駄目よ。放って置いて、変に化膿でもしたらことだわ」
そっと、傷のひとつに指先で触れる。すると、痛むのか水明は整った顔を顰めた。私はふふん、と得意気に笑うと、朝食の後に薬屋に行くことに決めた。
すると、水明はちらりと銀目を見て、片眉を上げた。
「まあ、薬屋とやらに行くのは別に構わない。余所者だからな、攻撃されることもあるだろう。それよりも、そこの烏。そいつは、礼儀知らずにもほどがあるな。俺が客人だと理解しても、謝罪のひとつもないようだが」
「――あぁ!?」
銀目は途端に顔を顰めると、水明に詰め寄った。銀目は、水明よりも頭ひとつ分身長が大きい。けれど、水明は体の大きな銀目に見下されても尚、気圧されることはなく、じっと見返している。すると、銀目は少し気まずそうに唇を尖らせると、ぽつりと呟いた。
「……謝れば、気が済むのか」
「――まあ、気が済むな」
意外なことに、水明は特に怒ることもなく、さらりとそう言い放った。すると、銀目は虚を突かれたのか一瞬ぽかんとすると、途端に太陽みたいに笑った。
「お前、素直な奴だな。ごめんな」
「ああ」
銀目は途端にご機嫌になると、水明の頭をぽんぽん叩き始めた。
「ぐっ、痛い。止めろ、扱いが雑すぎる」
「はははー。お前、ちっこいから叩きやすいよな」
「お前がでかいんだよ……はあ」
水明は、気軽に触れてくる銀目の腕を嫌そうに払っている。
ふたりの間に流れる空気は、先ほどの緊迫感はもう欠片もなく、和やかなものに変わっていた。
……なんだろう。男同士、通じるものがあるのだろうか。意味がわからない。
すると、金目が大きくため息を吐いたのが聞こえた。金目は、弟と水明がじゃれているのを見て、呆れ返っている。
……うーん。男と言っても、色々とあるようだ。男心とは難しい。
「まあ、仲直りしたならいいや。ねえ、金目銀目。朝食一緒に食べる?」
「食べる!」
「……ん。いいの?」
私は大きく頷くと、ふたりを室内に招き入れた。
*
「ふあ。……おう。双子、来ていたのか」
「「お邪魔します!」」
金目銀目は、寝ぼけ眼でぼうっとしている東雲さんに元気よく返事をすると、朝食の準備の手伝いを始めた。今日の朝食は、目玉焼きにベーコン。プチトマトに、お麩を浮かべたお味噌汁。それに、真っ白な炊きたてご飯に、納豆に明太子! ほかほか、白い湯気を上げている朝食を並べて、皆でちゃぶ台を囲む。
すると、水明がどこか居心地が悪そうに、居間の隅で立ち尽くしているのが見えた。
「どうしたの? ご飯、食べようよ」
「……ああ、すまない」
声を掛けると、水明は遠慮がちに座布団に座った。その様子を不思議に思いながら、ぱん! と手を合わせる。そして――。
「「「「いただきます!」」」」
と、水明以外の全員で唱和した。何度かぱちぱちと目を瞬いていた水明は、ぼそりと「……いただきます」と呟く。そして、もそもそと食べ始めた。
「ああ、腹減った!」
水明と対照的なのが銀目だ。白米が大好きな銀目は、なんとも嬉しそうに、口いっぱいにお米を頬張った。――途端、動きが止まった。
「……これ、は」
銀目は、ぱちぱちと目を瞬かせると、勢いよく米を掻き込み始めた。金目も驚いたような表情で、お茶碗を見つめている。私は彼らの様子を確認すると、鼻高々に言った。
「実はこのお米は最高級、特Aランクなの。昨日、お肉を買いに行くついでに買ってきたのよ……!!」
「おお……!!」と言う感嘆の声が、皆の間から漏れる。
ああ、特Aランク。それは、お米の最高等級。あの水明の「まずい」発言が悔しくて悔しくて、思い切って買ってきたものだ。どうやら、随分と美味しいらしい。皆のご飯を食べるスピードが、普段とは段違いだ。
私も期待を胸に、ひとくちお米を頬張る。
途端、口の中に広がった味に、私は涙を滲ませた。
……ああ! 諭吉様ひとりを旅に出した甲斐があったってもんだ!
ひと粒ひと粒がしっかりと立ち、尚且、むちむちとなんとも言えない噛みごたえ。それに、この甘さ……!! 米由来の優しい甘さが、噛む毎に口いっぱいに広がる。更に、間にぬか漬けのきゅうりを噛みしめれば、酸味と旨味とシャクシャク水々しい歯ごたえがアクセントになって、これまたいい。ぬか漬けと白米だけで、永遠に食べられそう。日本人に生まれて良かった、そう思える味だ。
「はあー! やっぱり、良い米は違うね。この間まで食べてた、お値段重視のブレンド米とは段違い……!! これを食べられるのも、水明のお陰だわ。ありがとうね!」
あんまり嬉しくて、水明に笑顔を向ける。すると彼は、ぼうっとお茶碗を見つめていた。
――はっ! もしや、またお米の味が気に食わなかったとか……!?
水明の言う通り、我が家の年代物の炊飯器ではなくて、土鍋で炊いたのに。まさか、産地や水に拘りがあるとか言い出すのだろうか。美味しく炊けていると思うんだけどなあ。おこげとか、最高じゃない?
そう思って、水明を見つめる。すると彼は、私の視線に気がつくと、いつもどおりの無表情に戻ってぽつりと言った。
「……美味いな」
「だーよーなーあ!! 流石、良い米は違うよなあ。ほら、このぬか漬けも、三軒隣の若奥さんが新婚の頃から200年使い続けているぬかだから、良い漬かり具合だよな」
「……200年?」
水明は、銀目の言葉を聞いて、きゅうりをまじまじと見つめると、ふいに眉を顰めた。
「200年経つのに若奥さん……?」
「若奥さんだなあ」
すると水明は「若奥さんとは」と呟き、考え込んでしまった。
――見間違えかな?
先ほどまでの、心ここにあらずという感じはなくなっている。
――まあ、心配することもないだろう。
私はお代わりのご飯を注いでやりながら、少し引っかかりを覚えつつも、朝食に集中することにしたのだった。
ブクマ、評価、感想ありがとうございます〜!
夏織さんは実年齢よりも幼い描写にしております。
これから段々と、年齢に釣り合った大人の女性になっていくのです。
金銀のふたごが好き過ぎる。