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異類婚姻譚のその後は4

「……?」


 どこからか聞き慣れた声が聞こえたような気がして、私はハッと顔を上げた。

 腰掛けていた欄干から降り、辺りをぐるりと見回す。

 けれども、どこにも見慣れた姿を見つけられなくて肩を落とした。


 ――水明の声がしたと思ったのに。


 おもむろに顔を上げれば、夕暮れ時の空に夕月がぽっかりと浮かんでいた。薄暗くなってきた空を鳥たちが飛んでいく。その様はどうにも寂しげだった。


「孤ノ葉たち、どこに行っちゃったのかな」


 あれから屋敷の外でずっと待っていたものの、戻ってくる様子はない。

 しょんぼりしながら屋敷の中に帰れば、ナナシと優雅にお茶をしていた玉藻前が、楽しげに笑っているのに気がついた。


「……なにかあったんですか?」

「いや……なんというか。ウッフフフ」


 かの悪女は、口もとを衵扇で隠すと、意味ありげな視線を私に向ける。


「文のひとつも寄越さずに敷地内に踏み込んでいた無粋な男たちをな、妾の眷属に見張らせておったのだが。なにやら愉快なことになっておるようじゃ」

「男たち……?」


 思わず首を傾げ――すぐにある事実に思い当たって顔を輝かせる。


「水明たちのことですか!? もう、ここに到着してるんですか?」

「ホホホ。まあ、来ていることは確かじゃ。妾のもとへ来させるつもりはないが」

「どっ……どうしてです……?」

「文通相手でもない男を屋敷に招き入れる筋合いはなかろうに。恋心を擽られる歌でも詠んでくれば考えてもいいが。女主人の館に男が来る時の礼儀じゃ」

「うっ……!」


 なんとも平安貴族らしい感覚に面食らっていると、唐菓子を口にしていたナナシが呆れたように言った。


「アンタ、意地悪したいだけでしょう。玉樹は素直に招いてた癖に」

「アレは妾のお気に入りであるからな。一緒にされては困る。まあ、それほど落胆するでない。近いうちに会えるじゃろう。それにしても、なかなかいい男じゃ。夏織が飽いたら妾がもらってやってもいいぞ? 躾のしがいがありそうでそそるのう!」

「し、躾!? なっ……なにを言ってるんですか!」


 山の神だの玉藻前だの、水明はどうしてこうも烈女に好かれやすいのか!

 真っ赤になって抗議した私に、クツクツ意地悪そうに笑った玉藻前は、ちらりと入り口へと視線を遣った。


「ま、今はそのことは置いておけ。やっと、お姫様が戻ってきたようじゃ」

「えっ……?」


 急いで玉藻前の視線を追えば、そこには孤ノ葉の姿があった。不思議なことに、月子の姿は見えない。しかも、その様子はこの部屋を飛び出した時とは打って変わっていた。たくさん泣いたのか、目や鼻は真っ赤。化粧は崩れて、マスカラが滲んでしまっている。


「ど、どうしたの? その顔……」

「月子と喧嘩したの」


 ――あの仲のいいふたりが!?


 意外すぎる言葉に目を瞬けば、彼女は玉藻前に向かって頭を下げた。


「玉藻前、先ほどはご注進本当にありがとうございます。自分の見通しが甘かったこと、嫌というほど身に染みました」

「ほう? ならば、どうするつもりじゃ? 捨てられることを覚悟の上で臨むのか? それとも、夜人とやらとの交際を諦めるか。正直なところ、妾は異類婚姻譚のその後を教えてくれれば満足なのじゃが」

「いいえ!」


 孤ノ葉は力強く否定すると、真剣な面持ちで言った。


「私はどんなに困難なことがあろうとも、夜人さんと生きる道を諦めたりしません!」

「こ、孤ノ葉……?」


 突然の発言に困惑していれば、垂れてきた鼻水を袖で拭った孤ノ葉は続けた。


「諦めろと、月子には言われました。きっと傷つくから、と。でも……それでもいいんです。傷つくことを恐れていたら、なにもできないもの。心の傷はいつか治ります。けれど、この恋はきっと一度きりのものだと思うから」


 そっと胸に手を当てた孤ノ葉は、顔を上げてはっきりとこう言い切った。


「たとえ昔話のように哀しい結末になったとしても、構いません。思いきり泣いた後、本当に自分を幸せにしてくれる人を見つけて、その姿を見せつけてやります! これが――私の異類婚姻譚のその後です!」


