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屋島寺の善行狸3

 現し世の夏は、なんとなく甘い炭酸飲料を飲みたくさせる魅力を持っている。


 真っ青な空はラムネを思い浮かべさせるし、もくもく立ち上る入道雲はソーダの上に乗ったアイスみたい。降り注ぐように聞こえてくる蝉の声は、まるで炭酸が弾ける時の音のようで、じわじわと汗を搾り取ろうとしてくる暑さと共に、私の喉を渇かせる。


 七百八十五段もの階段に挑戦中ならなおさらだ。


「はあ……はあ……はあ……」


 延々と続くかのように思える階段を見上げ、滴る汗を拭った。

 ここは香川県にある金刀比羅宮へ続く参道。長い長い階段があることで知られている。

 足を止めて振り返れば、眼下に望むのは琴平の町並みだ。遠くに、やや霞がかった山が見える。山頂の位置と目の高さが一緒だ。ずいぶんと高いところまで来たものだと思う。すれ違う人の表情に疲れが滲んでいるように感じて、頂上が待ち遠しくて仕方がない。


「……ああくそ。この時代になってもなお、階段を上らねばならないとは! 科学はどうした、文明の怠慢だ! 物語に山と谷は確かに必要ではあるが、現実にはいらん! 古き伝統など捨て去り、電動の乗り物を設置するべきだ……!」


 そんな中、ひとり青白い顔をしているのは玉樹さんだ。

 まるで呪詛のようにブツブツ文句を呟きつつ、汗を滴らせ、鼻にかけた丸い眼鏡を曇らせながら、ヨロヨロ歩いている様は見るからに息も絶え絶えだ。


 ――この階段が、金刀比羅宮に来たって感じがして私は好きだけどな。


 今にも転びそうに思えて心配になった私は、彼へ声をかけた。


「麓で待っていればよかったのに。籠屋さんもいたじゃない」


 玉樹さんは、濁った右目をぎょろりと私に向けた。


「うるさい。お前たちが己の足で上っているのに、ひとりでそんなものに乗れるか!」

「男の矜持って奴?」

「どうとでも言え。くそっ……情けない」


 玉樹さんは苛立ったように右足を拳で殴りつけた。

 どういう事情があるのかは知らないが、彼は右半身が不自由だ。

 杖を突くほどではないようだが、いつもわずかに体が傾いでいる。


 ――鳥山石燕。玉樹さんがかつてそう呼ばれていたことを私は知っていた。


 江戸時代に活躍した妖怪画の大家。多くの弟子をとっていた御用絵師。それくらいの情報は残っているものの、鳥山石燕についての記録は驚くほどに少ない。


 しかし、彼が『百鬼徒然袋』を発表したのを最後に、生涯を閉じたことは伝わっている。


 元浅草の光明寺に墓所もある。なのに、三十代後半ほどの若々しい姿で私の目の前に存在しているのだ。それも、絵師にとっては命とも言える利き腕に障害を持って、だ。


 ――一体、どういう生涯を送ってきたのだろう。


 あやかしへ変じた人間を私は何人か知っている。人間という枠を超えて別の存在になり果ててしまった彼らは、それぞれに重い背景を背負っていることが多い。

 玉樹さんにもいろいろあったのだろうと思うのだが、東雲さんの古い友人であり〝物語屋〟として、現し世の好事家たちにあやかしの逸話を売り歩いているらしい彼は、どうにも秘密主義だ。彼の背負うものを簡単には教えてくれないだろう。


 ――秘密主義、かあ。


 ぜいぜい息を荒げている彼の前にしゃがみ込み、じっと見つめる。


「ところで玉樹さん」

「……な、なんだ。今は余裕がない。戯言なら……」

「なにか企んでる?」


 まっすぐに目を見て訊ねれば、玉樹さんはひくりと口もとを引き攣らせた。


「――なんのことだ」

「わかりやすいなあ。玉樹さんから依頼を受けたことは何度もあったけど、いつもは情報を渡すだけで、本人が来ることなんて滅多にないじゃない。あんまり自分から動くの好きそうじゃないのに、この間は『これもなにかの縁だ』なんて似合わないこと言っちゃって」


 ちらりと自分の鞄に視線を向ける。

 そこには、今回の件に関して玉樹さんが纏めてくれた分厚い資料が入っている。

 関係者の情報や趣味嗜好まで詳細が書き連ねてあり、その情報をどう使い、どう判断(かいしゃく)するかを他人に任せるのが〝物語屋〟である玉樹さんのやり方だ。


「いつもは、他人任せで自分じゃ動かないのに、今回はついてきたでしょう。それも、こおんな階段の上まで。私たちの近くにいなくちゃいけない事情があるんだよね? 絶対になにか企んでると思うんだけど……」

