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遠野の山の隠れ家1:蝶と少年と焼き芋

「――あれ? どこから入ってきたの?」


 ひらり、一匹の幻光蝶が部屋の中に入ってきた。どうも、窓が開いていたようだ。迷子の蝶は、まるで私の存在なんて見えていないように、ちらちらと燐光を撒き散らしながら部屋の中を飛んでいる。

 その様は、美しかった。ずっと眺めていても飽きないくらいには、儚くて幻想的だ。私は、指に止まった蝶に向かって、にっこりと微笑んだ。


「君も食べる? ……って食べないか」


 ひらひらと飛び去って行った蝶を見送って、苦笑いを浮かべる。居間にあるちゃぶ台に視線を落とすと、そこにはホカホカの焼き芋があった。


 秋の味覚、焼き芋――現し世では、肌寒くなってくると町中に焼き芋屋さんがやってくる。それは、日本中で見られる秋の風物詩だ。


 一見、地味な見た目も、丁寧に皮を剥げば印象が激変する。ねっとり、ほくほくと透き通った黄金色の果実は、収穫期を迎えた田園を思わせる。それに、砂糖が練り込んであるのかと疑いたくなるほどの、その甘さ。うっかり食べすぎると、夕飯に影響が出るのを知りつつも、ついつい手が伸びてしまうのが焼き芋だ。


 何も、それは現し世だけのものじゃない。幽世だって秋になると焼き芋売りが現れる。

 焼き芋売りは、小豆洗いの「副業」だ。普段は小豆専売の小豆洗いだが、秋になると一緒に焼き芋を売るのが常だった。


「小豆磨ぎやしょか、人取って食いやしょか、しょきしょき」と、小豆洗いの歌声が聞こえると、あやかしたちはいそいそと財布を握りしめて門戸から出てくる。この時期、通りに人だかりが出来ている時は、大抵小豆洗いが来ている時だ。


 焼き芋の焼ける、甘くていい匂い。あの無性に食欲をそそる匂いが鼻を擽ると、あやかしだって我慢ならなくなるらしい。みんな、笑顔になって小豆洗いを囲むのだ。


 例に漏れず、私も小豆洗いの声に誘われて焼き芋を購入した。大きいのがひとつと、小さめのがひとつ。焼き芋を食べるには、水分が必須だ。お供は、渋めの緑茶。急須と湯呑みは準備してあるから、後はお湯を注ぐだけだ。


 甘い匂いが部屋に充満して、早く食べたくて仕方がない。けれども、私はなかなか手を付けられずにいた。なぜならば――一緒に食べようと思っていた、東雲さんが留守なのだ。


「今日は、帰ってくるって言ったのに」

 

 じとりと、壁にかかった時計の文字盤を睨みつける。養父が「出かけてくる」とふらりと店を出てから、三日経った。今日には帰れるようにする(、、)と言っていたのに、一向に帰ってくる気配がない。


「……はあ」


 購入して少し経ったせいか、焼き芋を入れてある紙袋が、じんわりと湿気っている。


 ……せっかく、一番美味しいところを小豆洗いが選んでくれたのに。


 何だかモヤモヤする。私は、ちゃぶ台に顎を乗せて、脱力した。


 カチ、カチと、時計の秒針の音が室内に響いている。貸本屋に客はなく、にゃあさんも、どこかへ遊びに行ってしまっていていない。しん、と静まり返った室内は、普段が賑やかすぎるせいか、まるで別の家みたいだ。耳を澄ますと、遠くではしゃいでいる子どもの声が聞こえる。何となくそれを聞きたくなくて、私は気を紛らわそうと立ち上がった。


 部屋の中をウロウロして、何となしに東雲さんの部屋を覗き込む。いつもなら、そこに原稿と格闘している養父の後ろ姿があるというのに、使いすぎてぺたんこになった座布団があるだけだ。


「……はあ」


 またひとつ、ため息を零す。

 今までも、養父が気まぐれに出かけて数日返ってこないことは何度かあった。けれども、最近はこういうことが続いていて、特にここ一ヶ月は禄に顔を合わせた記憶がない。


 あの養父は、本当に何をしているんだろう?

 何をしていてもいいけれど、それは私に内容を話せないようなことなんだろうか。


 ……その時だ。からりと引き戸を開く音がした。


「東雲さん?」


 勢いよく振り返る。けれども、そこにいた人物を見た瞬間、がっくりと肩を落とした。


「……なあんだ、水明かあ」

「なんだとは、なんだ」


 貸本屋と、母屋を繋ぐ引き戸のところに立っていたのは、無愛想な少年だった。彼は、薄茶色の瞳を不機嫌そうに細めると、勝手知ったる他人の家とばかりに、部屋の中に入ってきた。


「今日も?」

「……ああ」


 ここ最近繰り返している質問を投げる。すると、水明は慣れた様子で部屋の隅に積んであった座布団を手にした。そして、座布団を二つ折りにすると――それを枕代わりにして、ごろりと横になった。


「水明、飲み物とかいらない?」

「……」

「水明くーん?」


 声をかけてみたけれど、まるで反応がない。こっそりと顔を覗き込む。すると、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきて、思わず笑みを零した。どうやら、もう眠ってしまったらしい。ブランケットを持ってきて、体にかけてやる。


