大歩危の爺3:岩陰に潜むもの
日刊ローファンタジー1位、獲れました〜!
昨日の夜のランキングだけですけど……! 頑張った!
ブクマ、評価のポイントのおかげです。ありがとうございます!
ゆっくりじっくり。じわじわと頑張って参ります!
――灼熱地獄を抜けた先。地獄の岩の隙間を通って、大きな木の虚を抜けると、そこは現世に繋がっている。徳島県にある大歩危峡は、吉野川中流域に位置する渓谷だ。
私は虎くらいの大きさになったにゃあさんの背からひらりと降りると、辺りを見回した。
気がつくと、既に陽が沈んでしまっていた。
夜の山はかなり冷え込んでいて、肌が粟立っているのがわかる。
空には、満天の星空。
灯りひとつない山の中は、漆黒の闇に沈んでいて、虫の声がする以外はひっそりと静まり返っている。けれども、周囲に灯りがないぶん、空の星が綺麗に見える。
「……綺麗」
ちかちかと星が瞬く、現世の澄み切った夜空。
私は隠世とは違う光景に見惚れ、無言で空を見上げていた。
すると、誰かにがしりと肩を掴まれた。深く嘆息して、後ろを振り向くと、すぐそこに顔色の悪い水明の顔があった。
「……お、まえ。正気なのか。灼熱地獄の上を猫に乗って飛ぶなんて。おかしいんじゃないのか」
「そうかなあ。東雲さんと出かけるときは、いつもこうだけど」
隠世は、あやかしの世界でもあるけれど、死後の世界でもある。だから、何の変哲もない扉を開けた先は、地獄が広がっているなんてままあることだ。地獄は日本中どこへでも繋がっていて、しかも物理法則があべこべになっていたり、時空が捻れていたりする。だから、道さえ知っていれば、遠くまであっという間に移動することが出来るのだ。
すると、水明は真っ白な髪をぐしゃりとかき混ぜると、ぶつぶつとなにやら呟きだした。
「なら、その東雲とやらが変なんだ。……そもそもなんで猫が飛ぶんだ。意味がわからない」
――なんだか、お疲れみたいだね?
私は、リュックを探って持参した水筒を取り出すと、水明に手渡した。すると、水明は水筒をひったくるように受け取ると、中身を一気に飲み干した。それで、漸く人心地ついたようだ。
するとその時、どこからか聞き慣れない声がした。
「おやあ。いつ戻ってきたんだい?」
すると、ぼう、と青白い炎が周囲に浮かび上がった。
それは火種がないのにも関わらず激しく燃え盛り、ゆらりと宙を舞い、私たちの周囲を掠めるように飛び交っている。
「……鬼火? いや、違うか」
鬼火とは、火の気のない場所で不思議な炎が燃える現象のことだ。主に、狐が起こす現象として知られている。けれど、ここは徳島だ。徳島といえば、狸のあやかしの本場……阿波狸合戦が有名な場所だ。
「狸火かな」
ぽつりとそう呟くと、近くの茂みの中から、ちょこちょこと小さな狸が出て来た。予想が当たって嬉しく思っていると、狸は小鬼となにやら話し、くるりと踵を返して誘うように尻尾をゆらゆらと振った。小鬼は小走りで私に近づくと、嬉しそうに手を引っ張った。
「おねえちゃん。あの狸がついて来いって」
「道案内してくれるの? 良かった!」
この暗闇の中、山爺の棲み家に辿り着くのは一苦労だ。案内がいた方が楽に違いない。それに、狸の可愛いお尻を見ながら歩くなんて、なんとも乙じゃないか。
私はうきうきで狸の後に続こうとした。けれども、腕を引っ張られて足を止める。そして、少しだけ辟易しながら、腕を引っ張った主をギロリと睨みつけた。
「もう、何!? さっきから……!」
すると、水明は深く深く嘆息して、私をじっと見つめた。
そして無表情のまま、ぼそぼそと言った。
「山の中で、狸に着いて行くなんて、お前は本当に馬鹿なのか? 化かされに行くようなものだろう」
「化かされないわよ。寧ろ、化かされたっていいじゃない。そういうこともあるわよ」
「お前は……」
私の言葉に、水明は苛立ちを露わにすると、拳を強く握りしめて俯いてしまった。
すると、突然にゃあさんが私の足下にすり寄ってきた。そして、きらりと瞳を光らせて言った。