「試したな? 夏織……」


 ぐったりとした様子で首を横に振った玉樹さんに、私はニコニコ笑う。


「いや、ここに来たのはまた別の理由だけど。たまたま気づいただけなんだ」


 すると階上から私たちを呼ぶ声が聞こえた。


「夏織ちゃん! 境内で五人百姓ってのがお店をやってて! 飴を売ってるの~! べっこう飴。食べようよ!」

加美代飴(かみよあめ)……美味しそう」


 それは狐ノ葉と月子だ。汗だくな私たちとは違い、ふたりは元気いっぱいな様子で手を振っている。どうやら、常日頃から山里を駆け回っているふたりには、この程度の階段なんてさほど問題ではないらしい。


 彼女たちとは、ここまでの道程でかなり仲良くなれた。

 なにせ恋に悩む者同士だ。共通の話題も多い。

 月子は特定の相手はいないそうだけれど、私が普段触れない作品に造詣が深くて、話を聞くだけで心が躍る。三人で話していると話が盛り上がって仕方がなく、突然舞い込んできた香川行きだったが、思いのほか楽しく過ごせていた。


「夏織ちゃん。早く、早く! 良縁守り買うんでしょう?」

「はあい!」


 返事をして、おもむろに立ち上がる。

 そして、玉樹さんがどこか遠い目をしているのに気がついた。


「お守り? まさか、そんな理由で? 呆れた……」

「あ、酷いなあ。東雲さんと白蔵主の話し合いが決裂するってまだ決まっていないし。時間はあるでしょ? なら、狐ノ葉の恋が成就するように、できることをしたいじゃない」

「そういうものか……?」

「それに、江戸時代から金刀比羅宮には一度は詣でるべきって言われていたんだよね?」


 当時、庶民は旅をするのを禁じられていた。しかし、神仏への参拝は別だ。中でも人気だったのは、お伊勢さんと金刀比羅宮なのだそうだ。


「せっかく香川に来たんだもの。詣でておいて損はないと思ったんだ。玉樹さんも、江戸時代に生きた人だったんでしょう? 行きたかったかなって」

「…………」


 玉樹さんはきゅっと眉を顰めた。瞳がわずかに揺れている。

 彼は、はあと大きくため息をこぼすと苦い笑みを浮かべた。


「それならそうと、あらかじめ相手の意思を確認しろ。君は東雲に似て、些か強引過ぎる」

「アハハ。ごめん、ごめん。なんというかさ」


 鞄から水のペットボトルを取り出し、玉樹さんへ差し出した。


「玉樹さんって、噛めば噛むほど味が出るというか。クリスマスツリーの件とかね! 知れば知るほど、じわじわって好きになってく感じ。だから喜ぶことをしてあげたいなって」

