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養父の背中5

 太陽は姿を隠し、辺りは濃厚な闇に包まれている。

 日が落ちた隠れ里は昼間とはまた違う顔を見せていた。明かりがとぼしい隠れ里に広がる闇はどこまでも深く、夜空に広がる星の瞬きは数え切れないほどだ。秋の虫たちの演奏会は延々と続き、冬に命を散らす前にと懸命に生きた証を残そうとしている。


里の中央にある広場では、私たちのために宴が催されていた。


広場の中央では男性がふたり舞っている。

 鍛え上げられた体を持つ男たちはほとんど裸だ。ふんどしを着けているだけで、木の皮を縒った紐で全身を結んでいる。背中には鈴が括り付けられていて、動く度にチリチリと軽快な音がした。顔には修正鬼会でも使用されているという鬼の面。両手に斧と火が着いた松明を持った舞い手の男たちは、まるで剣舞のように松明を打ち付け合う。


「おおおおお……!」


パッと火花が散るたびに、里の住民たちから歓声が上がった。


どん、と足袋で地面が揺れそうなほどに強く大地を踏みしめる。鬼に扮したふたりが睨み合う。素早い動きで松明が振るわれ、再びぶつかる。火の粉が飛び散り、松明が交差する瞬間だけ、あたりが一層明るく照らされた。


男たちの動きは滑らかで、火花が散るごとに暗闇の中に鍛え上げられた肢体が浮かび上がった。空気は冷え切っているのに、男たちは汗だくだ。お面の下から白い息が勢いよく噴き出す。熱くなった肌から湯気が立ち上り、炎に照らされてときおり真っ赤に見えた。


「本当の赤鬼みたいだね」


 主賓席で舞いを眺めていた私は、ぽつりと呟いた。近くであれこれと世話を焼いてくれていたキヌイがニカッと笑う。


「幽世で鬼を見慣れてる夏織様にそう言ってもらえるのは光栄だな! あれはな、現し世で行われている修正鬼会を模してるんだ」

「模して……?」


 隣で辛味噌付きの「目覚まし餅」を食べていた水明が首を傾げる。

 キヌイは目を爛々と輝かせながら説明してくれた。


「ああ。あやかしたちと付き合う前、俺らの先祖は国東半島の住民たちと交流を持たざるを得なかった。里で自給自足はしていたが、手に入らないものも多かったからな」


 当時は苦労も多かったそうだ。今とは違い、閉鎖的な時代だったのもある。〝外〟からやってくる者に対して警戒心を持つことは、生きるために必要だった。

 しかし、国東半島の人々は臆することなく取引をしてくれた。生活に必要なものを手配してくれ、なにかあるたびに気遣ってくれたのだ。

 隠れ里の人々は、そんな国東半島の住民たちに感謝の念を抱くと共に、心から尊敬した。

だから、国東半島の人々がしていた祭りを真似たのだ。


修正鬼会の鬼は〝来訪神〟の一面を持つ。

年に一度、主に正月などに〝外〟からやってくる神のことだ。

豊穣や幸福をもたらしてくれるとされ、祖霊と同様に大切に扱われている。


「この踊りはな、〝外〟から里に逃げ延びてくる人を神様と同様に大切にする。決して拒否しないって、決意の表れなんだ」

「…………。そうですか」


 ――ああ。本当に隠れ里はここの人たちにとっての〝理想郷〟なんだ。


 りん、という鈴の音と同時に、再び火花が散った。

 ちかちかと宙に奇蹟を残しながらも、儚く消えゆく燐光に人々が歓声を上げる。


「見て見て、今のすごかったねえ」

「本当! 熱そうだった! 大丈夫かなあ……」


 誰も彼もが無邪気に笑顔を浮かべている。

だからこそ、私は胸が締めつけられるような思いがした。


隠れ里の住民の数は決して少なくない。

彼らはどの程度の絶望を胸に〝理想郷〟へやって来たのだろうか。

里での暮らしは平穏そのものだ。しかし、そもそも誰かに虐げられたり、どこかから追い出されたりしなければ、誰もこの場所に行き着かなかったはずだ。きっといろんなものを置いてきたのだろう。着の身着のままだった人もいたはずだ。

彼らの笑顔の下には、目に見えない大きな傷跡が確実に存在している。


――りぃん!


一際大きく鈴の音が鳴った。

松明から火の粉がこぼれ、辺りを明るく照らす。

ふと、少し離れた場所に東雲さんの姿を見つけた。大勢の里の住民たちに囲まれている。


「東雲様! どうかうちの一族に古くから伝わる話をさせてくださいませ」

「父の話を聞いてやってくれませんか。とっておきのがあるんです」

「いやいや、待て待て! こっちが先だ。歴史上意義がある話を優先するべきだろう!」

「ちょっ……待て待て。順番だ。俺はどこぞの聖人じゃねえんだぞ。いっぺんに話すんじゃねえ! わかってんのか、お前ら!」


東雲さんは、困り顔をしながらもどこか楽しそうだ。住民たちの話に真剣に耳を傾けている。それは先祖代々伝わる話であったり、過去に住んでいた場所にまつわる逸話であったりした。滑稽な話や荒唐無稽な話もときおり交じる。「本当かよ!」と横やりが入ると、人々はおおいに沸いた。彼らの中心にはいつだって東雲さんがいる。東雲さんは、うん、うんと何度も頷き、筆とメモ用紙を手に、宴なんてそっちのけで人々の話に聞き入っていた。


