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閑話:切り取られた世界で僕たちは4

「やはり記憶は戻りませんか」

「ええ。山に入ったことすら覚えていないのだそうです。そもそも、こんな山奥です。バスも通ってませんし、車もなしにどうやって来たのか……。身分証もないですし、靴すら履いていない。事件性があるのは間違いないとは思うのですが」


 ざあざあと雨が降りしきる中、診療所の応接室にて、老医師と駐在が話している。

 傘代わりに頭にフキの葉を乗せた金目は、窓の外で彼らの話に耳を傾けていた。


「よほど思い出したくないことがあるのか、話を聞こうとすると錯乱してしまうのです。目を離すとすぐに脱走しようとしますし。どうしたものか……」

「なにはともあれ、彼女が落ち着くまでここに置いておくしかないでしょう。憔悴しているようですし、詳しく話を聞くのはそれからということで」

「ですな。では、手続きを――」


 そこまで聞くと、金目は窓から離れた。


まるで池のようになっている水たまりを避けつつ、目的の場所を目指す。

 銀目とは違い、金目は碧の親についてかなり近いところまで探り当てていた。


 あやかし側ではなく、対象を人に絞ったのが功を奏したのだろう。碧を見つけた場所からほど近い人間の集落へ赴き、なにか異変が起きていないか調べたのだ。


 ――人とあやかしが交わる……物語じゃあるまいし、お互いに同意の上で子をなしたとは思えない。だからきっと騒ぎになっているはずだ。


それは、銀目には絶対にできない、後ろ向きな金目らしい考え方だった。しかも、それが当たりであったらしい。金目の予想通り、集落はある噂で持ちきりだった。


 見慣れぬ女性がひとり、山で見つかった――。荷物も持たず、着の身着のまま、ぼんやりと山の中で佇んでいるのを、山道を通りがかった住民が見つけたらしい。

女性は、この辺りにある集落の人間ではない。一体どこから来たのかも不明で、まさに現代の〝神隠し〟ではないかという。


金目は、その女性こそが碧の親であろうと見当をつけた。


ぱしゃりと大きな水たまりを飛び越えて、綺麗に整えられた診療所の庭を進み、ある場所で足を止めた。それは診療所の端にある病室の窓の前だ。


 そこは個室で、レースのカーテン越しにベッドがあるのが見える。


横たわっているのは、二十代くらいの若い女性だった。緩やかに波打つ黒髪がシーツの上に広がっている。特徴のない極々一般的な顔立ちをしていて、心ここにあらずといった様子で宙を見つめていた。


「…………」


 女性の姿を認めると、金目は地面に転がっていた石を手に取った。なんの表情も浮かべぬまま、じいとそれを眺めていたかと思うと、大きく振りかぶる。


「やめなさい」


 しかし、手を掴まれて動きを止める。ノロノロと動かした視線の先には、どこか困ったような顔をしたナナシの姿があった。


「捜しちゃったわ。ちゃんと行き先くらいは告げて出かけなさい」


 濃緑の髪を雨でぐっしょりと濡らしたナナシは、反応を示さない金目に微笑みかけると、反対の手に持ったものを掲げた。


「お腹空いてないかしら。お弁当作ってきたのよ」


 金目はちらりとそれに目を向けると、物言わぬまま視線を地面に落とした。




 ナナシと金目は、碧を見つけた場所へやってきた。雨を凌ぐには巨木の虚が適当であろうと考えたのだ。


「塩麹で漬けた唐揚げでしょ、アスパラの肉巻きに、ミートボール。ハンバーグもあるわよ。アンタの好きなものばっかり詰め込んだら、お弁当が茶色くなっちゃったわ」

「…………」

「丸いお握りは焼きたらこ、俵型のはシャケ。安心して、梅干しは入れてないから。ほんと、アンタってば酸っぱかったり辛かったりするの嫌いよね。はい、アンタの箸!」


ペラペラと一通りの料理の説明を終えたナナシは、金目の顔に手を伸ばすと、目の下に深く刻まれた隈を親指でなぞった。


「いつからまともに眠ってないの」

「……一応、眠ろうとはしてる」

「そう」


 言葉少なに答えた金目に、ナナシは柔らかな笑みを向けると、料理を皿に取って渡した。正直なところ、まるで空腹を感じていなかったが、断るとしつこそうなので渋々受け取る。しかし、そんな金目の心中はナナシにはバレバレであったらしい。


