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養父の背中4

 ――きい、きい、ぱたん。きい、きい、ぱたん。


 夕焼けに染まった隠れ里の中には、機織りの音が絶え間なく響いている。

 私は、水明とクロ、にゃあさんと一緒に宴の時間まで隠れ里の中を散歩することにした。


「うわあ! 綺麗なところだねえ。ねえ、黒猫! あっち行ってみようよお!」

「うるさいわね。絶対に行かないわ」

「えええええええっ! じゃあ、黒猫はどこに行くのさ」

「アンタがいないところよ」

「……! ひどいや! オイラは黒猫といたいのに」

「ふたりとも喧嘩しないの」

「クロは本当にめげないな……」


 二匹がじゃれているのを水明と呆れつつ眺める。


 隠れ里は想像以上に広かった。現し世と幽世のちょうど狭間のような場所に存在するらしく、一年を通して気候が安定していて、なにかを育てるにはうってつけなのだそうだ。


 時代がかった茅葺き屋根の家の軒先では、大根や川魚が風に揺れている。

 男たちは畑仕事や狩猟に勤しみ、女たちは機を織ったり、細工物を作ったりと忙しくしているようだ。人々は突然現れた私たちに警戒することもなく、誰も彼もが笑顔で受け入れてくれた。子どもたちに至っては、物珍しげにゾロゾロと私たちの後を着いてくる始末。


里には、まるで時が止まったかのように平和な空気が充ち満ちていた。


「いいところだろう」


 隠れ里に不慣れな私たちを案内してくれたのは、先ほど巨石のそばで出迎えてくれた男性のうちひとりだ。

 山男らしい恰好をした彼は、名をキヌイと言った。


仮面を外したキヌイは非常に愛嬌のある顔をしている。年頃は三十を過ぎたくらいだろうか。真っ黒に日焼けした顔に歯の白さが映えて見えた。


「すごく綺麗な場所ですね。畑も大きい! どんなものが採れるんですか?」

「タバコの葉とかだな。向こうには桑畑もあってな、女たちが蚕を育ててる。タバコと絹は、里の貴重な収入源なんだ」


 キヌイが指差した先には、倉庫と思われる建物がある。ひょいと中を覗き込めば、茶色く乾燥した葉が山と積まれていた。これがタバコの葉なのだろうか。独特な匂いがする。


建物の向こうには広大な竹林が見えた。彼らは竹を加工した製品を作るのも得意としているようだ。


「うちの竹製品はなかなかのもんだ。いつも遠近様が高値で買ってくれる」

「へえ……。遠近さんとは付き合いが長いんですか?」

「俺が知る限り、曾祖父の代から遠近様に品物を卸してるみたいだな」


 現し世で居場所をなくした彼らは、隠れ里で作った品物を密かに売買して生計を立てているのだそうだ。その橋渡しをしているのが、遠近さんをはじめとした人間を装って現し世に紛れ込んでいるあやかしたち。


「人間と違ってあやかしは長生きだからな。滅多に代替わりもしないから長く付き合えるし、欲をかいて安く買い叩いたりもしない。大昔は悪い奴らに騙されもしたが、あやかしと取引するようになってからはなくなった。遠近様から現し世の品物も買えるようになったしな。薬なんかは本当に助かってる」

「あやかしの存在が生活に欠かせないものになっているんですね」

「そう思うよ。東雲様が取引に加わるようになってからは、現し世の娯楽も隠れ里に入るようになった。ここでの暮らしはよくなっていくばかりだ。感謝してる」

「そうなんですか」


 しみじみと語ったキヌイの表情には、あやかしに対する畏れも嫌悪感も見られない。

 不思議な関係だと思う。本来の人間とあやかしの関係性からすると考えられないことだ。


 ――ただの雑貨商じゃなかったんだなあ。


 気障ったらしい河童のおじさまは、思いのほかいろいろな場所で活躍しているようだ。


 ――東雲さんも、すごく営業がんばってるみたい。


 養父の仕事が現し世と隔離された人々の癒やしになっていると聞いて、胸がじわっと温かくなったような気がした。


 しかし、それも一時のことだ。


「ここを出て行こうと思う奴はいないのか?」


 水明の問いかけのせいで、ざあっと血の気が引いて行く。


「ちょっ……水明!」


 なにを言い出すのかと非難の声を上げれば、水明はわずかに眉をひそめた。


「当然の疑問だろう。人間はあやかしと違って、緩やかな変化や停滞は好まない。東雲から本を借りてもいるんだろう? なおさら外の世界に出たがるんじゃないか?」


 すると、にゃあさんまで水明の意見に追従し始めた。


「確かにそうよね。穏やかでとてもいいところだけれど、外の世界には隠れ里にないものがたくさんあるもの。本は劇薬みたいなものだわ。人は自分にないものに強烈に憧れる」

「そうだけどさあ……」


 ――正論だと思うけど、そこまではっきり言わなくても。


なんだかモヤモヤする。もしかして――東雲さんが……いや、貸本屋が持ち込む本が、意図せずに大変なことを仕出かしているのではないだろうか?

