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養父の背中1

 ――パチン、真っ赤な炭が爆ぜた。


 カタカタと秋風が悪戯に窓ガラスを揺らしている。

吹き込んでくる冷たい隙間風に身を縮めた私は、長火鉢に追加の炭を入れた。


 木枯らしが吹きすさぶ秋の日である。冬ほど寒くはない。しかし、コタツを出すには少々気が早い……そんな日は、私はいつだって東雲さんの部屋に入り浸った。

 四畳の狭い部屋だ。押し入れがある他は、壁いちめんに本棚が設えてあって、執筆用の小さな文机がひとつ置かれているだけ。畳の上には、東雲さんが仕事に使う資料やら、書き損じの原稿やらが散乱していた。綺麗に片付いているとは言いがたいが、ほどよく狭いこともあり長火鉢ひとつ出せば室内がすぐに暖まる。それが東雲さんの部屋に入り浸る理由。けっして経済状態がいいとは言いがたいわが家では、燃料の節約は切実だ。


 ――まあ。今年は去年ほど切羽詰まっていないけどね。


 手もとの家計簿を眺めながら笑みをこぼす。

 ちらりと背後に目線をやれば、黙々と執筆に励む養父の背中があった。


 ここ最近、東雲さんの様子が変だ。

 好きだったお酒を飲まなくなった。以前は締めきり直前までダラダラしていたのに、暇があれば原稿に向かっている。店番の時だって、適当な値段で本を貸したりしなくなった。

 おかげで今年の売り上げは上々だ。去年のように年越しの心配をする必要はないだろう。


 どうして養父が変わってしまったのか……?


 その原因に私は思い当たることがあった。

 夏ごろのことだ。東雲さんの親友である玉樹さんが亡くなった。

 丸いサングラスにド派手な羽織、中折れ帽を被った怪しげな男、玉樹さん。

東雲さんが幽世に来たころからの付き合いで、養父は彼とふたりで『幽世拾遺集』という本を出版していた。


『幽世拾遺集』。それは、幽世に棲まうあやかしたちが語る説話をまとめた本である。

 あやかしたちには、自分で物語を創作したり書き記したりする文化はない。しかし、現し世にはあやかしに関する書物がたくさん遺っている。


それはなぜか? 人間があやかしを記録して文書としてきたからだ。


遠い昔、いまだ科学が発展していない時代、人とあやかしの距離は今よりもずっと、ずっと近かったらしい。人々は暗闇の中から気まぐれに姿を現すあやかしに怯え、当然のように彼らの姿形を描いたり、関連あるエピソードを書き残した。玉樹さんもそのひとりだ。


彼の雅号は「鳥山石燕」。

江戸時代に『画図百鬼夜行』を刊行したことで知られている妖怪画の大家だ。


 玉樹さんたちのような人々に支えられ、多くのあやかしは自分たちが生きた証を世に遺してきた。しかし時代は変わってしまった。科学が発展した現代では、あやかしと人間の接点がほぼなくなってしまったのだ。


 かつてあやかしたちが棲み家としていた闇は、ことごとくが科学の光で照らされ、曖昧な存在はほとんどが原因を証明されてしまった。現し世にあやかしたちが存在する余地がなくなってしまい、彼らは逃げるように幽世に移り住んだ。


 それはあやかしにとって〝自己の存在〟を遺してくれる媒体を失ったのも同義だ。


だから、ふたりはあやかしたちのことを書き記した本を創ることに決めた。

誰にも知られないまま消えて行くあやかしを、少しでもなくそうと考えたのだ。


――一巻を刊行した時、東雲さん二巻も出すぞって息巻いていたっけ……。


玉樹さんもやる気だったように思う。『幽世拾遺集』は、ふたりにとって絶対に成し遂げるべき仕事という位置づけなのだろう。

……しかし、二巻を刊行する前に玉樹さんは亡くなってしまった。東雲さんは玉樹さんの遺志を継ごうとして、今まで以上に懸命になっているのだ。


本人に直接聞いたわけではない。ただの私の想像だ。でも、あながち的外れではない気がしていて、根を詰めて執筆している東雲さんに休めと言えないでいる。


ふう、とひとつ息を吐いた。ぱちん、と再び炭が爆ぜた音がする。


――私は東雲さんになにをしてあげられるかなあ……。


娘だもの。できれば応援してあげたいが、創作に関して私は役立たずだ。ならば、サポートに回るしかないだろう。


「……よしっ!」


 ちらりと時計に目を遣れば、すでにおやつの時間だ。

 冷え切った台所に駆け込み、戸棚の中を漁って意気揚々と東雲さんの部屋に戻る。長火鉢の横に陣取って上に網を置いた。網に並べたのは、棒状にカットされた全長三~四センチほどの〝秋冬のおやつ〟……干し芋である。


 脳が疲労した時に必要なのは糖分だ。干し芋なら腹持ちもいいし、何度も噛むことで脳が活性化するだろう。効率よく仕事をするために栄養摂取は欠かせない。


 腕まくりして気合いを入れた。

 美味しいおやつを用意して、養父の執筆を応援するのだ!

