異類婚姻譚のその後は2
孤ノ葉と月子と合流した私たちは、栃木県へやって来ていた。
目的は、玉藻前とゆかりがある殺生石だ。その石は、那須湯本温泉郷よりほど近い場所にあった。石の周辺は、殺生石園地と呼ばれ、多くの観光客が訪れる名所だ。
殺生石は討伐された玉藻前の遺骸が変じたもので、魂だけの存在になった彼女は、今でもこの場所に棲み家を構えている。
ここは、遠い昔から有毒な火山ガスが絶え間なく噴き出していた場所らしい。
かの有名な松尾芭蕉もここを訪れたことがあり、『奥の細道』にこう書き残した。
『殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほど重なり死す』
今と違い、火山ガスに対する知識がない時代には、多くの動物や人が犠牲になったのだろう。殺生石は、その名のとおり生き物を殺す石なのである。
当時よりガスは少なくなっているようではあったが、それでもこの場所を覆う雰囲気はかなり独特だ。山々には緑が生い茂っているというのに、殺生石がある一帯だけぽっかりと穴が空いたように草木が生えていない。辺りに漂う硫黄の臭い、ゴロゴロと石が転がるモノクロの風景を眺めていると、なんとなく侘しい気持ちが広がる。
――うっ。心が沈んでるからか、なんとなくしんどい光景だなあ。
しかし、落ち込んでいる私をよそに、孤ノ葉と月子は楽しそうだった。
「……臭っ! ひどい臭いね、月子」
「硫黄。卵の腐った臭いとはこのこと。あっ。見て、孤ノ葉。あそこ可愛い」
「待って。可愛い? まさかあの千体地蔵群のことを言ってるの? どちらかと言えば恐ろしげな雰囲気を放ってるあの光景のことを言ってる?」
「いっぱい並んでる……ひとつぐらい持ち帰ってもいい……?」
「駄目よ、駄目に決まってるわよ! 呪われるわよ、夜中に枕元に立たれるわよ!」
「ふふ。夜中に動き出すほど慕ってくれるなんて。ますます可愛い……」
「月子、落ち着いて。その感性はこの世界には早すぎるわ!」
仲よさげに話している孤ノ葉たちを眺めながら、深く嘆息する。
――うう。なんだかまともに孤ノ葉を見られない……。
そっと孤ノ葉たちから離れる。ナナシが語った内容は、私の心に深い影を落としていた。
なにせ情報が多すぎた。ナナシの過去も、玉樹さんが不老不死だってことも初めて知ったんだもの! 処理が追いつかない。それに、納得できない部分もあった。
「孤ノ葉のところに人魚の肉売りが現れる。つまり今回の計画が失敗するってこと?」
人魚の肉売りは絶望した人の前に現れる。孤ノ葉は、いまだ絶望しているようには見えない。むしろ恋を叶えるために頑張っているところだ。なのに……。
「よっくわかんないなあ……」
「大丈夫?」
思わず頭を抱えて唸っていれば、ナナシが声をかけてくれた。
まるで〝心配だ〟と顔に書いてあるようだ。あからさまな様子に笑みをこぼす。
「おおむね平気」
ちょっぴり強がって、けれどもすぐに顰めっ面になる。
「ごめん。どうにも割り切れなくて……」
玉樹さんの希望を叶えるためには、孤ノ葉が不幸になるのが一番なのだろう。
彼女とは知り合ったばかりだ。けれど、一緒に香川へ行ったし、太三郎狸を説得するのに力を合わせもした。一緒にいるとすごく楽しい。できれば、この関係を大切にしたいと心から思う。だからこそ、孤ノ葉が追い詰められる可能性があるのなら放っておけない。
――私は彼女の恋を成就させるのに全力を尽くしたい。でもそれって、玉樹さんたちの邪魔になるんじゃないかなあ……。
