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永遠に語り継がれる物語1

 早朝の幽世。ずいぶんと早い時間なのに、買い物をするあやかしたちで町はすでに賑わっている。東雲さんが目覚める前に店を出た私は、町中を黙々と歩いていた。


「夏織ちゃん、おはよう! いい野菜が入ったよ。うちへ寄っていって!」


 店先で客寄せをしていたあやかしが私に声をかけてくれた。

一瞬だけ足を止めたが、上手く反応を返せずに横を素通りする。


「あれ……? 聞こえなかったかな」


 怪訝そうに首を傾げるあやかしに、胸がチクリと痛んだ。


――ごめんなさい。聞こえてました。


頭の中で謝りながらも、しょうがないと自分を慰めた。今の私には愛想を振りまく余裕なんてない。賑やかな通りを、なるべく地面だけを見るようにして進んだ。


行く当ては特にない。貸本屋にいたくなくて飛び出してしまったのだ。あそこには養父との思い出がたくさん詰まっていて、ふとした瞬間に辛くなってしまう。それに、東雲さんの姿を見たくなかったのもある。


昨日、東雲さんはやっと胸に納めていた想いを吐き出してくれた。

まったく、わが父ながら不器用すぎる。遠回りしすぎじゃない? 素直に告白しづらかった気持ちもわかるけど、打ち明けてくれるまで待ち続けるこっちの身にもなってほしい。


『俺は付喪神としての生の最期に、とっておきの物語を創り上げるんだ』


 東雲さんの言葉を思い出して渋面になる。


「男の浪漫って奴? ……本当に馬鹿。こっちの身にもなってよ」


 じわりと視界が滲んだ。慌てて袖で拭えば、乾燥した空気のせいでヒリヒリした。目もとを掠めるように幻光蝶が舞っている。常に暗い幽世で、蝶を侍らせている私という人間はとても目立つ。すれ違うあやかしの中には顔見知りもいたが、私が泣き顔をしているのがわかると見ないふりをしてくれた。ありがたいな、と思いつつも洟を啜って前に進み続ける。


 なんだかすべてがふわふわしていて、まるで現実味がない。


 ――寝て起きたら、悪夢のような現実が全部帳消しになっていればいいのに。


 ときおり、そんな考えが頭を過る。都合の良すぎる妄想は私の心を癒やしてくれたが、ふと現実に立ち戻るたびに虚しさを残して消えていく。心は擦りきれていくばかりで、なにをどうすればいいかまるでわからない。


冬の気配が濃厚な幽世は薄いコート一枚じゃ心許ないくらいに寒かった。ふと入った横道には落ち葉がたっぷり積もっている。かさかさと乾いた音をあげる葉を踏みしめて更に先へ進もうとすれば、黒いものが前方を遮った。


