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屋島寺の善行狸4

「太三郎おじさま、久しぶり」

「月子よ、引き籠もりがちな主が来るとは。まこと珍しい」


 太三郎狸は、善行で知られているだけあって、第一印象はかなりの好感触だった。

 物腰も柔らかく、理路整然と話す。さすがは守護神にまでなったと感心するほどの対応で、きっと彼なら、私たちの願いも聞き届けてくれると確信したものだ。


 ――しかし、ことはそう簡単にはいかなかった。


「残念だが……協力するわけにはまいらぬのう」


 諸々の事情を説明後、曇りのないまっすぐな瞳で断られてしまって思わず固まる。

 あまりのことに思考が停止してなにも言えずにいれば、小鳥が太三郎狸の頭の上に止まり、ピチチチ……と軽やかに鳴いた。

 あら、可愛い……ってそうじゃない!


「どっ……どうしてですか!?」


 食い気味に理由を訊ねれば、神として祀られている狸は言った。


「先祖からの盟約でな。命を救ってもらった代わりに、人間を守護し、そしてできる限り善行をすると約束したのだ。よって、悪行に繋がる可能性のある行動は控えておる」


 その言葉に、孤ノ葉が顔を真っ赤にして抗議した。


「あ、悪行って! 私の交際を父に認めてもらうことが、どうして悪行になるのですか?」

「いいや、そちらの話ではない。人間とあやかしが番うことなんて、遠い昔からままあることじゃ。むしろ、それより問題としているのは……貸本屋の方」

「へっ!?」


 思わず素っ頓狂な声を上げれば、太三郎狸はひゅん、とモフモフした尻尾を振った。


「人間の創り出した物語を、あやかしが読むべきか読まざるべきか……。儂は、白蔵主の言うことにも一理あると思っておる」

「か、貸本屋を潰した方がいいと……?」

「まさかそこまで過激なことは言わぬ。本を貸し出すこと自体は悪いことではあるまい」

「じゃあ、どうして……?」

「人間が創る物語は、少なからず儂の同胞を傷つけるからだ」


 一瞬、太三郎狸の言葉が理解できずに目を瞬く。


「同胞? 狸のことでしょうか。あ、あの。物語が傷つけるとは……?」


 恐る恐る訊ねれば、太三郎狸は物悲しげに瞼を伏せた。


「人間の創る物語には、多くの狸が登場する。様々な役回りを任され、生き生きと描かれておる。それは別に構わぬ。しかし、そのどれもが悲惨な結末を迎えるじゃろう」


 犬に噛まれたり、追い払われたり、殺されたり、食べられたり。

 物語……特に昔話に登場する狸は、いつだって損な役回りだ。多くが〝悪役〟とされ、因果応報と言わんばかりに、狸が犯した罪以上に酷い仕打ちを受けることもままある。

 太三郎狸はそれが気に入らないのだという。


「若い狸が物語の中で虐げられる同族を見たらどう思う? 衝撃的な内容に傷つき、人間へ恨みを募らせるかもしれぬ。そして、仕返しだと悪行を働く。その狸を人間は追い払い、迫害し、また狸を悪者とした物語を創る……哀しいことだと思わぬか?」


 小さく首を振った太三郎狸は、丸い瞳で私をじっと見つめ断言した。


「貸本屋を潰せだなどと苛烈なことは言わぬ。しかし、同胞が傷つくのを防ぐためであれば、貸本屋が潰れてもやむなし。芝右衛門の計画に手を貸した結果、それが貸本屋の営業継続に繋がるのであれば、それは〝悪行〟であろう」


 瞬間、黒真珠のような太三郎狸の瞳に映った私の顔が大きく歪んだ。


 ――嘘でしょう……!?


 ああ、とんでもないことを聞いてしまった。なんてことだろう。

 どうして――こんな誤解をされているのか。


 私は堪らず動き出した。太三郎狸へ歩み寄り、やや強引に抱き上げる。

 必死に怒りを押し殺しながら、けれども目は笑っていないまま言った。


「ちょっとお時間よろしいですか」

「待て待て待て待て! なにをするつもりだ!」


 すると、私の目が据わっているのがわかったのか、玉樹さんが止めに入った。

 私の手から太三郎狸を奪い取って腕の中に隠す。

 ……むむ、酷い。まるで私が取って食おうとでもしていたみたいだ。


「玉樹さん、どうして止めるの」

「わからないのか。相手はこの島の守護神だぞ。冷静になれ。落ち着いてこの後の展開がどうなるか考えてみろ。この間の東雲を思い出せ!」


 ハッ! として息を呑む。

 私、東雲さんの轍を踏むところだった!