ギュッと心臓が締めつけられるような思いがした。


不安に駆られてキヌイを見遣れば、彼は水明の不躾な問いかけにもなんら思うところがなかったらしい。「確かに」と頷きすらした。


「若い奴らの中には、外の世界に憧れて、隠れ里を出て行く者も少なくないよ。仕方がないよな。人間ってそういうものだし」

「仕方がない? 引き留めたりしないのか」

「いいや? 誰も引き留めない。好きにすればいいと送り出してやる。外に魅入られた奴の心は絶対に戻ってこないからね。里に縛り付けたって火種になるだけだ。その代わり、出て行く方も覚悟の上さ。二度と里へ戻らないって誓いを立てさせられる」


 キヌイが懐から木片を取り出す。東雲さんが持っていたものと同じ木片だ。やはり割り符だったらしい。


「対となる符が里にないと、絶対に出入りできないようになってる。里を出て行った奴の符の片割れはもれなく破棄されるんだ。現し世から変な奴を引き込まれても困るからな。ま、親族がいなくなればそれなりに寂しくは思うけど、別に困らないな。里に人がいなくなることはないからね」

「どうしてです? 外へ若者が出て行くのに……」


 疑問を投げかけると、キヌイは懐から煙管を取り出した。葉を詰めて火を着ける。ふうと白い煙を吐き出し、苦み走った笑みを浮かべた。


「そりゃあ……人間社会からはじき出される奴がいなくなることはないからだよ」


 隠れ里には不思議な力があるという。

 里に相応しいと思う人間を呼び寄せる力だ。

 呼ばれるのは、たいがいが社会に適合できなかった人間だ。彼らが隠れ里にやってくると、新たな家を与えられて里の一員として歓迎される。未婚の者がいれば他の家の誰かと縁を結び、里の人々に支えられながら血を繋いで行く。


「疫病以外で、隠れ里の人口が激減したことなんてないんだ。因果なことにね」


 キヌイの先祖もまた、上手く社会に適応できなかったのだという。

 彼の一族は、かつて山々を漂泊しながら暮らしていた。一定の居住地を持たず、川や野山で手に入れた恵みを売ったり、物々交換したりして生計を立てていたのだそうだ。

彼らに転機が訪れたのは、明治政府による「無籍無宿」者への取り締まり強化だった。戸籍の整備を急いでいた明治政府にとって、納税にも徴兵にも応じない漂泊者たちは目の上のたんこぶだったのである。


「俺らの一族の中でもちゃんと人里に馴染めた奴はいたらしい。でも、うちの祖先はそうじゃなかった。政府の厳しい取り締まりに次第に疲弊していって……にっちもさっちもいかなくなった時、隠れ里に行き着いた」


 キヌイは「この里があるから今の俺があるんだ」と朗らかに笑った。


彼は里に満足しているらしい。キヌイ自身は絶対にここを出て行くつもりはないという。


「里の住民たちは、はじき出される辛さを理解している奴らばっかりだ。でも、外はそうじゃない。ここは俺らにとっての〝理想郷〟だ。出て行く奴の気が知れないよ」

「〝理想郷〟……」

「そう! そんでもって、〝理想郷〟を〝理想郷〟たるべく助けてくれているのが、アンタの父親であり遠近様だ。不便さは人を疲弊させるし、退屈は人を殺すだろ? うちの里は、遠近様と東雲様の助けがあってこそ続いてるんだ。だからさ……」


 ニッと白い歯を見せて笑う。


「アンタが気にすることはなにもないんだ。東雲様の仕事は誰も傷つけちゃいない」

「……!」


 いらぬ心配をしていたのを見抜かれていたらしい。羞恥で頬が熱くなった。すべて私の杞憂だったようだ。思わず苦笑をこぼしていると、キヌイが誇らしげに胸を張った。


「これでもさ、古いものは古いもので、新しいものは新しいものだって考えられるくらいの分別は俺たちにだってあるんだぜ。国東半島は外からやってくる文化に対して寛容だ。そういう気質は隠れ里にも流れてるってことさ」