「……どこへ行くつもり?」


 にゃあさんだ。オッドアイに剣呑な色を宿した黒猫は、ジロリと私を睨みつけている。


「別に」


 にゃあさんの横を通り過ぎようとする。だのに、進行方向を邪魔されてしまった。しまいには、素早い動きで私の肩に飛び乗ってきた。


「どこかへ行くなら、あたしも連れていきなさい」

「重っ……! 重いよ、にゃあさん。ダイエットしたら!?」


 決してスレンダーとは言いがたい親友に文句を言う。にゃあさんはフンと鼻を鳴らすと、最高に不機嫌そうな顔をして覗きこんできた。


「うるさいわね。それどころじゃないでしょう」


 するりと三本のしっぽが首に巻き付いた。逃がさないぞと言わんばかりだ。


「……別に変なことは考えてないけど?」


 親友の気遣いを嬉しく思いながら断りを入れれば、ぴくりとにゃあさんの髭が動いた。


「本当にそうかしらね。アンタってば、思い込んだらなにするかわからないもの」

「私ってば信用ないね……」

「そういうところ、秋穂にそっくりよ」

「…………」


 ふいに亡くなった母の名前が出てきて身を硬くした。じわりと涙が滲んでくる。まったくもって涙腺がゆるゆるで困る。駄目だ。本当に心が弱りきっている。

 すると、ざらりと生暖かいものが目尻を拭っていった。ハッとして顔を上げれば、心配そうな親友の瞳と視線が交わる。


「別になにを考えてもいいわよ。あたしが止めるから」

「にゃあさん……」


 にゃあさんはゆっくりと瞬きをしながら、淡々と私に告げた。


「あたしは、アンタが辛い時も苦しい時も……どんなに悲しい時だって、いつでもそばにいるだけだわ。アンタが幸せになる瞬間を見届ける義務があるの」

「……お母さんと約束したから?」

「それもあるけれど――」


 にゃあさんは私の頬に頭を擦りつけ、なあんと小さく鳴いた。


「アンタのことが好きだから。布団の上で大往生する瞬間まで離れてやらないわ」


 小さく息を呑んだ。せっかくにゃあさんが舐め取ってくれたのに、再び涙が溢れてくる。


「……ありがと」


 お礼を言えば、素直じゃない親友はプイとそっぽを向いてしまった。


「なにはともあれ、どこかへ行きましょ。店に居たくないんでしょ。わかるわ! 東雲ったら真面目に机に向かっちゃって……気持ち悪いったらありゃしない」


 ぐうたら親父じゃない東雲なんて東雲じゃないわ! と断言したにゃあさんに思わず噴き出しそうになった。泣き顔のまま笑う私に、にゃあさんは安堵したように息をもらす。


「今までも辛い時はいくらでもあった。全部、なんとか乗り越えてきたでしょう? アンタはひとりじゃないもの。いつだって誰かが助けてくれた」


 すんと洟を啜る。こくりと頷けば、にゃあさんは珍しく優しげに笑った。


「でもね、ひとりで閉じこもってたら誰も手を差し伸べられない。せっかく外へ出たんだもの。誰かに思いっきり気持ちをぶちまけにいきましょうよ。世の中、割り切れることばかりじゃないわ。なにかしら折り合いをつけなくちゃいけない時ってあるものよ」


 にゃあさんは遠くを見た。色違いの瞳はなにを見ているのだろう。


「あやかしは死を厭わない。でもね、誰だって好きな相手の亡骸なんて見たくないわ」

「…………」


 かさり、と落ち葉が乾いた音を上げた。

 にゃあさんは私の背から下りると、地面に座って見上げた。


「まったく! 寒いったらありゃしない。猫が外に出る気温じゃないわ。ナナシのところにでも行きましょう。せっかくだから、美味しいものでも買って行くといいわ。お腹が空いているとろくなことにならないもの」


 にゃあさんが歩き始めた。後を追うと、道端に焼き栗売りがいるのがわかった。大ぶりの栗はいかにも美味しそうだ。にゃあさんは焼き栗売りに一直線に向かっている。


「なるほど。食べたかったんだ?」

「…………。うるさいわね。た、たまたまよ。たまたま!」


 苦し紛れにシャアッ! と威嚇されてケラケラ笑う。いまだどんよりした気持ちは晴れないけれど、わずかに心が軽くなった気がした。


 ――誰かに話す、かあ……。


 悶々としてため込むよりか、思いっきり吐き出した方がいいのだろう。

 そうすれば、私の中で一応の結論を出せるだろうか? いつかはグチャグチャになった感情を綺麗に整頓する時が来て、心を苛み続けている痛みを忘れられる?


 ――それって、私が東雲さんを忘れてしまった時なんじゃないの……?


 思考が鈍っていく。現実から目を逸らして閉じこもってしまいたい。

 でも、それじゃ駄目なのだろうと思う。

 東雲さんの決意はきっと変わらない。娘の私はどうするべきなのだろう。

 そっと空を見上げた。ふわりと白く染まった息が宙に溶けていく。

 数日引きこもった後だからか、頭上に広がる幽世の空は目に染みるほど美しく思えた。



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