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閑話 幻光舞う幽世で、想うは大切な人のこと4

 ――何だったんだ?


 体から力を抜いて、ナイフを仕舞う。クロも困惑しているようで、八百比丘尼の背中をじっと見つめている。その時だ。クロが何かを見つけたのか、小さく首を傾げた。


「あれ? 水明、あそこにいるの東雲じゃない?」

「何だって?」


 驚いて、クロの視線の先を追う。するとそこには、ヨレヨレになった着物を着た、貸本屋の店主の姿があった。


 夏織を迎えにきたのかもしれない。だが、東雲がいるのは夏織が向かった方向とは真逆だ。声をかけようと、そちらに足を向ける。すると、少し目を離した隙に東雲の姿を見失ってしまった。けれども、俺には改めて東雲を探す余裕なんてなかった。何故ならば、目の前にやけに派手な恰好をした男が立ち塞がったからだ。


「……おやおや。犬神さんではないですか。お元気ですかい?」


 ソイツは、片手を軽く上げると、ニヤニヤ笑いながら俺たちを見つめている。


「水明‼ 下がってて‼」


 すると突然、俺を庇うようにクロが男との間に立ちはだかった。

 クロは、頭を低くして唸っている。俺は、どうしてそんなに警戒しているのか理解できずに、混乱するばかりだ。


「クロ? どうした。その男は誰だ」

「久しぶりに会ったって言うのに、その態度は酷くありませんか。流石の自分も傷つきますぜ?」


 男は、クックックと楽しげに肩を揺らして笑っている。

 クロは、ちらりと俺に視線を向けると、硬い声で言った。


「前に話したよね? オイラが、白井家から解放されるためにしたこと」

「ああ」


 クロは、俺の生家――白井家の血筋に取り憑いた犬神だった。クロは、犬神憑きとして生家の連中に虐げられてきた俺を、自分から解放したいと常々考えていた。しかし、その手段を知らなかったから、どうすることもできずにいたらしい。


 そんなある日、クロの前にある人物が現れたのだそうだ。

 ソイツは言った。犬神憑きの呪縛から俺を解放したいなら、白井家直系の骨をクロが喰らえばいいのだ、と。そして、俺が十七歳になったある日。クロは、俺の母の墓を暴いた。そして、その骨を喰らったのだ。その結果――クロと白井家の呪いにも似た関係は断ち切られ、俺は自由になった。


「……まさか」


 思わず、息を呑む。すると、クロはコクリと頷くと、その男を睨みつけて言った。


「その情報を教えてくれたのが、この男だよ」

「おやおやおや‼ 男だなんて。他人行儀じゃないですか。あの時、ちゃあんと名乗りましたよ? ――玉樹、と」


 すると、その男――玉樹は、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべた。


「旦那、自由になった気分はどうですかい? 感情を殺す必要がなくなった感想は? 古きものを捨て去るというのは、いいもんでしょう! 黴が生えた古臭い柵は、足枷にしかならなりませんからねぇ。新しい人生を得て、気分爽快でしょう!」


 玉樹はやや興奮気味に手を広げて、うっとりと三白眼を細めている。


 その時、俺は心中複雑だった。俺がこうやって何にも縛られずに生きられるようになったのは、玉樹のおかげと言ってもいいのだろう。言うなれば、恩人だ。けれどもどうだろう。玉樹の話を聞いているだけで、脳内でガンガンと警鐘が鳴っている。近づくべきではないと、俺の本能が告げている。この男――どこか信用ならない。


「礼は……言った方がいいんだろうな。ありがとう」

「ハハハハハ! 別に構いません。自分は――……アンタらに感謝してるくらいですから」


 玉樹は恍惚で頬を染めながらそう言うと、次の瞬間には表情を消して、俺に握手を求めてきた。


「おかげさまで、またひとつ古きものが消えやした。自分は、そのこと自体が嬉しくて堪らないんですよ」

「……っ。そ、そうか」


 ――コイツ。

 丸いサングラスの向こうに見える瞳に、理解し難い「何か」がちらちらと垣間見えて、恐怖を覚える。きっとその恐怖は、この男自身を知らないがための感情なのだろう。つい先ほど、そういう感情に振り回されないと決意したばかりだ。だが、どうにも「この男を知るのが怖い」と思ってしまう。


 どうしたものかと戸惑っていると、クロが激しく唸った。


「アンタ、あやかしだったんだな。会ったのは、もう十年以上も前なのに、姿がちっとも変わってない。お前……白井家を潰すためにオイラにあんなことを教えたんだな⁉ オイラが解放されたら、祓い屋の一族がひとつ消えるもんな‼」

