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偽りの想いを花水木に託す5

「……なにが……」


 恐る恐る目を開ける。私はそこに広がっていた光景を目にして、思わず息を呑んだ。


「あ……がっ……」


 狐面が粉々に砕け散っている。清玄さんの体からは白い煙が立ち上り、あちこち黒く煤けた彼は、かくりとその場に膝を突いた。


「――ご、ご主人様……!」


 赤斑が悲痛な叫びを上げた。動くなと命令されている以上、駆けつけることすらままならないのだろう。もどかしそうに清玄さんを見つめ続けている。


「うわははははははははっ! 大成功だなっ! 金目ェ!」

「いや~。一時はどうなることかと思ったけど。よかったね、銀目~」


 その瞬間、やたら陽気な声が響いた。知らぬ間に屋根の上に大勢の人影が見える。


「夏織! 水明! クロ! 無事か!」

「ああもう……! 心配したのよ!」

「駄犬! いつまで寝てるつもり。だらしないわね、起きなさい!」


 そこにいたのは東雲さんとナナシ、にゃあさん、烏天狗の双子。彼らの後ろには、土蜘蛛や鬼、木っ端天狗など……あまり私と馴染みのないあやかしたちが集まっている。


「ホッホッホ。いやあ、上手くいったわい。上出来、上出来」


 やがて、ひとりのあやかしが屋根から下りてきた。

それは、あやかしの総大将ぬらりひょんだ。


 彼は巨大な海月を引き連れながらふわりと地面に着地すると、私たちの傍までやって来た。整った顔に無邪気な笑みを浮かべると、その場にしゃがんでにこりと笑う。


「怖かったじゃろう。お主らには迷惑をかけた」

「ぬ、ぬらりひょん……!」

「――どういうことだ」


 その時、怒りの声が辺りに響いた。見ると、ボロボロになってしまった清玄さんが、ふらつきながらも立ち上がろうとしている。


 あやかしの総大将は、どこか意地の悪そうな笑みを浮かべると、愉快そうに言った。


「どういうこともなにも。お主は最初から、儂の手のひらの上で踊らされていただけということじゃ。主が術に利用しようとしていた〝現し世の祓い屋や人間に恨みを募らせているあやかし〟など、どこにもいなかったのだよ」


 ぬらりひょんは語った。祓い屋が〝負の感情〟を利用して、幽世になにかを仕掛けようとしていることは早々に察知していた。土蜘蛛の事件を発端として確信を深めたぬらりひょんたちは、今まで〝負の感情〟のコントロールに苦心してきたらしい。


「どうも、現し世の人間を恨むように仕向けているようじゃったからの。儂らは、事件が起こった先に赴き、誤解を解いて回ったのじゃ。犯人は現し世の人間ではない。最近、幽世に移り住んできた、祓い屋崩れであると。今の幽世は、確かに〝負の感情〟で溢れておる。しかしそれは、お主への恨みつらみじゃ。お主はそれに気づかずに術をかけた。結果は見ての通り。正しく、その力は〝負の感情〟の向かう先へと流れた」

「……どうして、犯人が私だと」

「ホッホ! 儂らには、頼もしい協力者がおっての」


 ちらりとぬらりひょんが視線を送ったのは、赤斑だ。

赤斑は耳をぺたんと伏せると、申し訳なさそうに「くうん」と鼻を鳴らした。


「お前はっ……! どこまでもっ……!」

「違います! 僕は……ご主人様の計画の先に、貴方の幸せはないと思ったから協力したのです。ご子息の体に魂を移し替えたとして、その先にどんな未来がありますか! 貴方は本当にそれで幸せになれると思っているのですか!」

