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閑話 あやかしの夏4:彼女の事情と心の内

 夜を越える度に、蝉の鳴き声は大きくなっていき、日中の暑さは増していく。

 いよいよ夏本番を迎えた隠世は太陽がないからか、現世の――特に、都内のうだるような暑さに比べれば、どうってことはない。けれども、はつ(・・)と佐助の棲み家の森はそうはいかない。


 燦々と降り注ぐ真夏の太陽。

 熱風と化した夏の風が頬を撫でて、高い湿度が汗を噴き出させる。そんななか、冷房ひとつない屋外で、連日読書するはめになっている俺たちは疲れ切っていた。


 それなのに、はつ(・・)と佐助は元気いっぱいだ。

 本を自分の周りに積み上げて、興奮気味にページを捲って、額を突き合わせて内容を語り合っている。



「すごいや! おならで空を飛ぶの……!? 僕も飛べるかなあ」

「きっと飛べるわ! お芋をいっぱい食べたら、ぷーって!」

「やってみよう!」

「ちょ、待って! 佐助、脱がないの!! おならで空は飛べません!」



 夏織は自由な子どもたちに翻弄されて、大わらわだ。慌てる夏織を見て、ふたりは朗らかに笑った。

 そして、佐助は何を思ったのか、俺に近寄ると手にした本の挿絵を見せてきた。

 そこには、放屁しながら空を飛ぶ、猪のキャラクターの絵があった。



「おじさんは、大人なんだから飛べるよね!?」

「飛べない。それに、俺はおじさんじゃない」

「えー。大人なのに。つまんない」

「お前らは、おならなんて使わなくても、その背中にある翅で飛べるだろう……」



 ふたりは顔を見合わせると、「確かに!」と、またケラケラと笑った。子どもの楽しそうな笑い声が、古びた庵の中に響いていく。それはとても穏やかな夏のひととき。けれど、夏織が浮かべる笑顔だけが、どこか歪でぎこちない。穏やかな時間のなかで、その小さな違和感だけがやけに際立っていた。


 ――遊び疲れた子どもたちがお昼寝し始めた頃。



「……冷やし飴、美味しいねえ」



 夏織は、汗を拭きながら、生姜をたっぷりと効かせたそれを飲み、ほっと一息吐いた。

 時折、眠るはつ(・・)と佐助に優しげな視線を送り、頭を撫でながら、遠くを眺めている。


 黒猫は口にタオルケットを咥えて、ふたりに掛けてやっていた。そして、普通の猫のサイズに体を戻すと、自分もタオルケットの中に潜り込んで丸くなった。



「ふたりとも、ありがとうね。付き合ってくれて」



 夏織は開きっぱなしだった本に栞を挟むと、ぱたんと閉じた。

 俺は夏織の横に座ると、自分も冷やし飴を口にした。舌にピリッと来る生姜の刺激。その優しい飴の味は、暑さで疲れた体にじんわりと沁みて、余分な熱を冷ました後に、体の内部から優しく温めてくれる。


 俺は透明な氷の浮かんだコップを見つめながら、ぼそりと言った。



「……別に構わない。世話になっているのだし」



 すると、夏織は表情を緩めて、もうひと口冷やし飴を飲んだ。

 からりと、氷が鳴る音が庵の中に響く。風が吹き、サワサワと葉擦れの音をさせている。ふたり、黙ってその音に耳を傾ける。どちらかと言うと、いつも誰かと賑やかにお喋りをしているイメージの夏織と、こんな静かな時間を過ごすのはなんだか妙な気分だ。