 自信満々なキヌイの態度は、東雲さんが持ち込む本が与える影響も含めて、自分たちの文化であると断言しているような気がした。


「ごめんなさい。心配しすぎだったみたいです」

「アハハハ! アンタ、本当に東雲様のことが好きなんだなあ。養父と義理の娘だろ? 今どき珍しいくらいだな」

「ウッ! ……そ、そうですけど!? 養父のことが大好きですけど、なにか!」

「はっきり認めるのかよ。すごいな逆に」


 変に感心されてハッとする。たらりと冷たいものが背中を伝った。恐る恐る水明を見遣る。彼は「なにを今更」という白けた顔で私を見ていた。


 ――あ。ちょっとショック……!


 猛烈な羞恥心に見舞われ、無性に走り出したい気持ちになる。

 その時、竹林の中から男たちが出てくるのが見えた。

 いかにも武士らしい甲冑を着た古風な男の隣には、ジャージ姿の青年が立っている。

 彼らは手に兎を持っていた。どうやら罠にかかった獲物を回収してきたらしい。


「おうい! キヌイ。その子が東雲様の娘さんか?」

「ああ! そうだぜ」


 キヌイが返事をすると、武士姿の男が鎧をガシャガシャ鳴らしながら大きく手を振った。


「おおおおおお~! 初めまして~! 東雲様の本にはいつもお世話になってます! 今宵の宴には、里の女たちが腕によりをかけて料理を作りますから! 俺らの獲物も並びますからね! ごちそう、期待しててくださいよ!」

「わかりました。楽しみにしています!」


 意気揚々と去って行く男たちを見送り、ぽつりと呟いた。


「ジャージ男子と鎧武者ってすごい組み合わせですね?」


キヌイは「もっともだ」と愉快そうに笑っている。


「あの鎧、動きづらくねえのかなあっていつも思うよ」

「そういえば、どうして鎧を? 十二単を着た女性も見ました。古代人みたいな服の人も。それしか着るものがないってわけじゃないんですよね? ジャージの人もいましたし」


 困惑気味に訊ねれば、キヌイは自慢げに胸を張る。


「あれは趣味だな」

「趣味」


 堪らずオウム返しすれば、キヌイはクツクツと喉の奥で笑った。


「誰が始めたのかは知らないけどな。ここって、いろんな時代にいろんな奴らが流れ着いてくるだろ? なんとなく、家ごとに〝文化は変えたらいけない〟って気風があってな」


 だから、当時のままの服装や生活様式を守っているのだという。

 もちろん、古い文化に嫌気が差す住民もいるそうだ。現代の設備に比べれば不便なのは自明である。その場合は他の家に移ったりするそうで……。


「すっごく自由ですね!?」

「アッハッハ! 逆に古い家に行く奴もいるんだぜ。俺の母ちゃんも、十二単を着てみたいって平安の家に移ったんだ。平安時代をテーマにした本を読んで憧れちまったらしくってなあ! もうお前は一人前だ、自分のことは自分でなんとかしろ。私はこれから筆頭女房になる~って言って、ウキウキ家を出て行った。困ったもんだよな。おかげで飯炊きまで自分でやる羽目に……まあ、早く嫁をもらえって話なんだけど」

「そ、そうなんですか……」


 それは笑い話なんだろうか。思わず変な顔をしていれば、キヌイは太陽で焦げた顔をくしゃくしゃにして笑った。


「古いものの価値を認識させてくれたのも、東雲様の本なんだ。価値があるものを守ってるっていう気概があるのとないのとじゃ、やる気に雲泥の差が出るだろ?」


 さらりと毛皮のベストを撫でる。それもキヌイたちの先祖が代々身につけてきた様式を守った服らしい。


「現し世でとうに失われたものがここには残ってる。その事実は、里にいたんじゃ絶対に知ることはできない。価値を知るためには情報が必要で、情報を得るためには記録の媒体が要るよな。電気が通ってない里じゃ、本は一番の情報源だ。本をもたらしてくれる東雲様はすげえ存在なんだ。里の爺様や婆様は、神様、仏様、東雲様って拝んでた」

「な、なんですかそれ……」


 養父のことを手放しで褒められて、なにやらくすぐったい。東雲さんの仕事がちゃんと里で求められているのだとわかり、胸の中が安堵感でいっぱいになる。

 ウンウンと頷いていたキヌイは、屈託のない笑みを浮かべ私に言った。


「アンタも貸本屋を手伝ってるんだろ? だからきっとアンタもすごいんだろうなあ」

「……え?」


 ふいに投げかけられた言葉に目を瞬く。


 ――私もすごい?


