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遠野の山の隠れ家3:幻の家

 玉樹さんから東雲さんの居場所を聞き出した私は、一旦店に戻って身支度をすると、にゃあさんと共にその場所へと向かった。

 幽世から、八大地獄の第五、大叫喚地獄を通る。大声で泣き叫ぶ亡者たちを囲む、切り立った壁の中央にある洞を潜っていくと――そこは東北六県のうちひとつ、岩手県に繋がっている。


 洞は、遠野市と釜石市の境目にある六角牛山中に繋がっていた。ゴツゴツした岩壁を伝って、外に出る。夕飯を食べた後に出発したこともあって、到着した時には既に辺りは真っ暗だった。今日は雲ひとつない快晴で、空には満天の星空が広がっている。遠くには、星あかりに照らされた、北上山地の山々の峰がうっすらと見える。


 ここ六角牛山を含む遠野市は、「民話の里」として知られ、多くの不思議な伝説が残ることで知られている。以前、東雲さんから聞いたことがある。この辺りは、昔から人ならざるものと人間の距離がとても近い場所だった。そのおかげなのか、ここには今でも多くのあやかしが棲んでいる。


「……寒っ」


 息を吐き出すと、冷え切った空気に白い吐息が溶けていった。この時期の東北は、まだ雪は降らないとはいえ、夜ともなるとかなり冷え込む。


 すると、にゃあさんが無言で私の傍に寄り添ってくれた。

 にゃあさんの温かい気遣いが嬉しくて、遠慮なしに抱きつく。


 そうしていると――そこに、青白い光がひとつ。ゆっくりと近づいてきた。


「……来たね」


 青白い光――提灯に、青い人魂を灯らせたその人は、私たちに向かって頭を下げた。

 それは、襤褸を纏った老婆だった。白髪はボサボサで、禄に櫛も通していないのが見て取れる。肌は乾燥しきって、まるで岩石の表面のようにひび割れている。両目は白濁し、黄色い目やにがこびり着いていた。襤褸から覗く手足は、まるで棒きれのように細く、靴も履いておらず、裸足だ。


「玉樹様から案内を任されている。こっちへきな」


 老婆はそう言うと、私たちに背を向けた。そして、すう……と、まるで氷上を滑るように、どこかへ向かって歩き始めた。私はにゃあさんと頷き合うと、下草がぼうぼうに生えている山中を歩き始めた。頼りになるのは、老婆が手にした提灯の明かりのみだ。


「……最近は、やたらお客様が多い。珍しいことだね」


 老婆は呵呵と笑うと、獣道をずんずん進んでいく。私は必死にその後を置いながら、老婆に問いを投げかけた。


「玉樹さんとお知り合いなんですか?」


 すると老婆は立ち止まると、こちらを振り返ってにたりと笑った。


「あの方は、オラのような……人間からあやかしに成り果てた(、、、、、)者の面倒を、よう見てくださるからね。ありがたいことだよ」


 そして、また山中を進み始めると、ぽつりと言った。


「人間の輪から外れたモンは、どこにも行き場がないからねぇ」


 その言葉に、一瞬どきりとする。あやかしには、大まかに言うと三種類いる。ひとつは、元々あやかしとして生まれ落ちたもの。そして、器物などに宿った念が、長い年月を経て意思を持ったもの。最後に――人間だったのに、何らかのきっかけであやかしになってしまったものたちだ。先日会った、八百比丘尼なんかもそうだ。そういう人たちは、決して多くはないが存在する。


 どうやら、この老婆もその類らしい。

 老婆は、どこか淋しげに笑うと、通りすがりに山中に生えていた木に触れた。途端に、空気が変わって驚く。にゃあさんも気がついたのか、足を止めて周囲を警戒している。すると老婆は、すきっ歯から空気が抜けるような笑い声を上げた。


「気にするんじゃないよ、境界を超えただけさ。さあ、進もうじゃないか」

「……は、はい」

「夏織。私の背に乗って」

「うん」


 にゃあさんは、未だ警戒を解いていない。大きくなった親友の背に乗って、また老婆の後を追った。老婆は、何箇所かで同じような仕草をした。そのたびに空気が変わる。老婆いわく、山の中はいくつかのエリアに分断されていて、それぞれを土地神や山の神が治めているのだそうだ。空気が変わったように感じるのは、そこを治めている主ごとに雰囲気が違うから、ということのようだ。


「さあ。ようやく、到着だ」


 やがて――老婆は、森の中にぽっかりと開けた場所で足を止めた。そこには、一本の木が生えていた。よくよく見ると、枝に剪定したような跡が見て取れる。もしかしたら、昔々はここで人間が暮らしていたのかもしれない。


「この梨の木の下で、履物を脱ぎな。そして、木に触れて願うんだ。そこ(、、)に行きたいと」

「……わかりました。ありがとうございます」


 老婆にお礼を言って、言われたとおりにする。靴を木の下に綺麗に揃え、幹に触れようとして――手を止めた。


「あの、その前にお名前を聞いてもいいですか? 今度、案内をしてくれたお礼をさせてください」


 すると、老婆は酷く驚いたように目を瞬くと、顔をクシャッと皺々にして笑った。


「律儀な子だね。お礼なんていらないよ。でも――名前くらいは教えようかねえ。昔々、生まれた場所では『サダ』と呼ばれていたよ。茂助という男の娘だった。その後は、登戸(ノボト)の婆と呼ばれ、色々と呼ばれはしたが……中でも寒戸(サムト)の婆って名が一番有名かねぇ。どこにでもいる――神隠しにあったせいで人間じゃなくなっちまった、可哀想なおなごさ」


