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シロツメクサの想い3:稀人がもたらしたもの

 私たちが向かったのは、沢山ある長屋の中の、とある一室だ。


 軒先に「傘修理致し〼」と書かれた看板がぶら下がる、一見普通の部屋。継ぎが当たっている障子戸を開けた先は、朱色の世界が広がっていた。


 所謂、和傘と言われる骨組みの多いその傘。目にも色鮮やかな朱色の油紙が貼られているそれは、完成された造形に圧倒的な美しさを秘めて、壁際に沿ってずらりと並んでいる。

 格子窓から差し込む光が傘に当たると、そこから朱の影が室内に伸びて、なんでもない古びた板張りの部屋を鮮やかに染め上げる。室内から匂ってくるのは、糊に油に、紙。そして、竹の青い匂い。しん、と静まり返ったその部屋は、何処か心を落ちかせる作用がある気がする。


 そこの主は、勿論、傘に関連するあやかしだ。


 世間では「お化け傘」やら「一本足」、「唐傘お化け」なんて呼ばれているそのあやかしを、私は唐傘の兄さんと呼んでいる。

 唐傘の兄さんは、黒っぽい着流しを着て、更には頭からすっぽりと傘を被っている。被った傘の飴色に変色した油紙は、ボロボロに破れてしまっていて、ところどころ穴が開いていた。唐傘の兄さんは、穴から大きな目を覗かせて栞をじろじろと眺めると、肩を竦めた。



「ふむ……拙者には、心当たりはないな」

「そうですか……忙しいのにすみません」

「いや、いいのだ。ああ、そこで待っていなさい」



 すると、唐傘の兄さんは、ひょこひょこと不自由な足を動かして、部屋の奥に引っ込んでしまった。そして、なにやらゴソゴソと探しながら、笑い混じりに言った。



「忙しいのは、悪いことではないしな。それに、拙者が忙しいのは、概ねあの河童のせいだ」



 やがて、何やら手にして戻ってきた唐傘の兄さんは、どかりと畳の上に座り込むと、こきこきと首を鳴らした。……どうも、随分と仕事が立て込んでいるようだ。

 唐傘の兄さんの言う、「河童」とは勿論遠近(とおちか)さんのことだ。彼は、隠世のあやかしからも品物を仕入れている。現世では職人が少なくなり失われつつある品でも、隠世ではまだまだ職人が現役である場合があるからだ。


 最近の和モノブームの中で、唐傘の兄さんの作る和傘は、海外ではかなりの高値で売れているらしい。遠近さんの、そういった品に対する目利きはずば抜けたものがある。



「生きていく上で、金があるのに越したことはない。そのお蔭で、本を思う存分読み漁ることが出来るのだ。人間であった頃には、叶わなかったことだ。これほど嬉しいことはない」



 唐傘の兄さんはそう言うと、糊の入った器を端に寄せた。彼は嘗て、食い詰め浪人だったのだそうだ。食い扶持を稼ぐために傘張りの内職をしていた。主家を失って落ちぶれる前は、本の虫と言えるほどには読書好きだったらしい。そんな彼の読書欲は、紆余曲折を経てあやかしとなった後も衰えを知らず、我が家の常連のひとりとなっている。


 唐傘の兄さんは、徐に持ってきた木箱を私に向かって差し出した。



「この間、これを食べたいと言っていただろう」

「……?」



 なんだろうと不思議に思って、木箱を開ける。すると、中から現れたものに目を見張った。そこにあったのは、上品な淡黄色の皮にこしあんを挟んだ――最中だ!


 ――これは、角の和菓子屋の幻の最中じゃない……!?


 思わず生唾をゴクリと飲み込むと、唐傘の兄さんはもう一度、木箱を私の方に押した。



「良かったら持っていくがいい。貰い物なのだが――拙者は、それほど甘いものは好まない」

「いいんですか!」

「勿論だ」



 すると、破れた傘の隙間から覗いている目が、柔らかく細められたのが見えた。



「いつも世話になっているしな」

「ありがとう!」

「連れの探しているあやかしも、見つけたら教えよう。ああ……それと」



 唐傘の兄さんは、もうひとつ、私に布を差し出した。それは、濃紺に染め抜かれた風呂敷だ。



「持っていけ。常連客のところを回るんだろう?」

「あ、ありがとうございます。……でも、なんでです?」



 私が首を傾げると、唐傘の兄さんはくつくつと笑った。



「すぐにわかるさ」


 *


 その後は、ひたすら常連先を巡った。



「おお、おお。よく来た、よく来た。うん? その栞のことは知らぬが、よく来たなあ。ほうれ、ほうれ。干物を持っていけ。たんと持っていけ。うん? 犬神。犬神なあ……それも知らぬが、探しておこう。ほうれ、サザエも持っていけ。一等でかいやつをもたせてやろう」



