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異類婚姻譚のその後は3

「――最初に、本の中の世界に恋をしたんです」


 孤ノ葉は開口一番にそう言った。

 山奥にある古びた庵で暮らしていた孤ノ葉は、退屈な日常に飽き飽きしていた。

 そんな彼女が夢中になっていたのは、月子から借りた本だった。

 それはなんてことのない、普通の高校生による恋愛物語だ。

 学校に行き、好きな人との些細な触れあいにときめいて、放課後は友人たちと一緒に町へ繰り出し、穏やかに、時に激しく恋心にかき乱されるような物語。


「主人公が、大きな入道雲が広がる夏空の下、渋谷の町でデートしていた光景が目に焼き付いて離れなくて……日々、その場所へ行く自分を妄想していました」


 ある年の夏。入道雲に誘われて、孤ノ葉は現し世へ行く決心をした。

 月子に相談して、渋谷までの道のりを確認し、葉っぱで人間に化け、慣れない電車を乗り継いで、やっとのことで東京へ到着する。


 あやかしである彼女には、それほど所持金はなかった。山に迷い込んだ人間が残した現金がいくらかあるだけで、帰りの電車賃を考えれば贅沢などできない。

 その日は、カンカンに晴れていたのだという。

 山奥とは比べものにならないほどの猛暑日。クーラーのある場所に逃げ込むなんてことすら想像もつかなかった孤ノ葉は、憧れの渋谷へ来たというのにすぐにバテてしまった。

 ハチ公前に座り込み、じっと暑さに耐える。そんな彼女に、声をかけてくる人物がいた。


『――大丈夫かい?』


「……それが、夜人(よるひと)さんとの出会いでした」


 そこまで話を聞いた瞬間、私と玉藻前はそっと視線を交わした。

 ほうとため息をこぼし……しみじみと同時に呟く。


「「ベタな……」」


 まるで少女漫画のような王道展開。むず痒いような、ちょっぴり羨ましいような。

 孤ノ葉の前に現れた夜人という人物は、彼女からすれば理想的な容姿を持っていた。

 陽に透けると蜂蜜色に見える髪に、色素の薄い瞳、整った鼻梁に薄い唇。肌はどちらかというと色白で女性的な印象を与えるが、けれども孤ノ葉よりは頭ひとつ身長は高い。体を動かすことが好きらしく、その体格には男性らしい力強さがあった。


 ――そう。夜人は、孤ノ葉が夢中になっていた物語の登場人物に似ていた。


 一瞬、恋い焦がれたキャラクターが現れたのかと錯覚するほどだったらしい。

 夜人は、孤ノ葉が具合悪そうにしているのに気がつくと、涼しいところへ行こうと、やや強引にその場から連れ出してくれた。孤ノ葉は素直について行ったのだという。


「夜人……よく言えば、運命の相手。悪く言えば、渋谷のナンパ野郎」

「月子、言い方……!」

「ほほう。つまりは見目の良い男にどこぞへ連れ込まれ、手込めにされたと」

「なっ……なんてこと言うんですかっ! 夜人さんはそんなことしませんから!」


 介抱してくれた夜人は、孤ノ葉の体調が戻ったのを知ると、連絡先も交換せずに去っていった。それが――恋の始まりだったのだ。


「夜人さんに会いたくて、またお金を貯めて渋谷へ行きました。会える保証はどこにもありませんでしたが……。運命に導かれるみたいに再会できたんです。……嬉しかった」


 やがて、互いに惹かれていったふたりは交際を始めたのだという。


「彼といると本当に幸せで。自然と優しい気持ちになれました。これからもずっと一緒にいたい。気がつけば、彼との将来を考えるようになっていました……」


 しかし――ふたりの交際が白蔵主に知られてしまった。

 現し世に興味を持つきっかけが本だったこともあり、今回の騒動に発展したのである。


「彼とこれからも一緒にいたい。そう思ったから、玉藻前に協力を仰ぎに来たんです」


 孤ノ葉の表情が曇る。組み合わされた小さな手がなにかに怯えるように震えていた。

 すると、玉藻前が勢いよく衵扇を閉じた。


「なるほどのう! よく聞かせてくれた。では問おう――」


 にんまりと目を細めて笑う。きらり、黒真珠のような瞳が妖しく光った。


「――主は、その男に捨てられた時、一体どうするつもりじゃ?」

「……は?」


 あまりにも唐突過ぎる問いかけに、孤ノ葉はポカンと固まってしまった。


「おや。聞こえなかったかのう? 妾の問いに答えよ。相手をむごたらしく殺すか? それとも、内臓を喰らうてやるか? 末代まで呪うという手もあるやもしれぬ。ぜひとも、妾に異類婚姻譚のその後を聞かせてたもれ」