 きらきら。孤ノ葉の瞳が、そして表情が――宝石のように輝いている。

 その様はまさに未来への希望を象徴するようだった。

 紛れもなくその言葉が彼女の本心なのだと伝わってくる。そこには、どんな試練を課されようとも、乗り越えていけるような強さがあった。


「…………」


 その姿を無言で見つめていた玉藻前は――。


「ホ、ホホホホホホ! なるほど、そう来たか。なるほどのう!」


 満足げに頷き、更には愉快そうに膝を叩いた。


「――面白いものが聞けた。妾は満足じゃ。父親の件も任せておけ」

「……! ありがとうございます!」


 ――どうやら、彼女の中でなにかが変わったみたいだ。


 今までの孤ノ葉は、自分の恋の展望について、どこか甘く考えているようなところがあった。それをズバリ指摘したのが玉藻前の言葉だ。そのお陰か、今の孤ノ葉からは甘さが綺麗さっぱり消え去っているように思う。


 今の孤ノ葉ならきっと、なにがあっても人魚の肉売りに頼ることはしないだろう。

 新たに不老不死となり、永劫の時の中で苦しむ人の誕生を未然に防げたのだ。

 ホッと安堵の息を漏らしナナシを見遣れば、彼は孤ノ葉を見ていなかった。

 その琥珀色の瞳は、じいと部屋の外を睨んでいる。その表情はどこか険しく、なんとも彼らしくない。不思議に思っていれば、そんなナナシのもとへ玉藻前が近づいた。

 口もとを衵扇で隠し、小声で囁く。


「ホホホ。やはり、狐の娘は退屈極まりない。だが……狸の娘。あれは心底愉快じゃ。のうナナシ? 玉樹の目的……これで果たせそうではないか?」


 ナナシは更に険しい表情になると、苦しげに瞼を伏せた。


「……?」


 状況がまるでわからない。もしかして、私はなにかを勘違いしている?

 猛烈な違和感に襲われて顔を顰めていれば、ふと手がポケットに触れた。


 ――チリン。


 不思議に思って、そっと手を差し入れる。そこには孤ノ葉からもらった鈴があった。


「人魚の肉売りを呼び寄せる鈴……」


 ポツリと呟けば、強烈な視線を感じて部屋の入り口へ視線を遣る。


「…………」


 そこには月子が立っていた。


 ――やっぱり変だ。


 彼女の姿を目にした途端、違和感がますます増していく。

 孤ノ葉と月子は喧嘩したのだという。現に、孤ノ葉はボロボロになって戻ってきた。だというのに、月子はまるで化粧したばかりのように美しい。

 孤ノ葉を見つめていた彼女は栗色の瞳をすうと細め、ぽつりと独り言を呟いた。


「――やっぱり、わたくしだけの力では駄目、かも」

「……月子?」

「――た、大変です!」


 するとそこに、先ほど私たちをここまで案内してくれた童が駆け込んできた。

 玉藻前の前で這いつくばるようにして頭を下げると、息も絶え絶えに叫ぶ。


「そ、僧正坊より連絡があり、東雲と白蔵主の話し合いが決裂した模様です! 白蔵主は、狐の眷属たちに収集をかけ、芝右衛門様へ増援の打診をしたそうです……!」


 私はナナシと顔を見合わせると、勢いよく玉藻前を見た。

 彼女は衵扇で口もとを隠し、心底楽しげに目を細めて笑った。


「とうとう動き出しおったか。楽しくなってきたのう……!」


 そして足音ひとつ立てずに童の前に行くと、衵扇で顎を持ち上げ訊ねる。


「それで? 芝右衛門狸はどうすると言っていた?」

「あ、淡路島にて、増援を求めてきた白蔵主を討ち取ると……」

「よしっ! よくぞ言うた!」


 勢いよく立ち上がった玉藻前は、やたら上機嫌で言った。


「フフッ。久しぶりに滾りおる……! みなの者、準備をせい。淡路島へ行くぞ!」


 そしてバタバタと平安貴族らしくない足音を立て、奥へ引っ込んで行ってしまった。

 とり残された私たちは、ただただ呆然とするのみだ。

 ちらりと月子へ視線を投げる。彼女は――日本人形のような顔に静かな笑みを湛え、ただただ、じいと孤ノ葉を見つめていた。

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