「クロ……」


 クロは、心底悔しそうに顔を歪めて、玉樹を睨みつけている。

 玉樹は、興味深そうにクロを眺めると、握手しようとした手を下ろして、ひょいと肩を竦めた。


「ハハハ。それは邪推というもんですぜ。確かに俺はもう(、、)人間と言えるかどうか怪しいですがね……祓い屋云々にはちっとも興味がない。言ったでしょう? 自分は、古いものを壊すのが快感だって」


 そして、ふむと眉を顰めると、今度は俺に向かって言った。


「犬神憑きの旦那。ひとつ聞かせてくれよ。アンタ、せっかく古きものから解き放たれたってぇのに、どうしてまだ犬神さんと共にいるんですかい? もしかして、付き纏われていらっしゃる? もしそうなら、犬神さんを消す手段を教えて差し上げましょうか」

「――は?」

「自分は特別親切な質でね。なあに、人間が作り出したあやかしなんて、消す方法はいくらでもありますよ。何でもお教えします。過去と完全に決別しましょ。そうすれば、アンタも気持ちよく変われるでしょうよ」


 そして玉樹は、ニッコリと善意に満ちた笑みを浮かべると、自分の胸に手を当てて言った。


「そんな犬。とっとと捨てましょうや。ああ、それがいい。そうしま……」

「……っ、嫌だ‼」


 俺は、その言葉を遮ると、クロを自分の背後に庇って玉樹を睨みつけた。


「クロと共にいるのは、俺自身が選んだことだ。コイツは――俺の友人だから」


 すると、玉樹は片眉をピクリと持ち上げると、俺をしげしげと眺めた。


「――それだけですかい?」

「ま、まだ何かあるのか。いい加減にしてくれ」

「……そうですか。ハハハ! なるほどね‼ ハハハハハ‼」


 すると、大笑いしていた玉樹は白濁した右目をぎょろりとこちらに向けると――途端に、少し興ざめしたような表情になった。


「先ほどの言葉は撤回しましょう。まだまだ、アンタは新しい人生を始められていないようだ。その目の下の隈といい、友人を『捨てろ』とまで言われたのに、禄に怒りもしないことといい――旦那、アンタ本当に犬神から解放されたんですかい? 何も……以前と変わっちゃいなんじゃないですか?」

「……え?」

「今のアンタがするべきことは、心の底から怒ることだったと思いますがね。わかりやすく煽ってやったってぇのに……まったく、失望しましたよ」


 そして、玉樹は丸いサングラスを指で持ち上げると、ニタリと笑った。


「白井家と言えば、かつては超一流の祓い屋と呼ばれていたでしょうに。感情も上手く表せない、祓い屋でもなくなったアンタに、どんな価値があるんですかい?」

「…………!」


 咄嗟に、自分の胸に手を当てる。

 ……そうだ。今、俺は怒るべきだった。大切な友を捨てろだなんて、絶対に受け入れられない話だ。なのに。なのに、どうして――……胸の奥が空っぽなのだろう。

 どうして、そこから怒りが湧いてこない?


「やめな‼ 玉樹」


 するとその時、誰かが割り込んできた。

 その声の主を確認した玉樹は、やれやれと言った風に肩を竦めた。そこにいたのは――八百比丘尼だ。八百比丘尼は、美しい顔に怒りを迸らせて玉樹を睨みつけている。

 それを見て、俺はどこか冷静に「これが怒りか」なんて場違いなことを考えていた。


 すると、玉樹は大きく息を吐いて、くるりと踵を返した。


「今はお呼びじゃないようで。なら、自分は退散することにしましょう。……ああ、旦那。犬神さんを『いらない』と思ったら、すぐにでも自分の所に来てくださいよ。知りたいことを教えてやりますよ。何せ、自分はとても親切なのが売りでね」


 そしてまた不穏な言葉を口にした玉樹は、どこかへ行ってしまった。

 俺は困惑したまま、その姿を見送ることしかできなかった。ぽっかりと、何にも浮かんでこない心に戸惑いを覚えながら――クロが俺を心配そうに見つめているのを知りながらも、動けずにいた。


 すると、そんな俺に八百比丘尼が声をかけた。


「……薬屋の水明と言ったねェ。やだよ、真っ青じゃないか」


 そして八百比丘尼は、イライラと顔と頭巾の境目を手で掻くと――どこか忌々しげに言った。


「まったくもう、困ったもんだね。アンタみたいな整った顔をした奴が、青っちろい顔をしていると、まるで人形みたいで気味が悪い。仕方ない、アンタに仕事を依頼してやる。面倒を見てもらいたい魂があるんだ」


 俺は、ゆっくりと八百比丘尼を見た。


「きっと、今のアンタにぴったりの仕事だよ。受けてくれるね?」


 美しい顔をした尼さんは、どこか不満げに――俺をじとりと睨みつけていた。


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