「そ、それは」


 赤斑の言葉に、清玄さんは言葉を詰まらせた。ぬらりひょんは小さく笑みを浮かべると、静かに赤斑の言葉を引き継ぐ。


「主人想いの使い魔じゃの。主人が間違った道を選ぼうとしているのを、身を挺して止めた。〝居場所〟がないと嘆くお主にも、慕ってくれる者はおるようじゃ」

「…………」

「はいはい! 僕のことも忘れないでね~?」


 次いで元気な声を出したのは金目だ。何故か満身創痍な様子で、あちこち痣だらけで痛々しい。思わず顔を引き攣らせた私に、金目はヘラヘラと軽い調子で笑った。


「あ、これは東雲にやられたんだよ。ギリギリまで計画を秘密にしてたから! 僕が、そこの親父に夏織を引き渡したって言ったら激怒してさあ。いやあ、怖かったなあ」

「おまっ……! それはだなあ。悪かったと思ってるよ……」

「いやいや、飛頭蛮に夏織が傷つけられたのは僕も想定外だったからね~。構わないよ。自業自得だとも思ってる。もう少し慎重になるべきだった。夏織、ごめんね」


 神妙な顔をして頭を下げた金目に、清玄さんは怒りの籠もった眼差しを向けた。


「貴様……っ! 使えると思ったから利用してやったというのに!」


 すると、金目はどこか嬉しそうに言った。


「アハ。従わなければ銀目を殺す……だっけ~? まあ、脅し文句としては充分な威力だと思うよ。でも誤算だったねえ。僕の大切な人って銀目だけじゃないんだよ」


 ニッと、銀目そっくりな笑みを浮かべる。その顔はどこか晴れ晴れとしていた。


「僕はね、夏織のことも大切なわけ。命の恩人で、幼馴染みだよ? 大好きに決まってんじゃん。それに最近、弟と世界を広げようって話をしたばっかりでさあ。水明も大切な人リストに入れてたんだ。そのふたりをどうこうしようって作戦ってありえなくない? 速攻、ぬらりひょんにバラしたよね。そんで赤斑も含むところがあったみたいだから、色々と計画練って~。ててーん! スパイ金目君の誕生! って奴。結構大変だったんだからねえ。ほんと、褒めて欲しいよ」


 すると、金目は懐からなにかを取り出した。それは、私が以前にぬらりひょんから預かった小さな海月だ。


「これを屋敷の中に隠しておいたのも僕! 先生の行動は全部筒抜け。意外と夏織を大事にしてくれてたみたいだったから、たっぷり時間を取れたよ。ありがとうね~」

「馬鹿にするな この下等生物めが……!」

「アハハ~。その下等生物に後れを取ったのは誰。今は自分も人じゃない癖に」


 金目は冷めた瞳で清玄さんを見ると、きっぱりと言い放った。


「観念しなよ。準備していた術は破られて、自分もそんな状態でしょ。大人しく、皆に喰われるんだね」


 その瞬間、金目たちの背後に控えていたあやかしたちが発する気配が変わった。

 目をギラギラと光らせて、全身から粘ついた殺意を放っている。恐らく、彼らは清玄さんに子どもを攫われたあやかしたちなのだろう。


「……クソッ……クソックソックソッ……!」


 清玄さんは、悔しげに地面に拳を叩き付けている。

 私は、そっと隣の水明の様子を窺った。実の父親の危機になにを思っているのかと、気になったのだ。私の視線に気が付いた水明は、吐き捨てるように言った。


「身から出た錆だとしか言いようがないだろう。幽世は現し世とは違うんだ。己が犯した罪は、その身で以て償うものだ」

「……そうだけど……」


 ――これでいいのかな。


 不安になって水明の手を握る。彼はちらりと視線を寄越すと、軽く握り返してくれた。


「――ご主人様 お逃げください!」


 その瞬間、一際大きな声が響く。声の主は赤斑だった。清玄さんの言葉で縛られているはずなのに、彼は懸命に体を動かそうとしているようだ。


「ご主人様を喰う? ぶざけないでください。約束が違うではありませんか!」


 必死に叫ぶ赤斑に、金目は心底不思議そうに首を傾げた。


「え、幽世式で処分を決めるって言ってあったでしょ。嘘じゃないよ~?」

「それがこんなことになるなんて、誰が想像すると思うのですか」

「ええ……わかんないかなあ。郷に入れば郷に従えって言うでしょ?」


 まるで取り合おうとしない金目に、赤斑は更に怒りを燃え上がらせたようだ。


「ご主人様、どうか僕に力をください! こんな奴ら、蹴散らして見せます!」

「だ、だが……」

「僕は貴方の味方です。今も昔も……これからもずっと! どうか信じて!」


 真剣な赤斑の様子に、清玄さんは僅かに逡巡したようだった。しかし、すぐに覚悟を決めたようで、ボロボロになった手で印を組む。けれども、先ほどのダメージがまだ残っていたのか、途端に顔を歪めた。


「うっ、ぐう……!」


 清玄さんの腕から鮮血が溢れ出した。籠められた力に体が保たなかったのだろう。両腕がみるみる血で染まっていく。すると、あやかしたちの間に緊張が走った。


「おい、アイツやべえぞ!」


 彼らが視線を注ぐ先には、口から泡を零して唸っている赤斑の姿があった。


「グルルルルルル……!」


なにやら様子がおかしい。先ほどまであった理性の色が消え失せている。


「これは……っ!」


 清玄さんの顔に焦りの色が浮かぶ。どうやら想定外の事態が起こっているようだ。

赤斑はやおら立ち上がると、威嚇するような視線を周囲に投げた。姿勢を低くして、間断なく視線を巡らせながら歩き出す。それはまるで、野生の動物が獲物の品定めをしている仕草のように思える。


