異類婚姻譚のその後は1
「今回の件、アタシも手伝おうと思うんだけど、お邪魔かしら?」
栃木県へ出発する日の朝のことだ。突然、ナナシがこんなことを言い出した。
「えっ……? どうしたの、びっくりした。別に構わないけど」
貸本屋の自室で鞄に着替えを詰めていた私は、驚きながらも即答した。
「そう? それならよかった。玉藻前とは昔なじみでね。久しぶりに顔を見たいと思っていたからちょうどいいと思って」
その手には、とある包みが握られていた。豆腐小僧の店で売っている、分厚くておっきな油揚げ。どうやら手土産らしい。気遣いのできるナナシらしい。
「へえ、ナナシと玉藻前が仲良しだったなんて、初耳だなあ」
「彼女とは、日本に来たばかりの頃に知り合ってね。それ以来、親しくしているの。きっと、白蔵主の件も口添えできると思うわ」
「…………。そっかあ」
「ああ! それとね、玉樹のことだけれど。アイツ、今回は行かないって」
「玉樹さんと会ってたの?」
「昨晩、ちょっとね。用事があるんですって。あの男も勝手よねえ。自分から手伝うって言った癖にね。アタシがいなかったら、どうするつもりだったのかしら」
「…………」
ナナシは「まったくもう」と肩を竦めている。そんな彼を私は無言で見つめていた。
「どうしたの? 夏織。急に黙っちゃって」
「う~ん」
なんとも言えない変な顔になる。言ってもいいのだろうかとちょっぴり悩んで、まあいいかと、どこか不安そうな彼に言った。
「別にたいしたことじゃないんだけどね。ナナシが隠し事してるな~って思っただけ」
「ブッ……!」
ナナシは盛大に噴き出すと、ゲホゲホむせ始めた。
「ど、どどどどうしてわかったの!」
涙目で動揺しているナナシに、私は指折り言った。
「すごくわかりやすいよ? いつもは、昔のことをあんまり話したがらないのに〝日本に来たばかりの頃〟なんて言い出すし、そんなに玉樹さんと仲良くなかったはずなのに、いやに親しげな口調で語り始めるし」
「うっ……!? やだ、そんなあからさまな口ぶりだった!?」
両頬を手で押さえて青ざめているナナシに、ちょっと得意げになって語る。
「話だけじゃないよ。ほら、隈がある。目もちょっと充血してるし、肌も荒れてる。こりゃ、昨晩なにかあったんだなって思うよね。ふふ。娘の勘を舐めたら駄目だよ?」
不敵に笑って言えば、ナナシはどこか弱りきったような顔で諸手を挙げた。
「慣れないことはするもんじゃないわね。玉樹みたいに裏で色々するなんて無理!」
「あ、やっぱり玉樹さん関係なんだ。例の企み関係かなあ?」
間を置かずに突っ込めば、ナナシはパッと手で口を隠した。
私の母代わりで、幽世で誰からも頼られているこの人は、どうにも隠し事が下手くそだ。
なにせ、記念日のサプライズパーティが成功したためしがない。
頼りがいはあるけれど、こういうところはとても可愛い人。それがナナシだ。
「まあ、言いたくないなら黙っていてもいいけどね。手伝えることがあったら言ってね」
荷造りを再開しながらそう言えば、ナナシは心底不思議そうに首を傾げた。
「あの玉樹が関係してるってわかったんでしょう? 悪いことかもって思わないの?」
その言葉に一瞬、キョトンとする。そしてすぐに小さく噴き出した。
「なに言ってるの。ナナシは、いいことと悪いことの分別はつくでしょう?」
ずっと、ずっと、私が物心ついた頃から一緒にいるのだ。
当たり前なことを今更聞かれても困る。
「私はナナシを信用してるし、信頼もしてる。だって家族だもの」
「……夏織」
ナナシは瞳を大きく揺らすと、いきなり私を抱きしめてきた。
唐突に腕の中へ閉じ込められて、なにか辛いことでもあったのかと訝しむ。
けれどその表情を見た瞬間、私の疑問はたちまち消えてしまった。
ナナシの瞳の中でゆらゆらと揺れた涙があんまりにも綺麗で。
ほんのり染まった頬が、そして下がった眉が、喜色に満ちあふれていたからだ。
感極まっているナナシの背に手を回して、ぽんぽんと叩いてあげる。
ナナシはますます私をぎゅうぎゅう締めつけて、少しだけ掠れた声で呟いた。
「嬉しい。こんな嬉しいことはないわ」
そして顔を上げると、いつもの調子に戻って言った。
「ありがとう夏織。話すかどうか悩んでいたの。でも……全部、話すわ」
「いいの?」
「もちろんよ。夏織には知って欲しいの。……大切な家族に隠し事はしたくないもの」
「……そっか」
なにか心に決めたらしいナナシを見つめ頷く。そしてわざと戯けて言った。
「家族だからって、隠し事があってもおかしくないからね?」
パチパチとナナシが目を瞬く。そしてすぐに破顔した彼は、心から嬉しそうに言った。
「アタシ、アンタのそういうところ大好きよ」
そして語ってくれたのだ。かつて瑞獣と呼ばれていた過去のことを。お世話になった人たちのことを。そして――その恩人が危機に陥っていることを。
玉樹とナナシがしようとしている、その内容を。
「大切な人のため、アタシたちは人魚の肉売りをおびき寄せることにしたの。不老不死じゃなくなり、玉樹が無事に死を迎えるために」
「そっか。死ぬために……」
あまりのことに、胸が締めつけられたように苦しくなった。
けれど、私なんかよりもずっと玉樹さんと付き合いが長いナナシは、もっと苦しいに違いない。溢れ出しそうになる感情をグッと堪えて訊ねる。
「……それで、その人をおびき寄せる算段はついているの?」
「それはね――……」
その時、階下から誰かの声が聞こえた。
「夏織ちゃん、おはよう~! さあ、栃木県へ行きましょう!」
「……眠い」
「ちょっ……! 月子、ここで寝ないで!」
孤ノ葉と月子だ。返事をしようと口を開きかけ、けれどもナナシに止められた。
「ナナシ?」
困惑したまま見つめると、ナナシは少しだけ表情を曇らせて言った。
「アタシたち……あの子のところに人魚の肉売りが現れると考えているのよ」
「あ、あの子? あの子って……」
人魚の肉売りが姿を見せるであろう相手。それは清玄さんのように、なにか事情があって追い詰められている人物ということだ。それはつまり――。
「夏織ちゃん? いないの?」
孤ノ葉の声が聞こえてくる。私は物憂げなナナシの表情に思わず泣きそうになった。




