富士の大あやかし5:夏織とかぐや姫
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「さあて、ダイダラボッチ。今日のお話は――竹取物語じゃ」
ぬらりひょんがそう言った瞬間、周囲に半透明で淡く光る竹林が現れた。それは、ぬらりひょんの手にした本が映し出したものだ。
宙に映し出された竹林、その中を、ひとりの枯れた老人がえっちらおっちら歩いている。勿論、それは竹取の翁だ。翁は光る竹を見つけると、驚愕に目を見開いている。
水明はそれが現れた瞬間、私の袖を引っ張ると、驚きの声を上げた。
「……おい。あれはなんだ。ホログラフに見えるぞ……!!」
「なにって絵本でしょう。絵本は飛び出るものでしょ」
「出てたまるか。非常識にもほどがある」
水明がぼやいている間も、物語の推移に合わせて、くるくると場面が変わる。ダイダラボッチは何かが宙に現れる度に、手を伸ばして触れようとする。表情はわからないけれど、酷く楽しそうなことは確かだ。
それを嬉しく思いながら、私は水明に体重を預けて、にんまりと笑って彼を見上げた。
水明は、不満そうな眼差しを私に注いでいる。
「……ごめん、嘘ついた。あれはね、うちの東雲さんの特別製なの」
「まったく、お前は。……それにしてもすごいものだな。売り出したら、ひと財産になるんじゃないのか」
「あれは、奇跡の一冊なの。もう二度と作れないって言っていたわ。それに、あれを売るなんてとんでもない」
「そうだよ! 泣き虫の夏織をどうにか慰めようと、東雲が創り出したものなんだから〜。思い出の一冊を売り払ったら、東雲が夏織に殺されちゃう」
すると、いつの間にか傍に来ていた金目が、得意げに語り始めた。
「ナナシがよく教えてくれるんだ。あの頃の夏織は、風が吹けば泣き、音がすれば泣き、外に出れば泣き、飯を食べても泣く。涙は枯れることは知らず、服は常に涙でずぶ濡れ」
「もう、金目! 茶化さないで!」
すると、その話を聞いていたぬらりひょんは、一体の海月に本を固定すると、ふわりとこちらに近づいてきた。
「泣いてばかりの幼子に、おろおろする図体ばかりがデカイあやかしの貸本屋。当時は、いい見ものだと見物客が出る始末じゃった。儂も見に行ったのう」
「……物見高すぎるだろう、あやかし共……」
くくく、と喉を鳴らして笑っているぬらりひょんを、水明は呆れ顔で見つめている。
――でも、私が泣き虫だったのは紛れもない事実。
小さい頃は、何をするにしても、どこに行っても泣いてばかりの子どもだった。
常に暗い世界。寄ってくる蝶。恐ろしい見かけの住人たち。……隠世は、ひとりぼっちの子どもが生きるには、刺激が強すぎたのだ。
困り果てた東雲さんは、なんとか知恵を絞って、ナナシとあの絵本を創り出した。
私が泣きじゃくっていると、すかさずあの本を持ち出して、少し戯けながら物語を読んでくれるのだ。宙に浮かぶ物語を泣くのも忘れて夢中になって眺めていると、東雲さんはとても嬉しそうに、それでいて優しいまなざしで私を見つめていたっけ。
「まあ、その苦労の結果、生み出されたのが物語を映し出す絵本じゃ。世界に唯一の、夏織のために作り出された貴重なもの。絵が宙に映し出される本なぞ、ダイダラボッチを寝かしつけるのに、これほど打って付けのものはない。毎回恐ろしく苦労するのでどうしようかと迷っていたら、この本のことを思い出してなあ。東雲に頼み込んだのじゃ」
以前は、ぬらりひょんの長い触手で、ダイダラボッチが眠るまで地面に縛り付けていたらしい。そんなやり方では、眠る赤子も起きてしまいそうだ。それは、大変だっただろう。
私は苦笑すると、光を放ち続けている本を眺めた。