 私は、寒戸の婆に重ねてお礼を言うと、自分も名乗る。すると、老婆は益々皺を深くして笑った。そして近くにあった切り株に腰掛けると、いやに機嫌がよさそうな口ぶりで言った。


「じゃあ、アンタたちが戻ってくるまで、ここで待っていてやるからね」

「なるべく早く帰りますね」

「別に、どれだけかかっても構わないさ。普段は、石に身を変えているからね。時間なんてあってないようなものだよ。気兼ねなく過ごしておいで。……夏織」

「わかりました。本当に、色々とありがとうございます‼」


 私は、老婆に向かって手を振ると――そっと、梨の木の幹に触れた。

 その瞬間、また空気が変わった。ふと視線を前に移すと、梨の木の向こうがいやに色鮮やかだ。


「……わあ!」


 そこには、遠野地区でよく見られる伝統的家屋「南部曲がり屋」があった。それは、L字型をした平屋建ての民家なのだが――それが、どこからともなく目の前に現れたのだ。屋敷の周りには、たくさんの落葉樹が生えている。赤や黄色に色づいた葉が枝先を飾り立て、屋敷を色鮮やかに彩っている。


 どこかから、馬のいななき、牛の鳴き声、鶏の羽ばたく音が聞こえる。造り自体は古めかしいのに、どこも新築同様に真新しく清潔だ。室内からは、煌々と明かりが漏れ、如何にも暖かそうに見える。けれども、屋敷の中は静まり返っていて、どこにも人影は見えない。


 私はごくりと唾を飲み込むと、にゃあさんと一緒にその屋敷に向かった。

ここは、遠野伝説で最も有名と言っても過言ではない場所――マヨイガ。訪れた者に富を与えると言われる幻の家。この場所に、私の養父である東雲さんがいるのだ。




「お邪魔します」


 南部曲がり屋の中は、一風変わっていた。入り口から入ると大きな土間があり、すぐ隣に馬屋がある。この地域は、畜産に適した気候であったことから、かつて南部駒の産地として栄えていた。それもあり、家の中で馬を飼う様式が採用されたと言われている。


 竈から立ち昇る煙が、馬屋方向に流れる仕組みとなっていて、屋根裏に置いた干し草や馬自体を温めるようになっている。冬ともなると、随分と雪深くなる地域だ。馬が寒くないようにと、家族のように扱っていたのかもしれない。そんな当時のことを思わせるあやかし絡みの逸話もあるのだが、それはまた別の話だ。


 土間から上がると、そこには板間が広がっている。まるで、先ほどまで誰かがいたかのように、囲炉裏には火が入れられ、鉄瓶からは湯気が立ち昇っている。大きな部屋を仕切っている襖を、そろそろと開け放つ。けれども、どこにも東雲さんの姿は見えない。


「夏織、多分あそこよ」


 すると、周囲の匂いを嗅いでいたにゃあさんが、屋敷の奥に向かって歩き出した。屋敷の最奥部――そこにあったのは、他の部屋よりは上等な襖が使われた部屋だった。どうやら、畳間になっているらしい。所謂、家の主人が眠る部屋なのだろうか? 凝った意匠の欄間からは温かな光が漏れていて、中から誰かの気配がする。


「……よし、行こう」


 私は、にゃあさんと視線を交わすと、その襖に手をかけた。


 そこには、見慣れた背中があった。

 普段よりも更にヨレヨレの、一張羅の紺の小袖。白髪交じりの髪に、うっすらと肌に浮かんだ鱗模様。襟首からは、いつものラクダ色のシャツが覗いている。


 かゆいのか、万年筆の柄でボリボリと首を掻いている。それは、小さい頃から見慣れた仕草だった。文机に向かっている東雲さんの周りには、書き散らした原稿と、没になったらしい丸まった紙くず。それに、塔のように積まれた資料本が、いくつもそびえ立っていた。


「――東雲さん?」


 小さく声をかける。けれども、特に反応が返ってこない。聞こえなかったのかと、横に移動して、顔を覗き込む。そして再び声をかけようとして――止めた。


「……どうしたのよ、夏織」


 私は、東雲さんから離れるとその部屋を後にした。そして、静かに襖を締めた。そして、怪訝そうに私を見上げているにゃあさんに言った。


「集中している時の東雲さんには、声をかけちゃ駄目だよねって思って」

「別に、文句くらい言ってもいいじゃない。あんなに落ち込んでたでしょうに」

「いいの。東雲さんの邪魔したくないもの」


 そのまま、台所に向かう。台所の調理台の上には、使ってくださいと言わんばかりに、露で濡れた新鮮な野菜や肉、米などが置かれていた。流石、マヨイガ。誰もいないのにもてなしの準備だけは万端だ。


「……ここのご飯を食べたら、無条件に幸せにならないかな」


 苦笑して、水瓶の蓋を開ける。中には、冷たい井戸水がたっぷりと入っていた。


「よし‼ ねえ、にゃあさんも手伝ってくれる?」

「……何をするつもり?」


 私は、首を傾げているにゃあさんに、にんまり笑うと――やや得意げに言った。


「東雲さんの……『娘』としてのお仕事!」


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