大歩危の爺2:隠世では常識です
小鬼の紅葉みたいな手を握って、隠世特有の不思議な星空の下を並んで歩く。
幻光蝶を周りに侍らせて、時々不安そうに見上げてくる小鬼に笑いかけながら、先導する黒猫のにゃあさんの後ろをついて行く。
「――おい」
ポケットから紙の包みを取り出して、そこからふたつ「星」を取り出す。そして、黄色と薄桃色のそれを、自分の口と小鬼の口に放り込んだ。
途端、それは口の中でほろほろと崩れて、舌の上いっぱいに優しい甘さが広がる。
それは甘い、甘い金平糖。砂糖で出来た「星」は、簡単に幸せを連れてきてくれる。
「――おい。聞いているのか」
小鬼は、突然口に入れられた金平糖に一瞬驚いた顔をしたけれど、次の瞬間には頬を真っ赤に染めて、蕩けるような笑みを浮かべた。ふくふくのほっぺを紅葉の手で抑えて、ほう、と満足気に息を吐く。そして、キラキラとした眼差しで私を見上げた。
――ああ、滅茶苦茶可愛い!
「無視するな」
「ぐえっ」
その時、急にパーカーのフードを引っ張られて息が詰まった。私はじろりと後ろを振り返ると、仁王立ちになった。そこには、憮然とした表情の水明が立っていた。
「なにするのよ! それに、なんで着いてくるのよ。家で寝ていなさいよ。看病が必要な重傷人なんでしょう!?」
「……仮にも命の恩人が、危険な場所に行こうとしているのに、黙って見過ごせるか」
水明はそう言うと、私の腕を強く掴んだ。私は何度か瞬きをすると、じっと目の前の整った顔を見つめた。出会ったときから思っていたけれど、彼はあまり声を荒げたりしない。それに、顔に感情があまり現れない質のようだ。けれど、目の前にいる彼の瞳は揺れ、どことなく不安そうに見える。どうやら、本気で私を心配してくれているらしい。
「……あんたって、意外といい奴?」
思わずぽつりと漏らすと、水明はぐっと眉根を寄せた。
「……意外とはなんだ。山爺と言えば、山姥とは違ってあまり人を襲うとは聞かないが、子どもや家畜を攫ったりする伝承も残っているだろう。お前のような普通の人間が、のこのこと会いに行っていいものじゃないと思うのだが」
私はふうん、と薄目で水明を見ると、にゃあさんに話しかけた。
「ねえ、現世の人って、普通こんなにあやかしに詳しいっけ?」
「さあねえ。あたしも長いこと現世にいたけれど、あまり見たことはないねえ。まあ、詳しい奴はいるにはいるだろうけれどね。そうだねえ、マニアか、研究者か、作家か――若しくは、祓い屋か」
すると、にゃあさんが「祓い屋」と口にした途端に、水明の目が泳いだ。
……なんて、わかりやすい奴!
彼の表情筋は死んでいるようだけれど、その代りと言わんばかりに、瞳はえらくお喋りだ。
私はニヤニヤと笑いながら、水明の肩にぽんと手を置く。そして、耳元で囁いた。
「何を思って隠世に来たのか知らないけれど――ここには、祓い屋を恨んでいるあやかしがごまんといる。正体がバレたら、何をされるかわかったものじゃないわ」
「……」
「これは忠告だよ。私を心配してくれたお礼でもある。あやかしに頭から齧られる前に、家に帰った方がいいよ」
すると、水明はふい、とそっぽを向いてしまった。
「帰りたい家など、俺にはない。それに、隠世に来たのはちゃんと目的があってのことだ。手違いで怪我をしてしまったが……だから、帰ることは出来ない」
「ふうん」
……一体、手違いとはなんだろう。大通りで血を流して倒れていたことと、関係があるのだろうか。
私は、じろじろと遠慮なしに水明を観察した。
水明は、見るからに若い。多分、私と同い年くらいだろう。祓い屋と言えば、年寄りが多いイメージだ。それに、あやかしと対決する祓い屋を見たことがあるけれど、じゃらじゃらと意味のわからない護符やら、石やらを身に着けていた。けれど、彼はとても身軽な格好をしていて、別に強そうに見えない。
――もしかして、彼は祓い屋としては駆け出しなのだろうか。駆け出しなら……色々と余地がありそうだ。
「……よっし!」
私はぽんと手を叩くと、にっと歯を見せて笑った。すると、視界の隅でにゃあさんの顔が引き攣ったのが見えた。
「待って、待って! 夏織がそう言う顔をすると、碌なことがないんだから!」
にゃあさんは、ふかふかの肉球で私をぺしぺしと叩いている。爪を立てないところが、にゃあさんの優しいところだ。私は、昔からの親友を愛おしく思いながらも、訳がわからず戸惑っている水明の腕を掴んだ。
「じゃあ、水明も一緒に行きましょ。常々思っていたのよね。祓い屋だって、あやかしの本当の姿を知れば仲良くなれるって! 何事も経験だし、決まり!」
「いや、ちょっと待て。なんだその理屈は……」
「小鬼くんも手を繋いで〜。さあ、行こう!」
そう言うと、私はふたりを引き連れて、意気揚々と通りを進む。
……はあ。
にゃあさんの吐いたため息が、風に乗って通りに響いていった。
*
「……なんだここは」
水明が変な顔をしている。その前には、暗い路地裏の奥まった場所にある、古びた木製の扉があった。
私はそんな水明には構わず、ウェットティッシュで小鬼の手を拭いてやっていた。私があげた金平糖を大切に大切に握りしめていた小鬼は、溶けてしまったそれを見て泣きそうになっている。
「お星さま、溶けちゃった……」
「またあげるよ。今度は包み紙も用意しなくっちゃね」
私は手で小鬼の涙を拭ってやりながら、今度会った時に必ず用意すると、指切りをした。
「夏織は、相変わらず優しいねえ」
「にゃあさん、うるさい」
にゃあさんがおちょくってきたので、唇を尖らせて反論する。にゃあさんは左右色の違うオッドアイの瞳を細めると、ペロペロと顔を洗い始めた。すると、痺れを切らしたのか、水明が私に尋ねた。
「大歩危の山爺に会いに行くのだろう? 大歩危と言えば、徳島県だよな。飛行場か駅に行くんじゃないのか」
「えー。現世の交通手段で行くの? そんなの、いつ到着するかわからないし、今からじゃ無理。そもそも、そんなものに乗るお金がない!」
「じゃあ、何で行くんだ……」
「そんなの決まってるでしょう?」
私は呆れ気味に水明を見ると、扉を勢いよく開けた。
その瞬間、ごう、と熱風が頬を撫でる。扉の向こうは、赤い炎が燃え盛る灼熱地獄だ。死者のうめき声が、鬼の怒鳴り声が、炎の燃え盛る音に混じって聞こえてくる。死者の身を焼くために、轟々と焚かれている炎の熱が、肌を焼いてチリチリと痛む。
水明は、恐る恐るといった風に扉の中を覗き込むと、さっと青ざめた。そして、信じられないものを見るような目で私を見た。
私は水明の驚いた顔に満足すると、にやりと不敵な笑みを浮かべた。そして――。
「近道するのよ」
そう言って、水明の腕を掴むと――ひらりとその中に飛び込んだ。
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