私を想って創られた、私のための一冊。この本を開く度に、私は勇気づけられ、慰められる。この本は、私にとって何よりも大切なものだ。ずっと仕舞い込んでいたこの一冊が、誰かの役に立つなんて思っていなかったけれど……。
「これは、私ひとりだけが独占するには惜しいもの。ダイダラボッチも楽しんでいるみたいで、良かった」
私がそう言うと、ぬらりひょんは柔らかな笑みを浮かべ、触手で私の頭を軽く撫でた。
「いいのう、いいのう。よくぞ、真っ直ぐに育った。東雲が頑張った甲斐があったと言うものじゃ」
「……ぬ、ぬらりひょん。そう言うことを直接言われると、恥ずかしい……です」
すると、顔を赤らめた私に、ぬらりひょんは呵々と笑って、「熱くなった頬をこれで冷やせ」なんて言いながら、一匹の海月を寄越した。
私はひんやりぷるぷるしているそれを頬に当てると、眼下に視線を戻した。
気がつくと、ダイダラボッチは富士山を枕に横になり、ぼんやりと絵本が紡ぐ物語を眺めている。もうそろそろ、眠くなってきたのだろう。
一瞬、その下に住んでいる人間たちが潰れてしまったのじゃないかとひやりとしたけれど、よくよく見ると寝そべっているダイダラボッチの体を突き抜けて、車のライトが移動しているのが見えた。彼らにとっては、ダイダラボッチは無いに等しいのだろう。普段と変わらない時間を過ごしている。
「ほうれ、ねんねんころり。ねんころり。不死の山でお眠りよ。ねんねんころり、ねんころり」
ぬらりひょんは、歌いながら長い触手でダイダラボッチを軽く叩き始める。
すると、途端に眠気が増したらしい。ダイダラボッチは、段々と動きが遅くなってきた。
するとその時、水明が私の名を呼んだ。ゆっくりと振り向き、彼の瞳を真っ直ぐに見る。彼は何か言いにくいことがあるのか、少し言い淀んでから私に尋ねた。
「幼い頃のお前は、あの世界が泣くほど怖かったんだろう? ……帰りたい。そうは思わなかったのか」
その時、朝日が漸く顔を出してきた。
ゆっくりと白み始めていた空は、あっという間に光に満ち溢れ、暁色に染まっていく。闇に沈んでいた街が、朝日に照らされて色を取り戻していく。
けれど、美しく色を取り戻していく景色とは裏腹に、私の脳裏に浮かんでいたのは全く別のものだった。
――耳の奥に響く、くぐもった水音。歪む視界、出来ない呼吸。
――呪詛を呟きながら、鬼の形相で私を水の底に沈めようとしているあの人の顔。
私は、ひゅ、と息を詰まらせると、固く目を瞑る。忘れたくても忘れられない、そんな嫌な記憶を無理矢理封じ込め、口角を上げて笑みを形作った。
「ねえ、私……不幸そうに見える?」
すると、水明は何度か目を瞬くと、ゆっくりと首を振った。
「でしょ!」
私はくるりと体の向きを変えると、水明の白い頭をワシャワシャと乱暴に掻き混ぜた。ぎゃあ、なんて悲鳴を上げている水明を他所に、私は笑い混じりに言った。
「正直なところ、隠世に来る前の現世の記憶ってあんまりないの。今の私を形作っているものは、隠世での思い出だわ。私の居場所はあやかしの世界にある。それに、万が一誰かに帰れって言われてもね――」
その時、絵本が紡ぐ竹取物語は佳境に入っていた。
帝が厳重な警備を布いてかぐや姫を守る中、月の使者が現れて、為す術もなく連れ去っていく。かぐや姫は不死の薬と手紙を残したものの、天の羽衣を着せられて、翁たちに培ってもらった温かな感情をすべて忘れさせられてしまった。
絵本によって再現された、月の使者たちの一団はなんとも絢爛豪華だ。
金をふんだんに使って飾られた牛車は、ゆっくりと空を旋回して、月に向かって戻っていく。きら、きらと輝きながら、涙で頬を濡らし、けれど無表情で正面を見つめているかぐや姫を乗せて、高く高く昇っていく――。