 背中に視線を感じる。そろそろと振り返れば、どこか不安そうな狐ノ葉と月子の姿があった。途端に頭に上っていた血が引いていって、慌てて頭を下げる。


「ごっ、ごめん! 親子共々ご迷惑をおかけしました!」

「わかっているならいい。まったくもって手間のかかる……」


 ブツブツ言っている玉樹さんに苦笑しつつ、私はコホンと咳払いをした。

 冷静になったものの、太三郎狸の発言は見過ごせない。


「それはそれとして! 太三郎様!」

「な、なんであるか……」


 ちょっぴり怯えている様子の太三郎狸の顔を覗き込み、ニッと笑顔になる。

「永く残る物語には、話の筋や……もちろん登場人物にも、きちんとそうなった理由があるんですよ。よかったらその話をさせてくれませんか」


「……理由?」


 こてんと首を傾げた彼に、私はちらりと空を見上げた。

 遠くの空が茜色に染まってきている。

 これ以上遅くなると、境内から追い出されてしまうだろう。どうやら時間切れらしい。


 ――準備もしたいし。逆にちょうどいいかな。


 私は居住まいを正すと、まっすぐに太三郎狸を見つめて言った。


「明日、時間を下さい。協力したくなるように、あなたの考えを変えてみせます……!」


 高らかに宣言すれば、キョトンと目を丸くしていた太三郎狸が小さく噴き出した。


「プッ。ククク……。好きにすればいい。儂はいつもここにおるからな」


 私は太三郎狸の前にしゃがみ込むと、握手代わりに彼の前脚をギュッと握った。


「わかりました。絶対に納得してもらえるよう準備してきます。では、明日!」


 立ち上がって振り返れば、どこか微妙な顔をした三人と視線が交わる。


 ――うっ。ちょっと好き勝手にやり過ぎたかなあ。


「大丈夫。あ、明日は私に任せておいて……!」


 ちょっぴり気まずく思いながらも、私はグッと親指を突き立てて見せたのだった。




 ――その日の晩。


 屋島にある民宿に部屋を取った私たちは、翌日に備えて休むことにした。

 高台にあるその民宿からは、遠く瀬戸内海を眺めることができる。私は部屋へ備え付けられたバルコニーへ出て、海を眺めながらひとり考えごとをしていた。


 ――大丈夫かな。大丈夫だよね。やらなきゃ貸本屋がなくなっちゃうかもしれないし、やらないって選択肢はない。でも……。


 太陽が沈んだ後の海は、墨に塗りつぶされたように真っ黒だ。

 まるで今の私の心みたいだな、なんて思う。

 それにしても、話が貸本屋不要論にまで及ぶとは露ほどにも思っていなかった。


「あやかしは、誰かに語られるものだからなあ」


 養父である東雲さんが、本を出版しようと思い立ったのもその理由からだ。

 あやかしと人間の距離は、科学の進歩と共に確実に離れて行っている。


 自分たちで記録を残すことが文化として根付いていないあやかしは、人間に認識してもらい、物語や書物などに記録してもらえないと、その生きた証を残せない。

 誰にも知られぬまま消えてしまうあやかしを減らしたい。そう願って筆を執ったのが東雲さんだ。私もその考えに賛同している。


「だからこそ、〝描かれ方〟にこだわるのかな」


 今回の問題の根幹にあるものは、おそらくそれなのだろう。


「そりゃあそうだよねえ。誰だってかっこよく描いて欲しいに決まってる。〝悪役〟に描かれて喜ぶあやかしなんていないよ。なら太三郎様に納得してもらうには……」


 頭の中でグルグル考える。実は、明日話そうと思っている内容は決まっているのだ。

 買い出しもしたし、成功の確率を高めるため、どうすればいいかもわかっている。

 でも……そのやり方が正しいのか、自信が持てないでいた。


 ――だって、失敗したら大変なことになるもの。


 孤ノ葉の恋路も、私の大切な店もなにもかも失ってしまうのだ。それが怖い。

 誰かに背中を押して欲しい。