 静かな浜にある漁師小屋。そこに住んでいる海座頭は、そう言って、小屋の奥から信じられないほどの量の干物とサザエを取り出して、私たちに押し付けた。そんなに貰っても、と遠慮すると、海座頭は皺々の顔を更に皺くちゃにして笑った。



「よいのだよいのだ。ちんまいころ、儂と一緒に海で遊んでくれた。ぼうっと、海を眺めているだけの儂に、貝殻をくれた。その御礼じゃ。御礼じゃ」



 そう言うと、海座頭は小さな巾着袋を取り出し、愛おしそうに眺めた。

 ……そう言えば、浜辺に東雲さんと遊びに来た時、ひとりぼっちで海を見ている海座頭に、貝殻をあげたかもしれない。



「夏織、ありがとうな。ありがとう。干物にサザエくらい、たんとやる。持っていけ、持っていけ」



 海座頭は大きく頷くと、目尻にじわりと涙を浮かばせて、手に持った琵琶をべろん、とかき鳴らした。

 ――私は、貝殻をあげただけだ。けれどもその貝殻は、ひとり永い時を生きている彼にとって、随分と慰めになったらしい。私は心の奥がぽかぽかしてくるのを感じながら、深々と頭を下げた。


 その後も、訪ねた先々で様々なお土産(・・・)を貰った。

 皆、私の顔を見るなり相好を崩して、上機嫌で歓待してくれた。そして、気がつくと荷物がとんでもないことになっていた。



「……あらまあ。随分と大荷物だこと」



 ナナシは、風呂敷に包まれたお土産が、にゃあさんの背中で溢れんばかりになっているのを、呆れ顔で見つめている。にゃあさんは、「もう勘弁して!」と文句を言うと、荷物を降ろして、床に丸くなってしまった。


 ナナシも、この本を借りたひとりだ。けれども、残念なことに栞はナナシのものではないらしい。私は、ナナシに出してもらった冷たい茉莉花茶を飲みながら、肩を竦めた。



「もう! 皆して色々と、押し付けてくるのよ。困っちゃった」

「そりゃあね、あやかしってそんなものよ。受けた恩は決して忘れず、更には何倍にもして返す――そういうふうに出来ている(・・・・・)のだから」

「恩ってなに。私、なにかしたっけ?」

「どうかしらねえ」



 ナナシは、むくれている私を頬杖をつきながら優しく見つめている。

 そんなナナシに、私は「でもさあ」と、唇を尖らせた。



「私は手ぶらだったのに、こおんなに大量に貰っちゃって……罪悪感がすごいんだけど。御礼に、菓子折りでも贈った方がいいよね……?」

「何言っているの。そんなことしたら、返礼がすごいことになるわよ」

「うっ」



 私が頭を抱えていると、隣でお茶を飲んでいた水明が、ナナシに尋ねた。



「……夏織は、随分と皆に慕われているんだな。本当に、何もしていないのか?」

「うーん。そうねえ、したと言ったらしたし、していないと言ったらしていない」

「えっ!? 私、何したの!?」



 全く以て身に覚えのないその言葉に焦っていると、ナナシは苦笑しながら教えてくれた。



「聞いたことがあるかしら。この子はね、小さい頃すごい泣き虫だったの」

「この間、金目から聞いた。それで?」

「東雲の苦労の甲斐があって、この子も隠世に慣れたのか、それほど泣かなくなったんだけれど――逆に、あやかしと見たら、何でもかんでも近づくようになってしまってね。凶暴なあやかしにも躊躇ないんだもの、当時は大変だったのよ!」



 ……くっ、恥ずかしい……!!

 ナナシは、昔語りが大好きだ。暇さえあれば、私の幼い頃の話をする。

 正直なところ勘弁して欲しい。けれど、本人が酷く楽しそうに語るものだから、止めるのも忍びなく思ってしまって、ぐっと我慢する。すると、ナナシはそんな私を非常に楽しそうに見つめながら、話を続けた。



「あやかしと言うのはね、基本的には孤独なのよ」

「孤独?」

「ああ――なんて言ったらいいのかしら。ひとりぼっち、と言う意味じゃないわ。こうして町を作って暮らしているものね。まるで人間のように、群れのようなものを作り上げて寄り集まっては居る。けれど、お互いに干渉し合わない関係だったのよ」



 ――それこそ、隣人がある日を境に忽然と消えようと。

 ――それこそ、顔見知りが道で野垂れ死んでいようとも。


 何も感じない程度には、無関心で冷めきっていたらしい。

 水明は、ほうと興味深そうに相槌を打つと、今と随分違うのだなと首を傾げた。すると、ナナシは徐に私を指差した。



「それを変えたのがこの子――稀人(まれびと)の存在よ」



 ナナシはくすくすと笑うと、当時のことを思い出しているのか、宙に視線を彷徨わせながら語った。


 ――基本的には、あやかしは早熟である。小鬼のような、幼く見える(・・・)あやかしはいるけれど、隠世や現世に発生(・・)した瞬間、体はあっという間に成体に近いものになる。結果、幼少期と呼べる時期はほぼない。それは、銀目を見ればわかるだろう。彼は、体は成人しているものの、精神は未だ少年のままだ。