「ま、待って下さい!」


 驚きのあまりになにも言えないでいる孤ノ葉の代わりに割って入る。


「そんな、捨てられるだなんて……なにを根拠に言ってるんですか!」

「そ、そうです!」


 すると、ようやくショックから立ち直ったらしい孤ノ葉が言った。


「彼には、私が狐の化身であることは伝えてあります。初めは驚いていましたが、ちゃんと受け入れてくれたんです。だから、父とのことが解決したらきっと……」

「――末永く暮らせるとでも?」


 玉藻前は再び開いた衵扇で口もとを隠し、意地悪そうに笑んだ。


「妾が知る限り、この国の異類婚姻譚では、ほとんどの人外や動物が不幸な結末を迎えておる。そうじゃなあ。『鶴女房』、『雪女』、『天人女房』、『猿婿入り』、『蛙女房』……」

「で、でもそれは昔話でしょう? 作り話です。本当の話じゃありません」

「そうじゃろうか?」


 キョトンと首を傾げた玉藻前は、青ざめている孤ノ葉をちろりと見て言った。


「昔話には、その国の〝民族性〟が滲むものよ。遠く欧州の異類婚姻譚……そうじゃのう、『蛙の王子』や『美女と野獣』なぞは、そもそも人外ですらない。魔法で姿を変えられた人間じゃ。もしや、向こうの国では人外と人間の婚姻は、創作上であっても受け入れられないものなのかや? 宗教も関係していそうじゃの。ならば、人外と番う話が多い日本人は、よほど好き者なのかもしれぬなあ。そうは思わぬか、夏織」

「なーるほ……って違う! た、確かに興味深いお話ですし、世界各地の話を比較したりしたら色々捗りそうですけど、今は関係ないでしょう!」


 ――うっ! 一瞬、楽しそうとか思ってしまった。


 慌てて否定すれば、玉藻前はクツクツ楽しげに笑った。


「お主のそういう素直なところ、好ましいぞ。まあ、それは置いておいて。日本に伝わる異類婚姻譚を眺めてみればわかってくるじゃろう? この国の人間の本音が」


『鶴女房』では、正体を知られた鶴は去って行った。『雪女』は正体を漏らした夫を殺し、『天人女房』では、羽衣を見つけた途端に妻は去り、『猿婿入り』では計略に嵌められた猿は谷底に落ちて死んだ。そして、『蛙女房』は子もろとも家から追い出されたのだ。


「日本人は、動物との婚姻を極々当たり前のように物語の要素として取り入れておきながら、それを成就させようとはしない。どうも離別で終わらせる話が好きなようじゃ。つまりは、人間と動物の間に決定的な線引きをしている。異類との婚姻を厭わしいものだと考えている節すらある! その男もそういう価値観を持っていないのだと誰が証明できる?」


 ニタニタと嫌らしい笑みを湛えた玉藻前は、青ざめている孤ノ葉に言った。


「妾は長年の間、疑問に思うておったのじゃ。これらの異類婚姻譚で追い出された人外どもが、どうして復讐しないのかと。どうして、雪女のように殺さぬのじゃ? 大人しく出て行く必要はあるまいに。愛おしいなら、相手を魂もろとも喰らってやれば気が晴れよう」

「……っ!」

「なあ――孤ノ葉とやら。お主ならばどうする? 異類婚姻譚のその後を妾に聞かせよ!」


 そのあまりの物言いに、孤ノ葉が勢いよく立ち上がった。

 真っ白な顔で玉藻前を睨みつけ、拳を握りしめて息巻く。


「夜人さんは、私を捨てたり追い出したりしません……! 馬鹿にしないで!!」

「そんなもの当人しかわからぬではないか。異類同士が番うことの難しさを考えたことはあるのか? 棲む場所も寿命も常識もなにもかもが違う。幽世に連れてきたら、たちまち蝶にまとわりつかれて、大勢のあやかしに狙われる男を選ぶ覚悟があるのかや?」