 俺は飲み終わったコップを床に置くと、ぼうっとしている夏織に尋ねた。



「……なあ、何かあったのか?」

「へっ……?」



 すると、夏織は間抜けな声を上げた。

 そして、何度か目を瞬くと、眉を下げてなんとも情けない顔になった。



「水明は……なんだろねえ。意外と人を見ているね」

「意外とはなんだ、失礼な」

「へへ……」



 夏織は緩んだ笑みを浮かべると、自分に寄りかかって眠るふたりの頭を撫でた。



「この子たちと会うのは、10年ぶりなんだ」

「……?」



 その言葉に、思わず首を傾げる。目の前の子どもたちは、然程歳をとっているようには見えない。なのに、10年振りとは……生まれた時に会ったきり、という意味だろうか。

 俺がじっと考え込んでいると、夏織はそれに気が付いてひらひらと手を振った。



「……ああ、違うの。なんて言ったらいいんだろう。はつ(・・)と佐助と出会ったのはね、私が12歳の頃――森に、にゃあさんと遊びに来た時だった。あの年の夏は、本当に暑くてね。蝉の鳴き声がすごかったっけ……」



 ふと遊びに来た森の中で、はつ(・・)と佐助はふたりぼっちで佇んでいたのだと言う。



『あそぼ』



 ふたりは今と全く変わらない姿(・・・・・・・・・・)で、そう言って夏織に手を差し伸べたのだそうだ。



「私、なんだかきょうだいが出来たような気持ちになってね。嬉しくって、ふたりの相手をしながら、いっぱい遊んだの」



 その頃から、夏織は世話好きだったらしい。出会ってから数日間、四人は楽しく遊んだ。そしてふたりは、夏織の家が貸本屋をしていることを知ると、本を貸して欲しいと言ってきたのだそうだ。



「この子たちが言うにはね、本をたくさん読んで内容を覚えておけば、退屈も紛れるだろうからって」

「……どういうことだ?」



 意味がわからず尋ねると、夏織はそれには答えずに、少し遠くを見て――けれども、眠っているはつ(・・)の髪を撫でてやりながら話を続けた。



「年の近い子どもが、近所にはあまりいなかったからね。この子たちとの時間は、とても楽しかったわ。いっぱい遊んだし、やまほど本を読んだ。毎日、朝が来るのが待ち遠しかった。自分より、小さい子なのにね。よっぽど、友だちに飢えていたのね……」



 熱を含んだ夏の風が、さらさらと庵を通り抜けていく。夏織の茶色い髪がふんわりと風に靡き、彼女の頬に掛かった。

 夏織は髪を耳に掛けると、瞼を伏せて、悲しそうな表情をした。その顔は酷く大人びていて、何かを諦めているような、そんな趣があった。



「ある日の朝。数日間雨が振り続けた後、やっと晴れたって大喜びして、この庵ににゃあさんと遊びに来たのよ。そうしたら――この子たちは、息も絶え絶えになって倒れていた。びっくりしたわ。もう、混乱してしまって、悲鳴を上げて駆け寄った」



 ふたりは手を繋いだまま横たわり、うっすらと夏織を見て笑ったのだそうだ。



『……ありがとう』



 ――そして、息を引き取った。


 すると、夏織は震える手で自分の体を抱きしめた。当時のことが、生々しく脳裏に浮かんでいるのか、視線を宙に彷徨わせて、顔を青ざめさせている。



「息が止まった瞬間、ずしん、って重くなるの。みるみるうちに、温かい体は末端から冷えていって、顔色が青くなって、最後には土気色に――」

「夏織!!」



 思わず声を荒げて夏織を止める。夏織ははっと顔を上げると、曖昧に笑った。



「……あ、ごめ……」



 そして、はあ、と息を吐くと、今度は眠る佐助の頬に触れた。



「私、知らなかったの。この子たちが、『蝉』のあやかしなんだってこと」

「――蝉?」



「蝉」のあやかしなんて、聞いたことがない。すると、夏織は俺の考えを読み取ったように、小さく笑った。



「何も、人間が知覚して、名付けたものだけがあやかしじゃないのよ。この子たちは蝉の化身。蝉と同じ運命を辿るあやかし――」



 夏織は大きく息を吸うと、長く長く息を吐いた。



「……蝉って、よく短命って言われるでしょう。確かに、成虫になって地上に出てきたら、そんなに長くないわ。でも、卵から孵化した後、地下で何年も、何年も過ごすの。昆虫としては、びっくりするくらい長生きよね」



