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エピローグ:残月の下で未来の話を1

「ちょ、ちょっと待って下さい……! 今さっき、人魚の肉なんて使わなくてもいいって結論になったじゃないですか! 聞いてなかったんですか!?」


 せっかく丸く収まりそうだったのに、問題をぶり返しかねない人魚の肉売りの発言に、私は慌てて止めに入った。肉売りは心底不思議そうに首を傾げる。


「――ええ? なにも問題は解決してないじゃないか。僕の出番だと思うんだけどな?」


 人魚の肉売りの言葉に、その場にいた全員が微妙な顔になった。

 ――確かにそうなのだ。

 孤ノ葉の恋路は頓挫したまま、彼女の願いはなにひとつ叶っていない。

 そんな私たちに、人魚の肉売りは軽快に語り始めた。


「僕なら、君たちの願いをすべて叶えることができるよ。恋人を人外へ変えることも、白蔵主から人間への嫌悪感を拭い去ることも。そうだ! 狸の娘さんに特別な力を授けることだって可能さ。そうしたら、これからも狐の子の願いを叶え続けることができる」


 緑色の瞳が妖しく光る。彼はニィと微笑んで言った。


「おまけに不老不死までついてくる。最高じゃないか。この機会を逃す手はないよ。僕に君たちを救わせておくれ!」


 ――もう、我慢できない!

 耐えきれず、私は一歩前へ出た。


「本当にそう思いますか? そんなの、ただのその場しのぎじゃないですか……!」

「……その場しのぎ?」


 キョトンと首を傾げた肉売りに、私は力強く言った。


「確かに願いは叶うかもしれない。でも、人外に変えられた人は、人じゃなくなってしまった自分とどう折り合いをつけるんです? 白蔵主の感情を自分の都合で操作した孤ノ葉は、ずっとその事実を抱えて生きなくちゃいけない。月子がたとえ特別な力を手に入れられたとしても、それに副作用がないと言えるんですか? 清玄さんは、人魚の肉に分不相応の力を望んで、内臓が腐り落ちる痛みにずっと苛まれてるそうじゃないですか!」

「――なあんだ、そんなこと」


 しかし、私の言葉は肉売りにまったく響かなかったようだ。

 彼は、なんの邪気の欠片も感じさせない綺麗な笑みを浮かべ、言った。


「そんなの――永遠を得られることに比べたら、些細なことだよ」


 そして人魚を顔の高さまで持ち上げると――うっとりと銀色の鱗を眺める。


「どんな苦悩も、時間がすべてを解決してくれる。確かに、その時は苦しいかもしれないけど、そのうちすべてがすり切れてどうでもよくなるんだ。僕だってそうさ。永い時間の果てに待っているのは、なんの混じりけもない純粋な幸福。なにも心配することはないよ」


 目を細め、まるで子どものような笑みを浮かべた。


「だから人魚の肉をあげるよ。僕が救ってあげる。一緒に永遠の中で生きよう!」


 その発言に、ゾッとして全身に鳥肌が立った。

 肉売りの言葉や行動は、どこまでも純粋な善意から来るもののように思えたからだ。

 それはまるで、お隣にお裾分けをする瞬間のような――素朴な優しさ。

 しかし、彼が手にしているのは、人間を不死の存在に変えてしまうほどの劇物だ。そんなものを気軽に食べろと勧めるなんて、心底理解できない。肉売りがどういう価値観を持っているのかがまったく測れなくて、まるで異星人と相対しているような恐怖が募る。


「……駄目です」


 でも――恐ろしいからって怖じ気づいてはいられない。孤ノ葉と月子は、本音をぶつけ合って頑張ったんだ。なら、ここからは私の出番……!

