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二ツ岩の出家狸3

 好きな相手をかけての勝負だ。

 どんなにか苛烈な戦いになるのだろうと、佐渡島へ出発する前は思ったものだ。


 なにせ絶対に負けられない。すでに夏織から告白を受けているからといって油断していいものではない。これは男のプライドの問題だ。

 なのに――。


「……ああ~。お湯が染みる~。気持ちいいねえ、銀目」

「日本海が一望できるなんてすげえな、金目。クロも水明もそう思うだろ?」

「オイラ……ここから出たくない……」

「…………」


 ――なぜ、露天風呂に入ることに。


「どうしてこうなった……」


 ぶくぶくとお湯の中に沈む。

 水中から眺める夏空は、俺の心のようにゆらゆら不安定に揺れて。

 そして馬鹿な自分を嘲るかのように、塩化物泉は仄かに塩辛い。

 ゆっくり瞼を閉じた俺は、ここ佐渡島へ来るまでの出来事に想いを馳せた。




 夏織の計画を手伝うと決めたその日のうちに、俺は手紙を夏織へ飛ばした。


 翌日、念のためにと、清玄を狙うあやかしたちを掃討しておく。

 それに一日かかりはしたが、次の日には目的地へ向かって出発することができた。


 面子は俺と双子とクロ。場所は、新潟県沖に浮かぶ佐渡島。

 そこに、日本三大狸のうちの一匹、団三郎狸がいるからだ。


 団三郎狸は佐渡の狸の総大将だ。よその狸同様、人を化かした逸話に事欠かないあやかしで、他と違うところを挙げるとすれば、人間に対して金貸しを営んでいたことである。


 佐渡金山で得た金子で、人間よりもよほど裕福。人を化かして退治されたりすることもあるが、ときおり義理深い一面も見せるのが団三郎という狸だ。


 そんな狸をどう説得したものかと悩んでいる俺たちに、出発前、僧正坊はいろいろと教えてくれた。なんと、僧正坊と団三郎狸は古くからの飲み仲間らしい――。


『アイツはいい奴だぜ。さすが、佐渡島の狸の頭を張っているだけのことはある。酒も博打もやるが、女房を大事にする気風のいい奴だ。困ってる相手を見捨てられねえ。人間相手に、担保もなしに金貸しを始めるくらいには情に厚くもある。そこがたま~に傷だけどな』


 だから、説得にはそれほど苦労しないだろうというのが僧正坊の言だった。

 しかし、僧正坊は最後にひとつ気になることを言ったのだ。


『アイツにゃ悪癖があってな。懲りもせず〝妙なこと〟をしてなかったらいいんだが』


 〝妙なこと〟……。どうにも嫌な予感がする。

 佐渡島へと到着した俺たちは、なにはともあれ、かの狸に会ってみることにした。

 しかし、ことはそう簡単にはいかなかった。

 やはりというかなんというか……僧正坊の懸念が当たってしまったのだ。




 俺たちと団三郎狸が会ったのは、二ツ岩神社だ。


 そこは団三郎狸が祀られている場所で、静かな森の奥にあった。

 真っ赤な鳥居の向こうには白木の鳥居。

 京都の伏見稲荷を思わせるような鳥居のトンネルが森の中を延々と続く。木漏れ日の中、奥へ奥へと進んで行けば、俺たちは異様な雰囲気に包まれた場所へ到着した。


 小さなお堂の前が、なぜか石で埋め尽くされている。


 それは、どこにでもあるような平べったい石だった。同じような大きさの石が、何個も何個も積み重ねられて塔のようになっている。それもひとつではない。あちこちにある。

 石の塔の前には、一匹の狸がぽつん、と座り込んでいるのがわかった。


『〝妙なこと〟をしてなかったらいいんだが――』


 僧正坊の言葉が蘇り、背中に冷たいものが伝う。俺は意を決して狸へ声をかけた。


「お訊ねしたい。あなたが団三郎狸だろうか……?」


 くるりと狸が振り返った。


「いかにも。拙僧が団三郎狸でござる」

「……ッ!」


 瞬間、ギョッとして目を剥く。なぜならばその狸は、頭巾に鈴掛、手甲、脚絆にわらじ、今にもホラ貝を吹き鳴らしそうな修験者風の出で立ちだったのだ。


 ちらりと金目銀目を見遣る。似たような格好をした双子へ、まさかここへ来る前になにかしたのかと疑いの目を向ければ、ふたりは勢いよく首を振って否定した。


 ――まあ、とりあえずは話をしてみるか。


 さっそく団三郎狸へ事情を説明する。するとかの狸はきっぱりとこう言い切った。


「申し訳ございませぬ。拙僧は人を化かすことをやめたのでござる」

「……そ、そうか。よければ理由を聞かせてもらえないか?」


 愛想笑いを浮かべ、再び団三郎狸を見遣れば、彼は神妙な顔で手を合わせていた。


「理由は簡単。拙僧、信心の道を歩むと決めたのでござる」

「しっ……信心……?」

「拙僧、これまで大勢の人間を騙してきたでござる。少々の善行もしてきたものの、屋島の太三郎に比べれば微々たるもの。この世に生を受けて幾年月……そろそろ来世のことも考えねばと思いましてなあ。金貸しはやめ、貯めた金子も困窮している者へ配りきり、あとはこの身ひとつだけ。残された命が尽きるまで、善行を積むことと決めたでござるよ」

