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屋島寺の善行狸2

「おりゃあ芝右衛門ってんだ。そこの孤ノ葉にくっついて離れねェ娘の父親だァな。白蔵主とは古い馴染みでなァ、どうやら揉めそうだと聞いてやってきたんだが……。間に合わなかったか。困ったことになったもんだ」


 派手な柄物の着流しに、黒い羽織、脚絆に草履を履いたその人は、人懐っこい笑みを浮かべ、ぽぽんと出っ張った腹を叩いた。その頭とお尻には、紛れもなく狸の特徴が見て取れる。


「芝右衛門さん……! お会いできて嬉しいです!」

「おお。嬉しいなァ。オレのことを知ってるのかい?」

「もちろん! とても高名な狸ですから……!」


 芝右衛門狸は、兵庫県淡路島に棲まう化け狸だ。芝居興行に金銭の代わりに葉っぱで観に行っていた、という逸話が有名な狸で、今もなお淡路島の人々に親しまれている。

 日本三大狸の一匹で、江戸末期に起きた狸たちの一大抗争、阿波狸合戦にも参加した。

 彼は、それはそれは見事に化けるらしい。私も一度は会ってみたいと思っていた相手だ。


「でも、どうして芝右衛門さんがここに?」

「実は、孤ノ葉に貸本屋を紹介したのがうちの月子でなァ。月子は貸本屋の常連でもあるし、潰されちゃあ困ると思って、すっ飛んできたんだぜ」


 孤ノ葉の後ろに隠れるようにしていた女性が、涙目のままコクコク頷いている。

 月子と呼ばれたその人には、もちろん見覚えがあった。


 確かにうちの常連だ。流行の恋愛小説から、海外小説、近代小説まで幅広く好み、頻繁に店を訪れてくれる。しかし引っ込み思案な性格なのか、今までまともに会話をした記憶がない。彼女が芝右衛門狸の娘であるということも初めて知ったくらいだ。


 芝右衛門狸は、ううむと白髪交じりの髭を撫でて唸った。


「大変なことになったなァ。白蔵主は頑固だぞ? そう簡単に考えを改めてくれるかねェ」

「そんなにですか……?」

「娘のことになると特になァ。見るに、本気で人間が書いた本を害悪だと思ってやがる。白蔵主は狐の中でもかなり慕われていてなァ。一声かければ、かなりの数の狐が動くぜ?」


 すると、玉樹さんが途端に顔を曇らせた。


「東雲との話し合いが物別れに終わった場合、大勢の狐たちを引き連れて、改めて貸本屋を襲撃に来るかもしれんな」

「それによォ、知り合いのあやかしに不買を訴える可能性も考えられるな。狐どもはズル賢いからなァ!」

「……将を射んと欲すればまず馬を射よ。なるほど、展開としては〝王道〟だ」

「ちょ、ちょっと待って。なんかすごく物騒な話が聞こえたんですけど!?」


 さあと青ざめていれば、さめざめと泣く声が聞こえてきた。

 見ると、月子に支えられた孤ノ葉が、ボロボロと大粒の涙をこぼしている。


「かっ……夏織さん。本当にごめんなさい。うちのお父さんが……!」


 孤ノ葉はわあっと顔を手で覆い、しゃくり上げながら続けた。


「わ、私が恋なんてものをしたから。ごめんなさい。本当にごめんなさい」

「謝らないでください。恋なんて、しようと思ってするものじゃないですし……たまたま、そういう人に出会ってしまっただけじゃないですか」


 ――私にだって、今ならわかる。

 恋心というものは自分でコントロールできるものではない。

 言葉にできない不可視のなにかが、相手と自分を結びつけてしまった……そんな感覚。

 きっと、それが恋というものなのだろう。


「だから、恋をしたことを後悔しないで欲しいんです」


 震えている孤ノ葉の手をギュッと握り、涙で潤んでいる薄墨色の瞳を見つめる。

 彼女はぱちくりと目を瞬くと、どこか嬉しそうにはにかんだ。


「……ありがとう。もしかして、あなたも恋をしているの?」


 私はパッと頬を赤らめ、こくりと頷いた。


「ま、まだ……恋愛初心者なんですが。恋をする苦しさも、楽しさも知っているので」

「そう。私とお揃いなのね。心強いわ。でも……」


 孤ノ葉の表情が曇る。彼女は物憂げに瞼を伏せ、月子に寄りかかった。


「お父さんのこと、本当にどうしたら……」

「孤ノ葉、大丈夫?」

「大丈夫なわけない。ああ、あの人と結ばれない未来なんて考えられないのに」

「弱気なこと、言ったら駄目。孤ノ葉にはきっと幸せな未来が待ってるから」


 月子が狐ノ葉の頭を撫でて慰めてやっている。ふたりは本当に仲がいいようだ。

 すると、今まで思案気に瞼を伏せていた芝右衛門狸が口を開いた。


「しゃあねえなァ。ならばこのオレが一肌脱いでやるか!」

「お父様、本当に……?」

「ああ、可愛い月子と友だちが困ってるんなら、オレがやらにゃあ誰がやるってんだ!」

「……嬉しい。ありがとう」


 嬉しそうに顔を綻ばせた月子は、芝右衛門狸に控えめに抱きついた。

 芝右衛門狸は満足げに笑むと、私にとある提案をした。


「狐七化け狸は八化けってことわざがあるだろう。狸の方が、狐よりも一枚上手ってことだぜ。なら、狸は狸らしく狐野郎を化かしてやろうじゃねェか! 上手いこと丸め込んで、孤ノ葉と人間との付き合いを認めさせてやる!」


