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真贋問答1

 秋の幽世の町は普段よりも賑やかだ。冬籠もりに備え、あやかしたちが町へ買い物にやってくる。道端には露店が並び、値切りがてら雑談に興じる姿があちこちで見られた。行き交う荷車はどれも荷物で満載だ。滅多に町へ来ないからと、棒つき飴を買ってもらった幼い鬼がほくほく顔で通りを歩いている。母親は買い忘れがないかと思案顔だ。購買意欲を満たされたあやかしたちは、誰も彼もが少し緩んだ顔をしていた。


厳しい冬が訪れる前。ほんのわずかな期間だけ見られる賑わい。あやかしたちは今を懸命に生きている。何百年も前から変わらぬ営みだ。彼らがあげる賑やかな声は、貸本屋の店内まで聞こえてきていた。


 外の賑やかさとは裏腹に、貸本屋の中はしんと静まり返っている。


 店頭には「臨時休業」の張り紙が貼られ、入り口は固く閉ざされていた。

 開店して以来、初めて幽世の貸本屋は連日の休業を余儀なくされている。竜宮城から帰ってきてからというもの、夏織が部屋に閉じこもってしまったからだ。東雲の体調も思わしくなかった。余命少ない彼の体は徐々に弱り始めており、薬を服用しているものの、接客できるほどの体調ではなかった。


「……まったく。夏織が部屋から出たくなくなる気持ちもわかるわ」


 ぼやきながら貸本屋の二階から下りてきたのはナナシだ。

艶やかな衣装をまとった、一見すると美女に見える男の正体は中国由来の瑞獣白沢で、夏織の母代わりだ。夏織に部屋から出てくるように声をかけていたのだが、今日も無駄足に終わったらしい。すごすご戻ってきた彼は、長火鉢の横で煙管をくゆらせている東雲をジロリと見遣ると、不愉快そうに眉をひそめた。


「どうして間接的に伝えたの。自分の口から告白すればよかったじゃない」


 東雲はバリバリと頭を掻いて、不満そうに唇を尖らせた。


「どう言えばいいかわからなかったんだよ」


 途端、ナナシは眉を吊り上げた。


「それがアンタの悪いところよ! この意気地なし! 普段は態度がデカイくせに、いざという時に役に立たないんだから。夏織が可哀想よ。馬鹿、馬鹿、馬鹿!」

「あんまり馬鹿馬鹿言うな。気が滅入る」


 げんなりした様子の東雲に、ナナシは「自業自得だわ」とそっぽを向いた。


「……一体、いつから自覚してたのよ。自分がもう駄目かもしれないって」


 東雲が、自分の寿命がいくばくもない事実をナナシへ明かしたのは、夏織よりも後のことだ。それを恨みがましく思っているらしい。


「白蔵主が騒動を起こす少し前くらいだな。弱ってる自覚はあった。変だと思ってたら……唐糸御前から本体の修繕が無理かもしれねえと連絡をもらったんだ」

「どうしてその時に明かしてくれなかったのよ!」

「唐糸御前が、もう少しあがいてみると約束してくれたからだ。希望は残ってた。まあ……結局、駄目だったけどよ」


 唐糸御前から最後通告を受けたのは最近だ。初めからなにもかもを知っていたのは玉樹と遠近だけで、自分の余命がいくばくもない事実を明かす相手は慎重に選んだ。


 ボリボリと頭を掻く。ナナシの瞳にはうっすら涙が滲んでいた。


裏切られたとでも思っているのだろう。それだけこの男との付き合いは深かった。一緒に苦労して夏織を育てたのだ。過ごした時間は、親友であるふたりよりもはるかに長い。


「……言うのが遅くなって悪かった。お前は隠し事が下手くそだからな。夏織とも頻繁に会うし、すぐに見抜かれちまうと思った」


 それだけは絶対に避けたかった。夏織へショックを与えるわけにはいかない。


「たとえそうだとしても、教えてほしかったのよ……。アンタとはいい信頼関係を築けてきたと思っていたのに」


 俯いたナナシの瞳から涙のしずくがこぼれ落ちる。


 ――ああ、ちくしょう。そうじゃねえんだけどな……。


 東雲はため息をついた。確かに夏織へバレる可能性を考慮はした。だが、ナナシへの報告が遅くなったのは、たとえどんな状況で事実を明かしても、この男であればきちんと受け止めてくれるだろうと判断したからだ。