苦しい内心を吐露すれば、ナナシは苦い笑みを浮かべた。
「事情を話しちゃった以上、気にするななんて言えないけれど、あまり思い詰めないで。あくまであれはアタシたちの事情で、夏織には関係ないことだもの」
「そんなことできない。玉樹さんのこと私も協力したい。でも友だちのことも守りたいし」
ああ、考えすぎて頭がショートしそう。漫画だったら湯気が出ているに違いない。
ぐるぐる、モヤモヤしていれば、ナナシは私の頬を両手で挟んで笑った。
「落ち着きなさい。それよりも、今は大切なことがあるでしょう? 孤ノ葉ちゃんの恋を成就させること。貸本屋を潰させないこと。目的を違えたら駄目よ」
「……玉樹さんにも言われた」
「でしょう。難しいこと、面倒なことは大人に任せておけばいいの」
「また子ども扱いして! 私もお酒を飲める年にはなったんだけど!?」
「聞いたわよ~。ちょっと飲んだだけで、真っ赤になったんですって?」
「ああっ! 玉樹さんったら! 内緒にしてねって言ったのに!」
思わず羞恥で赤くなった私に、ナナシはまるで言い聞かせるように言った。
「アタシからすれば、夏織はいつまでも子どもだわ。まったくもう、いつもいつも誰かの厄介ごとを抱えて。そのうち、水明の胃に心労で穴が空くんじゃないかしら」
「……どうしてそこで水明が出てくるの」
不満いっぱいに唇を尖らせれば、ナナシはカラカラと笑った。
「だから気にしないでいいのよ。好きなようにやりなさい。そもそも、誰かを犠牲にするような計画を立てた玉樹が悪いんだもの!」
「……そ、それならいいんだけど」
すると、ナナシはパチンと目を瞑ってどこか悪戯っぽく笑った。
「まあ、玉樹が助けようとしている人も、こんな計画だったってわかれば、烈火の如く怒るに違いないわ。鳥山石燕の〝名〟に泥を塗るつもりかって。ああ、怖い」
「そっ……そんなに怖い人なんだ!?」
「そりゃあね。クヨクヨしてばっかりだったアタシを矯正した人なのよ? フフ、最後の最後に盛大にバラしてやろうかしら。玉樹が青くなるのが目に浮かぶわ~」
「わあ……」
よほどパワフルな人だったらしい。なんとなく、今のナナシに通じるところがある。
ナナシはぱん! と両手を打つと、晴れ晴れとした様子で言った。
「ま! なんとかなると思うし、なんとかする。心配しないで。それに……アタシたち人魚の肉売りとはよくよく縁があるじゃない? そのうち会える気がするのよ」
八百比丘尼の件も、清玄さんとの件も、姿は見えないけれども人魚の肉売りなる人物の働きかけがあった。確かにナナシの言う通りだ。
「わかった。ねえ、その人に会う機会があったら私にも教えてね」
「うん? なにか叶えたい願い事でもあるわけ?」
私はグッと拳を握り、剣呑な光を瞳に宿して言った。
「いっぱい文句を言って、これは玉樹さんと八百比丘尼の分! って思いきり殴るの」
「アッハハハハハハ! それでこそ東雲の娘だわ……!」
ナナシがお腹を抱えて笑っている。話しているうちに、心が温度を取り戻してきたようだ。沈んだ心はどこかへ行ってしまって、いつも通りの私が帰ってきたように思う。
――うん。クヨクヨ悩むのは私らしくないよね。
貸本屋を守るなんて意気込んでいたせいで、少し思い上がっていたのかもしれない。
なんの特別な力も持たない私ができることは少ない。だから、目の前のことを懸命にこなしていく。それがいつもの私じゃないか!