「嫌な顔しないの。ひとくちでいいから食べなさい。どうせ、碌なもの食べていないんでしょう。虫や木の実だけじゃ保たないわよ。お風呂も入ってないのね。臭うわ」


 まるで、金目のここ一週間の生活をその目で見てきたかのような発言に、顔を顰める。


「口うるさい母親みたいだ」


 ナナシは、その琥珀色の瞳を大きく開くと、次の瞬間にはほんのりと頬を染めて――どことなく嬉しそうに言った。


「あらやだ。それって褒め言葉? アタシは夏織もアンタたち双子も、自分の子のつもりで育ててきたんだから。知らなかったの?」

「……っ!」


 かあ、と顔が熱くなって思わず俯く。ナナシはそんな金目を慈しむかのように目を細めると、ぱくりと唐揚げをひとつ摘まんだ。


「おいっしい 今日もいいできだわ。流石アタシ。ほら、あーん」

「むぐっ……!」


 強引に口に唐揚げを放り込まれて、金目は目を白黒させた。仕方なしに噛みしめると、久しぶりに感じる鶏肉の旨み、醤油の香ばしさに、じわじわと体の底から多幸感が沸き起こる。自然と頬が緩んでしまった金目を見つめたナナシは、満足そうに頷いた。


「うん、やっぱりアンタにはそういう顔が似合うわね」

「……僕のこと、なんでも知ってるみたいに言うなよ」

「あら。知ってるわよ? 何年一緒にいると思っているの。アンタが意外と後ろ向きなことも、いつまでも甘ったれなことも、ひとりでいるのが苦手だってことも」


 ナナシは金目の頭を抱き寄せると、愛おしそうに頬ずりして続けた。


「アタシや東雲にすら、本当は心を許していないってことも知っているんだから」


 その瞬間、金目はナナシから体を離し、慌てて虚の外へ出た。

雨に当たるのも構わず、警戒心を露わにしてナナシを睨みつける。

そんな金目に、ナナシは何食わぬ顔でコロコロと笑った。


「やだ。バレていないと思っていたの? アンタの目が笑ってないことくらい、アタシくらいになればわかるものなのよ」


 長い睫毛で縁取られた瞳をちらと金目に向けると、今度はどこか冷めた目で見つめる。


「いつまで雛のつもりでいるの。いい加減、巣立ちをする気にはなった?」

「…………」


 ナナシの言葉に、思わず泣きそうになる。

 視界が滲む。唇が震えて、雛なんかじゃないと否定したいのに喉がひりついて声が出ない。それと同時に、自分はまだ雛なのではないか、なんてことも思う。


 金目の世界は限りなく狭い。


 彼が本当に心を許している相手の数なんて、片手で数えるほどしかいない。

 銀目、師匠である鞍馬山僧正坊、それに命の恩人である夏織。

それ以外は、他の有象無象と大差ない。


なにせ、母に置いて行かれたあの日から、彼の世界は一ミリたりとも広がっていないのだ。金目の世界は、いつだって丸く切り取られている。木の枝とガラクタで作られた、小さな小さな巣から見える範囲がすべてだと言っても過言ではない。


『そこな兄さんが一番面倒。ご自分の中で世界が完結している』


 金目をそう評したのは文車妖妃だ。金目はいつだって同じ場所をグルグルグルグル回っている。どこにもいけない。行く気もない。生まれた瞬間から、同じ時を分かち合っている銀目さえいればそれでいい。そう思って生きてきた。


 だから、限られた相手にしか心を許さなかった。そんな銀目に青天の霹靂が訪れる。


『俺……お前も賛成してくれるって思ってた』


 信じていた銀目は、金目をいとも簡単に置いていってしまった。

 狭い巣の中なんて窮屈だと言わんばかりに、大きく羽ばたいて。

空の広さを知った銀目は、当然の如く新しい価値観を身につけ始めている。


金目には知り得ないものをどんどん吸収して、その胸で淡い想いを少しずつ育み――金目という存在から離れ、徐々に違うものになりつつあった。


金目にとって、それは絶対に受け入れがたいことだ。


ああ、やはり自分は雛だ。ぴいぴい、なにもできない癖に声だけは喧しい無力な赤子。


――やめて。やめてよ。銀目まで置いていかないで……!