 ぽぽんと丸いお腹を叩く。そして続けて言った。


「ま、そのためにはオレひとりじゃあ足りねェな。貸本屋の娘よ、日本三大狸の他の二匹、団三郎狸と太三郎狸……それと、玉藻前に協力の約束を取ってきてくれるか。それくらいしねェと、娘のことで頭がカッカカッカしてるアイツを納得させんのは無理だろうからなァ」

「……その人たちから協力を得られれば、貸本屋が潰されるのを回避できますか?」


 私の言葉に、どんと胸を叩いた芝右衛門狸は、ニィと犬歯を剥き出しにして笑った。


「確実な約束はできねェ。だが、お前さんの働きに見合うぶん、オレも精一杯やらせてもらうぜ。日本三大狸の名に賭けてな!」


 私はこくりと頷くと、彼に向かって言った。


「わかりました。貸本屋を潰させるわけにはいきません。それに……」


 ギラリと目を光らせ、怒りで拳を震わせる。


「そもそも、本が悪いだなんて! 物語からなにをどう学び取るかは個人の自由。貸本屋を潰す? 今どき焚書だなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがありますよ! 創作と現実を混同するだなんて言語道断。たとえ父親であろうとも許しがたい所業……!」


 みるみるうちにボルテージが上がっていく。私は感情が昂ぶるままに言った。


「白蔵主を改心させてあげましょう。あわよくば、物語の面白さに目覚めさせ――」

「馬鹿者。論点がずれている」

「痛いっ!」


 玉樹さんにチョップされて涙目になる。

 恐る恐る見上げれば、玉樹さんは心底呆れたように言った。


「なにが改心だ。展開を見誤るな。余計な要素は物語をわかりにくくさせる要因となる。今回の件は、狐娘と人間の恋路を認めさせるというシンプルな話だろう?」


「うっ。はあい……」


 玉樹さんはため息をこぼし、小さく肩を竦めた。


「……これもなにかの縁だ。自分も手伝ってやろう。なにせ自分は親切なのが売りでね」

「えっ」


 その言葉に心底驚く。普段は厄介ごとに絶対に関わり合いたがらないのに!


「どうしたの? 悪いものでも食べた?」

「……別に。〝解釈〟は君に任せるさ。自分は物語屋だからな」


 ――怪しい……。怪しすぎる。


 訝しんでいると、孤ノ葉と月子が続いた。


「もちろん、私も手伝うわ。父のことだし、自分の恋路は自分でなんとかしなくちゃ」

「……わたくしも。孤ノ葉が行くところならついて行く」

「わかりました。頑張って協力者を増やしていきましょう! 日本三大狸と、玉藻前が揃えばきっとなんとかなるはず……!」


 グッと拳を握って宣言する。しかし、芝右衛門狸はニタリと不敵に笑んで言った。


「気をつけろよ。狸と狐っていやァ、化かすのが大好きな捻くれモンばかりだからなァ」

「……うっ!」


 思わず顔が引き攣る。すると、孤ノ葉の陰にいた月子がぽそりと呟く。


「じゃあ、お父様が説得に行けばいい……。本当は自分が動きたくないだけ」

「ちょ、待て。かっこよく決まったと思ったのに、台無しだろォが!? 腰が痛えんだョ、香川だの佐渡島だのに行ってられるか!」

「だから他人に押しつける。お父様はいつもそう……だからお母様に捨てられた」

「そっ……それをここで言うなァ……!」


 アワアワしている芝右衛門狸に、孤ノ葉は笑って、玉樹さんは呆れ顔だ。


 ――父親って、みんな娘に弱いものなのかしら。


 父と娘。その関係は奇妙だ、と思う時がある。母親よりも距離があって、お互いの反応を探り合っているような微妙な雰囲気を持っている。でも……娘の私からすれば、いざという時に頼りたい相手が父親だ。父親もそんな娘を守るのに一生懸命であったりする。


 あんなに怒り狂っていたけれど、白蔵主の行動は娘さんのためには違いない。


 ――親子がいがみ合ってるなんて嫌だもんね。仲直りのお手伝い、頑張らなくちゃ。


 小さく笑みをこぼし、おもむろに水明が去っていった方向へ視線を向けた。


 ――結局、告白の返事を聞けなかった。次に会えるのはいつになるんだろう。


「手紙、書こうかな……」


 通信手段は他にない。会えないにしても、繋がりは保っておきたい。

 ゆっくり息を吐いてから顔を上げる。気持ちを切り替えて、みんなへ問いかけた。


「よし! じゃあ、最初はどこに行きましょうか……」


 ――ちりん。


 瞬間、どこかで澄んだ高い音がしたような気がした。


「……?」


 不思議に思って見回してみても、辺りに音源らしいものはない。


「どうしたの? なにかあった?」

「……や、やっぱり協力したくなくなった……?」


 どこか不安げな狐と狸の娘たちの視線を浴びながら、私は「なんでもない」と首を横に振って、これからの予定について話し合い始めたのだった。


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