 東雲さんサポート大作戦の始まりである。


 ――まあ、炙るだけなんだけど。


 色気がないなと苦笑をこぼしていれば、炭火にちりちりと炙られた干し芋から、ぷんと蜜に似た匂いが漂ってきた。


――はあ……! あま~い匂い……!


こくりと唾を飲み込んで、干し芋を菜箸でコロコロ転がせば、表面にきつね色の焦げができているのがわかった。よしよし、これくらいでいいだろう。食べ頃だ。

もちろん飲み物の準備も万端である。干し芋に合わせるといえばこれ。


冷たい牛乳……!


干し芋と牛乳。最高のタッグである。文句は受け付けない。個人の嗜好は自由なので。


 お盆に飲み物とおやつが載った皿を載せて、そっと東雲さんに近寄る。


「……東雲さん?」


 声をかけながら顔を覗き込んでみたが、東雲さんはこちらに一瞥もくれない。私がそばに来たことにすら気づいていないのだろう。とても集中しているようだ。

 筆が乗った東雲さんは深海で眠る貝のように自分の中に閉じこもる。

なにも口にしないまま、延々と執筆し続けるなんてザラだ。


 ――それで、翌日にエネルギー切れを起こすんだよねえ。


 その後、半日ほど死人のように眠るのが東雲さんの行動パターンだ。

 ふむと頷いて動き出す。なにも食べないまま長時間労働するのは体によくない。かといって、せっかく仕事に集中しているのに邪魔をするような無粋なことはしたくない。


ならば手段はひとつである。


 ぷすりと干し芋に爪楊枝を突き刺した。ふうふうと息で冷まして、そのまま東雲さんの口もとに差し出してみたが、東雲さんはおやつの存在に気づかない。仕方なしにツンツンと干し芋で唇を刺激してやれば――ぱくりと食いついてきた。


「……おお」


 上手くいった。こちらに一瞥をくれないままモグモグ咀嚼している東雲さんを満足げに眺め、ストローを刺したコップを口に近づけた。


「……おお~」


 これも上手くいった。無意識にストローに吸い付いた東雲さんは、ごくごく喉を鳴らして牛乳を飲んだ。一気に半分ほどになったコップの中身をのぞき込み、にっこり笑む。


 ――なんだか小動物の餌やりをしている気分。


 拾ったばかりの銀目金目に、初めて餌をやった時は感動したなあ。

 今は立派な烏天狗に成長した幼馴染みたちの雛姿をしみじみと思いだしつつ、再び干し芋を東雲さんの前に差し出した。ぱくり、もぐもぐ。東雲さんは無言で咀嚼するばかりで、なんの反応も示さない。味がわかっているのだろうか……?


 ふと、ちゃんと美味しいのだろうかと疑問に思った。


 万が一にでも不味かったら、かえって仕事の邪魔になるのではないか?

 ひとつだけ失敬して自分の口に放り込む。ほふっと口から熱い蒸気が出た。


「んんっ。ちゃんと美味しい」


 ふわふわと頬が緩む。炭火で炙ったせいか、表面はカリッ! 中はしっとり、そしてねっとり。蜂蜜を思わせる濃厚な甘みが口の中いっぱいに広がる。これはいい。後で自分のぶんも焼こうと決意する。


「こんなに美味しいのに。気づかないほど集中してるんだねえ」


 しみじみ呟いて、もうひとつ東雲さんへ干し芋を差し出した。牛乳と交互に口もとへ運んでやれば、あっという間に皿とコップが空になった。

この調子なら、夕飯も同じ方法で食べてくれるだろう。スプーンに載せて口もとに運びやすいメニューにするべきかもしれない。チャーハンなんかはどうだろう。


台所に食器を下げて再び部屋を覗き込めば、東雲さんの大きな背中が見えた。


「…………」


 ちょっとだけ考えて、本棚からお気に入りの文庫を取り出す。クッションを抱えて東雲さんの背後に座る。とすんと養父の背中に寄りかかった。服越しに伝わってくるほのかな熱がなんだかくすぐったい。