「……そ、そうか」


 思わず頷けば、団三郎狸は目を瞑って厳かに言った。


「そなたらも、死後に地獄の釜へ沈められたくなくば、現世で精進するでござる。酒を絶ち、博打をやめ、女もやめる。それだけで、いくらかは罪が軽くなりましょう。祓え給え、清め給え、なんまんだぶ、ほうほけきょ、般若腹満たし心経……らぁめん!」


 最後に、お経らしきものを口にし、くるりと俺たちに背を向ける。

 ふたたび石の塔の前に座り込んだ団三郎狸は、手を合わせて瞑想を始めたのだった。




 団三郎狸のもとを離れた俺たちは、なんとも複雑な気持ちを抱きながら向かい合った。


「……今のお経、仏教どころか神道だの鳥だの食い物だの……なんだあれは?」


 俺が首を傾げた途端、双子がお腹を抱えて笑い出した。


「ほうほけきょ! 般若腹満たし心経……らぁめん! かえって地獄に落ちそう!」

「あっはははは! それに、ござるだってよ! お侍かねえ?」

「確かにな……。正直、修験者のコスプレをした狸にしか見えなかった」

「「コスプレ!!」」


 その瞬間、ひい、と双子はお腹を抱えてしゃがみ込んだ。ツボにはまったらしい。泣きながら笑い転げている。そんなふたりをよそに、俺はひとり思案に暮れていた。


「胡散臭すぎる。なにかにかぶれたか? それとも、なにかを隠しているのか……」


 ポツリと呟けば、途端、金目の瞳がキラリと光った。


「なら、その秘密を先に暴いた方が勝ちかな~?」

「だな~! 奴の秘密を暴いて協力の約束をもぎ取る! 勝負の内容はそれでいいか」

「……わかった」


 ――それにしても、僧正坊から聞いた話とずいぶん違うな……?


 酒も博打もやるが、女房を大事にする気風のいい奴じゃなかったのだろうか。

 気になるのは〝女をやめる〟という言葉だ。一体これはどういう意味を持つのだろう。


 ――信心の道を歩むことに決めた結果、女房を捨てた……?


 これは確認しなければと思っていると、突然、両脇から肩を組まれてしまった。

 なにごとかとジロリと睨みつければ、双子は悪戯っぽく目を輝かせる。


「まあ、とりあえず今日はもう遅いからさあ」

「せっかく佐渡島くんだりへ来たんだし」

「お前ら、まさか遊ぶつもりか?」


 嫌な予感がして訊ねれば、双子は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 呆れてものが言えなくなる。そうだった! こいつらは、ダイダラボッチへ絵本を届けに静岡に行った時も、時間潰しに遊園地へ行く様な奴らだった……!


「お前ら、いい加減にしろ。勝負はどうしたんだ! 俺の勝ちでいいのか」


 怒りを露わにして双子の腕の中から抜け出す。俺の態度にふたりは不満げだ。


「ええ……。それとこれとは話が違うだろ? 勝負は明日からでいいよ。遊ぶ時は遊ぼうぜ。俺、砂金採り体験とかしてみてえよ!」

「そうそう。無策で挑んだって返り討ちに遭うだけだよ。情報収集がてら遊ぼう? ここって温泉もいっぱいあるんだからね。露天風呂でポカポカしない?」

「だから、お前ら……!」


 絶対に駄目だと、怒りに任せて口を開きかけた時だ。

 近くの草むらの中に、やたらキラキラした真っ赤な瞳があるのに気がついた。


「……お、温泉って言った……?」


 そこから姿を現したのはクロだ。

 狸にとって、犬は天敵とも言える。万が一にでも団三郎狸を刺激してはいけないと、草むらの中に隠れさせていたのだが、魅惑的な言葉に反応して出てきたらしい。


「水明……」


 ぽてぽてと足もとへやってきたクロは、つぶらな瞳で俺を見上げた。


「オイラ、温泉入ってみたいなあ~……」

「ぐっ……!」


 ――そういえば、クロを温泉に連れて行ったことはなかった。


 がくりとその場にくずおれ、ゆっくり尻尾を揺らしているクロを見つめる。


「ク、クロ……行きたいか?」


 そっと訊ねれば、クロはその瞳をますます輝かせて言った。


「うん。オイラ憧れてたんだあ……!」


 ――ならば、仕方ない!!