 すぐに言葉を返せずに戸惑っていれば、キヌイはなにか思いついたのか「そうだ! ここで待ってろよ」と、駆け足でどこかへ行ってしまった。


 賑やかなキヌイがいなくなると、途端に静けさが戻ってくる。ふと、にゃあさんの姿を探せば、子どもたちに追われてクロと共にずいぶんと遠くまで行ってしまっていた。


 ――ピーヒョロロロ……。


どこかで鳥が鳴いている。急に手持ち無沙汰になって口を閉ざす。


「…………」


見れば見るほど美しい里だ。まるで昔話の世界に紛れ込んでしまったような。

でも、なんだかモヤモヤしたものが胸に渦巻いていて。


――なんだかなあ……。


ぼんやりと思考を巡らせていれば、


「……夏織?」


 声をかけられ、ハッと顔を上げた。

 隣を見遣れば、水明がどこか戸惑った顔をしている。


「……あ。ごめん、ちょっとぼうっとしてた」


 心配させてしまったかと、笑みを浮かべて誤魔化した。しかし、私の内面なんて水明にはお見通しだったらしい。小さくため息をこぼすと、私の手をそっと握った。


「なにか思うところがあるなら、俺に話してみたらどうだ」


 ぶっきらぼうな口調の中に、温かな思いやりを感じて顔が綻ぶ。


「えへへ。ありがと。でも……うん、別にたいしたことじゃないんだよ?」


 強がりを口にすれば、水明の唇が不満げに尖った。無言で話せと促されてウッと呻く。


「話すの、ちょっと……いや、大分恥ずかしいんだけど」


 抵抗を試みるも、水明の視線はまっすぐ私を射貫いたままだ。

 どうも逃げ切れないようだと観念した私は、仕方なしに口を開いた。


「……今日さ。私が知らない東雲さんの仕事を教えてもらったじゃない? 人間のお客さんがいることも初めて知った。本を貸し出すって行為が、想像以上に誰かを支えている事実にびっくりしてね。私……今まで、誰か(あやかし)に本を読んでほしいって、それしか考えたことなくて。こういう場所にいる人たちまで考えが及んでなかったんだ」


 老人の皺が寄った手を優しく撫でてやる東雲さん。

 失われつつある歴史を残したいのだと決意を語る東雲さん。

 キヌイが語る東雲さんの仕事……。


「東雲さんのすごさを思い知ると同時にね、なんかこう……ちょっと」

「寂しく思った?」


 ズバリと図星を刺されて頬が熱くなる。しゃがみ込んで膝の間に顔を埋めた。


「知らない人みたいだなって、ショックだった。……馬鹿みたいでしょ」

「いいや?」


 たまらずこぼした自嘲にも水明は笑わない。ポンポンと私の頭を叩くと、


「お前が東雲を好きなのはいつものことだからな」


 と言って、そばに寄り添ってくれた。


「うう~。確かにそうだけどさ……」

「今更だろ」


 唇を尖らせて水明を睨みつける。

水明は「別にいいんじゃないか」と目を細めた。


「正直、俺には父親を好きな気持ちは理解できない。うちもいろいろあったからな。そんな俺でも、お前らみたいな関係の方がいいんだろうってことくらいはわかる」


 ハッとして口を噤む。

 水明の父親である清玄さんと彼の関係はとても複雑だ。祓い屋という因果な家業を営む家系に生まれた業が、彼ら親子を歪めてしまった。もうすでに決着はついているものの、普通の親子のように接するのは難しいのだろう。


「……なんかごめん」


 思わず謝れば、水明は苦く笑った。


「なにを謝ることがある? 気を遣いすぎだ、お前は」


 穏やかな表情を湛えた水明がまとう雰囲気は、秋空のように澄み渡っている。


「知らないことがあって寂しいなら、もっと知る努力をすればいいんじゃないか」

「……水明」

「好きな相手のことを知りたいと思うのは、ごくごく普通のことだろ?」


 どこまでも優しい水明の言葉に「そうだね」と大きく頷いた。

 顔を上げれば、山際に夕陽が沈んでいくのがわかった。眩しさに手をかざす。それでも夕陽を完全には遮れない。赤光に染まった世界は目に染みるほどに輝いて見える。


「私もいつか、東雲さんみたいにすごい仕事ができるのかなあ……」


 たぶん、私の仕事はまだまだ東雲さんの域に達していない。だからこそ、先ほどのキヌイの言葉に反応できなかった。すごいと言われるには時期尚早。もっと精進しなければ、養父のように多くの人やあやかしに感謝されないだろう。