 なのに人間はと言うと、未熟なまま生まれ落ち、自力で移動も出来ず、食事も排泄も介助が必要で、更には精神も幼い。人間が自立するまでには、多くの時間を要する。あやかしとは根本的に違う。そんな人間が、ある日突然やって来た。……いや、やって来てしまった。



「この子が隠世に来たのは、丁度4歳くらいだったかしら。東雲がどこからか拾ってきた(・・・・・)その子は、目を離すと、危ないところにすぐ行くわ、転ぶわ、泣くわ……酷く手が掛かった。放って置くと、死にそうなくらい」

「……死ぬだなんて、冗談にしても言い過ぎだろう」

「冗談でもなんでもないわ。道を歩いていて、側溝に落ちたらどう? 勢いよく走り回るあやかしの前に飛び出したら? 風呂で足を滑らせたら? 口に入れた玩具を飲み込んだら? ……無関心でなんて、いられなかった。私たちは変わらざるを得なかった」



『あーそーぼ!』


 私のその一言は、一時期隠世で恐れられていたらしい。

 なぜならば、掴まったが最後、何時間も延々と遊びに付き合わされるからだ。しかも、その幼児の後ろには目付きの悪い――図体がでかくて人相の悪い貸本屋が、必死の形相で付いて回っている。万が一、怪我でもさせたら……と、あやかしたちは、肝の冷える思いをしながら、私の相手をしたのだと言う。



「もうね。最初は皆、渋々だったのよ。……でも、知らぬ間に、小さな足音が聞こえるのを心待ちにするようになった。遠慮なしに抱きしめられる温もりを、心地よく思ってしまった。無邪気な笑顔を向けてくる、人間の子どもを大切に思うようになってしまった」



 ナナシは、茉莉花茶の入ったグラスの氷をからりと回すと、穏やかな笑みを浮かべた。



「――知らず知らずのうちに胸に秘めていた寂しさ(・・・)を、夏織の笑顔に暴かれてしまったのね。笑顔を向けられる心地よさ、相手を想う温かさを知ってしまった。それからはもう、大変よ。誰も彼もが、夏織を気にして、隠世の空気がずっとソワソワしているみたいだったもの」



 そこまで言うと、ナナシは私をじっと見つめた。美しい琥珀色に見つめられて、なんだか落ち着かない。



「歴代の稀人は、隠世に劇的な変化や革新をもたらしてきた。夏織もまた、停滞していた世界を動かしたのよ。そうよね、にゃあさん?」



 すると、話を振られたにゃあさんは、無言のまま、三本の尻尾で床を叩いた。

 私はむず痒いやら恥ずかしいやらで、じっと手の中のグラスを見つめることしか出来なかった。ナナシは、ぽん、と私の頭を軽く叩く。その手付きは、どこまでも優しげだ。



「あの店の常連なんて、真っ先に夏織に落とされた(・・・・・)に決まっているじゃない。きっと皆、口にはしないけれど、我が子みたいに思っているはずよ」

「もう! ナナシ! いい加減にして!」



 色々と限界に達した私は、思わず叫んでしまった。

 ナナシは一瞬驚いた顔をすると、よしよしなんて言いながら、今度は私の頭を撫でている。その態度が、更に私の頭に血を上らせた。



「もう! どうして、東雲さんといい、ナナシといい、私を子ども扱いするのよ!」



 堪らずそう言うと、ナナシはぱっと私の頭から手を離して、軽く両手を上げた。



「はいはい。ごめんなさいね。悲しいかな、夏織はもう大人になってしまったのよね。……本当に、人間が大きくなるって一瞬だわ。あなたの成長に、中々こちらの心が追いつかないのよ」

「そんなこと言われても」



 私は自身に注がれる視線の温かさを感じながらも、自分にはどうにも出来ないことに虚しさを覚える。ナナシは、私の反応に苦く笑った。



「仕方がないわよね。流れる時の速さが違うのだもの。……だからと言う訳ではないのだけれど、あのボンクラがちょっとばかり過保護になっても、許してあげて。もう、ウジウジうるさいったら」

「え?」



 驚いて顔を上げると、ナナシはテーブルの上に置いてあった栞を指差した。



「その栞の持ち主を探しているんでしょ? ――居場所を教えてあげる」



 ナナシはそう言うと、茶目っ気たっぷりにぱちりと片目を瞑った。

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