「……東雲は本当に好かれているな」


 東雲さんたちの様子を眺めていた水明がポツリと呟く。


「本来の居場所を追われてやってきたアイツらは、置いて行かざるを得なかったなにかを、東雲に話すことで昇華させているのかもしれないな」


 水明のこぼした言葉が、やけにしっくり来た。


「たぶん……ううん、きっとそうだね」


 ――〝本が読みたい〟〝本を読ませたい〟ってだけじゃない。その〝先〟を見据えて実際に行動に移している。それが東雲さんの……養父の仕事。

 再び東雲さんへ視線を向けた。


「東雲さんはすごいな」


 養父の背中を見つめる。

 メモをとるのに夢中になって丸まってしまった、大きな……とても大きな背中を。


「……本当に。本当にすごい」


 りん、と舞い手が動く度に鈴がなる。パッと火の粉が飛び散った。触ると火傷してしまいそうに赤々と燃える火花。しかし、東雲さんの瞳の方が――。

 ともすれば火傷してしまうほどの熱を持っているように思えた。


***


 翌日。隠れ里の人々と挨拶をして別れる。


「気をつけて帰れよ~!」


 キヌイを始めとした里の人たちに見送られ、東雲さんが割り符を一振りすると、知らぬ間に鬼が積んだとされる石段の下にいた。

 どういう仕組みなのだろうと思いながら、東雲さんに声をかける。


「じゃあ、幽世に戻ろうか」

「ちょっと待て。お前にこれをやる」


 東雲さんが隠れ里への通行証でもある割り符を差し出してきた。

 手の中に無理矢理押しつけられる。古びた木片を手にキョトンと目を瞬く。


「……? なんで私にこれを?」


 思わず首を傾げると、東雲さんはボリボリと頭を掻いて目を逸らす。


「お前が持っておけ。そのうち必要になるだろうから」

「次からは私が隠れ里に来るってこと?」

「ああ。今度から、ここの担当はお前にしようと思ってる」

「……だから、私を連れてきたんだ?」

「そうだ。里の奴らには、次回からお前が来ると言ってあるから安心しろ」


 眉をひそめた。今までこんなことなかったのに、どういうことだろう。


「東雲さんのお客でしょ? なら、東雲さんが相手をするべきじゃないの」


 割り符を返そうとするが、突き返されてしまった。


「馬鹿言うな。いつまでも俺だけの客にしとくわけねえだろ。それに、そろそろ貸本屋業からは引退して、執筆だけに集中しようかと思っててな」

「引退?」


 衝撃的な言葉に頭が真っ白になった。


「あの、東雲さん。引退ってなに? それってどういう――」


 声が震える。わけがわからない。


「どういうこと!? ちゃんと説明して!」


 カッと頭に血が上った。養父が一から十まで口にしないのはいつものことだが、さすがにひどすぎる。養父を睨みつけると、東雲さんは少しだけ困ったような顔をしていた。


「落ち着けよ。お前も大人になった。なら、店を任せようって考えるのは普通だろ?」

「そ、そうだけど……」


 至極当然の理屈を口にされて頭が冷えていく。


「東雲さん」


 思わず情けない声を出せば、東雲さんが眉尻を下げる。


「子どもみたいな顔すんなよ、馬鹿」

「だって」


 ――なにもかもが突然過ぎて、頭が追いつかない。


 熱を持ち始めた涙腺を必死に宥め、東雲さんへ必死に訴える。


「わ、私ね、まだまだ東雲さんみたいに仕事ができているとは思えないの。隠れ里でみんなに慕われてる東雲さんを見て実感した。たしかに私は大人だけど、東雲さんに教わりたいことがたくさんあるんだ。だから……」


 ――引退なんて言わないで。


 願いは最後まで言えなかった。頬を優しく撫でられる。目を瞬けば、東雲さんが悪戯っぽく笑ったのがわかった。


「早とちりすんなって。別に今すぐにって話じゃねえ。ちょっとずつ引き継いでいこうってだけの話だ。ま、お前が隠れ里の奴らが嫌だってんなら仕方ねえけどな。でもよ、いい奴らばっかりだったろ?」

「……別にあの人たちが嫌ってわけじゃないけど」


 東雲さんは満足そうに頷いて、今度は水明に顔を向けた。


「おい、水明。幽世に戻ったらちょっと付き合え」

「……? なんだ、俺になにか用か?」

「後で話す。ナナシには俺から言っておくからよ。たまには男同士で腹割って話そうぜ」


 東雲さんが水明と連れ立って歩き出す。

 秋の冷たい風が吹き込んできた。ざわざわと木々が騒いでいる。


 ――なんなの? どういうこと……?


 私は東雲さんの背中を見つめながら、そこはかとない不安を覚えたのだった。

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