「それはっ……!」


 孤ノ葉は言葉を詰まらせると、泣きそうな顔をして部屋から出て行った。


「……孤ノ葉!」


 すかさず、今まで静観していた月子がその後を追う。

 私はキッと玉藻前を睨みつければ、怒りを込めて言った。


「協力してくれるんじゃなかったんですか。どうしてあんな意地悪なこと!」

「…………」


 しかし、玉藻前は黙ったままだ。頭の上の狐耳をピクピク動かして、耳を澄ませている。

 やがて肩を落とした玉藻前は、衵扇を苛立ち任せに閉じた。


「――ううん。駄目じゃ。鈴の音など聞こえぬ」

「……はい?」


 思わず変な声を漏らせば、部屋の中にある人物が入ってきた。それはナナシだ。


「相変わらず、アンタって追いつめ方がえげつないわねえ」

「心外じゃなあ。老婆心を見せてやったというのに」


 ナナシと玉藻前は顔を見合わせると、クスクスと笑い合った。


「え? え? え? 今のやり取りって、ナナシも織り込み済みだったの……?」


 状況がわからずに動揺していると、ナナシは少し気まずそうに眉尻を下げた。


「ちょっと可哀想だけれどね。……あの子、あまり深く考えていないようだったから」


 ナナシの言葉に、どこかワクワクした様子の玉藻前が続いた。


「妾はあの娘のことなどどうでもよいがな。ただ、少しばかり追い込んでやれば、面白いことになりそうじゃったからのう。例えばそう……人魚の肉売りとか」


 しかし、彼女はチッと舌打ちをして唇を尖らせた。


「だが、この程度では現れぬようじゃな。退屈な馴れ初めを我慢して聞いてやったというのに。期待外れにもほどがある」

「た、退屈……」

「今度こそ、この国をわがものにしてやろうと思うたのにのう」


 ――噂に違わぬ悪辣さ。絶対、この人に人魚の肉を渡したらいけない気がする……!


 私は小さく嘆息して、そっと孤ノ葉が消えた方向へ視線を向けた。

 〝人魚の肉はなんでも願いを叶えてくれる〟

 なんとも魅惑的な謳い文句だと思う。事実、人魚の肉にはすごい力があるのだろう。

 けれど、それによって苦しんでいる人を私は知っている。


 ――永遠の命。それは、想像以上に重いものなのだと思う。


 人魚の肉は願いを叶えてくれる代わりに、必ず不老不死であることを押しつけてくる。

 ある意味、終わりがあることは救いでもあるのだ。永遠に続く途方のない時間を前にして、平気でいられる人はどれほどいるのだろう。

 その事実を受け止める覚悟があるのならいい。

 でも……自分の願いと、未来永劫死ねないという事実を天秤にかけてみて、それが釣り合わなかった場合は、絶対にやめるべきだと思う。彼女の馴れ初めを聞いて、素敵な恋だとは思った。しかしそれは、永遠に釣り合うものなのだろうか。