 その時、ふと蝉の鳴き声が止んだ。

 風も止み、葉擦れの音もしない。普段騒がしい夏の森の中で音がしないと言うのは、酷く違和感を伴うものだ。俺はどこか気持ち悪さを感じながら、それでも夏織の話に耳を傾けた。



「この子たちは、地下で過ごす時間が、退屈で退屈で仕方がない蝉たちが見た夢の欠片。彼らが創り出した想いの結晶。この子たちは、普通の蝉のように生まれ、土の中で長い時を過ごし、地上に出て来ては――寿命を迎えて、死ぬ。そして、新しい個体として生まれ変わる(・・・・・・)。それを延々と繰り返しているのよ」



 俺はごくりと唾を飲み込むと、夏織に尋ねた。



「それは――一体、何のために?」



 すると、夏織はゆっくりと首を振った。



「理由なんて、私にはわからないわ。この子たちはある日突然発生(・・)した。ただ、それだけのこと」



 夏織はそう言うと、きゅっと下唇を噛み締めた。



「私は貸本屋よ。物語を、あやかしに届けるのが仕事だと思っている。私の仕事が、この子たちの慰めになるなら、なんて素敵だろうと思う。でもね、でも――……」



 夏織は想いが溢れて来たのか、唇をわずかに震わせて、俯いた。

 瞳からは、透明な雫が今にも零れ落ちそうになっている。一瞬、体の奥底がそわそわとして、自分の手が知らぬ間に動いているのに気が付いた。けれど、その手をどうしたいのか自分にはわからなくて、ゆっくりと下ろす。

 そんなことをしている間に、夏織は自分で涙を拭うと、ふうと息を吐いた。



「生まれ変わったって言っても、あの時の子とは、別の子だってわかっているの。貸本屋のことは覚えていても、私のことは覚えていないみたいだしね。でも、姿は一緒なのよ。あの時と変わらない笑顔を向けてくるふたりが、またああなる(・・・・)のかと思うと――苦しくて」



 夏織はそう言うと、悲しそうな笑顔を浮かべた。

 ……なんて顔をするのだろう。

 一見、脳天気に見えるこの娘が、これほどのものを抱えているとは思えなかった。


 ――どうにかして慰めたい。

 そんな想いが沸き起こる。けれど、今まで他人との接触が極端に少なく、自分の感情さえ把握できない俺に、どうすればいいかなんてわかるはずはなかった。


 その時、ふと思い浮かんだのは、悲しそうに俺を見つめる母の顔と言葉だ。



『……どうしても寂しくなったり、感情を爆発させたくなったら、犬神を抱いて眠るのよ』



 俺はタオルケットの中に手を突っ込むと、黒猫の首根っこを捕まえた。



「みぎゃあ!?」



 そして、悲鳴を上げる黒猫を夏織の胸に押し付ける。そして、目を白黒させている彼女に向かって言った。



「そういう時は、ふわふわの温かいやつを抱いて少し寝るんだ。そうすれば、さっぱりする」

「……なにそれ」

「水明、なにするのよ!?」



 俺は抗議の声を上げる黒猫をじっと見つめると、その鼻を思い切り摘んだ。



「お前も、友だちなんだろう。わからないなんて言っていないで、もっと寄り添ってやれ」

「ふぎゃ! ……もう! あんた、意外と乱暴ね!!」



 黒猫は鋭い牙を剥き出しにして俺に威嚇をすると、くるりと夏織の方を振り返った。そして、ぺろりと涙で濡れた頬をひと舐めした。



「辛いなら、我慢する必要なんてないわ。あたしが代わる。猫なんだもの、あんまり深く考えていないのよ! 言わなくちゃわからないじゃない!! ……ちゃんと、口に出しなさい、馬鹿。親友でしょ」



 すると、夏織は目を見開くと、顔をふにゃふにゃに緩めて、黒猫に頬ずりした。



「……ありがとう、親友。じゃあ、お言葉に甘えてちょっと寝るわ」

「寝るのは得意中の得意よ。任せておきなさい」

「さすがぁ」



 夏織はそう言うと、ごろんとその場に横になった。腕の中に黒猫を抱きしめて、体を縮こませる。俺はそこにタオルケットをもう一枚掛けてやる。すると、夏織はうっすらと目を開けて、徐に鞄を指さした。



