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ガンガラーの谷の怪異1:怪しげな物語屋

 幽世の夏は短い。


 お盆が終わると、途端に冷たい空気が流れ込んできて、夕方になると少し肌寒いくらいになる。あれだけ暑さにうんざりしていたというのに、もうすぐ夏じゃなくなると理解した途端、一抹の寂しさを覚えるのは何故だろう。


 多分、夏が特別だからだ。夏は、燦々と輝く太陽のようであり、陽光に煌めく海面のような、眩しい思い出がたくさん詰まっている。


 ――今年の夏。わが家は色々なことがあった。


 怪我をした元祓い屋の少年、白井水明を拾ったこと。徳島の大歩危峡まで、小鬼の友だちを助けに行ったこと。捜しものをしているという水明を、居候させることになったこと。貸本屋としても、富士山まで本を貸しに出かけたり、蝉のあやかしを看取ったり、しおりの持ち主を捜したりと、本当に色々あった。


 なによりも大きかったのは、水明の存在だ。


 彼と過ごした時間は、非常に濃厚なものだった。同じものを食べ、同じものを見て、同じ時間を過ごした。苦しい時に寄り添ってもらったり、逆に寄り添ったり……水明がいてくれたことで、救われたことも多い。


 そんな水明も、今や幽世の薬屋で働いている。捜していた相棒クロとも再会でき、充実した毎日を過ごしているようだ。


 色々あった夏も、もうすぐ終わりだ。

 今年の秋は、何があるのだろう。

 未来に何が起きるかなんて、誰にもわからない。

 それが、人生の面白いところでもあるけれど、ひとつだけ確かなことがある。

 ――水明が加わった幽世は、今までよりもずっと賑やかに違いない。




「はあ……」


 ここは、幽世唯一の貸本屋。

 店の奥にある母屋で、ちゃぶ台に突っ伏した私は、ひとりため息を零していた。


「水明……か」


 またひとつ、ため息を零す。脳裏には、白髪の美少年……水明の顔が浮かんでいる。胸の奥がモヤモヤして、どうにも気持ちが休まらない。彼の名前を口にすると、胸がキュッと苦しくなる。ああ、私には水明が必要なのだ、としみじみと実感する。


 今、ここに水明がいてくれたなら。

 この胸のモヤモヤが晴れて、心も体も満たされるだろうに。


「水明……欲しい……」


 熱い吐息を零して、遠くを見る。視線の先にあるのは――台所の収納だ。うっすら開いた戸の隙間からは、空になりつつある米びつ(・・・)がちらりと覗いている。

 それを見た瞬間、想いが募って堪らなくなった私は、精一杯の気持ちを籠めて叫んだ。


「欲しい。水明の、家賃が欲しい……‼」

「――……一体、何を言ってるんです?」


 するとその時、背後から何か面白がっているような声が降ってきた。


「……あ」


 後ろを振り返ると、貸本屋と母屋を繋ぐ引き戸のところに、非常に癖のある恰好をした男性が立っていた。


 その人は、東雲さんと同年代くらいに見えた。丸いサングラスをかけていて、レンズの向こうに見える三白眼の右目は白濁している。更に、癖のある長めの黒髪に中折れ帽を被っていて、東雲さんと違ってきちんと整えられた顎髭に、開襟シャツの上には羽織を着て、右腕を服の中に隠している。

 特に、羽織はやたらとド派手で、会うたびに柄が変わる。今日は、江戸時代の美人画をモチーフにしたものを羽織っていて、白粉を塗った女性が流し目を送っている柄だった。それがまた、彼の癖の強さを増しているように思えた。


 その人の名は玉樹(たまき)という。東雲さんの古い友人で、私も幼い頃から知っている人だ。

 私はへらりと笑うと、玉樹さんに挨拶をした。


「あ、こんにちは」


 すると玉樹さんは、眉間に皺を寄せた。


「……一応聞きますがね、さっきの言葉の意味は何ですかい?」


 どこか笑いを堪えているような……けれども、呆れも混じった声。私は、少し恥ずかしく思いながらも答えた。


「いや、水明――こないだまで、うちに居候していた人が払ってくれていた家賃があれば、あの中身が減りに減った米びつを、特Aクラスのお米で満たせるのになーって」


 玉樹さんは呆れ返ったような目で私を見ると、指でサングラスの位置を直した。


「男が欲しいのかと思っちまいやした。あんまし、オジサンを驚かせないでくださいよ」

「誤解させちゃった? ごめん」


 わが家は貸本屋を営んでいる。けれども正直、それだけではなかなか食べていけなかった。幽世で生きているあやかしの中には、金銭を持たずに原始的な暮らしをしている者も多い。店長である東雲さんは、そんなあやかしたちにも、別け隔てなく本を貸してしまう。