 私は孤ノ葉と月子を守るように立ちはだかると、大きく両手を広げた。


「問題がうやむやになったって、なんの解決にもなりません。苦しくても辛くても、それを乗り越えていくことが大切だって、私は思います。絶対に、人魚の肉をふたりに食べさせたりはしません。だって……この子たちは私の友だちだもの!」

「夏織……」

「孤ノ葉、月子と一緒に白蔵主のそばにいて。お父さんが守ってくれる。そうですよね?」

「――あ、ああ。任せてくれ」


 白蔵主の反応を確認した私は、ジロリと人魚の肉売りを睨みつけ、更に言葉を重ねた。


「この子たちになにかするつもりなら、私を倒してからにして!」


 はっきりと宣言する。私の〝器〟はとても小さいけれど、守ってみせると決意してこの場に来たのだ。それを土壇場でひっくり返されて堪るものか……!

 すると、人魚の肉売りの様子がおかしいのに気がついた。


「……なんなの、君。どうして僕が誰かを救うのを邪魔するの」


 肉売りから異様なほどの威圧感を感じて息を呑む。

 彼はどこか癇癪を起こした子どもみたいな顔をすると、私に向かって叫んだ。


「僕はただ、困っている誰かを救いたいだけなのに……! 邪魔をするなッ!!」


 瞬間、彼が手にしていた人魚が大きく体をくねらせた。


「キシャアアアアアアアアアアッ!」


 その幼い顔には似つかない威嚇音を発し、鉤から逃れて、まるで水中の魚のように空を泳ぎ出す。徐々にスピードを上げた人魚は、鋭い牙を剥き出しにして私に肉薄した。


「……ッ!」


 恐怖で足が竦んで、思わずその場に棒立ちになる。

 するとどこからか、聞きたくて聞きたくて仕方がなかった声が飛んできた。


「――夏織、手紙を放て……!」


 ハッとして、慌ててポーチの蓋を開ける。彼からもらった大切な手紙を鷲掴みにすると、願いを込めて宙へ放った。


「飛んで!」


 その瞬間、手紙の鶴たちが一斉に飛び立つ。鶴は、すぐそこまで迫っていた人魚の顔に纏わり付き、それを嫌った人魚は体を翻した。


「た、助かった……?」


 ヘナヘナとその場に座り込む。すると、私の視界に見慣れた背中が入ってきた。


「……まったくお前はいつもいつも!」

「す、水明~……」


 彼の姿を見た途端、一気に気が緩んだ。そのせいか視界が滲む。よたよたと四つん這いになって水明の足もとへ行くと、思わず片足に抱きついた。


「し、死ぬかと思った……」

「離せ、まだ終わってない」


 怒り心頭の声が降ってくる。あ、これは後で延々と怒られる奴だと確信しながらも、恐怖で強ばった体は言うことを聞いてくれない。


「こ、腰が抜けたかもしれない。動けない。水明のそばにいたい……」


 思わず正直に呟けば、盛大なため息が降ってきた。恐る恐る見上げれば、突然、ワシャワシャと乱暴に頭を撫でられる。真っ赤になった水明は、つんと唇を尖らせていた。


「――まったく。仕方がない奴だ」


 そう言うと身を翻してこちらに迫ろうとしている人魚を睨みつけ、鋭い声を発した。


「クロ! 修行の成果をみせてやれ!」

「わぁい! いっくぞお~!」


 その瞬間、まるで雷光のような早さで黒い影が走り抜けていった。

 それは犬神のクロだ。思いきり助走をつけたクロは、人魚に向かって大きく飛び上がると、その長い尻尾を一振りした。


「――くらえっ!」


 瞬間、衝撃波が飛んでいき、人魚が吹っ飛んだ。その先で待ち構えていたのは――。


「お魚ちゃん。ようこそいらっしゃ~い」

「唐揚げと鍋、どっちがいい? 刺身も美味いんだっけか?」


 烏天狗の双子、金目銀目だ。彼らは吹っ飛んできた人魚を網で絡め取ると、なんとも見事な手付きで捕まえてしまった。