 ――結局のところ、判断するのは本人だけど……。


 願わくば、彼女が冷静に自分の未来のことを考えられますようにと、心からそう思った。


  ***


 ――一方、その頃。


 俺とクロ、金目銀目は殺生石園地までやってきたものの、乳白色の霧に阻まれて、玉藻前がいる屋敷までたどり着けないでいた。


「明らかに歓迎されてないね~。これってさあ、絶対にクロを連れてきたからだって~。狐って、犬嫌いでしょ? 天敵を自分の家に入れないって」

「うう。オイラ、佐渡であまり活躍できなかったから、どうしても来たかったんだよお!」

「金目、事実かどうかわからないことでクロを責めるな。泣いてるだろう……」

「うっわ、相変わらず水明はクロに甘えなあ~」


 三人と一匹でワイワイ話しながら霧の奥を目指す。硫黄の臭いは消え去り、時々和風な建物と行き当たるから、一応は玉藻前のテリトリーに入っているようだ。


「クロ、夏織の匂いを辿れるか?」

「う~ん。あちこち香の匂いが充満してて……でも、オイラがんばる」


 健気に尻尾を振ったクロは、クンクンと匂いを探り始めた。


 ――まったく。いつになったら夏織たちと合流できるのか。


 団三郎狸の説得を終えたことは、手紙で報告した。だが、返事はまだ来ていない。

 まあ、手紙だから致し方ないとは言え、返事を待つ時間がなんとももどかしい。


「……スマホを導入すべきか」

「なになに~。水明ったら幽世に電波塔でも建てる気?」

「ぐっ……」


 あまりの現実味の無さに歯がみしていれば、ふと霧の向こうに人影が見えた。


「おっ! 夏織……じゃねえな。女がふたりいるぜ」

「ほんとだ。なにしてるのかなあ~」


 相手はこちらに気がついていないらしい。どうもふたりで話し込んでいる様子だ。


「泣かないで。大丈夫」

「でも……でも……」


 どうやら、泣いているひとりを、もうひとりが慰めているようだ。見知らぬ相手の修羅場に居合わせるのは気まずい。俺たちは、早々に立ち去ろうとした。


「きっと、夏織ちゃんにも幻滅されちゃったわ。嫌われたらどうしよう」


 しかし、覚えがあり過ぎる名前を耳にして足を止める。

 思わず顔を顰めれば、金目銀目の双子は興味津々の様子で俺に目配せした。


 ――立ち聞きするつもりか……悪趣味め。


 そう思いつつも、どうにも気になった。霧に紛れるように気配を消す。


「孤ノ葉の馬鹿。夏織がそんなこと思うはずない」

「月子……けれど」


 ふたりは孤ノ葉と月子というらしい。夏織の手紙にあった名前だと気がついて納得した。つまりはアレが今回の騒動の原因の娘のようだ。よくよく思い出してみれば、白蔵主と東雲が貸本屋の前で対立したあの日、その場にいたような気もする。


「玉藻前の話を聞いたでしょう? あれで気がついたの。私、本当に甘く考えていた。後のことをなにも考えてなかったの。間抜けだわ、今しか見えてなかった」

「……恋をしている最中は、みんなそんなもの」

「でも! 私は人間を選んだのよ! ちゃんと考えないといけなかった。じゃなきゃ、夜人さんを不幸にしてしまうところだったもの。ああ! どうしよう、どうすればいいの。今になってこんなことで悩むなんて。――恋なんてしなければよかったの……?」