 貰うのは、代金ではない。あやかしたちが持っている「面白い話」だ。一応、それを金銭に変える方法はあるにはあるのだが……すぐに、というわけにもいかないのだ。そのせいで、わが家の家計はいつも逼迫している。


 なにせ、私が現世でアルバイトをして家計を助けているくらいだ。だから、水明が居候している間に払ってくれていた家賃には、すごく助けられた。彼がいなくなってから、わが家の食事の質の低下が著しい。


「お肉は我慢できるけど、やっぱりお米は主食だからね。一度、美味しいものに慣れちゃうと、安いブレンド米に戻るのが本当にしんどくてさ。アルバイトでも増やそうかな、と思ってたところ」


 私の言葉に、玉樹さんは片眉をピクリと動かした。しかし次の瞬間には、少し厭味な笑みを浮かべて言った。


「ふむ? そうなれば、あの馬鹿が嘆くでしょうな」

「馬鹿って東雲さん?」

「他に誰がいるんですかい。最愛の娘が帰ってこなくて、不機嫌になるのが目に見えるようですなあ。なるほどなるほど。なかなかに愉快じゃないですか。お嬢さん、シフトをガンガン入れちゃいやしょう」

「それはあんまりにも可哀想じゃない?」

「別にいいでしょ。娘にべったりなあの野郎にはそれくらいで」


 玉樹さんは、ククク、と喉の奥で笑っている。そして、おもむろに部屋の中を一瞥すると、私に尋ねた。


「ところで、東雲はどこにいったんです?」

「いるはずだけど……あれ?」


 東雲さんの部屋は、居間の隣にある。いつもなら、執筆している養父の背中が見えるのだが、いつの間にか姿が消えている。部屋を覗き込んでみても、書きかけの原稿が散らかっているだけで、やはり本人の姿はない。


「あらー……」

「逃げやしたね」


 玉樹さんは、チッと舌打ちをすると、どかりと畳の上に座り込んだ。


「帰るまで待たせてもらいましょうかね。茶を淹れてくれますかい?」

「あ、はい」

「まったく、手の焼ける男だ。逃げられるわけがないのに」


 私はブツブツ文句を言っている玉樹さんに苦笑しながら、お茶の用意をしに台所に向かった。




 玉樹さんは、「物語屋(ものがたりや)」という仕事をしている。


 それは一風変わった仕事で、あやかしにまつわる物語を蒐集して、好事家に販売するというものだ。……そう。先ほど述べた、東雲さんが客から金銭の代わりに聞いた「面白い話」を買い取っているのが玉樹さんだ。

 玉樹さんから貰える報酬は、わが家の貴重な収入源となっている……が、東雲さんが結構な遅筆なせいで、なかなかお金にならないというのが現状だ。


 今日、玉樹さんはその原稿を回収にきたらしい。

 ……そして、東雲さんは原稿が間に合わずに逃げた。

 どうも、そういうことらしい。まあ、わが家ではよくあることだ。


 若干、申し訳なく思いつつ、玉樹さんにお茶を運ぶ。


「どうぞ、粗茶ですが」

「この家に、高級な茶葉がありましたっけねえ」

「うわあ。玉樹さんったら、相変わらずだねえ」

「ハハ。自分は正直なだけですよ」


 そう言いつつも、玉樹さんは氷のたっぷり入った麦茶を、美味しそうに飲んでいる。玉樹さんとは、彼がわが家を訪れるたびに話をするのだが、どうにも口が悪い。まあ、悪気はないようなので、そういう人なのだと思うことにしている。


 ――初めて会った時の水明も、こんな風だったなあ。


 ひとり苦笑していると、いきなり玉樹さんが話を振ってきた。


「ああ、そういえば。聞きたいことがあるんですが」


 玉樹さんは、白濁した右目をこちらに向けて、にやりと笑った。

 東雲さんが原稿を落とした時は、いつも烈火のごとく怒るというのに、今日はいやに上機嫌だ。そのことを不思議に思いつつも、「聞きたいこと?」と、彼に向かい合う。


「さっき、話に出てきた水明……とか言う奴ですがね。そいつはアレかい? 噂になっていた元祓い屋で合ってますかい?」

「そうだよ。幽世に迷い込んで、怪我をしていたのを拾ったのが縁でね。しばらくうちに居候していたの」


 玉樹さんは「そうですかい」と少し考えこむと、やや慎重な口ぶりで言った。


「その男。――犬神憑き、だと……聞いたんですがね」

「うん。そうだよ。相棒の犬神を捜しに、幽世に来たの。あやかしのみんなに協力してもらって、居場所を見つけたんだよ」

「ふむ?」


 すると、玉樹さんはやや前のめりになって、「それで?」と続きを促してきた。玉樹さんの、今まで見せたことのない様子に戸惑いつつも、水明たちのことを話す。絡新婦の事件を経て、紆余曲折あったけれども、無事に再会できたこと。一時は物別れになりそうだったが、結局ふたりは共に生きる道を選んだこと。