「団扇入っているからさ。よろしくね!」

「……どういうことだ」

「だぁって、ここ暑いもの」



 夏織はそう言うと、楽しそうな笑顔を浮かべて俺を見た。

 ――それは、先ほどまでのとは全く違う、本当の笑顔。

 俺は小さく肩を竦めると、鞄から団扇を取り出してゆっくりと扇ぎ始めた。



「……極楽。極楽」



 夏織はそう言うと、ゆっくりと目を閉じる。

 気がつけば、森の中に蝉の鳴き声や葉擦れの音が戻ってきている。

 庵の中を通り抜ける風は、相変わらず熱を含んでいるけれど――なんとなく、この場に流れる空気が軽くなったような気がして、そんなに悪い気はしなかった。


 *


 夕暮れ時になり、全身汗まみれのまま貸本屋に戻る。

 するとそこには、非常に賑やかな面子が集まってきていた。



「夏織! 今日はナナシ特製の流しそうめんよ〜! いっぱい食べなさい!」

「今日は、夏織に特等席を譲るからな。一番、そうめんが取りやすいとこな。今回だけだぞ。ほれ、ここな。座布団もお客様用だぞ。あっ、それとこれはめんつゆな!」

「薬味は何にする〜? オススメは茗荷(みょうが)かなあ。きゅうりを揉んだ奴と、ラー油もあるよ!」

「え? え? え? 待って、なに!?」



 夏織は男三人に脇を抱えられると、あっと言う間に裏庭に連れて行かれ、縁側に座らされて、更にはつゆの入った器を握らされた。その素早い行動に、夏織は状況を理解出来ずに、きょとんとしている。


 狭い裏庭では、既に流しそうめんの準備が整っていて、たっぷりのそうめんが入った桶を手にした東雲が待ち構えていた。


 東雲は、ニカッと白い歯を見せて笑うと、どんと自分の胸を叩いた。



「最近、落ち込んでいただろ。お前、流しそうめん昔から好きだったよな。いっぱい食って、元気出せ」

「ななな、何よ。何なのよ、急に……」



 夏織は居心地悪そうにもぞもぞすると、つゆの入った器を握りしめたまま、東雲を睨みつけた。すると、東雲は目を細めると、大きな手で夏織の頭をワシャワシャと乱暴に撫でる。そして、その場にしゃがみ込み、座っている夏織と視線の高さを合わせると、穏やかな口調で言った。



「……辛かったら、言えよ。代わる」



 奇しくも、黒猫を同じようなことを言った東雲に、夏織は堪らず噴き出すと、クスクスと笑いながら言った。



「大丈夫よ。やるって最初に決めたのは私だもの。やりきるわ」

「……そうか」



 東雲は、夏織がしっかりと頷いたのを見ると、徐に立ち上がって、たすきがけをして袖を止めた。そして、気合を入れて竹筒の傍に立った。



「んじゃあ、腹いっぱい食って元気になれ! オラ、流すぞォ!」



 すると、いつの間にか準備万端待ち構えていた銀目が、箸を手に元気いっぱい叫んだ。



「よっしゃ来い!」

「……銀目、夏織のぶんを取るなよ!? ぶっとばすぞ!」

「大丈夫、大丈夫! ……多分!!」

「オイ、金目。愚弟を止めろ!」



 わあわあ騒いでいる男たちを眺めながら、夏織はなんともむず痒そうに笑うと、ぽつりと呟いた。



「……もう、子ども扱いしないでよ。馬鹿」



 そして、勢いよく立ち上がると、流しそうめんを巡ってバトルを繰り広げている皆の輪に加わった。



「ほら、水明ちゃん。あんたも、こっちおいで!」



 ナナシが俺を呼んでいる。夜になって、涼しい風が吹き込む隠世で、俺は小さく笑うと(・・・・・・)、サンダルを履いて裏庭に降り立った。

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