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貸本屋ゆうれい3

 正直に言おう。金沢に到着した途端、出発前に抱いていた後ろめたさは霧散した。


「はあ~! 鼓門! おっきいねえ……!」


 能楽で使われる鼓をモチーフに作られた門は、金沢の玄関口である駅前にどどんと鎮座していた。そのあまりの大きさに圧倒されて、上を見上げたままクルクル回る。


「そんなにはしゃいだら、気持ち悪くなるんじゃないかい?」

「だあいじょうぶですよ! 私、大人ですし!」

「それだったらいいんだけどねえ」


 のほほんと答えた私に、清玄さんは呆れ気味だ。

金沢駅舎を存分に満喫した私は、早速清玄さんに声をかけた。


「じゃあ、清玄さん! 飴買い幽霊の伝説がある寺へ……って、どうしました?」


 声をかけた途端、清玄さんの表情が一変した。呆れた果てたような顔から、余裕たっぷりの笑みへ。彼は私の肩に手を乗せると「それは後だ」と断言した。


「せっかく金沢まで来たんだよ? 加賀百万石を満喫しないでどうするのかね」

「ええ……。私、皆に嘘をついて来てしまったので、できれば早く帰りたいんですが」

「ははは。さっき君は、自分が大人だと言ったじゃないか。別に気にすることはない。大人は、真実の中に適度に嘘を織り交ぜて生きるものだろう?」


 私はキュッと眉を寄せると、じとりと清玄さんを見つめた。


「……私、そういう生き方はあんまりしたくないです」

「おや。仲間に嘘をついてここに来ている君がそれを言うのかね?」

「うっ……!」


 清玄さんはクククと喉の奥で笑うと、私の肩を抱いてどこかへ向かって歩き出した。


「どっ……どこに行くんです?」


 彼は伽羅色の瞳を子どものように煌めかせると、渋みがかった顔を緩ませて言った。


「なにか食べよう。寿司! 寿司がいいな。金沢に来たら寿司だ!」

「お、お寿司ですか……。手持ちが心許ないんですが」

「なにを言ってるんだ。私の奢りに決まっているだろう」

「へっ」


 素っ頓狂な声を上げた私に、清玄さんは心底楽しそうに笑った。


「可愛らしい女性をエスコートするのも、大人の男の楽しみのひとつだよ」

「か、可愛らしい……」

「いやあ、若い子を連れ回すのは気分がいいんだ。ごらん、通りがかった同年代の紳士たちが羨ましそうに私たちを見ているじゃあないか!」

「いや、人をアクセサリーみたいに扱わないでくれます 大人なら、相手の意思を尊重すべきです!」

「そんな大人は知らないなあ」

「都合の悪い時は知らない振りするの、如何にも大人って感じですけどね」


 精一杯抗議するも、清玄さんはちっとも取り合ってくれなかった。


飴買い幽霊の伝承なんてほったらかしにして、金沢市内を連れ回される。


 最初は清玄さんの希望通りにお寿司屋さん。回らない寿司なんて初めて食べたものだから、もう二度と回転寿司しか知らない元の体に戻れる気がしなかった。


「今までまっさらな体だったのに。私は汚されてしまった……」

「誤解を招くような発言はよしてくれたまえ」

「酷い。責任取って」

「ど、どうしろと言うんだ……」

「食後のアイスクリームで手を打ちましょう!」

「君の純潔はいやに安いな」


 その後はふたりで近江市場に行った。近江市民の台所として知られているその場所は、狭い路地にぎっしりと店が建ち並んでいる。鮮魚店から青果店、はたまた雑貨屋までもひしめき合う近江市場には、多くの人が行き交っている。


「うわあ。ここは相変わらず賑わってるなあ」

「おや、来たことがあるのかい?」

「ええ、養父と一緒に一度だけ!」


 加賀野菜を手に取りながら、当時のことを思い出して笑みを零す。


「六歳くらいの頃ですかね。養父の仕事についてきたんです。そしたら、忍者寺っていうのがあるよって、地元の人に教えてもらって。行きたいって駄々をこねたら、渋々連れて行ってくれることになったんです」


 忍者寺とは、妙立寺(みょうりゅうじ)のことだ。加賀藩三代当主前田利常が創建した寺で、緊急時には出城としての役目を果たした。そのため、落とし穴にもなる賽銭箱や、床板をずらすと現れる階段などの仕掛けが多々あり、それがまるで忍者の仕掛けのようだと言われているのだ。