――僕を、捨てないで。


それが金目の嘘偽りのない本音だった。


「それって悪いこと?」


 だから、強がった。


 やっとのことで絞り出した声は震えていた。今にも涙が零れそうで、情けないことこの上ない。けれど、絶対に弱音を吐くわけにはいかなかった。狭い世界で引き籠もっている事実を否定したら、金目の世界は作りかけの巣よりも簡単に壊れてしまう。


 金目は雨で濡れた手を握りしめると、開き直ったように言った。


「悪かったと思ってる。けど、僕はこれでいいんだ。誰彼構わず心を開くなんて愚かなことだし、物事には慎重であるべきだ。文句は言わせない」

「……あら」


 そんな金目に、ナナシは驚いたように目を見開いた。

眉を八の字に下げると、くすりと小さく笑う。


「別に構わないんじゃない? アンタがそれでいいんなら」

「えっ……」


 予想外の反応に面食らう。

実のところ、懇々と心を開けと説かれると金目は思っていたのだ。だから「文句は言わせない」なんて強い言葉を使ったというのに、これでは拍子抜けだ。


咄嗟に間の抜けた声を上げた金目を、ナナシは面白そうに見つめている。


「お説教されるとでも思った? 心を開くかどうかなんて、判断するのは他でもない自分だわ。ドアじゃあるまいし、他人に言われて開けるものでもないでしょう」


 ナナシはパチリと片目を瞑ると「それにね」と続けた。


「アンタなんて、生まれてからまだ十五年ぽっちのお子様じゃない。あやかしの生は飽きるほど長いの。心を許す相手をゆっくり選んでも問題ないし、いつまでも巣に閉じ籠もっていてもいいの。あやかしは人と違ってどこまでも自由なんだから!」


 ――ああ。ああ、ああ! なんなんだよ、コイツは

 優しいような。それでいて突き放しているような。


ナナシが紡ぐ言葉の奔流に、金目はひたすら混乱していた。白くなるほど握りしめた手からは鈍い痛みが伝わってくる。苛立ち任せに噛みついて傷つけていた手が、じんじんと悲鳴を上げているのだ。けれど、今は痛みに構っている余裕すらない。


「やめてくれよ。お前は俺をどうしたいんだ なにをしにきた。銀目と仲直りさせたいなら、素直にそう言えばいい。僕に構うなよ。自分を信用していない奴なんて、冷たく突き放せばいい。こんな回りくどいことをする必要ないだろ!」


 激情に任せて叫ぶ。


普段から、感情的なことは銀目の役割で、頭脳担当の金目にはこれっぽっちも対処できない。これ以上追い詰めないでくれ。そんな切なる想いを込めて叫んだというのに、意地悪な薬屋はぺろりと赤い舌を出して笑う。


「嫌よ。絶対に嫌。アンタを自分の子だと思っているって言ったでしょ。その子が苦しんでるのに、放って置くなんて……ましてや突き放すなんてできるわけない」


 ナナシは虚の中からゆっくりと出てくると、徐々に金目と距離を詰めながら続けた。


「本当に不器用な子。そんなに捨てられるのが怖いわけ」


 ぽつり、雨がナナシの纏う大陸風の衣に染みを作る。その数が徐々に増えていくにつれ、ナナシの表情は豹変して行った。匂い立つような美しさを漂わす顔から、まるで獲物に凄む肉食獣のような顔に。その凄みのある表情に、金目は思わず一歩後退る。


ナナシは、金目の真っ正面に立つと、勢いよく胸ぐらを掴んだ。

整った顔を近づけ、琥珀色の瞳の奥に轟々と激しい炎を灯して叫ぶ。


「舐めてんじゃないわよ! 心を開いてないくらいで、アタシがアンタを見限ったり、捨てたりすると思っているの そんなに薄情じゃない。甘く見ないで頂戴!」

「ひっ……」


 そのあまりの剣幕に、金目は体を硬くした。ナナシに怒られるのは、大概が銀目や夏織ばかりで、実のところ今日が初めてのことだった。まっすぐ向けられる激烈で曇りのない感情に、自然と涙が零れてくる。相変わらず、金目の頭の中はグチャグチャしていて、まるで子どものように泣き叫びたい気持ちでいっぱいだ。