「「イエイ! ゲット~!」」

「なっ……! 僕の人魚になにをするのさ!」


 それに怒りを露わにしたのは肉売りだ。


「ちょっと、ちょっと。君らも人魚の肉が欲しいの? それにしたってマナーってものがあるでしょ! 僕が助けてあげたいって思うくらいの絶望を見せてからにしてくれる!」


 怒りの感情にまかせて地面を蹴る。すると、肉売りの影がボコボコと泡立ったかと思うと、そこから何匹もの人魚が姿を現した。


「ひっ……!」


 思わず恐怖に顔を引き攣らせるも、それはクロや双子からすれば新しい獲物が現れただけだったらしい。爛々と目を輝かせた彼らは、勢いよく飛び出した。


「わあい! 人魚の掴み取りだぜ! 誰が一番多く捕まえるか競争だ!」

「あ、銀目、フライングじゃない~? ずるい!」

「オイラもっ! オイラもやるっ!」


 ふたりと一匹が襲いかかると、人魚もそれに応戦する。修行の成果とは言っていたが、クロや双子の動きは、素人目から見ても以前と比べものにならないほどに洗練されていた。

 数で勝っているものの、人魚たちの方がどう見ても劣勢だ。

 人魚の肉売りは、チッと舌打ちをして、新たな人魚を喚び出そうとした――その瞬間。


「ちょっと待ちなァ。いい加減、おいたが過ぎるんじゃァねえのか」

「本当に。アタシたちの目が黒いうちは、好き勝手にさせないわよ」


 人魚の肉売りの首もとに、煙管と鋭い爪が突きつけられた。


「芝右衛門さん、ナナシ!」


 私が声をかければ、ふたりはニッと余裕たっぷりに笑う。そして芝右衛門狸は、孤ノ葉と寄り添っている月子を見ると、すまなそうに眉尻を下げた。


「おう、月子。悪かったなァ。お前の辛い気持ち、なんにも汲んでやれなくて。悪い父ちゃんだった。こんなんだから、嫁に逃げられるんだよなァ。ま、後で色々と話を聞かせてくれや。頼りにならねェ父ちゃんだがよ、話を聞くことくらいはできるからな。その他の後始末のことは父ちゃんに任せておけ」

「お父様……」

「それくらいしかできねェ父親を赦してくれよ」


 月子の瞳が再び涙で濡れる。芝右衛門狸は照れくさそうに頭を掻いた。


「――もうっ! いい加減にしてくれよっ! 僕の〝善意〟をなんだと思ってるのさ!」


 すると、あんまりな状況に耐えかねたのか人魚の肉売りが叫んだ。

 その声に応えたのは、どこか飄々として捻くれた印象を与える人物だ。


「〝善意〟ねえ? 馬鹿も休み休み言うんだな。滑稽すぎて道化にもならん」

「……玉樹さん!」


 最後に姿を現したのは物語屋だ。

 彼はまじまじと人魚の肉売りを眺めると、苦虫を噛み潰したような顔になった。


「お前か。……お前が、人魚の肉を配り歩いている阿呆か」


 いきなり不躾な視線を注がれ、人魚の肉売りは不快そうに眉を顰めた。


「……なんだよ。君は誰? どこかで会ったことがあったっけ?」

「ハハッ! 自分の顔も知らないか。まったくもって不愉快な男だ……!」


 玉樹さんは顔を歪めると、人魚の肉売りへ顔を近づけて凄んだ。


「自分は、誰彼構わず〝善意〟を押し売りをするお前のせいで、望まぬ不老不死になってしまった憐れな元絵師だよ」


 すると、人魚の肉売りは目をパチパチと瞬いた。


「なんだ……君も永遠の祝福を受け取った僕の仲間なんだね!」


 そして、褒められた子どものようにはにかむと、心底嬉しそうに続ける。


「その後はどうだい? 絵師か~。なら、寿命という枷を外された君にとって、この世は天国みたいなものだね。だって、時間を気にせずに創作に没頭できる。それってなによりも幸せじゃなことじゃないか!」