「オイ! 夏織、水明。そこから離れろ……!」


 屋根の上から東雲さんが叫んだ。その瞬間、赤斑がこちらに向かって駆けてきた。


「いかん! 皆の者、ふたりを守れ……!」


 ぬらりひょんがすかさず指示を飛ばすが、赤斑はあっという間に私たちと距離を詰めてきた。満身創痍な私と水明は、逃げることすらままならない。


「きゃっ……」

「夏織……!」


 もう逃げるのは無駄だと悟ったらしい水明が、私に覆い被さる。仰向けになった私は、水明越しに、涎を滴らせて走ってくる赤斑の姿を見ていることしかできなかった。


「……あ……」


 しかし、その視界はすぐに遮られた。大きな背中が立ちはだかったのだ。

 その人はボロボロになったスーツの上着を脱ぎ捨てると、血まみれの腕を大きく広げた。次の瞬間、無言のまま立ち塞がった彼の首筋に、赤斑の鋭い牙が食い込む。


「――清玄さん」


 赤斑の牙を受け止めた清玄さんは、そのままゆっくりと地面に膝を突いた。そして、優しい手付きで赤斑の体を抱きしめると、静かに言った。


「落ち着きなさい、赤斑。大丈夫だ。さあ……」


 その瞬間、赤斑の深紅の瞳に理性の色が戻ってきた。彼はゆっくりと口を開くと、呆然と鮮血に染まりつつある清玄さんを見つめている。

 すると清玄さんは、どこか疲れたように言った。


「まったく……私の子は、どちらも手間がかかる」




 ――止まらない。止まらない。止まらない!


まるで泉のように湧き出してくる血液を、布で必死にせき止める。

 地面に横たわった清玄さんは、息を荒げながらも、どこを見るわけでもなく空をぼんやり眺めている。顔からは血の気が消え失せ、先ほどの術の余波もあるのか、所々深刻な火傷を負っているようだった。素人目にも、手の施しようがないように思える。


「ご主人様、どうして……!」


 そんな清玄さんの傍らには、人形に戻った赤斑の姿があった。


 彼は震える手で清玄さんの手を握り、ひたすら泣き続けている。いつもの落ち着いた雰囲気はどこへやら、まるで親を慕う子どものような姿は痛々しい。


 赤斑と対照的なのは水明だ。


清玄さんと距離を取り、ただ横たわる父親を見下ろしている。青ざめてはいるものの、顔にはなんの感情も浮かんでいないように思えた。


「どうしよう……なんとかしなくちゃ」


 治療をしようと試みるも、なにもかもが上手く行かない。その間も、清玄さんから命が零れ落ちていく感じがして、あまりにも無力な自分に涙が止まらない。


「……水明……」


 私じゃ手に負えない。薬屋で働いている水明に視線を投げる。

けれど、彼は沈黙を保ったまま動こうとはしなかった。

哀しく思う。しかし、水明の態度を責める気にもなれない。清玄さんのしたことを思えば、素直に助けようと思えないのも仕方がない。涙を拭って必死に考える。


――この人を救う方法はなに。なにか手立てがあるはずだ。


「君は馬鹿だな」


 すると、血で濡れた手が伸びてきた。筋張っていて、傷だらけ。長年の苦労が染みついたその手の持ち主は、伽羅色の瞳を細めて呆れ混じりに笑う。


「私自身、君にとても酷いことをした自覚があるんだが、お人好しが過ぎないかね」


 私は何度か目を瞬くと、涙と鼻水を一緒くたに拭ってから言った。


「前にも別の人に同じことを言われました。その人も……渋い顔をしてましたね」

「でも、直すつもりはない?」

「これが私ですから」

「そうか」


 清玄さんは長く息を吐いた。そして「そういう部分もみどりらしいな」と呟いた。

ゆっくりと首を横に振って「私はみどりさんじゃないです」と返す。


「はは。理解しているさ。彼女の死に水を取ったのも、埋葬したのも私だからね」

「なら、どうして頑なに私を〝みどり〟と呼ぶんですか?」


 その問いかけに、清玄さんはどこか遠くを見ると、「前に金沢で、私と半分こをしようと言っただろう」と苦笑した。


「みどりも……誰かとなにかを分け合うのが好きだった。それに、君のように誰にでも分け隔てなく接するタイプだったしね。感情を制限されていなければ、そんな風に屈託なく笑うのかな、と想像するくらいには君とみどりは似ている」


