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二ツ岩の出家狸4

 ……ああ、海が眩しい。

 入浴後。着替えた俺は、海岸線を歩いていた。


 空はどこまでも穏やかで海は凪いでいる。

 風がないからか海鳥たちはなりを潜め、波音だけが辺りへ響いていた。

 東京湾を見慣れているせいか、驚くほどに透明度が高い佐渡島の海は、異国に来たような気分にさせてくれる。ミシュランふたつ星を獲得した海水浴場もあるらしいが、シーズンには少し早い。あまり人気のない浜辺を、銀目を捜して歩く。


「アイツ、どこ行ったんだろうな……」


 露天風呂から忽然と消えた銀目。

 子どもじゃあるまいし、心配することはないと思う。だが、なにも言わずにいなくなるなんて銀目にしてはらしくない。なんだかそれが引っかかっている。


 金目も同じように感じたらしい。顔色を変えてどこかへすっ飛んで行った。


 ちなみに、湯あたりをしてしまったらしいクロは部屋で寝ている。

 クロが目覚める前までには見つかればいいんだが……。


 すると、視界の中に白いものが飛んでいるのを見つけた。……手紙の鶴だ!

 手を伸ばせば、そこにストンと鶴が舞い降りた。労いをこめて頭を撫でてやる。

 近くにあった階段へ腰かけた。そっと鶴を開けば、夏織の文字が姿を現す。


『手紙をありがとう。明日、太三郎狸を説得してくるね』


 そんな言葉で始まった手紙は、夏織の気持ちを表しているかのように明るいものだった。


『香川はとてもいいところです。ご飯も美味しいし、なにより同世代の女子との旅がすごく新鮮でドキドキします。途中、金刀比羅宮に寄ったの。玉樹さんたら汗だくになっちゃって、すんごい恨み節を吐いててさ、呪われるかと思っちゃった! お守りを買ったから、たぶん大丈夫だろうけどね。水明のも買ったよ! 今度会った時に渡すね』

「そりゃあ大変だったろうな……」


 夏織に尻を叩かれて、金刀比羅宮の長い階段を上った玉樹の苦労が偲ばれる。


 やはり、夏織も観光をしていたらしい。相変わらず自由にやっているようだ。


『とうとう、明日は決戦です。実はね、水明の手紙が来るまで、すごく自信がなかったの。どうしようかなって、真っ暗な海を見ながらモヤモヤしてた』


 ふと視線を上げた。目の前に広がっているのは、澄みきった紺碧の海だ。真っ暗な海……それは、よほど心を不安にさせたんじゃないだろうか。再び、手紙へ視線を落とす。


『でもね、君の手紙を読んで勇気が出たんだ』


 そこまで書くと、夏織はいったん筆を止めたらしい。

 少し迷ったようなインクの痕があり、改行した先に内容が続いた。


『また君に助けられちゃったね。水明の言葉に背中を押してもらって、明日は頑張る。この手紙が届く頃には決着してるかもしれないけどね。本当にありがとう。夏織』

「……!」


 息を呑んで、思わず手紙を閉じた。

 じわじわと頬と胸が熱くなっていく。

 なにかしたつもりはないのに、自分の言葉が夏織の支えになった。

 それが途方もなく嬉しくて、くすぐったくて。


 叫びながら走り出したくなるくらいの爆発力を持った感情が、内から溢れてきて――。


『お前が生まれさえしなければ。お前が……みどりを私から奪ったんだ!!』


 それが、父から投げられた〝呪いの言葉〟の効力を和らげてくれる気がした。

 俺はここにいてもいい。俺は誰かに必要とされている。

 俺は――生きていてもいいんだ。


「……水明ってよお」


 その時、ストンと俺の横に誰かが座った。

 驚いて顔を上げれば、不機嫌そうな銀色の瞳と視線が交わった。


「お前って、本当に夏織に関することとなると、いろんな顔をするよな」

「……銀目!」


 捜していた当人の登場に驚いていれば、銀目は不貞腐れたように頬杖を突いた。


「どうしたんだ。急にいなくなったから、金目が心配していたぞ」

「うっ! そういう気遣い、水明っぽくないんでやめてくんねえ? 心配そうに俺を見るな。口調が優しいんだよ! こう……顰めっ面で〝俺はお前たちと群れるつもりはない〟的な、一匹狼感を出して欲しいんだけど!?」