「……そうですかい」


 そこまで聞くと、玉樹さんはうっすら笑って、不思議な問いを投げかけてきた。


「それで? 犬神憑きは、『古き戒め』から解き放たれたのですかい?」

「え? 古き――?」

「その水明とやらは、犬神憑きの愚かなしきたりに、二度と縛られることがない。そういうことなのかと聞いているんですよ」

「う、うん」


 玉樹さんが言っている「古き戒め」とは、「犬神憑きの人間は、感情を殺さなければならない」という制限のことだろう。


 犬神は、手に入れた者に多大な富をもたらすが、その代わりに厄介な副作用がある。犬神憑きが、誰かを羨ましく思ったりすると、対象のものを台無しにしたり、取り憑いて病気にしたり、激痛を与えたりするのだ。

 そんな人間が、生計を立てていく上で、感情を持つことは邪魔にしかならない。どんな感情が「嫉妬」に繋がるかわからないからだ。だから、犬神憑きの家は、犬神の使役者に感情を持つことを禁じた。それは祓い屋として生きるためには必要なことだったのだ。


 それは、人間が人間らしい感情を持つことすら厭う、忌まわしいしきたり。


 水明も、「感情を殺せ」と教わって生きてきた。まあ、今はそんなしきたりから解き放たれ、感情を制限する必要はなくなったのだが……。


「ねえ、玉樹さん。どうして犬神憑きとか、しきたりのことに詳しいの?」


 不思議に思って、玉樹さんを見つめる。こんなこと、誰もが知っている情報じゃないはずだ。この人は、どこか食えないところがある。どちらかというと単純思考の東雲さんと違って、かなり捻くれているから、考えが読めない。

 すると、玉樹さんは麦茶のコップに口を着けて言った。


「……自分は物語屋ですからねえ。祓い屋の話は、物語の蒐集をしているとよく耳にするんですよ。その関係で、犬神憑きのこともそれなりに知識がありやして」

「あ、なるほど。そういうことなんだね」


 何故か、ホッとして笑みを零す。玉樹さんは、ククク、と喉の奥で笑っている。するとその時、何かを思い出したのか、玉樹さんはおもむろに鞄を漁り始めた。


「そうだ。忘れるところでした。仕事を持ってきてやったんですよ」


 そして、中から一通の茶封筒を取り出すと、私に差し出してきた。 

 茶封筒を受け取って、中身を確認する。どうやら、依頼書のようだ。

 内容を確認すると、どうやら沖縄のあやかしから依頼が来ているらしい。


「これって……? ええと、本を持っていけばいいのかな」

「さあ」

「さあって……玉樹さんが持ってきたんでしょう?」


 すると、玉樹さんはややキツめな印象を与える瞳を、すうと細めて平坦な口調で言った。


「その依頼を預かったのは自分ですがね、それをどう『為す』かは任せますよ。すべては、そこに記してある――最善を尽くそうが、粗野な仕事をしようが構いません。その仕事が報酬に見合うものなのか、時間を割いてまでやるべきことなのか。自分で判断するんです。すべて――お嬢さん次第ってことでさ」


 玉樹さんは、そう言うと勢いよくコップを傾け、麦茶を飲み干した。

 私は、じっと手もとの依頼書を見つめた。玉樹さんの謎掛けみたいな言葉を頭の中で噛み砕き、冷静に考える。

 そして私は、この仕事を受けることに決めた。


「わかった。やってみる!」

「よろしく頼みますよ。あと――」


 すると、玉樹さんはいきなり立ち上がると、おもむろに東雲さんの部屋にある押入れの前に立った。そして、勢いよくそれを開けて言った。


「コイツを借りていきますよ。――原稿を仕上げさせにゃいけません」


 小気味いい音がして開いた押入れの中に、大きな体を縮こませた東雲さんが蹲っている。狭い場所にいたからか、若干、ヨレヨレしている養父は、気まずそうな笑みを浮かべると――さっと片手を上げて言った。


「……よ、よう。どっちかってぇと、俺は、アルバイトは増やさないで欲しい派だ」

「「……はあ……」」


 私と玉樹さんは、同時に深く嘆息すると、逃げ出そうとする東雲さんを捕まえるために、動き出したのだった。


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