とりあえずは、孤ノ葉に人魚の肉売りのことを聞いてみるべきかもしれない。
何事も情報収集から。なにも知らないままでは前へ進めない。
それに――玉藻前へ協力を仰ぐことも忘れちゃならないことだ。
私は気分を切り替えると、ナナシにまっすぐ向かい合った。
「そうだ、殺生石園地まで来たのはいいけど、玉藻前の棲み家ってどこにあるの?」
「そう言えば。お迎えが来るはずなんだけど……遅いわね?」
瞬間、ざあと辺りに強い風が吹き荒れる。
鼻を摘まみたいほどの硫黄臭。ガスが増えてきたのだろうかと見回せば、どこからともなく白い霧が漂ってきたのがわかった。
「……ん?」
その時、霧の向こうになにやら建物が見えた気がした。
不思議に思いながらも目を凝らせば、ぼんやりと建物の全容が見えてきた。
すると、更に強い風が吹き荒れる。息もできないほどの風の中、やっとのことで目を開けば、霧も硫黄臭も――果ては、殺生石園地の光景すら消え失せていた。
現れたのは、かつて平安時代に貴族たちが暮らしたという、寝殿造りの屋敷だ。
大きな大きな庭を持った、なんとも雅な造りをしている。今にも十二単を着た姫君や、狩衣姿の貴公子が姿を見せそうな趣があった。
思わず言葉を失っていれば――いつの間にやら、可愛らしい童子が近くに立っているのに気がついた。濃色の半尻、同色の袴。利発そうな瞳を爛々と輝かせた彼は、頭上の狐耳をぴくりぴくぴく動かして言った。
「ようこそおいで下さいました。主がお待ちでございます――」
私とナナシは顔を見合わせ、こくりと唾を飲み込んだ。
「なんでナナシは別室なの……」
「お友だちだからじゃないかしら。そ、そうよね? 裏で食べられたりしてないわよね?」
「……孤ノ葉、妄想が残酷……」
「ちょっと! 変なこと考えないでよお!」
屋敷の一室に通された私たちは、高麗縁の畳に座り、まるで迷子の仔猫かなにかのように、身を寄せ合ってブルブル震えていた。
寝殿造りということもあり、壁ではなく几帳や屏風で区切られた部屋だ。
部屋の一部が御簾で仕切られていて、その向こうが……彼女のスペースだ。
――玉藻前。または金毛九尾の狐。言わずと知れた悪狐である。
彼女は大陸からやって来た。インドでは摩羯陀国斑足太子の妃、華陽夫人に、中国の殷では紂王の妃、妲己。そして周では幽王の寵姫である褒姒となり、その美貌と知謀を活かし、王を誑かして国を滅ぼしてきた。
残酷な話に事欠かないのが玉藻前という女狐だ。ある時は、千人もの人間の首を刎ねるようにねだってみたり、ある時は焼けた銅製の丸太の上を、罪人が裸足でタップダンスをするのを大笑いしながら眺めるようなそんな人。
彼女は、中国だけでは飽き足らず、はるばる日本までやって来たのである。
――そう。天皇や上皇に取り入り、仏教を破滅させ、日本を牛耳るために。
「絶対に機嫌を損ねないようにしようね」
「「うん……!」」
それが私たちの合い言葉だ。万が一にでも怒らせた場合、明日には首と胴が離れていてもおかしくない。そんな変な緊張感があった。
そうして玉藻前を待つこと小一時間。しかし、待てども待てども彼女は姿を現さない。
緊張の糸はとうに切れ、大人しく待つのもなんだか馬鹿らしくなってきた頃だ。
――ぼうっと待っているのもなんだし、孤ノ葉に話を聞いてみようかな?
正直、今回の件で私はひとつ疑問を持っていた。
人間と付き合うことを許さない白蔵主とその娘。言い方は悪いが、孤ノ葉の状況はよくあることだと思う。私と東雲さんにだってありえそうなことだ。
だからこそ不思議に思うのだ。
人魚の肉売りはそうそう姿を現すものではないらしい。
それこそ、誰よりも深い闇に囚われるほどの〝絶望〟を抱いた相手の前にのみ現れる。
今回の件が失敗した場合、孤ノ葉に待ち受けているのは〝失恋〟だ。
はたしてそれは人魚の肉売りが姿を見せるほどの〝絶望〟を与えるのだろうか?
――私が知らないだけで、他にもなにか事情を抱えているのかもしれないよね。
そしてそれが引き金になる可能性は大いにある。聞いてみる価値はあるだろう。
「ねえ、孤ノ葉?」
緊張している様子の彼女に声をかければ、孤ノ葉は「ん?」と小首を傾げた。
――わ。可愛い……。
同性である私から見ても、孤ノ葉はかなりの美形の部類に入る。しかも美少女が美女に成長する過程のような、さなぎから脱皮したばかりの蝶の如く透明感があった。
正直、月子も可愛くはある。狐や狸は変身後の自分の姿をある程度コントロールできるそうだから、美形なことが多い。けれど、孤ノ葉は群を抜いている気がするのだ。きっとそれは、彼女の内面から滲み出る善性が容姿を際立たせているのだろう。
――うっ。いかん、いかん。
一瞬、見蕩れそうになって気合いを入れる。なにはともあれ情報収集だ!