「なんだそれは……どこの馬鹿の話だ……?」

「いや、水明って初期はそんな感じだったろ」

「……なん、だと……?」


 思わず目を見開けば、銀目は呆れ返ったように肩を竦めた。


「あ~あ。自分のことなのに。これっぽっちもわかってねえんだな」

「そ、そうなのか? あの頃は、感情を出さないように必死だったからな」


 感情を殺せと強いられてきたからか、俺は自分の顔が嫌いだった。無表情なせいで、死人の顔のようにしか見えなかったからだ。だから、なるべく目に入らないように努めてきた。自分が、普段どんな顔をしているかなんて考えたこともなかったのだ。


「もしかして不快にさせたか? あまり表情を作らない方がいいんだろうか……?」


 不安になって訊ねれば、銀目の顔がくしゃりと歪んだ。


「そっ……そんなことは言ってねえだろ! 表情がコロコロ変わるようになったお前のことも好きだよ!! そのまんまでいろよ! 変なこと考えんな!」

「お、おう。そうか……それならよかった」


 ――なら、なんで怒られたんだのだろう……?


 首を傾げれば、銀目がはああああ……と盛大にため息をこぼしたのがわかった。


「本当になんなんだよ。ずりいだろ、これ。天然かよ。こんな奴の表情が変わってくのを、夏織はずっと隣で見てたんだろ? そりゃあ、誰だって……」

「……銀目?」


 なにやらブツブツ呟いている銀目へ声をかければ、彼はぷくりと頬を膨らませた。


「別に。なんでもねえよ……」

「そうか? 今日は変だぞ。なにも言わずに露天風呂からいなくなったりするし」

「そ、それは! 水明がかっこいいこと言い出すからムシャクシャして!! ……ぐあああああっ! 水明っていい奴なんだよな。それがまたムカつく!!」

「いや、褒めるか貶すかどっちかにしろ」


 ぜいはあ。真っ赤になって息を荒げた銀目は、ビシッと俺を指差して宣言した。


「あっ……明日! 明日は絶対に、俺が勝つ!」


 唐突に突きつけられた宣言に、俺はフッと柔らかく笑んで応えた。


「俺も負けないさ。お互いに全力を尽くそう」

「だああああっ! そういうのが水明らしくねえって言ってんだ! バーカバーカ!」

「なんで罵倒されなくちゃいけない……」

「おっ! その顔~。それだよそれ。そういう不愉快さを隠さねえ感じが水明だよな!」

「馬鹿にされているような気がするんだが」


 俺が盛大に顔を顰めれば、逆に銀目は満面の笑みになった。

 しかし、途端にその表情が曇る。


「じゃ、じゃあ……俺は行くぜ! 明日の勝負、楽しみにしてっからなー!」


 なにかに怯えたように瞳を揺らした銀目は、勢いよく空へ飛び上がった。

 なにごとだろうと訝しんでいれば、小さくなっていく銀目へ、今へも追いつこうとしている黒い影があるのに気がついた。


 瞬間、晴れているというのに稲光が走る。


 轟音とともに、銀目に雷が直撃した。黒煙を上げて真っ逆さまに落ちていく。


「銀ッ……!」


 慌てて立ち上がる。しかし、上空で仁王立ちしている人物の正体に気がついた途端、口を閉ざした。そこにいたのは、まるで般若のような顔をした金目だったのだ――。


「……怖い兄だな」


 明日の勝負に支障がなかったらいいが。そんなことを思いながら踵を返す。

 俺は手の中の手紙にちらりと視線を落とし、軽く笑んだ。


 ――返事はどう書こうか。


 夏織の反応を思い浮かべ、俺は知らず知らずのうちに鼻歌を口ずさんでいた。

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