「お……怒んないでよ……僕が悪かったから。ごめんなさい。ごめん……」


 無意識に子どもみたいな台詞が口をつく。

すると、ナナシは途端に表情を緩めると、金目をそっと優しく抱きしめた。


「アタシこそ悪かったわね。こっちだって悪いのよ。随分と長い間一緒にいたのに、今の今までアンタの信頼を勝ち取れなかった」

「……っ」

「アンタを追い詰めたのは、アタシたち大人だわ。もっとちゃんと守ってあげられていたら、アンタがこんなに傷つく必要はなかったのよね。辛かったでしょう。アタシはアンタの母鳥とは違う。だから、もうちょっと……楽に生きたっていいの」


 すべての音をかき消すほどに雨が降り続いている。


 雨で白く烟った大気はゆっくりと山際を流れ、土と緑の匂いを運んでくる。

 ナナシの言葉に、金目は立ち尽くすほかなかった。


肩を震わせ、雨を含んだ衣が重くなっていくのを感じながら、脳内に渦巻く激情に只々翻弄される。冷静な思考なんてこれっぽっちもできやしない。温かく、冷たい。そして刺々しく、柔らかい。そんな感覚に襲われてどうしようもなかった。


――もう、捨てられることに怯えなくてもいいのかな。


 春の冷たい雨が、金目の体から体温を奪っていく。

しかし、不思議と嫌ではなかった。

 それはまるで、自分の中に沈殿した、粘着質な性質を洗い流してくれているようで。


金目はくしゃくしゃに顔を歪めると、ナナシの肩に顔を埋めた。


「うう……。うううっ……」


 すると、華奢でありながらも金目よりも大きな手が頭を撫でた。

それは〝絶対に捨てない〟と言ってくれた人の手だ。


「ひとつ確認してもいいかしら」


 こくん、と頷く。ナナシは、幼子をあやすように金目の背を撫でながら言った。


「ひとりであの子の親を捜していたのは……先回りして相手を殺すためね?」


 再びこくん、と頷く。ナナシは「そう」と小さく呟くと、金目の顔を両手で挟んでじっと見つめた。その琥珀色の瞳には、なにか確信めいた光が灯っている。


「それは誰のため? アンタの口から教えて」

「…………僕、は」


 金目は顔をくしゃりと歪ませると、絶え間なく大粒の涙を零しながら言った。


「すべては銀目のためだよ。きっと……子を捨てるような酷い奴を見たら、銀目は傷つくだろうから。アイツ、ああ見えて繊細なところがあるんだ。だったら、銀目の目に触れる前に消してしまえばいいと思って」


 片割れを守るためならば、己の手を汚すことなんて厭わない。

 そんな金目の言葉に、ナナシは苦しげに口を引き結んだ。


「まったく……アンタねえ……」


ナナシは呆れ混じりにため息を零した。グスグス鼻を鳴らしている金目の背中を撫でながら、遠くを見て思案している。やがてなにかを思いついたのか、ナナシはニッと笑みを形作ると、金目の胸をとん、と押して突き放した。


「えっ……」


 ナナシのまるで見限ったと言わんばかりの行動に、金目の顔が歪んだ。


 ――捨てないと言った癖に、離さないと口にしたばかりの癖に!


途端に胸が苦しくなって、心が軋み、悲鳴を上げた。


「金目っ……!」


 けれども直後に背中へ感じたのは、慣れ親しんだ温度。


 ポカン、と間抜けな顔をしたまま、金目が恐る恐る後ろを振り返ると――そこには、鼻水と涙を盛大にダラダラ流している自分とそっくりな顔があった。


「ぜんぶっ……俺のっ……ううう……っ 金目ぇぇぇっ」

「銀目……?」


 どうして片割れがここにいるのか。


これっぽっちも理解できずに、助けを求めるようにナナシを見つめる。

すると、雨で濡れた髪をかき上げたナナシは、恐ろしく悪戯っぽい笑みを浮かべて、いけしゃあしゃあと言い放った。


「ウフフフフ! よかったわね。銀目に、アンタの気持ち全部伝わったみたいよ」

「は……?」

「アタシ、じれったいの嫌いなのよね~! 恋愛作品を読んでいても、早くくっつけばいいのにって思っちゃうタイプ」


 ――つまり。つまりだ。


今までの話を、全部……銀目に聞かれていた?