口を開きかけるもすぐに閉じた。言葉を尽くして説明したいとも思うが、ナナシを変に持ち上げるのも照れくさいし、意図を伝えきれるか自信がない。


「…………」


 結果、東雲は黙りこんだ。口下手な東雲にとってはいつものことだ。

 ナナシは洟を啜りながら泣いている。事態は悪化していくばかりで東雲は途方に暮れた。苛立ちをまぎらわせるように火鉢の中に煙管の灰を落とす。タバコ入れに手を伸ばすと、真っ赤な柘榴のような瞳と視線が交わった。


「し、東雲~……」


 クロだ。とてとてと短い脚を動かして、東雲のあぐらの上に座った。きゅうんと鼻を鳴らして、潤んだ瞳で東雲を見上げる。


「病気なの? 相棒の薬をあげようか? きっと元気になるよ!」


 目を細めた東雲は、クロの頭を撫でてやった。


「悪いな。薬が効けばよかったんだがなあ」

「……うう。じゃあ、やっぱり死んじゃうの……?」

「別にすぐに死ぬわけじゃねえ。そのうち、ってだけだ。泣くのはちっと早えぞ?」

「だ、だけど……」


 クロは少しだけ言い淀むと、ぽつりと呟いた。


「みどりも……水明の母親もそう言ってたんだ」


 ぺたんと耳を伏せたクロに、東雲は苦い笑みをこぼす。


「そうか。思い出させて悪かったな」


 優しく語りかければ、クロは返事代わりにしっぽを何度か振った。

すると、ちゃぶ台に薬湯入りの湯呑みが置かれた。ふわりと酸っぱ苦い匂いが漂ってくる。中身は痛み止めだ。東雲はこの薬湯が心底苦手だった。ウッと小さく呻くと――白い髪をした少年が淡々と言った。


「寿命は延びないかもしれないが絶対に飲めよ。痛いと泣かれたらたまらないからな」


 水明だ。続けてジロリとナナシを睨みつける。


「不安だからと東雲に当たるのはよせ。今、一番辛いのは夏織だろう?」

「…………。水明、アンタ」


 ナナシが驚いたように水明を見つめた。少年はナナシの前にも湯呑みを置く。中身は緑茶のようだ。


「夏織のことは黒猫に任せておけばいい。変に気を揉んで空気を悪くするよりも、俺たちにはやれることがあるはずだ。いつものお前らしくないぞ、ナナシ」


 東雲の隣に座った水明は、泣いているナナシをじっと見つめて続けた。


「血は繋がっていなくとも、お前は夏織の母親なんだろう? 考えるべきは娘との未来だ。揉めている場合じゃないだろう。過ぎたことを責めてどうする。東雲ができることと言えば謝罪くらいだ。ナナシ、お前は謝ってほしいのか?」


 毅然とした態度の水明に、ナナシは羞恥で頬を染めた。

ハンカチで涙を拭うと、緑茶をひとくち啜る。


「……美味しい」


 ふわりと柔らかく笑って、一転して晴れやかな顔になった。


「そうね、そうだったわね。今はこれからのことを考えなくちゃいけないのよね。ごめんなさい。アタシも少し混乱していたみたい」


素直に謝られ、東雲はキョトンと目を瞬いた。説得は難しいと思っていたのに、水明の言葉でナナシの気が済んでしまったようだ。繁々と水明を見つめ、心から感心した。


 ――コイツ成長したなあ。


水明が幽世にやって来たのは、彼が十七歳の頃だ。しとしとと降りしきる雨の中、幻光蝶に囲まれて地面に倒れていた。あの頃は、ただただ自分の世界に閉じこもり、理不尽な運命を嘆いているだけの少年だったのに。


――人は変わるもんだ。


今やナナシから全幅の信頼を置かれている。わざわざ少年を指名して薬屋へやってくるあやかしがいるとも聞く。水明は元祓い屋だ。あやかしを屠り収入を得ていた少年が、幽世に馴染むだけでも大変だったろうに……。