「…………。人をスルメのように言うな」

「確かに~。でも東雲さんの大切な友だちには違いないでしょう? だから私も大切なの」


 ニッと笑えば、玉樹さんはどこか複雑そうな様子で私を見つめている。


「呆れた。水明少年のように、自分とは距離を置いた方がいいと思うがな」

「そう言えば、犬神を解放する方法を教えた件でゴタゴタしてたね~。でも、水明ももう怒ってないと思うんだけどな。得体の知れない大人を警戒しているだけで」

「ならば君も警戒しろ。なにか企んでいる時点で充分過ぎるくらい怪しいだろう」

「う~ん。それを自分で言ってる時点で、物語の黒幕としては失格じゃない?」


 玉樹さんの口癖をもじって物語に準えて返せば、彼は最高に渋い顔になった。無言のまま、ペットボトルの水を口にした彼に続けて言う。


「なにを企んでいてもいいし、なにを考えていてもいいと思う。無理に明かす必要もないし。でも、私の手助けが必要な時はすぐに言って欲しいな。できる限りのことはするよ」

「…………」

「私は、あなたの力になりたいんだ」


 瞬間、玉樹さんの表情が強ばった。少しお節介が過ぎたかなと、わざと戯けて続ける。

「あ……でも、人に迷惑をかけるような企みだった場合は、すぐに止めて欲しいなあ。変なことしたら、エンジェルロードのど真ん中に、顔だけ出して埋めてやるんだから」


 すると、やっと玉樹さんが表情を崩した。


「満潮になったら沈むじゃないか。伏線があからさまだ。物語の悪役顔負けの脅しだな」

「ええ~。そうかなあ? あっ、そう言えばエンジェルロードはね、大切な人と手を繋いで渡ると、願いごとが叶うって謂われているんだって」

「お前は人を埋めようとしている場所で、なにを願おうとしているんだ、なにを」

「あはははは! 確かに!」


 思いきり笑う。ふと思いついて、玉樹さんの右腕を掴んで支えてみた。


「足が悪いのに、無理言ってごめんね。どうしようか、下りる?」


 玉樹さんはゆっくり首を横に振ると、琴平の町並みを見下ろして言った。


「構わない。一度、来てみたかったことは事実だ。――いい眺めだな。ここに来なければ見られない景色だ。きっと〝アイツ〟も見たかっただろう」

「……アイツ?」


 思わず首を傾げれば、玉樹さんはどこか複雑そうな顔になって言った。


「失言した。聞かなかったことにしてくれ」


 玉樹さんはそう言うと、黙り込んでしまった。

 どこか憂いを帯びた玉樹さんの横顔を見つめる。


 ――ミィン。蝉の声が雨のように空から降り注いできた。

 私はその声を聞きながら、玉樹さんと並んで、しばらく琴平の町を眺めていたのだった。


  ***


 私たちが香川へやってきた理由は、この地に日本三大狸の一匹がいるからだ。

 彼が棲まうのは屋島。屋島と言えば、源平合戦の「屋島古戦場」だ。

 太三郎狸は、平家の守護を誓ったと謂われがある狸なのである。


 狸と言えば、人を化かしたり悪戯したりするイメージがあるのだけれども、太三郎狸は善行で名を知られていて、平家の滅亡後、屋島へ移り住んで守護神とまでなった狸だ。

 最初の相手に彼を選んだ理由はただひとつ。一番、話が通じそうだから。


 ……うん、ちょっと失礼だったかもしれない。


 狸には食わせ者が多いらしいので、初っぱなから躓くよりかはと思ったのだ。

 太三郎狸がいるのは、四国八十八ヶ所霊場、第八十四札所の屋島寺。

 鑑真により建立されたと謂われている場所で、本堂の一部は鎌倉時代からのものが残っているという由緒ある寺だ。


「ふたりとも聞いて! 簔山(みのやま)大明神って恋愛成就の御利益があるんですって……!」


 太三郎狸が祀られているという社を目指し歩いていると、狐ノ葉が興奮気味に言った。


「狸は一夫一妻で一途なのよね。太三郎狸は奥さんと大恋愛の末に結ばれたんですって。だから、恋愛成就や、夫婦円満に御利益があるそうよ!」

「孤ノ葉、物知り。あとでお守り買おうね」

「金刀比羅宮でも買っていただろう。お守りは複数買ってもいいものなのか?」


 呆れている玉樹さんに、ふたりが「いいの!」と食ってかかっている。


「お守りを買って、願い事をしたっていう事実が大切なのよ」

「わたくしたちの気持ち……オジサンには一生わからない」

「……さりげに酷いことを言われた気がするんだが」


 その後ろをついて歩きながら、私はそっと空を見上げた。


 ――返事、来ないなあ。


 先日、香川に出発する前に、水明へ事情説明を書いた手紙を飛ばしたのだ。話ができなくて残念だったと正直に書いてしまったから、どういう返事が来るか気になるのだけれど。


 ――まあ、手紙が届くまで一日はかかるし。水明も忙しいだろうし。うん……。


 今は太三郎狸のことに注力するべきだ。ちょっと寂しい気もするけれど。


 気を取り直し、会話に交ざろうとすると……ふと、周囲の気配が変わったのがわかった。

 強い風が吹きこむ。ざわざわと木々が鳴いている。

 なのに、しんと静まり返ったように思えるのは、おそらく蝉が鳴き止んだからだ。空が陰り、肌を焼くような陽差しが和らぐ。途端に肌が粟立つような冷たい空気が頬を撫でた。

 足を止めて、周囲を間断なく見回す。いつの間にか人気がなくなっている。


「なに……?」


 辺りを見回せば、本堂の横に簔山大明神の社があるのが見えた。

 大きな狸の石像がふたつ。その間には屋根付きの賽銭箱。真っ赤な鳥居が何重にも連なっていて、奥に信楽焼の狸の顔が覗いている。その辺りから強い視線を感じるような……。


「……あっ! あそこです!」


 すると、孤ノ葉がある場所を指差した。

 それは、子狸を連れて笠を被った狸の石像の上だ。


「なんと、同胞の匂いがすると思って出てきてみれば。月子ではあるまいか」


 そこにいたのは、一匹の狸だった。

 一見すると、極々普通の狸にしか見えない。けれども、そのまん丸な瞳には明らかな知性の光が宿っていて、可愛らしい見た目に反して理知的な雰囲気を醸し出している。


 ひらりと石像の上から飛び降りた狸は、ぺこりと礼をして言った。


「お初にお目にかかる。儂の名は太三郎。この屋島の守護を任されておる。ようよう来なさった。ゆっくりして行くがいい」

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