 お前のすることは間違いないのだと、力強く励まして欲しい。


 これまでだって、重要な決断を迫られることはあった。別に私は自信家というわけじゃない。いつだって、正しい道を選べているか不安でいっぱいで、迷ってばかりいる。


「今まで、どうしてたんだっけ……。あっ!」


 その時、パタパタとなにかの羽音が聞こえた。視線を巡らせれば、暗闇の向こうから白いものが飛んでくるのが見える。――手紙の鶴だ!


「おっと。暴れないで……」


 慌てて鶴を捕まえて、慎重に開いていく。

 すると、どことなく生真面目さが滲む水明の文字が姿を現した。


「……わあ! 水明も手伝ってくれるんだ!」


 そこには、日本三大狸のひとりである団三郎狸の説得に向かう旨と、白蔵主のその後のことが綴られていた。鞍馬山で、東雲さんと白蔵主はあの後も話し合いを続けているのだそうだ。しかし、延々と平行線を辿っているようで、そちらでの解決は諦め、私たちの計画を手伝うために、双子と一緒に佐渡島へ向かったらしい。


「水明の困った顔が目に浮かぶなあ。金目銀目に振り回されて、渋い顔をしてるだろうな」


 クスクス笑いながら書かれた文字を指でなぞる。

 そして、手紙の続きを読んで思わず噴き出してしまった。


『お前のことだから、また無茶をやらかしているんじゃないか。暴走しかけたら、深呼吸をしろ。落ち着け。ちゃんと周りを見ろよ。俺がそばにいないから心配で気が気でない』


「玉樹さんみたいなことを……」


 そんなに私って暴走しがちだろうか。

 ううむ、と唸りながら続きを読んで――息を呑んだ。


『だがきっと、お前の判断は間違っていない。やり方は滅茶苦茶でも、いつだってお前は正しい道を選んできた。だから今回も大丈夫だろう。自信を持っていけ。万が一にでも失敗した時は、俺が話を聞いてやるから。頑張れ。今度、会う時間を作ろう。水明』


 ぱたん、と手紙を閉じて、ゆっくり瞼を閉じる。


「んん~~~~~~っ!」


 ジタバタと足を踏みならして、今にも溢れそうな気持ちに悶える。


 ――そうだ。そうだった。いつだって背中を押してくれたのは水明だった……!


 幸福感と充足感がじわじわと体中に満ちてきて、ぎゅうと手紙を抱きしめる。


「……嬉しい。うん、頑張るよ。水明……」


 壁にもたれて座れば、ふと眩しいものが目に入ってきた。

 それは、夜空に煌々と輝く上弦の月。

 幽世に比べれば、光源が多い現し世は見える星の数が少ない。昏い空にぽっかり浮かぶ月は、どこか寂しそうで。弱った時に目にしたら、しみじみ心が寒くなりそうな印象がある。

 けれど、水明の手紙のおかげでそれに引きずられることもない。

 すっかり自信を回復した私は、青白い月の光を全身に浴びながら目を閉じた。


 すると、室内にいた孤ノ葉が声をかけてきた。


「夏織ちゃん、どうしたの?」


 私はハッと顔を上げると、ある決意を固めて立ち上がった。


「実は明日のことでお願いがあるの」


 そう言うと、ふたりはキョトンと顔を見合わせた。なにか決心したように頷き合うと、孤ノ葉たちも決意の籠もった瞳で私を見る。


「実は、私たちもお願いがあって」

「……明日、絶対に成功させたいから。ふたりでいろいろと考えたの」

「夏織ちゃんだけに任せて置けないもの。だって私の恋のことだし!」


 ふたりの力強い言葉に、じんと胸が熱くなった。


 ――ああ! そうだった。私はひとりじゃなかったんだ。


「ありがとう! よし、これから作戦会議を開こう!」


 ――孤ノ葉の恋路のため。貸本屋を守り抜くため。できることはなんでもやろう!


 にっこり笑って言えば、、月子と孤ノ葉はわずかに頬を染めて頷いてくれた。

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