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貸本屋の恋愛事情5:藤色の決意

 朝まで飲み明かすという遠近さんを置いて、三人で帰路につく。


 軋んだ音を立てる階段を降りていくと、藤の花が咲き誇る中庭へ出た。


 常夜の幽世も遅い時間になればなるほど気温が下がる。指先が痺れるほどに冷え込んでいるせいか、いつもよりも空気が澄んでいる気がする。四角く切り取られた夜空から、紅く染まった星明かりが降り注ぎ、青紫色の藤の花を艶やかに彩っていた。


「――まさか、本を放り出してうたた寝しているだなんてね~」


 身体を揺らし、背負った水明の位置を調整した金目は、冷え切った床板を慎重に踏みしめた。その後ろをついて歩きながら、小さく笑みを浮かべる。


「せっかくここまで来たのに、合わなかったみたいだね」


 髪鬼と文車妖妃のプチ修羅場を聞きながら、本を手にしたままこっくりこっくりと船を漕いでいる水明を見つけた時は、金目とふたりして笑ってしまった。


「自分と似ている登場人物を捜せって言われても、そうそう出会えるわけないしね~」

「だねえ」


 人も本も一期一会だ。

 もしかしたら、運命にみたいに出会うべくして出会うものなのかもしれない。


「いつか、水明が夢中になれるような本に出会えたらいいね」


 そんなことを言って、眠っている水明の顔を覗き込む。

 長い睫毛に縁取られた瞳はピクピクと動いていて、時折、うっすらと目を開ける。やはり外では熟睡できないらしい。夢と現の合間を行き来しているようだった。


「……ん」


 その時、水明の薄茶色の瞳と視線が交わった。彼はゆっくりと瞬きをすると、

「夏織」

 私の名を呼んで手を伸ばす。そして、意味もなくポンポンと頭を叩くと、次の瞬間にはまた眠ってしまった。


「…………んなっ」


 すやすやと金目の背で寝息を立て始めた水明を、顔を真っ赤にして見つめる。


 ――今の行動の意味! 今の行動の意味はなに!


 頭の中がグチャグチャになり、全身に汗が滲む。思わずその場にしゃがみ込むと、金目が笑いを堪えているのに気がついた。


「ええい、笑うなら笑えー!」

「アッハハハハ!」


 すると、金目は嬉しそうに目を細めて言った。


「恋かな~?」

「……どうだろね!」

「僕としては、夏織と水明がくっついてくれるとありがたいんだけど~」

「勝手なこと言わないで!」


 怒りを込めて叫ぶと、カラカラ笑った金目は軽い足取りで先に行ってしまった。


 その場にひとり取り残された私は深く嘆息する。

 ふと顔を上げると、狂い咲く藤の花が視界に入ってきた。

 はらはらと白い雪の上に花びらを零すその様は、季節と余りにかけ離れていて、美しさ以前にどこか恐ろしくも感じる。私は小さく身震いすると金目たちを追おうとした。


 すると――。


『……どうして。どうしてあの人と結ばれないの』


 突然、女性の声が聞こえた。


「……!」


 慌てて周囲を見回すも誰もいない。その間も、ボソボソと女性は話し続けている。私は激しく鼓動している心臓を宥めると、ソロソロと声のする方へと近づいて行った。


 たどり着いたのは、藤の花の根もとにある小さな井戸だ。

 木の蓋がされていて中は見えない。けれども、確かにそこから声が聞こえる。


「……昔、誰かがここに身を投げた……?」


 恐ろしい想像が脳裏を巡って、全身が粟立った。


 ――きっと、底までかなり深いのだろう。だから幽世に馴染むまで時間が掛かっているだけなのだ。害はない。害は、ない……はず。


 私は両耳を手で押さえると、引き返そうとして……止めた。その時聞こえた女性の声が、聞き捨てならないことを言い出したからだ。


『私には、普通の恋なんて無理だったのよ』


 声しか聞こえない女性は、切々と己の不幸を語った。


『廓で育ったのだもの。廓の中だけで生きていればよかったのだわ。普通の恋は外の世界のもの。私には手の届かない、手を伸ばしてはいけないものだったの……』

「やめて!」


 思わず叫ぶ。けれど、女性の声はその場所に染みついたもので、自動的に再生されているだけ。声をかけても意味がない。徐々に涙声になっていった女性は、己の悲痛な叫びを、誰が聞いているかなんて知らずに垂れ流している。


『好きだと思った。ううん、今でも好き。大好きだわ。あの人に触れたい。笑いかけてほしい。夫婦になりたいと願った。遊女の癖に。普通の人間じゃない癖に!』

「やめて……」


 ヘナヘナと井戸に縋ったまま座り込む。雪が冷たい。やけに明るい星明かりが目に染みて、じわりと視界が滲んだ。


『……もう、諦めた』

「…………」

『もっと早く決断していたのなら、こんなにも苦しまなかったのに』

「…………うう」

『普通の人間みたいにできるわけない! だって私は――』

「うるっさい!!」


 女性の声を遮るように大きな声で叫ぶ。


 その時、私の脳裏に浮かんでいたのは、高校時代の光景だ。

 楽しそうに青春を謳歌しているみんなを、薄暗いところで羨ましそうに見ている私。


 言い訳はいつだってこう。


 だって私は――あやかしの世界で育ったから。


 ……ああ、なんてみっともない。


 物欲しそうな自分が、彼らに歩み寄る勇気もなかった自分が、結局なにも行動を起こさずに三年間を無為に過ごした自分が! 情けなくて仕方がない!


 私は井戸の蓋を力任せに外すと、その中に向かって叫んだ。


「絶対に!! 今度は逃げないんだからね!!」


 そして、乱暴な足取りで金目たちのもとへと向かう。張見店の前で私を待っていてくれたらしい金目は、私の顔を見るなり驚いたような顔をした。


「どうしたの? 泣いてるじゃないか」

「……っ!」


 私は袖で滲んだ涙を拭うと、水明を背負ったままの金目に言った。


「恋だった!」

「……は?」


 どうやら意味が通じていないらしい。

 私はもう一度息を吸うと、ビシリと眠っている水明を指さして言った。


「私、もうすでに正気じゃなかったみたい。水明に恋をしてる」


 すると一瞬呆気に取られていた金目は、次の瞬間には大きく噴き出して笑った。


「そっかあ」


 そして優しい笑みを浮かべると、私に拳を突き出して言った。


「成就すればいいね。健闘を祈るよ」


 私は真面目くさった顔で頷くと、金目の拳に自分のそれを合わせて言った。


「応援よろしく」


 金目は破顔すると「もちろん」と頷いてくれたのだった。

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