「絶対に帰るもんですか。私は貸本屋をしながら、楽しく暮らすんだから」
「……そうか」
私はニカッと笑うと、ぐしゃぐしゃになってしまった水明の頭を直してやった。
「水明は優しいね」
「……なんのことだ」
私は、むっつりと黙り込んでしまった水明を見て笑っていると、視界に銀色が入り込んできた。それは銀目で、彼は顔を真っ赤にして私の腕を引っ張った。
「さっきから、なにくっついてるんだー!!」
「うわ、銀目! ……ひゃあ!!」
「止めろ、落ちる……って、オイ!!」
銀目はよほど強く私を引っ張ったのだろう。勢い余って、にゃあさんから落ちそうになってしまった。
一瞬、ひやりとして全身から汗が噴き出す。顔が引きつり、悲鳴を上げそうになるけれど……直ぐに笑顔に変わった。
「「「「「大丈夫!?」」」」」
気がつけば、私の右手を銀目が支え、左手を水明が握っている。金目は必死な形相で私の片足をしっかりと掴んでいるし、もう片方にはにゃあさんの長い尻尾が巻き付いている。更には、胴体にはぬらりひょんの触手が纏わりつき支えていた。よもや落下の危機かと思われた私は、あっという間ににゃあさんの背中に戻されたのだった。
すると、にゃあさんが銀目に向かって威嚇音を放った。
「銀目の馬鹿! 夏織に何かあったらどうするのよ!?」
「ひえっ、にゃあ先輩ごめん」
「本当だよ〜。僕の弟が、これほどまでに考えなしだとは思わなかった」
「……はあ」
「ほっほっほ。一瞬、肝が冷えたわい」
私は皆のぎゃあぎゃあ、騒がしい声を聞きながら、ひとり笑っていた。
もしも、私がかぐや姫だったなら、たとえ月の使者に連れて行かれたとしても、彼らがどこまでも追って来て、力づくで取り戻してくれそうだ。
……まあ、それ以前に、大人しく連れ去られたりしないけれどね。戦って、抗って、絶対に自分の居場所を守り抜く。何にも縛られずに、自分がここと決めた場所に在り続ける――それがあやかしなのだから。
私は胸が温かくなるのを感じながら、ふとダイダラボッチを見る。すると、目に飛び込んできた光景に、思わず声を上げた。
「――見て!!」
ダイダラボッチは、竹取物語の終わりと共にすやすやと眠りに着いていた。
光を一片も通さなかった黒々とした体は、朝日が当たると不思議なことに段々と透明になっていった。そして、クリスタルのように光を乱反射し始めて、辺りに七色の光を放った。
それは朝焼けに輝く海が如く、直視出来ないほど眩しく、けれども目を離すことが出来ないほど美しい。
「……」
誰もが言葉を失い、その光景に見惚れる。
どくん、どくんと心臓が早鐘を打ち、体がそわそわして、この場に立ち会えたことを幸運に思う。
――やがて、七色の光を放っていたダイダラボッチの姿は、空に溶けるように消えてしまった。けれども、それはきっと姿が見えなくなってしまっただけだ。今もなお、ダイダラボッチは富士の麓で眠っているのだろう。そして、ぐっすり眠った後は、また日本中を彷徨うのだ。風の吹くまま、気の向くまま――なんて、自由な生き方だろうか。
ぬらりひょんは、海月に預けていた本を回収して閉じると、私に渡した。
「ありがとうのう。これで、暫くは大丈夫じゃろう」
私はそれをぎゅう、と胸に強く抱きしめる。そして、少し不安になってぬらりひょんに尋ねた。
「お役に立てましたか?」
すると、ぬらりひょんは目尻に皺をたくさん作って、私の頭をぽんと叩いた。
「勿論。――また、頼む」
私は嬉しくなって、大きく頷いた。
「ご用命の際は、隠世の貸本屋へどうぞ!」
私の言葉に、ぬらりひょんは「そうさせて貰おう」と呵々と笑ったのだった。