「子どもが好きそうでしょう? 東雲さんの商談で散々待たされた私は、ワクワクしながら寺に行ったわけです。でも……」


 当時まだまだ子どもだった私は、正直なところ素直に楽しめなかったのだ。

 なにせ、私よりも大きい子どもが大はしゃぎしていたので。


『オイ、マジか……! 階段が出てきたぞ! えっ……つまりだ、敵が襲ってきたらここから逃げる…… かっこいい……俺も欲しい……』


「あの人ったら、子どもみたいに目をキラキラさせて。案内の人に止められるくらいにねちっこく見学するもんだから、私ってば恥ずかしくって……」


『し、東雲さん。もういいじゃん、帰ろう』

『待て。俺はここで学べるすべてを吸収してからでないと帰れん!』

『なにを学ぼうとしてるの、馬鹿ァ!』


 ウチの店には隠し階段がある。

実は、それを作ったのは忍者寺がきっかけだったりするのだ。


「本当にしょうもないですよね。子ども心に呆れちゃいました」


 くすりと思い出し笑いをして、しみじみ呟く。


「東雲さんの行動が嫌で嫌で……幽世に戻る時、養父と距離を取って帰った記憶があります。今考えたら、そういう無邪気な部分も好きだなって思えるんですが」

「ふうん」


 白けた相槌が聞こえて、視線を上げる。清玄さんは手にした野菜を粗雑な仕草で棚に戻すと、どこかつまらなそうに言った。


「君のところって義理の関係だろう。ちょっと私には理解できないな」


 私は何度か目を瞬き、頬を緩めた。大人だとばかり思っていた清玄さんの表情に、少し不貞腐れた子どものような部分を見つけたからだ。


「もしかして、お子さんと上手く行っていないとか?」

「君には関係ないことだろう?」

「そうですね」


 ――どう言えばいいかな。なにも言わない方がいいのかな。


 ちょっとだけ考え込んで、視界の中にとある店を見つけた。私は店員さんに加賀野菜を返すと「ここで待っていてください!」と断りを入れてその場を離れる。


 目指すは――精肉店だ。


 そこであるものを買い求め、急いで清玄さんの元へ戻った。

私が手にしたものを目にすると、彼は困惑したように眉を下げる。


「さっきアイスクリームも食べただろう。君はまだ食べるつもりなのかね」

「アハハ! そうですね。でも、お寿司はお魚、アイスクリームは甘味でしょう。これは別腹ですよ、別腹」


 私が買ってきたのは、揚げたてアツアツのコロッケだ。サクッと軽く揚がった衣を指で割ると、たっぷりと肉そぼろが入った具が顔を覗かせる。想像していたよりも肉の割合が多くて嬉しい。飴色の玉ねぎが混じった具からは、胃を刺激する匂いが放たれていて、空腹は感じていないはずなのに思わず唾を飲み込んだ。


「能登牛コロッケですって。ここってお肉も美味しいんですよ! ご存知でしたか」


 説明しながら、残り半分を清玄さんに差し出す。

 彼は軽く目を見張ると、次の瞬間にはひそりと眉を顰めた。


「これは?」

「はい、半分こです!」

「…………」

「美味しいも楽しいも、誰かと半分こしたら、二倍にも三倍にもなると思いませんか」


 私の言葉に清玄さんはすぐに反応しなかった。僅かに瞳を揺らして、視線を地面に落としてしまう。なにか複雑なものを胸の内に抱えているのに違いない。私は、彼の手を取って、半ば無理矢理コロッケを握らせる。


 私は自分のコロッケに息を吹きかけると、少しはにかみながら言った。


「家族って血の繋がりとかじゃないと思うんです。思い出とか、優しさとか。色んなものを半分こできる関係が家族ですよね。清玄さんも、いつかお子さんとなにかを分け合えたらいいですね」

「…………そう、だね」


 すると、清玄さんは私にこう訊ねた。


「君は優しいね。誰にでもそうするのかな」


 私は口の中のコロッケを飲み込むと、小さく首を傾げて言った。


「誰かに優しさをもらったら、同じぶんだけ優しさを返してあげなさいって、そう言われて育てられたんですよ。清玄さんにも優しくしてもらいました。だから……って、ちょっとお節介でしたかね……へへ、いつも怒られるんですよね」


 どうにも恥ずかしくなってきて、コロッケを大口で囓って紛らわす。

 そんな私を、清玄さんはじっと物言わぬまま見つめていた。

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