水明という少年は信用できる奴だと東雲は考えている。

だからこそ――己の命の灯火が残り少ないことを夏織より前に伝えたのだ。

コイツなら夏織を支えてくれる。助けてくれる。救ってくれる。

東雲は水明を……水明という〝男〟を認めていた。もちろん理由はある。


――二ヶ月前。


白蔵主の騒動が一段落した後、突然、水明がひとりで貸本屋を訪れたのだ。夏織は出かけていて不在だった。なんの用だと訊ねれば、とんでもないことを言い出した。


『……夏織が俺を好きらしい』


 頭が真っ白になったのは言うまでもない。

 蛙が潰れたような声を出し、よし殴ろうと拳を固く握りしめていれば、水明がいきなりその場に正座した。キョトンと目を瞬いていれば、


『俺も夏織が好きだ。だが、俺は廃業したとはいえ祓い屋だ。多くのあやかしをこの手で殺めてきた。……受け入れてもらえるとは思っていない』


 両手を地面につく。深々と頭を下げて水明は続けた。


『俺の居場所は夏織の隣だ。これだけは絶対に譲れない。だから、許してほしい』


 絞り出すような声。普段のあまり感情の乗らない声とはまるで違った。

 東雲は散々迷った挙げ句、水明にこう言った。


『とりあえず一発殴らせろ』


 渾身の一発を水明の腹に叩き込む。すると、ひどく気分が落ち込んだ。

 心のどこかで水明に感心している自分がいたからだ。夏織は水明へ想いを告げたことを東雲に報告していなかった。当たり前だ。東雲の過保護加減を夏織は重々理解していたはずで、そう簡単に報告しようと考えないだろう。

だが、水明は筋を通そうとした。自分の過去と、相手の立場を深く考えた上で、夏織の隣に胸を張って立てるように。たったひとりで東雲のもとへ乗り込んできたのだ。


 ずいぶん悩んだだろう。勇気もいったはずだ。

 だから感心してしまった。責任は絶対に取れよと脅した東雲に、覚悟はできているんだとこともなげに返した少年に。見上げた根性してやがると笑ってしまうくらいだった。


『……お前に夏織を任せてもいいのか』


 ぽつりと呟いた東雲の言葉に、水明は『任せてくれ』と真摯に頷いた。

 その日の夜、東雲は町へ繰り出した。体の異常を自覚した時から、酒を飲むのは止めていた。だが、飲まなくてはやっていられなかった。大切な……なによりも大切なものを誰かに譲る決心をつけるには酒の力が必要だった。


 その日に飲んだ酒の味は、二度と忘れられないだろう。


 唐糸御前から本体の修復が不可能だと知らされた後、東雲は水明と夏織にすべてを引き継ぐことに決めた。何百年もかけて自分が築き上げてきた縁を、仕事を――ふたりに譲ろうと決心したのだ。


 以来、東雲はことあるごとに水明を連れ歩くようになった。東雲の仕事はなにも貸本屋業だけではない。町の顔役も担っていた。自分が築き上げてきた縁を水明に引き渡す。隠れ里へ同行させたのもその一貫だ。仕事を見せてやろうと思ったのもある。お前が手を出した娘の父はこれだけ偉大で、中途半端な男じゃない。覚悟はあるのかという脅しもこめた。


 そのおかげか、水明が自分を見る目が変わってきたような気がした。


 東雲の話を聞く時、水明の背筋は不思議とピンと伸びている。わからないことをわからないままにしない熱意もある。やるじゃねえか、と内心で苦く笑う。少年が大人の男へ羽化しようとしている瞬間を目の当たりにしているような、おかしな感慨があった。


しみじみと感じ入っていると、水明が口を開いた。


「……それで。本当にお前は永遠を望まないのか」


 容赦なく切り込んできた水明に、東雲は思わず笑ってしまった。水明に寿命がいくばくもないと告げてから初めてされた質問だ。水明は頭がいい。人魚の肉売りが介入してきた時点で、東雲に〝永遠の命〟という選択肢があることに気がついていたのだろう。しかし、今日の今日まで黙っていた。おそらく東雲の選択を邪魔しないためだ。


