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シロツメクサの想い4:あやかしの養父と人間の娘

 ナナシに言われてやって来たのは、那須高原だ。


 都内に渦巻く、恐ろしいほど熱と湿気を孕んだ空気とは違って、高原に吹く風はどこまでも心地よい。少し離れた場所では、のんびりと牛たちが草を食んでいる。一面に生えているのは、シロツメクサだ。三枚の葉を風に揺らし、寄り添うようにして太陽の光をいっぱい浴びようと天を仰いでいるクローバー。その合間からは、控えめに白い可憐な花が顔を覗かせている。


 灼熱地獄の上空を通ってきた私たちは、到着するなり高原の涼しい風に出迎えられ、思わず頬を緩めた。私は、にゃあさんと水明に目配せをして、ひとりで草原に一本だけ生えている木の下へと向かう。


 そこには、いつもどおり小袖を着崩し、だらしない格好で煙管を咥えている東雲さんの姿があった。



「……お店は?」



 そう声を掛けて、隣に腰掛ける。すると、東雲さんはちらと私に視線を向けて、なんとも複雑そうな表情を浮かべると、ぼそりと言った。



「客に任せてきた」

「なにそれ」

「常連だから、問題ない」



 客の中には、思うさま本を読めると、喜々として店番を買って出る人もいる。今日もそう言った手合いに任せてきたのだろう。何という緩さ。最近の現世(うつしよ)では絶対にありえないことだ。



「サボってんだあ」



 私がからかい混じりにそう言うと、東雲さんは青灰色の瞳を細めて、まるで子どもみたいに唇を尖らせた。



「うるせいやい」



 養父のその様子は、おっさんなのに随分と可愛らしい。堪らず噴き出して、クスクスと笑っていると、東雲さんはお返しとばかりに私の頭をくしゃくしゃに撫でた。

 暫く、親子でそんなことをしながら穏やかな時間を過ごす。他愛のないことを話しながら、目の前に広がる草原を眺める。


 強い夏の日差しに照らされた草原は、木陰から見ると、眩しいくらいにキラキラと輝いている。すると、幼い頃にここで過ごした記憶が蘇って、思わず笑みを零した。



「……昔、よくここに連れてきてくれたね」

「人間は、日光を浴びなけりゃいけないからな」



 隠世は常夜の世界だ。人間の体は、日光を浴びることによって、様々な恩恵を受けられる。そもそも隠世の環境は、あやかしは兎も角、人間の子どもを育てるには向かない。だから、東雲さんは度々私を現世に連れ出してくれた。

 ここも、その場所のひとつだ。



「にゃあさんと追いかけっこしたり、皆でナナシの作ったお弁当を食べたり。楽しかったなあ」

「……」



 東雲さんは、私の言葉を黙って聞いている。

 ぼうっと煙管を吹かしているその姿は、比喩でもなんでもなく、今も昔も全く変わっていない。東雲さんはあやかしだ。人間の私からすれば、信じられないほど永い時を生きている。そんな人が自分の養父なのだ。縁とは不思議なものだ。



「……さっきはごめんね。傷ついた?」



 昼頃の私の「ウザい」発言で、東雲さんはナナシのところで愚痴っていたらしい。言い過ぎたかと謝ると、東雲さんは苦笑しながら首を振った。

 いつもと変わらぬ様子に、ホッと胸を撫で下ろす。そして、今日一日私が気にかけてきたものを鞄から取り出した。



「この栞、東雲さんのなんだって?」



 すると、東雲さんは何度か目を瞬くと、勢いよく私の手から栞を奪い取った。見ると、耳まで真っ赤になってしまっている。


 こんな風に、真っ赤になっている東雲さんは珍しい。思わずじろじろと見ていると、彼は非常に言いにくそうに、ぼそりと言った。



「……探してたんだ。すまん」

「そっか。よかった。……で、その栞なに? 随分と古いけど。東雲さんが押し花の栞を使うイメージなかったからさ。すぐにわからなかったよ。お陰で、持ち主を探して随分とあちこち探し回ることになっちゃった」

「あー……」



 東雲さんは落ち着かない様子で体を動かすと、煙管を咥えた。そして、ちらちらと私に視線を寄越しながら言った。



「この……栞の花な。これは、初めてこの場所に連れてきたときに、お前に貰ったんだ。枯れちまうのが忍びなくて、こう……本の下敷きにしてみたら、意外と綺麗に押し花が出来た。だが、その後どうすればいいかわからなくてな。すぐに千切れちまいそうだったし。そしたら、ナナシが栞にしろって言い出したんだ。そんで、まあ……作ったんだよ」

「東雲さんが……!?」

「ああもう、そうだよ! ちくしょう! 全部、俺がやった。職人に任せようと思ったのに、ナナシの野郎、面白がって全部やらせやがったんだ」



 恥ずかしいのか、東雲さんはバリバリと頭を掻き、こちらを見ようともしない。


 ――私があげた、シロツメクサと四葉のクローバーを?