 清玄さんはゆっくりと息を吐き出すと、じっと私を見つめて言った。


「すまなかったね。余計な騒動に巻き込んでしまった。少し……夢を見てしまったんだ。初めは、水明に言うことを聞かせるための手札のつもりだった。でも、みどりに似た君が傍にいてくれたら……あの頃に戻れるような気がして」

「…………そうですか」


 血で染まる彼の手を見つめた。さっきは振り払った手だ。今度はそっと触れて、それから優しく握った。清玄さんは僅かに目を見開いて、穏やかに笑う。


「よお。お前が水明の父親か」


 すると頭上から、どこか不機嫌そうな声が降ってきた。見上げると、そこにいたのは苛立ちを隠そうともしていない東雲さんだ。


「夏織、ちょっとどけ」

「わっ……」


 東雲さんは、雑な手付きで私を避けると、清玄さんの傍らにしゃがみ込んだ。

唇が僅かに尖っている。東雲さんの機嫌の悪い時の癖だ。死にかけの相手になにをするつもりなのかと戦々恐々していると、養父はぽつんと小さく訊ねた。


「どうしてあのふたりを庇った?」


 清玄さんは気怠そうに東雲さんを見やった。

次に私と――赤斑、水明を順に見て、訥々と答える。


「……どうしてだろうな? わからない。気が付いたらああしていて。どうしてなのかと、今も……考え続けている。でも――何故だろう」


 清玄さんの瞳が潤む。零れた涙は、すぐに血で染まって赤い軌跡を頬に残した。


「すごく安心したんだ。赤斑も水明もその子も無事だった。最期に大きな仕事をやり遂げたような……そんな、達成感がある。後悔はしていない」

「ご主人様……!」


 感極まった赤斑が清玄さんに縋りついた。清玄さんは、痛みに顔を歪めつつもその背中を撫でてやっている。東雲さんはそれをじっと眺めると、ため息を零した。


「なんだよ。お前も普通の父親だな」

「……は?」


 驚いたように目を見開いた清玄さんを放置して、東雲さんはゆっくりと立ち上がった。

 首をゴキゴキ鳴らすと、途端に生き生きと指示を出し始める。


「オイ、ナナシ。お前、コイツを診てやれ。死なせるな。わかってんだろうな」

「はぁい。当たり前でしょ。アタシを誰だと思っているの?」

「双子ォ! ぼけっとしてねえで赤斑を連れて行け。面倒起こさせるんじゃねえぞ」

「「はあい!」」

「にゃあ! クロを回収しろ。どうせ伸びてるだけだろ、叩き起こせ」

「乱暴にしてもいいのならやるけれど?」


 東雲さんの指示で、皆が一斉に動き出す。


 その様子を呆然と眺めていると、私たちを遠巻きに眺めていたあやかしたちのひとりが進み出てきた。顔に八つの瞳がある。恐らく土蜘蛛だろう。


「オイ……どういうことだ。早くソイツを我らに引き渡せ」


 すると、東雲さんは胡乱げにその人を見つめた。

めんどくさそうに頭を掻くと、ジロリと相手を睨みつける。


「嫌だね」

「はっ……?」


 その返事は予想だにしていなかったのだろう。土蜘蛛は一瞬、ポカンと口を開けたまま固まると、慌てたように唾を飛ばして抗議する。


「それはわが子の敵だ! ことが終われば引き渡すという約束であっただろう!」


 東雲さんは小さく舌打ちすると、ぼそりと答えた。


「あー……。気が変わった」

「お主! それはどういう……」


 土蜘蛛が、更に言い募ろうとした時だ。東雲さんと彼の間に、金目銀目が割って入った。ふたりは目をキラキラ輝かせると、まるで道化のようにその人を茶化し始める。


「ええ~? オジサン。大丈夫かよ、幽世何年目?」

「東雲はさあ、先生を渡す理由がなくなったって言ってんの。わかんない?」

「……はっ はあああぁあああ!?」


双子は、にんまりと意地の悪い笑みを浮かべて続けた。


「そもそも、俺らが怒ってたのは夏織と水明が攫われたことだけだったし?」

「僕らとしては、ふたりが無事に戻ってきたのと、暴走した赤斑から守ってくれたことで、諸々帳消しでいいかなって感じだよね~」

「てかさ、子ども攫われるとか。マジでセキュリティどうなってんの。そこの清玄とかいうオジサン以外にも、外敵いっぱいいるだろ? 去年も鵺と揉めてなかった?」


「こんな間抜けな親の下に生まれるなんて、可哀想だねえ。ここは幽世、すべてが自己責任。ルール? 約束? 知ったもんか。それがたとえ敵討ちであったとしても!」

「「僕ら(俺ら)はその男を殺さないことに決めた! あやかしらしく気まぐれにね!」」


 ふたり同時に宣言する。顔を見合わせてケラケラ笑う。すると、呆然と彼らの話を聞いていた土蜘蛛の瞳が怪しく光った。怒りの感情を燃え上がらせ、背中から巨大な蜘蛛の脚を生やすと、叫び声を上げながら双子へ殴りかかる。