 俺は勢いよく立ち上がると、双子へ言った。


「おい、温泉に行くぞ。愛犬連れを受け入れている宿を捜せ!」

「「あいあいさー!」」


 ――こうして。勝負もそこそこに、温泉へ浸かる羽目になったのである。


 なぜ露天風呂へ行くことになったのか――それは紛れもなく俺の自業自得だったのだ。


  ***


 なんとか見つけ出した、愛犬同伴可能の温泉。


 犬用の大きな桶に浸かったクロは、初めての温泉を満喫しているようだった。


「ひゃ~。極楽ってこういうことを言うんだねえ。水明」

「……そうだな。よかったな、クロ」


 ご機嫌なクロへ返事をしながらも、頭の中は後悔でいっぱいだ。

 だが、楽しそうなクロを見ていると嬉しくもあった。


「俺もまだまだ未熟だな」


 ブツブツ呟きながら、湯をかけ合ってはしゃいでいる双子を見遣る。

 この時、双子は人間の姿へ化けていた。

 真っ黒な羽と鳥のような脚はどこへやら、どう見ても普通の人間だとしか思えない。


 ――それに。

 思わず自分の体を見下ろす。あまり日焼けしておらず、筋肉がついていない薄い体。

 対して、烏天狗の双子……特に、銀目の体格は見事なものだ。

 日々、山の中を駆け回って修行しているせいか、ほどよく日焼けして、綺麗に引き締まっている。腹筋も割れていて、異性が見たら見惚れてしまうに違いない。


 ――夏織もあれくらい逞しい方が好みなのだろうか。


 しかし、すぐに考えるのを止めた。そんなこと本人にしかわからないじゃないか……。

 再び温泉の中に沈みかければ、金目が笑いながらこちらを見ていることに気がついた。


「……なんだよ」

「いや、別に~? なんだか楽しそうだなって。昔の水明なら考えられないよね~」


 図星を刺され、ついと視線を逸らす。

 確かに、後悔はしているがそんなに悪い気分じゃない。


「……変わりたいと思ってる」


 ぽつりと呟けば、金目が意外そうに目を見開いた。


「へえ? どんな風に?」

「気まぐれなお前たちの流儀に合わせられるように。……これは予想だが、きっとここに夏織がいたら、アイツも遊ぼうと言い出したような気がして」


 いつだってどこでだって、楽しむことを忘れないのが夏織だ。

 香川へ行ったアイツも、なんだかんだ観光は忘れていない気がする……。


「幽世で生きると決めた。だから、あやかしたちのやることなすことに目くじらを立てるんじゃなく、理解を示したい」


 じっと遠くを見る。ここの露天風呂からは日本海が望めた。

 どこまでも続くように見える海原。ザアザアと絶え間なく押し寄せてくる波音。

 綺麗だと思う。いい音だと思う。そういう風に思えるようになったのは最近だ。

 かつて感情を制限されていた時は、景色なんてまるで見えてなかった。


「今までの俺は、上手く囲われた世界から抜け出したものの、あまりの視界の広さに目が眩んでたような気がする。……最近、やっと見えてきたんだ。だからもっといろんなことを知って、大抵のことを受け止められる、懐の深い人間になりたいと思っている」


 ――それに、そういう人間が夏織に相応しいのだろうとも思うのだ。


 彼女がいつも尊敬の眼差しを注いでいる東雲というあやかしには、そういう強さがある。

 ……まあ、暴走しがちなところもあるが。


「クロも、俺と同じで狭い世界の中で生きてきたからな。いろんな経験をさせてやりたいし、命を懸けて戦ってくれている分、普段はなるべく甘やかしてやりたいんだ」


 くすりと笑みをこぼせば、いつの間にやら隣に金目が来ていた。


 彼は真夏の果実みたいな黄金色の瞳を嬉しげに細め、俺の顔を覗き込んで言った。


「狭い世界に囚われてた仲間がここにもいたんだ。灯台下暗し! 僕とお揃いだねえ~」

「痛っ……やめっ……なにするんだ、馬鹿!」


 バシバシと背中を叩かれ、あまりの強さにむせそうになる。

 ジロリと睨みつければ、金目は心底楽しげに言った。


「恋ってここまで人を変えるんだね。興味深いなあ。面白い!」

「……まるで他人事だな。お前はどうなんだ、お前は!」


 思わず言い返せば、金目はけろりと言った。


「恋愛なんて、心の弱い奴がするもんでしょ?」

「……お前なあ」


 呆れて眉尻を下げれば、金目はニコニコ笑って言った。


「心が弱いなら弱い者同士で寄り添えばいい。寂しいなら抱き合えばいい。ずっと一緒にいたいなら番えばいい。そう素直に思える人が恋愛できるんだと思うんだよね。……うん。僕には無理そうだけど、それはいいことだと思うよ」


 一瞬、金目の本音が垣間見えたような気がして黙り込む。

 烏天狗の双子の片割れは、クスクスと小さく笑って……それから首を傾げた。


「……あれ? 銀目は?」


 気がつけば、露天風呂の中から銀目の姿が消えている。

 俺は金目と顔を見合わせ、勢いよく立ち上がった。

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