 正直なところ、ここに来た記憶はあれど、草花をプレゼントしたかどうかまでは覚えていない。まあ、これだけシロツメクサが生えているのだ。四葉のクローバーくらい探すだろうし、花冠のひとつでも作るだろう。

 それを、この養父は態々(わざわざ)栞に仕立てて、最近まで使ってくれていたのだ。

 ……洗濯物すら碌に畳めないような、不器用なこの人が。


 私は嬉しくなってしまって、そっぽを向いている東雲さんの背中を無言でバンバンと叩いた。だって、なんて言っていいかわからない。ありがとうも違うし、茶化すのも違う。

 東雲さんは「痛い!」「やめろ!」なんていいながら、私の手を躱そうと必死だ。

 そして、東雲さんは半ば自棄糞気味に叫んだ。



「ああ、ちくしょう! ナナシがばらしたんだな。なんなんだ、あいつは! 折角、威厳ある格好いい父であろうと頑張っているっつうのに」



 台無しだ、とぶつぶつ呟いている東雲さんに、私は何度か目を瞬くと、盛大に噴き出した。

 私の笑い声が、草原の風に乗って響いていく。ひらりと、名も知らぬ黄色い蝶が飛んでいる。そんな私を、東雲さんは困りきった顔で見つめている。でも、どうしても笑いが止まらない。

 別に、馬鹿にしている訳じゃない。

 私を想って、立派な父親であろうと努力してくれているのが、嬉しくて堪らなかったのだ。



「あー、お腹痛い!」



 漸く笑いが収まった頃、お腹を摩りながらそう言うと、東雲さんは憮然とした顔のまま私を見つめていた。私は座る位置をずらして、東雲さんに近寄る。そして、東雲さんの肩に頭を預けて寄りかかった。



「馬鹿ね。東雲さんは格好いいよ。それに頼りになるし……自慢の養父(とう)さんだよ」



 東雲さんが小さく息を飲んだのが、気配でわかった。ちらりと視線だけで様子を伺うと、まるで茹で蛸みたいに赤くなっているではないか。それに気づかないふりをしながら、更に言った。



「ね、私も東雲さんが自慢出来るような娘になっている?」

「……あ、あたりまえだろうが! うちの娘は隠世一だ!!」

「……言い過ぎ」

「言い過ぎじゃねえ。至極まっとうな評価だ」



 やけに自信満々で返って来た返事に、また笑いが込み上げてくる。私が肩を揺らして笑っていると、やがて東雲さんも釣られたのか笑いだした。


 ――ねえ、東雲さん。


 声に出さずに養父に心の中で語りかける。


 ――私が、たとえお婆ちゃんになったとしても、東雲さんの娘でいてもいいのかなあ。


 それは絶対に口に出せない、秘めた想い。

 永い永い時を生きるあやかしの東雲さん。

 短い時を、駆け抜けるように生きる人間の私。


 私と東雲さんに流れている時の速さは、あまりにもかけ離れている。


 ふと、佐助とはつ(・・)のことを思い出して、地面に視線を落とす。

 ――いつかは、絶対に訪れる別れ。きっと、私が死んだら東雲さんは悲しむだろう。

 それを知りながらも、離れがたくて、傍にいたくて……幼い頃から、私を守ってくれたこの人が大切で。大好きで。


 悲しませたくない。けれど時間が許す限り、一緒にいたい。そんな矛盾を抱え込むはめになるのだ。


 私はひとしきり笑うと、わざと気楽そうな風を装って言った。



「そんなに言われたら、しゃあないなあ。……これからも自慢の娘でいるように、努めようじゃないか」

「おっし。俺もだ。やってやる」

「じゃあ、毎朝私が起こす前に起きてね。無精髭も剃って、お昼ご飯も食べること。小袖ははだけさせない! 身なりをピシッとする!」

「ぐっ……!! それは……なんというかだなあ」



 困りきった表情の東雲さんを、じっと見つめる。すると彼は、視線を逸しつつも「努力する」と約束してくれた。

 私はにこりと笑うと、また草原に視線を戻す。心地よい風が吹く草原で過ごす親子の時間と言うものは、なんて居心地がいいんだろう。毎日、騒がしい私たちにしたら、とても珍しいことだ。

 ……折角だから、賑やかな日常が戻ってくる前に、お昼寝をしてしまおうか……。



「おい、ちょっと待て!」



 その時だ。そんなことを考えていた私の下に、水明の叫び声と共に四足で草を踏みしめる軽快な音が聞こえて来た。音がした方を見ると、目に飛び込んできた光景に、ぎょっとして目を剥いた。



「夏織ーー!! 東雲ーー!! 見て! すごいでしょう!」



 そこには、口に特大の鼠の死骸を咥え、無邪気に近寄ってくるにゃあさんの姿があった。

 途端、ぞわぞわぞわっと全身に鳥肌が立ち、思わず後退る。

 東雲さんも顔色を変え、逃げ出そうとしているのか、僅かに腰を上げた。



「オイ、にゃあ! 獲物を見せなくていい。な? すごいなー、にゃあは。だから、わかったから! 俺の膝の上に置くな! う、わあああああああああ!!」



 そうして、私と東雲さんの穏やかなひとときは、あっという間に終わりを告げ、いつもと変わらぬ賑やかな日常が戻ってきたのだった。

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