「男を渡さぬというのなら、我らと戦争だ」


 物騒な言葉に、私はヒヤヒヤしっぱなしだ。しかし、双子は逆に大喜びで土蜘蛛の攻撃を躱すと、近くにいた赤斑の両脇を固めて、にんまり笑った。


「戦争かあ。いいね。やろうやろう! アレが欲しければ、俺らを倒していくんだな!」

「銀目、物語の途中に出てくる雑魚みたいでウケる。まあ、僕たちが負けるはずがないんだけど。ほら、土蜘蛛以外の皆さ~ん! 君らもあの男が欲しかったらおいで!」

「ちょ……貴方たち、一体なにを……」

「「赤斑も一緒に戦おう! ご主人様を狙う敵を蹴散らせ!」」


 事態をまるで把握していない赤斑を引き連れ、双子は襲いかかってくるあやかしたちを迎え撃つ。強風が辺りに吹き荒れ、あやかしたちが大勢吹っ飛んでいくのが見えた。


「あ、ずるいわ。アタシも行く! 最近暴れ足りなくて溜まってんのよ」


 すると、にゃあさんまで戦いに参加した。それもクロを咥えたままだ。途中で目を覚ましたらしいクロは「うわあああああ なに、なんなの!」と、情けない声を上げた。


「さて、俺も行くかあ」


 最後に動いたのは東雲さんだ。気怠げに伸びをすると、ゆっくりと歩き出す。


「お、おい。これは一体どういう……」


 清玄さんが声をかける。東雲さんは足を止めると、顔だけ振り返って笑った。


「あの双子が言った通りだぜ? 気まぐれだ、気まぐれ。あやかしってなあ、そんなもんだ。それに、娘が大分世話になったみたいだからな。夏織には、優しさには優しさで返せって教えちまったもんで、俺もそうするだけだ」


 そう言い残して、ヒラヒラと手を振って走り出す。そして一匹の龍に変化すると、稲光を伴いながらあやかしたちを蹴散らし始めた。


「なんなんだ……」


 呆然と呟く清玄さんに、私とナナシはクスクスと笑った。


 その顔が、私たちの行動に驚いている時の水明とそっくりだったからだ。

 すると、水明が清玄さんの傍に立った。息子に見下ろされて、清玄さんはどこか居心地悪そうに視線を外す。水明はため息を零すと、その場にしゃがみ込んで言った。


「驚いただろう。理解できないだろう。俺も……ここに来たばかりの頃はそうだった」

「……水明……」

「だから……あー……」


 水明は、少しだけ言い淀むと、決して清玄さんとは視線を合わせぬままに言った。


「家を没落させたことは謝らない。あの家から解放されたことを、後悔していないからだ。だが……迷惑をかけたことは間違いない。すまなかった」

「……それは」


 清玄さんの表情が曇る。水明はそれには構わずに続けた。


「〝居場所〟が欲しいアンタの気持ちは痛いほどわかる。俺もそうだった。どこにも行けず逃げ場所もない。でも、今の俺は違う」


 水明は私をじっと見つめると、薄茶色の瞳をすうと和らげる。


「俺は……ここで〝居場所〟を見つけたんだ。好きなように感情を表して、好きなことをして、好きな奴らと一緒に楽しく暮らしてる。だから、アンタも」


 水明はゆっくり立ち上がると、清玄さんに背を向けて言った。


「現し世を変えようとか考えずに、あっちの常識も価値観も全然通用しない、このヘンテコな世界で、自分の〝居場所〟を探してみたらどうだ」


 そう言い残して、水明は清玄さんのもとを離れて行った。その背中を、清玄さんはじっと見つめている。ゆっくりと私に視線を向けると、一筋の涙を流しながら訊ねた。


「……私の〝居場所〟は、この世界のどこかに用意してあるのだろうか?」


 私は優しく頬笑むと、彼の涙を指で掬って言った。


「ええ。きっと、どこかに」


 くしゃりと清玄さんの顔が歪む。

血まみれの、傷だらけの手で顔を覆うと――彼は、小さく嗚咽を漏らしたのだった。

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