 孤ノ葉がワッと顔を覆って泣き出すと、月子が優しく抱きしめてやる。

 彼女は、孤ノ葉になにを言うでもなく、じっと虚空を見つめていた。


 ――友人想いの奴なんだな。


 興奮している相手に、下手な慰めの言葉は逆効果だとわかっているのだろう。孤ノ葉が泣き止むのを待ち続けるその姿からは、相手を思い遣る心が伝わってくる。


 感心して眺めていれば、徐々に孤ノ葉が落ち着いてきた。

 そっと彼女から体を離した月子は、レースのハンカチを差し出し――。

 ――にこりと無邪気な笑みを形作って言った。


「わかった。じゃあ……諦めよう。それがいい。そうしよう」


 その言葉に、孤ノ葉がびくりと身を竦めた。


 ――おいおい。


 内心、俺は動揺を隠せなかった。月子の物言いは断定的で、相手に有無を言わせない強さがあった。気弱な相手であれば思わず頷いてしまいそうなほどだ。


「恋はまたすればいい。孤ノ葉が傷つく必要なんてない。孤ノ葉は綺麗、すごく綺麗。きっとすぐにいい人が見つかる。わたくしがなんとかする。大丈夫、任せて」

「でも……でも」


 瞳を揺らしている孤ノ葉の手を握った月子は、どこか上機嫌な様子で続けた。


「ねえ、孤ノ葉。わたくしと出会った頃のこと……覚えてる?」

「え? ええ……覚えているわ。あれからずいぶんと経ったわね」

「……もしかしたら、親よりも過ごした時間は長いかも。孤ノ葉は紛れもなく、わたくしの大切な幼馴染み。安心して。わたくしがいれば、いつだって上手く行ったでしょう?」


 月子の小さな手が、孤ノ葉の白魚のような手の上をするすると何度も往復している。

 どこか熱っぽく孤ノ葉を見つめた月子は、彼女の耳もとに顔を寄せ囁くように言った。


「だから諦めてもいい。わたくしにすべて任せて。なんなら……〝とっておき〟も用意してあるから。安心して。わかった?」

「…………。うん」


 その言葉に、孤ノ葉はどこかぼんやりとした様子で頷いた。

 明らかに様子が変だ。唐突に、意思が薄弱になったような印象を受ける。


 ――狸の妖術か!?


 そのことに気がついた俺は、慌てて霧の中から飛び出した。


「恋を諦めるかどうかを決めるのはその女であって、お前ではないだろう!」


 月子の腕を強く掴む。月子は痛みに顔を顰め、堪らず孤ノ葉から手を離した。


「……あ。わ、私はなにを」


 それで術は解けたようだ。正気に戻ったらしく、孤ノ葉が目を丸くしている。


 ――隙だらけだな。まったく腹が立つ。


 夏織や貸本屋を巻き込んだ癖に、なんとも無防備な姿に苛立ちを覚えた俺は、孤ノ葉に冷えた視線を注いで言った。


「己の愚かさに気づくのは結構。思い詰めるのも致し方がない。だが、これまで尽力してくれた周りのことも考えろ。やめると口にするのは簡単だ。だが、それによって失うものは、恋人だけに留まると思うなよ」

「……ッ!」

「生きることも、恋をすることもひとりでできることじゃないだろう。なにも始まっていないうちから、障害がありそうだからと尻込みするくらいなら、初めから恋なんてするな」


 俺の言葉に、パッと孤ノ葉の顔が羞恥で染まった。

 綺麗な顔がくしゃりと歪む。薄墨色の瞳に涙を溜めた孤ノ葉は、俯いてしまった。


「触らないで!」


 すると、月子が俺の手を乱暴な仕草で払った。

 孤ノ葉に寄り添うと、鋭い眼差しで俺を睨みつける。


「部外者は引っ込んでいて。行こう、孤ノ葉。あっちでこれからのこと話し合おう……」


 そしてそのまま、孤ノ葉を連れて霧の奥へと歩いて行ってしまった。


「……なんなんだ」


 ふたりの背が見えなくなると、俺は盛大にため息をこぼした。

 あれが夏織が肩入れしている相手かと思うと、暗澹たる気分だ。

 ああいう手合いは、ガツンと言わないと己を顧みることすらしないというのに。

 ふと視線を上げれば、月子たちが去った後になにかが落ちているのを見つけた。

 本だ。拾ってみると、裏に幽世の貸本屋の刻印があるのに気がついた。


「新美南吉童話集……?」


 なんとなしにページを繰る。すると、ある一篇に付箋が貼ってあるのを見つけた。

 何度も何度も読んでいるらしい。ページは手垢で汚れ、開き癖がついてしまっている。

 すると、両肩にズシンと重いものがのしかかってきた。

 顔を顰めて見上げれば、そこには喜色満面の双子の顔。


「言うようになったじゃ~ん。今まさに恋をしている男は言うことが違うね!」

「俺もいつかはあんなことを言ってみたいもんだ。ウッ! 失恋の痛みが」

「……うるさい。黙れ。本気で黙れ!」


 俺は真っ赤になると、ケラケラ笑っている双子の腕を振り払って肩で息をした。


 ――まったく。厄介な……。


 思わず空を見上げる。霧の切れ間に、青白い夕月が浮かんでいるのが見えた。

 しかし、すぐに濃厚な霧に覆われて見えなくなってしまった。

 ポケットにそっと手を差し入れる。指先に夏織からもらった手紙が触れた。

 この調子じゃ、いつ会えるのかわかったものではない。

 どうにもあのふたりの様子が気にかかる。また手紙を飛ばすべきかもしれない。


「夏織、お前また変なことに巻き込まれてるんじゃないだろうな……?」


 小さく呟いた俺の言葉は、想い人に届かずに霧に呑み込まれて消えた。

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