「お仕事がんばって」


 小さくエールを送る。ぴたりと東雲さんの筆が止まったが、すぐに動きを再開する。

 まるで返事の代わりみたいだ。クスクス笑って、おもむろに文庫のページを開いた。

 ――パチン、と炭が爆ぜた音がする。カタカタ秋風でガラスが揺れる音。ときおり混ざるのは、私がぺらりとページを繰る音に、東雲さんがボリボリ頭を掻く音だ。


 静かな午後のひととき。

 会話はないけれど、なんとも居心地いい空間だった。

 だけど、そういう状態は長く続かないものだ。


「はいっ! お邪魔するよ~~~~!」

「ひっ!! 遠近さんっ!?」


 穏やかな午後の雰囲気をぶち壊し、したーん! と勢いよく引き戸を開けて現れたのは、東雲さんのもうひとりの親友、河童の遠近さんである。


高そうなブランドスーツで全身を固めたダンディなおじさまは「やあやあ! 元気だったかい!」と上機嫌に私へ挨拶した。かと思うと、背後にいた誰かに指示を飛ばす。


「ほら。ここまで持って来てくれたまえ。ああ! 雑に扱うんじゃないよ。慎重に」

「くっそ! やっと着いた~~~~! 重すぎるだろこれ、遠近ァ!」

「……ひい、銀目と違って僕は体力ないんだからさあ。勘弁して……」


 遠近さんの後ろから姿を見せたのは、烏天狗の双子である金目銀目だ。

彼らはやたら重そうな段ボールを手に、息も絶え絶えに部屋へ入ってきた。


「だ、大丈夫? ふたりとも。というかなに? すごい荷物だけど」

「遠近に聞いてくれよ……。ああもう駄目、死にそう。夏織、お茶……」

「ぼ、僕も。できれば冷たいの……」

「はいはい! ふたりとも座ってて!」


 よほど体を酷使したのか双子は汗だくだ。少々焦りつつも腰を浮かせた。

疲労困憊な双子と違い、遠近さんは元気いっぱいな様子だ。

ズカズカと東雲さんへ近づいたかと思うと、養父の背中を容赦なくたたき出した。


「ちょ、遠近さ……!」


 せっかく集中しているのにと止めに入ろうとする。この状態の東雲さんは滅多なことじゃこちらの世界に戻ってこない。しかし、遠近さんの言葉は、深層まで沈んでいた東雲さんの意識を浮上させるのにじゅうぶんな威力を持っていたようだ。


「東雲! 新刊だよ! 新刊が刷り終わったんだ!」

「……ああ?」


 今までまるで反応がなかったのに、東雲さんが顔を上げた。パチパチと目を瞬き、じっと遠近さんを見つめる。遠近さんがこくりと頷けば、途端に東雲さんの目が輝き出した。


「マジか」

「ああ! 大マジだ!」


 がばりと東雲さんが段ボールに抱きついた。ポカンとしている私と双子をよそに、バリバリと包装を開けていく。中身をひとつ手にすると頬を紅く染めた。


「『幽世拾遺集』の二巻……!」


 パラパラとページをめくる。ものすごい勢いで紙面を東雲さんの視線が滑っていく。

最後のページへ到達した後、東雲さんはじっくりと本の装丁を眺めた。表紙には、独特な筆遣いで描かれたあやかしたちの絵がデザインされている。


「……玉樹。ちゃんとできたぞ」


 ぽつりと呟いた東雲さんの瞳に、じんわりと涙が浮かんだのがわかった。

『幽世拾遺集』の二巻。つまり、東雲さんと玉樹さんがふたりで成した最後の仕事――。


 ――ちゃんと本を刷るところまで進めてあったんだ。


きゅうと胸が苦しくなった。なんだか私まで泣きそうだ。


「いい出来だと思うよ。私は」と遠近さんが朗らかに笑えば、東雲さんはクシャクシャと顔を歪めて涙を拭った。洟を啜ってニッカリと笑う。


「礼をしに行かなくちゃな」

「だねえ」


 ふたりはしんみりした様子で頷き合っている。


「お出かけするの?」


 私が問いかけると、東雲さんは「話を提供してくれた奴へ挨拶に行く」と頷いた。


 ――そういえば、一巻が出た後も数日かけてお礼行脚していたっけ。


ならば旅支度をしなくてはいけないだろう。寒いだろうから、羽織とマフラーと、場合によってはコートもいるかもしれない。荷造りに頭を悩ませていれば、東雲さんが予想外のことを言い出した。


「夏織、お前も来い」

「えっ?」


 キョトンと目を瞬く。


「お店は? 閉めるの?」


 ふたりで店を空けるなんて滅多にないことだ。ひとりでも多くのあやかしに本を貸し出したいからと、決まった休みの日を設けていないくらいなのに。


東雲さんは「別にいいだろ」と率先して休業の張り紙の準備をし始めた。

どうにも普段とは違う反応に首を傾げていれば、双子が元気いっぱいに騒ぎ出した。


「え! 夏織と出かけんの? 俺も行きたーい!」

「じゃあ僕も。銀目が行くなら僕もっ!」

「駄目だ。お前ら修行があんだろが。なに言ってんだ」

「「ぶ~~~~!!」」

「うるせえな。僧正坊に言いつけるぞ!」


 東雲さんと双子が喧々囂々とやり合っている。

 私は遠近さんと目を合わせて……思わず苦笑をこぼしたのだった。

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