 ――八百比丘尼の仕事を終えてからというもの、水明は度々わが家にやってきては、睡眠を取るようになっていた。理由はよくわからない。そういえば、「まずは慣れた場所で眠ることを覚える」とか何とか言っていた。水明がこうやって眠りに来ることは、ナナシからも聞いていて、私の母代わりでもある彼に「よろしく」と頼まれている。


 水明のこの行動について、ナナシはこうも言っていた。


『あの子なりに、この世界を受け入れようとしてくれているのよ』


 そして、それはとても素敵なことなのだと、ナナシは穏やかな表情で語っていた。


「……ねえ。君のツンデレのツン(、、)の時代は、終わったの?」


 人差し指で、水明の体を突く。けれども、もう既に熟睡しているらしい水明は、何も反応を返さない。するとその瞬間に、先日のことを思い出してしまって、顔が熱くなってきた。


 ――それは、ナナシに水明の迎えを頼まれた日のことだ。


 あの日は、やたらと空が明るい日だった。不思議と、そういう日はいつもナナシや東雲さんと一緒にいることが多いように思う。あの日は、ナナシの薬屋で夕飯をご馳走になっていた。そして、いざ帰ろうとした時、水明を迎えに行って欲しいと頼まれたんだっけ。


 無数の幻光蝶が舞い飛ぶ小さな島に、水明はいた。あの日の島は、いつもと様子が違っていたのを覚えている。至るところで、島で働いている尼僧たちが泣いていた。それに、いつも以上に大量の蝶が舞っていた。幻光蝶は、本来ならば人間にしか惹かれないはずなのに、やたら尼僧たちの周囲に集まっていたのが不思議だった。


 尋常じゃない雰囲気に、少し不安に思いつつも、八百比丘尼と会話していた水明を見つけて声をかけた。その瞬間、水明の表情を見てしまって――胸が潰れるかと思った。


 ――それはまるで、あの日の自分を見ているようだった。


 蝉の合唱が響く、夏の森の中。腕の中で逝ってしまった友人たち。

 泣きたくても泣けなくて、自分の体の内に変な熱が籠もっているような感覚。ともすれば、爆発しそうになるそれを持て余して、途方に暮れるような――あれは、本当に息ができなくなるくらいに、辛かった。もう二度と経験したくないと思うくらいには、心が引き裂かれるような辛い出来事。


 水明は、その時の私みたいな表情をしていた。彼に、一体何があったのかは知らないけれど、黙って見ていることなんてできなかった。


 私は、気がつけば水明に声をかけていた。


「今度は私に言わせてね。……『我慢するな、泣け。馬鹿』」


 衝動に任せて、水明を抱きしめた。そうしないでは、いられなかった。水明の心の負担を、少しでも和らげてあげたかった。あの夏の日、水明が私の心を救ってくれたように、自分も彼の心を救ってあげたかったから。


 ――とくん、とくん。

 あの時、耳の奥で聞こえていたのは、水明の鼓動だったのか。それとも――私のものだったのだろうか。震えながら、涙を零している水明の温もりを感じつつ、私はそんなことを考えていた。


「……顔、あっつい……」


 パタパタと、汗が滲んできた顔を扇ぎながら、その後のことに想いを馳せる。泣き止んだ水明は、何があったのかを少しだけ教えてくれたのだ。


『亡くなった母と再会した』


 水明が語ったのはそれだけだ。けれども、それだけで充分だった。

あそこは、傷ついた人間の魂が集まる場所だ。そこに、たまたま水明の母親がいた。八百比丘尼は――水明を、母親に引き合わせたのだろう。


 穏やかな寝息を立てている水明を見つめる。

 目を瞑ると、水明のまつ毛の長さがよくわかる。相変わらず、物語の中の王子様みたいに整った顔だ。きっと、祓い屋の家系に生まれなければ、まったく別の人生を歩んでいたんじゃないだろうか。


「……苦労するね」


 願わくば、水明には誰よりも幸せになって欲しい。

 今まで苦しんだ分……いや、それ以上に幸せにならなくちゃ。例えば、心から好きな人と、幸せな家庭を築いて――……。


 そこまで考えた時。私は、慌てて思考を止めた。

 水明のある言葉を思い出してしまったからだ。


『お前といると、胸の辺りが変だ』

「~~~~ッ‼ い、いやいやいや……」


 頭を勢いよく振って、その記憶を振り払う。そして膝小僧を抱えると、冷静になろうと目を閉じた。けれども、どうにも頭の中がぐちゃぐちゃして考えが纏まらない。


「うう……。グルグルする」


 私は、盛大にため息をつくと、今度は店の方に視線を向けた。


「……東雲さん、まだかなあ」


 どうにも、養父に会いたくて堪らない。この混乱の原因を相談したいのに、どうして必要な時に限っていないのか。いらない時は、しつこいくらいにかまってくる癖に。

養父と交わした雑談が、随分と遠いことのように思える。それは、本当に他愛のない会話だ。ほんの些細な――特に重要でもないやりとり。でも、それが酷く恋しい。


「帰ってきたら、文句を言ってやるんだから」


 私は唇を尖らせると、引き戸が開く音を聞き逃すまいと耳を澄ませた。


 ――結局、東雲さんはその日帰ってこなかった。ちゃぶ台に置いておいた焼き芋は、気がつけば冷めてしまっていた。


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