「夏織はいつもこうだから、早々に諦めるのね。それに、この子にはあたしがついているから、大丈夫よ。さっきも見たでしょう? あたしはただの猫じゃない。見くびらないでおくれよ」
「……しかし」
「しつこいね、お前。……ああ、まさか」
すると、にゃあさんの体がみるみるうちに大きくなっていく。みし、みしと筋肉と骨が軋む音がして、存在が異常な程に膨れ上がる。先ほどまでは、ただの太った黒猫だったにゃあさんは、気がつけば見上げるほど巨大になっていた。
にゃあさんは鋭い牙をむき出しにすると、ぬう、と水明に噛みつかんばかりに迫った。
「あたしが、狸ごときに負けるとでも?」
にゃあさんの口の端から、紅い炎がちろりちろりと漏れている。そんな彼女を、私は冷静に見つめていた。付き合いの長い私ならわかる。にゃあさんは、水明をからかって楽しんでいるだけだ。にゃあさんが本気に怒っていたのなら、水明は今頃人の形をしていないだろう。
けれど、脅しとは言え効果は覿面だったらしい。水明は自分の顔に落ちてきた涎を脂汗ごと拭うと、にゃあさんに素直に謝っていた。
*
狸の尻尾を眺めながら、細い獣道を進んでいく。
夜の山の闇は濃い。けれど、狸火のお蔭で、さして苦労せずに歩くことが出来た。虫の騒がしい声を聞きながら、ふと水明の様子を伺うと、意外なことにすいすいと私たちの後を着いてくる。どうやら、山道は歩き慣れているらしい。まあ、祓い屋ともなると、あやかしを追って山に分け入ることも多い。つまりはそういうことなのだろう。
すると、遠くから川のせせらぎが聞こえて来た。
「ほら、吉野川だよ。もうすぐだね」
小鬼の言う通り、そこから数分も歩くと、大歩危峡に到着することが出来た。太古の昔に出来たのだという、変成岩に囲まれた渓谷は、星々に照らされて薄ぼんやりと光っている。
私はにゃあさんの背に乗ると、一足飛びに渓谷の底に辿り着く。今日も吉野川はゆったりと流れている。青緑色の美しい流れは、日中であれば遊覧船やカヌーがのんびりと浮かんでいるのだけれど、既に深夜に差し掛かろうとしているこの時間は人気はなく、月明かりを反射して水面が煌めいているだけだ。
「あそこの岩の裂け目の奥だよ。行こう!」
「お、おい……! 置いていくな……!!」
私たちは、岩の上に置き去りにされた水明の声を後方に聞きながら、裂け目を目指して進んで行った。
*
「おうい、山爺〜」
適当に声を掛けながら、岩の裂け目の中に入っていく。足下には、なにやら動物の骨が多数転がっていて、ジャリジャリして歩きづらい。岩肌はじっとりと濡れていて、水滴が落ちる音が鳴り響いている。それに、奥に行けば行くほど空気が淀んで重くなっていく感じがして、私は思わず足を止めた。
「……どうした?」
「しっ」
奥に進もうとする水明を引き止め、じっと暗闇に目を凝らす。
狸火の灯りが届かない、ねっとりと練り上げられた墨汁のような濃い闇の向こうに――何かがいる。
「……山爺?」
恐る恐る、声を掛ける。すると、何かが勢いよく襲い掛かって来た。
咄嗟に、水明の手を掴んで横に転がる。すると、じゃくん! と何かが削れる音がして、背中に冷たいものが伝った。
見ると、岩で出来ている地面が、まるでアイスクリームを掬った跡のようにえぐれているではないか。更には、その直ぐ側に人型のなにかが蹲っていた。
――ばり、ごり、ごり。
それは削り取った地面を咀嚼すると、ペッと吐き出した。そして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。途端、狸火の光がそれを照らし出し、闇に隠れていた姿が露わになった。
その姿は、正しく異形。身長は然程大きくなく、100センチあるかどうかくらいだ。全身が鼠色の短い毛で覆われており、一見すると大きな獣のように見える。
けれども、それの中で異彩を放っているのは、大きな目だ。双眸のバランスがなんとも歪で、片方の目は潰れそうなほど小さいのに、もう片方の目は顔の面積をほぼ占めるほどに大きい。そいつは、血走った目で、ギョロ、ギョロ、と周囲を見回すと、細かい牙がびっしりと生えた口をにたりと歪ませた。