水明は、じいっと東雲をまっすぐ見つめている。相変わらず、東雲相手だと無表情に見える。夏織の前ではコロコロ表情が変わる癖に。


――俺よりも不器用な奴。


気がついてなかったら面白えな、なんて考えながら無精髭をこする。

そして、きっぱりと宣言した。


「この先なにがあろうとも、俺は絶対に人魚の肉は口にしねえ」


 困惑の表情を浮かべたナナシが口を挟んだ。


「夏織が望んでも?」

「ああ」


 躊躇なく頷いた東雲に、水明の表情が険しくなった。少しだけ視線を宙にさまよわせ、再びまっすぐに東雲を視界に捉える。


「……俺は、夏織と違って永遠の命を否定しようとは思わない。使えるものは使えばいい。躊躇する必要はないと考えている。娘が大切なんだろう? なら、夏織を悲しませないために永遠の命を選ぶことはできないのか」


 東雲は意外に思った。水明の父親は人魚の肉で不老不死を得ている。水明の言葉はまるで父親の行為を肯定しているようだったからだ。


 ――少しずつ和解してってんのかねえ。


 面白く思いながら、水明の疑問に答える。


「確かに夏織は大切だ。俺の生きがいで、俺のすべてだった。でもな――俺には俺の生き方ってもんがある。自分で決めた終着点があるんだ。簡単には曲げられねえよ」

「……終着点?」


 眉をひそめた水明に、笑いながら続ける。


「それによ、夏織が俺らを置いて先に死ぬことを畏れてたのを知ってる。たとえ、俺が死ななかったとしても、人生の終わりにまた苦しむんじゃねえかな」


 夏織はその悩みを決して口にはしなかったが、東雲からすれば娘の考えなんてお見通しだった。人とあやかし。似ている部分もあるが、まったく違う生き物だ。相手を大切に思いやればやるほどすれ違う。因果なものだと思う。

 水明はかぶりを振ると、やや焦ったような口ぶりで言った。


「そうかもしれないが、人生の途中で父親がいなくよりかはよっぽど……!」

「馬鹿言うなよ、それが普通だろ?」


 言葉を遮られ、水明がキョトンと目を瞬く。東雲は苦い笑みを浮かべた。


「親子ってもんは、普通は親が先に死ぬもんだ。うちは……たまたまそうじゃなかったが、今回の件でよそ様と同じになったってだけだろ?」


 水明が渋面を作る。「だが……」となおも言い募ろうとするのを遮った。


「まあ、これだけじゃわかんねえよな。来いよ、いつかは話さなくちゃと思ってた」


 立ち上がって、居間から店舗へ続く引き戸を開ける。

店に下りると、奥にある本棚の前に立った。


「……東雲。アンタ」


 ナナシが困惑の表情を浮かべている。東雲はニヤリと笑うと、一冊の本を手前に引いた。鈍い音がして本棚が横にずれていく。姿を見せたのは地下へと続く階段だ。


「ここって、東雲の本体が収められている場所じゃないのか?」

「ああ。地下室の奥にな」


 水明の問いかけに頷いた。地下室は真っ暗だった。そのまま踏み込もうとして、水明が人間だったことを思い出す。自分は暗闇を見通す目を持っていても水明はそうではない。


「おい、ナナシ。明かり……」


 声をかければ、なんとも絶妙なタイミングで蝶入りの提灯が差し出された。


「まったく、アンタはもう」


 ナナシが心底呆れた顔をしていた。嬉しくなってナナシの背中をバンバン叩く。


「さすがは古女房! わかってんなあ!」

「誰が古女房よ! 痛いからやめてくれる!?」


 軽口をたたき合いながら階段を下りていく。目当ては地下室に安置されている本棚だ。

 そこには、ぎっしりと同じタイトルの本が詰め込まれていた。


「何冊あるんだ、これは」


 水明がポカンと口を開けたまま固まっている。驚くのも仕方がない。『南総里見八犬伝』は九十六巻、全部で百六冊にもおよぶ大作だ。

 東雲は本を一冊手に取ると、懐かしげに中身を眺めた。


「これはな、幽世に貸本屋を作った初代が残した本なんだ」

「初代?」


 朧気な蝶の明かりに水明の薄茶色の瞳が浮かび上がっている。

 東雲は大きく頷くと、当時のことに想いを馳せる。


「話してやろう。俺の原点を。幽世の貸本屋の始まりを。俺が――自分の終着点に思い至ったいきさつを」


 水明へ向けた東雲の瞳はひどく穏やかなものだった。


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