「……っ!」


 その無神経すぎる言葉に、玉樹さんは固まってしまった。

 拳を白くなるまで握りしめ、その全身がブルブル震え始める。

 やがて、玉樹さんは目を真っ赤に血走らせると、人魚の肉売りに向かって力の限り叫んだ。


「――今の状況を幸せだと思えるものか!!」


 鼓膜をビリビリ震わせるようなその声に、人魚の肉売りがビクンと身を竦めた。


「永遠は救いなんかじゃない。永遠は――地獄だ」

「は……?」

「確かに、絵を描くことは好きだった。そのためなら、どんな努力だってできた。確かに、最初は名声のために創作をしていた。けれど、いつの間にか目的が変わっていたんだ」


 ぽろりと玉樹さんの瞳から涙がこぼれる。


「不老不死なんていらない。そばに妻がいないなら、永遠なんてなんの意味もない。来世も一緒になると約束したんだ。妻を待たせている。一刻も早く、自分は死なねばならない」 


 そして力なく項垂れると、苦しげに胸を押さえて言った。


「――不老不死じゃなくなる方法を教えろ。どうか死なせてくれ……」

「…………」


 玉樹さんの切なる願いがこもった言葉に、人魚の肉売りはくしゃりと顔を歪めた。


「なんでそんなことを言うの。不老不死なのに、どうしてそんなに絶望しているの。それじゃまるで、僕がしてきたことが間違っているみたいじゃないか」


 そして苦しげに俯くと、まるで今にも泣きそうな子どものような顔になって言った。


「永遠は救いなんだよ。僕は、みんなの願いを叶える救世主なんだ……僕は、絶対に間違ってなんてない!」


 その瞬間――水が弾けるような音がして、人魚の肉売りの姿が消えた。


「なっ……!」


 慌てて周囲を見回すも、どこにもその姿はない。更には、双子とクロと相対していた人魚たちも姿を消していた。見ると、人魚の肉売りがいた場所の地面が水で濡れている。もしかしたら、ここへ姿を現した時のように影の中に逃げ込んだのかもしれない。


「……嘘、だろ?」


 呆然と呟いた玉樹さんは、かくりとその場に膝を突いた。


「ああああああああああッ!」


 苛立ち任せに拳を地面に叩き付ける。何度も何度も振り下ろされる拳は、徐々に血で染まっていった。けれど、私たちはそれを止めることはできないでいた。

 しかし、そんな玉樹さんに声をかけた人物がひとり。


「玉樹、久しぶりじゃのう。達者であったか?」


 いつもと変わらぬ調子で話しかけた玉藻前へ、玉樹さんは項垂れたまま答えた。


「今はそんな気分じゃない。放って置いてくれ……」


 しかし、そんな言葉は空前絶後の悪女には関係ないようだった。


「ホホホホ! いいのかえ? 妾の姿絵を描いてもらった時、約束したではないか。お主の願いを叶えてやろうと。それを果たす時がきたのではないかと思ったのじゃがなあ」

「……?」


 玉樹さんが涙で濡れたままの顔を上げれば、玉藻前は衵扇である場所を指した。


「恐らくお主の〝願い〟は、あれが叶えてくれるじゃろうよ」


 そこにあったのは、銀目が手にした網だ。

 網の中には――一匹の人魚が囚われたままだった。


「人魚の肉はなんでも願いを叶えてくれる。ならば――不老不死でなくなることも可能であろうな」


 玉樹さんの目が、驚きで見開かれる。私たちは顔を見合わせると、あまりのことにくしゃくしゃに顔を歪めた。


「玉樹さん……!」


 呆然と尻餅をついてしまった玉樹さんへ駆け寄る。大喜びの私に、問答無用で抱きつかれた玉樹さんを、まん丸のお月様が見下ろしていた。

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