「……山爺。久しぶりだね。随分と――ご機嫌みたいじゃないかッ!!」
私は、勢いよく飛びかかってきた山爺から身を躱して、にゃあさんに目配せする。すると、にゃあさんは虎ほどの大きさに変化して、山爺に襲い掛かった。ふたりは、お互いにもつれ合うようにして、狭い裂け目の中で暴れている。私は、壁際で立ち尽くしている水明に声を掛けた。
「ねえ、水明。祓い屋なんでしょ? 山爺の動きを、止められない?」
「……あ、ああ」
すると、水明は腰に着けていたホルダーから何かを取り出した。それは硝子製の試薬瓶のようだった。水明は流れるような動きで、その蓋を取ろうとして――止めた。そして、じっと試薬瓶を見つめると、そのままホルダーにしまい込み、私に向かって頭を下げた。
「――すまない。……今は、戦うための手段を持ち合わせていないんだ」
「今は?」
「……色々と事情があってな」
「そっか」
私は水明に背を向けると、リュックの中から薬を入れてきた袋を取り出した。そんな私を、水明は心底不思議そうな顔で見ている。
「……役立たずと罵らないのか」
「なんで?」
更に変なことを言い出したので、水明の方を振り返る。
すると彼は、相変わらずの無表情で私を見下ろしていた。けれど、どことなく落ち込んでいるようにも見える。私はため息を吐くと、水明の前に立ち、その薄茶色の瞳を覗き込んだ。
「役立たずだと罵られないといけないの? 君は、随分と大変なところから来たんだねえ。じゃあ、私も怒られなくちゃいけないね。私はあやかしたちと違って、特別な力なんて持っていないもの」
「そうなのか?」
「そうよ。普通の人間だもの。……でもね、私にも出来ることがある」
私はリュックから取り出したものを水明の手にも握らせて、にっこりと微笑んだ。
「これがあれば、万事解決よ。さあ、頑張ろう!」
「……ちょっと待て」
私は顔を引き攣らせている水明を尻目に、山爺の様子を伺う。すると、にゃあさんの華麗なる活躍のお陰で、山爺は地面に押さえつけられて動けなくなっていた。私は用意したものを両手に持って、じりじりと山爺に近づく。すると、岩の裂け目の中に、困惑気味な水明の声が響いた。
「おい。これはどう言うことだ。ふざけるのもいい加減に」
「ふざけてなんていないわ。だって――」
私は右手にカミソリ、左手に湿布を持ち、押さえつけられても尚、暴れている山爺の傍に立った。狸火の灯りを反射して、カミソリの刃がきらりと輝く。
「腰痛には、湿布を貼るものでしょ?」
私はそう言うと、カミソリを山爺の腰辺りに当てて――一気に剃り上げた。そして、露わになった灰色の肌に、思い切り湿布を貼り付ける!
――パシーーーン!!
「う、ぎゃああああああああああああ!!」
途端、山爺の悲鳴が裂け目の中に響き渡った。
ふっふっふ。さぞかし染みるだろう……!! あやかし専用の湿布の中でも、一番強いやつだもの!
私は、勢いよく振り返ると、呆然としている彼を急かした。
「ほら! 水明! 早く、あんたも貼って! 山爺、腰痛で苦しんでいるじゃない」
すると、水明は頭痛がするのか、額に手を当ててボソボソと呟いた。
「――なんだ。つまりは、あれか。こいつが暴れていたのは……腰が痛くて」
「そうなのよ。山爺、腰をやってから、時々こうなるのよね。人間なら、痛かったら大人しくするものなんだけど……あやかしって、痛いと暴れるのよね。不思議よね」
私はもう一枚、パシーン! と湿布を貼り付ける。すると、山爺は悲鳴を上げてヒクヒクと痙攣し始めた。
……うーん。まだ痛そう。もうちょっと広く貼らなくちゃ駄目かなあ。
「山爺、ごめんね。もっと剃るね〜。頑張ろうね〜」
「ぐ、ぎゃあああああああああああ!」
私は山爺の腰の辺りを適当に剃り上げると、適当に湿布をベタベタと貼っていく。その度に、山爺は悲鳴を上げて、痙攣して――やがて、腰の辺りが湿布で埋め尽くされると、山爺は漸く正気を取り戻したのだった。