「あっ……あのさあ! なにか悩み事ってある!?」
「……父に彼氏とのお付き合いを反対されてることかしら?」
「だ、だよね~」
――私、下手くそすぎない?
咄嗟に口から出た質問のポンコツさに、頭を抱えたくなった。次になにを聞けばいいか見当もつかない。探偵役に絶対的に向いてない。泣きたい。どうしよう……。
すると、そんな私に孤ノ葉が話題を振ってくれた。
「ねえ夏織ちゃん。そう言えば人魚の肉売りって知ってる?」
「さっ……最近噂になってるアレ!? なんでも願いを叶えてくれるっていう……」
「わたくしも知ってる。素敵ね。叶えたいこと……たくさんあるもの」
月子も興味があるらしい。孤ノ葉は、ポケットからあるものを取り出した。
――チリン。
澄んだ音をさせたのは、黄金色の小さな鈴だ。
「この間、露店で売っているのを見つけたのよ。肉売りを引き寄せるそうだけれど」
孤ノ葉が軽く振れば、それはチリチリ軽やかな音を立てた。
「まあ、おまじないみたいなものね。流行ってたから買ってみたの。よかったらあげるわ」
「あっ、ありがとう……」
反射的に鈴を受け取り、渡りに船と言わんばかりに質問を投げる。
「ねえ人魚の肉売りに会いたい?」
すると、孤ノ葉は一切迷うことなくさらりと返答した。
「そりゃあ、本当に願いを叶えてくれるなら。でも今って、自力で希望を叶えようと頑張ってる最中だから、あまり考えたことないわ」
「そう、なんだ……」
「――そうだ! ねえ、月子はどういう願い事があるの?」
「わたくし、孤ノ葉みたいに綺麗になりたい」
「えっ!? 月子はもう充分可愛いわよ?」
「綺麗がいいの。可愛いじゃないの」
ふたりは引き続き願い事について話している。それを余所に、私はひとり思案に暮れた。
――なんだか変な感じ。本当に孤ノ葉のところに人魚の肉売りが現れるのかな。
自分の恋に対する孤ノ葉の姿勢はどこまでも真摯で、自力での解決を諦めて、摩訶不思議なものに縋るイメージができない。
「孤ノ葉は、本当にがんばってるね。彼氏さん、すごく素敵な人なのね」
考え事をしながら無意識にこぼせば、途端に孤ノ葉の顔が夕焼け空のように色づいた。
「~~~~っ! かっ、夏織ちゃん。やだ、なにを……」
耳や首筋まで真っ赤だ。動揺しているのか、薄墨色の瞳がじんわり潤んでいる。
握りしめた小さな拳までほんのり染めて、目いっぱい照れているその姿はまるで小動物のよう。守ってあげたい。強烈に保護欲を刺激するような、そんな魅力がある。
「かっわいい……なあに、この生き物」
思わずそうこぼせば「ひゃあ」と小さく悲鳴をあげて、孤ノ葉は顔を手で隠した。
瞬間、ムクムクと好奇心が湧いてくる。
こんな可愛い子がベタ惚れな相手ってどんな人だろう……!