 ――努力を重ねれば、養父の背中に追いつく時が私にも来るのだろうか。


「できる限り、俺も手伝うさ」


 ポンと頭を叩かれて、なんだか泣きたくなった。


「……ありがと」


 ふと、あることを思いついて口を開く。


「水明のことも、もっと教えてね」

「……なんでだ?」


 不思議そうに首を傾げた水明にニコッと笑った。


「だって好きな人のことは知りたくなるんでしょ?」


 途端、水明の顔が茹で蛸みたいに真っ赤になった。ぎこちない動きで視線を逸らした水明に、内心で「可愛い奴め」とほくそ笑むが、すぐに私まで赤くなる羽目になった。


「お前こそ、もっといろいろと……俺に教えろよ」

「……!」


 びっくりして固まる。

勢いよく顔を逸らして「うん」だの「わかった」だのボソボソと返事をした。


――ううう。からかったつもりだったのに!


「……ねえ、なんなのかしらね。これ」

「仲がよくていいんじゃない?」


 火照った頬を手で冷やしていれば、いつの間にやら戻ってきたわんにゃん二匹が、私たちを呆れた様子で見つめていた。


 思わずジロリと睨みつければ――。


「おうい! ちょっとこっちこいよ。夏織様に見せたいものがあるんだ!」

 と、キヌイが声をかけてきた。


「はあい! 今、行きます!」


 恥ずかしさを紛らわせるように慌てて立ち上がる。

 そそくさとキヌイの元へと向かった。彼がいたのは、とある平屋建ての家屋の前だ。

そこは、機織りの作業小屋のようだった。


 ――きい、きい、ぱたん。きい、きい、ぱたん。


 小気味いい音が室内に響いている。中ではひとりの女性が作業に勤しんでいた。


「わあ……。すごい」


 見慣れない作業風景に思わず声を漏らす。織られているのは白い反物だ。黄みがかった柔らかな白。輝くような光沢があり、上質な絹糸が使われているだろうことが窺える。


「なあ。〝アレ〟ってもうできてるんだっけか。東雲様の」


 キヌイの問いかけに、機を織り続けていた女性が手を止めて答えた。


「あと一ヶ月くらいはかかるわよ。東雲様の肝いりの注文よ。丁寧にやらなくちゃ」

「そっか。なんだよ~。せっかく来たんだから見せてやろうと思ったのに」

「は……? アンタ、なに言って……」


 瞬間、女性と目が合った。

ぺこりと頭を下げれば、女性がギョッと目を剥いたのがわかる。


「あの、父がお世話になっています。東雲の娘の夏織です。養父が、こちらになにか頼んでいるのでしょうか……?」


 首を傾げて問いかければ、女性が勢いよく立ち上がった。


「ちょっと! 馬鹿なのアンタ!」


 女性の手がキヌイの頬に飛ぶ。パーン! と、逆に気持ちいいくらいの音がした。

驚きのあまり固まっていると、キヌイが女性に涙声で抗議する。


「なっ、なにするんだよ! 痛えな!?」

「痛えなじゃないわよ、この馬鹿ッ!」


 女性はキヌイをジロリと睨みつけ、今度は貼りつけたような笑みをこちらに向けた。


「な、なにも注文なんて受けてませんよ~。は、はははは……」


 そして私の背を押して小屋の外へと誘導する。


「ほら! もうそろそろ、宴の準備が終わったんじゃないですかね! ここまでいい匂いがします。うちの若い衆が踊りも披露しますから、ぜひ見てやってください!」


 グイグイ私の背を押して、水明ともども小屋から追い出してしまった。

 背後でガタガタと引き戸が閉まる音がする。

 閉め出された私たちは当惑するばかりで、堪らず水明と顔を見合わせた。

女性は怒り心頭だ。中でキヌイに怒鳴っている声がする。


「……なんなんだろ」


 私はこっそり首を捻りながら、今まさに織られている最中の反物の美しさを思い出して、ほうと息を漏らしたのだった。

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