「ねえ、馴れ初めって聞いてもいい?」
「ええ……?」
ワクワクしながら訊ねれば、孤ノ葉は少し戸惑いつつもコクコクと頷いてくれた。
「ほほう! それはよいのう。妾にも聞かせてたもれ」
その時だ。衣擦れの音と共に、御簾の奥に誰かの気配を感じた。
するすると御簾が上がっていく。ゆったりと肘掛けに寄りかかって私たちを見下ろしていたのは――玉藻前だ。
彼女は、噂に違わぬ美貌を持つあやかしだった。
涼やかな目もとをほんのり紅で染めていて、流し目を送られると同性であるのにドキリとするような色香が感じられる。黒真珠のような瞳はどこまでも理知的だ。
服装も見蕩れるくらいに艶やかだった。
萌黄地に香色の桐丸文様の小袿、その上に垂髪にした射干玉の黒髪が散っている。五衣も夏らしい橘の襲ね。絢爛豪華な調度品の中にあっても、その姿は霞むことなく、逆にすべてが彼女を引き立てているよう。まさに女主人、という感じだ。
「……はっ、初めまして。私は――」
慌てて頭を下げて自己紹介をしようとする。けれどもすぐに遮られてしまった。
「よいよい。まどろっこしいのはよせ。お主たちのことはナナシから聞いておる」
玉藻前は、衵扇で顔を半分隠すと、九本の尻尾をゆらりと揺らした。
「妾の協力が欲しいのじゃろう。別に構わぬぞ」
「えっ……! ほ、本当ですか?」
「どこに嘘をつく必要がある? 正直、暇を持てあましておってなあ。なにか面白いことはないかと思っておったところじゃ」
にんまりとつり目を細めた玉藻前に、私たちは喜色を浮かべた。
けれども続いた言葉に、すぐに顔色を失うことになる。
「ここはほんに刺激が足りぬ。現し世でやりたい放題していた頃が懐かしくてのう。時々、無性に暴力的な気分になってな?」
いじいじと畳を指でなぞり、ぽそりと物騒なことを口走る。
「断末魔の悲鳴、人の焼けるなんとも言えない臭い。命乞いの言葉が無性に恋しくなる。世が荒れておれば、何人か攫ってきてもバレなかろうが、今の時代はのう……。ひとりいなくなっただけで大騒ぎじゃ。つまらん世の中になったものじゃ」
ほうとこぼしたため息は、恋を煩う乙女のものととてもよく似ていた。
しかし、そこに含まれる感情は決して甘くない。むしろ劇薬だろう。
「ここ最近、特に鬱憤が溜まっておっての。現し世で一騒動でも起こしてやろうかと思っていたのじゃが、あまりやり過ぎると、ぬらりひょんに怒られる。よい時に来た。妾に協力を仰ぐ以上は、存分に楽しませてくれるのじゃろう?」
――怖すぎる……!!
「ひえ……」
小さく悲鳴をこぼし、孤ノ葉の腕に軽くしがみつく。見ると、孤ノ葉は月子にしがみついていた。同じ狐といえど、玉藻前の悪辣無比な性格は恐ろしいものらしい。ガクガク震えた孤ノ葉は、引き攣った笑みを浮かべて言った。
「ちょ、ちょうどいい暇つぶしになったようで……わ、私も嬉しく存じます……」
「ホッホ! 苦しゅうない。それでそうじゃ! 暇つぶしと言えば!」
ぐいと玉藻前が体を乗り出した。焚きしめてあったのだろう強い香が鼻を擽り、思わず身構えれば、玉藻前はポッと頬を染めてはにかんだ。
「妾は異類婚姻譚を心から好んでおってな……!」
「い、異類……婚姻譚ですか」
それは人間と別の種族の生き物の婚姻物語だ。世界中に類型が見られ、長い間親しまれてきた。有名なところで言うと、鶴女房や雪女などが挙げられる。
「妾も狐でありながら人と恋をしてきたからの、異類婚姻譚には親しみやすくてのう。そこでナナシに聞いたのじゃ。お主が人に恋をしていると」
ちろり、あだっぽい流し目を向けられて、孤ノ葉は別の意味で赤くなった。
クツクツ喉の奥で笑った玉藻前は、どこか甘えたような声で言った。
「妾にも聞かせてたもれ。お主の恋の話を。そして――最後に妾の質問に答えておくれ。長年の謎を解き明かしたい」
「謎……ですか」
「まあ、暇つぶしの一環じゃ。気負わずともよい」
「は……はいっ!」
大きく頷いた孤ノ葉に、玉藻前は満足そうだ。
――そう言えば、孤ノ葉の彼氏の話を聞くのは初めてかも。
目的はあれど、他人の恋路というものはなんとも興味がそそられる。
私は孤ノ葉の話に耳を傾けた。
そして孤ノ葉は語り始めた。
孤ノ葉が、現し世に興味を持ったのは、月子から借りた本がきっかけなのだという。