 徐々に混乱が収まり、同時に頭のどこかが冷えていく。羞恥心がこみ上げてきて、金目は顔を真っ赤にするとナナシに抗議の声を上げた。


「ひ、酷いじゃないか!」

「ホホホホホホ! アタシに乗せられて、ペラペラ喋る方が悪いのよ!」


 気持ち良さそうに高笑いしたナナシだったが、次の瞬間には瞳に慈愛を滲ませた。


「でも、さっきの言葉は嘘じゃない。アタシは絶対に捨てないし、離さないんだから」

「……っ! うう」


 途端に二の句が継げなくなってしまった金目は、精一杯の恨みがましい視線をナナシに向ける。すると、ギュウギュウ金目を抱きしめていた銀目は、顔を真っ赤にしている双子の片割れに笑顔で言った。


「ごめんな。本当にごめん。俺、金目の気持ちなんてこれっぽっちも考えてなくて。アイツの親を見つけなきゃって、ただそれだけだったんだ」

「…………」


 金目は視線を落とすと、どこか申し訳なさそうに呟いた。


「僕も……ごめん。自分の考えを押しつけるようなことをして。銀目は悪くないんだ。僕が勝手に、顔も知らない相手に自分を捨てた母鳥を重ねていただけで」

「金目ぇ……」

「酷い顔だな。ああもう、鼻水!」


 袖で片割れの顔を拭ってやる。銀目は照れくさそうに、ニッと白い歯を見せて笑った。真っ赤な鼻、赤く腫れた目。どうやら銀目は金目の話を聞きながら泣いていたらしい。腫れぼったくなってしまった片割れの顔を見つめた金目は、小さく噴き出した。釣られて銀目も笑い出す。双子でくっつき合ってクスクス笑う。


「なあ銀目。僕たちって双子なせいか、今まであんまり話してこなかったじゃないか」

「そうだな。いつでも一緒だったから、お互いのことを全部わかってたつもりだった」

「「きっとそれじゃもう駄目だ」」


 同時に言って、互いに見つめ合う。


「帰ったら、今の俺の話を聞いてくれよ。金目」

「帰ったら、昔のまま変われない僕の話も聞いてよね。銀目」

「「約束だ」」


 ――ああ、これでふたりの間にはなんのわだかまりもなくなった。


実感がしみじみ湧いてきて、金目の胸の奥が温かくなっていく。


すると、ゴシゴシと袖で涙を拭った銀目は金目に言った。


「なあ、金目」

「なんだい、銀目」

「よかったら、これから確かめに行かねえか!」

「なにを……?」


 首を傾げている金目に、銀目は嬉しそうに目を細め、人差し指を金目の背後に向けた。


「碧の母ちゃんがどんな奴か!」


 銀目の動きに釣られて、金目は後ろを振り向く。


「えっ……」


 そこにいたのは、金目ですら見たことのない存在(、、)だった。

身長は二メートルほどあるだろうか。筋肉質な体は半透明。ぼんやり青く光る体はどこか幽幻な雰囲気を持ち、その体の中には森で息づく様々な植物が、まるでハーバリウムのように揺蕩っている。それが動く度に、風もないのに辺りの木々がざわめく。姿を消していた小動物たちがあちこちから顔を見せて、頭を垂れている。


まるで王者の帰還のようだ、とぼんやり思う。


「…………」


 ポカン、と口を開けたまま固まった金目を余所に、銀目は嬉しげにそれに話しかけた。


「碧、やっときたか。遅かったなあ!」

「あお……?」

「俺が見つけたあの子のことだよ!」

「ええええ……どういうこと? なんでこんな姿になったの。説明してよ」


 金目の脳裏に浮かんでいるのは、あの一歳ほどにしか見えない幼子だ。あれがたった一週間会わなかったうちに、こんなに成長しただなんてにわかには信じられない。


「説明は俺がする」


 すると、茂みを掻き分けて東雲、夏織、水明の三名が姿を現した。


「コイツは木の子ってあやかしだ。森に棲まう、悪戯好きの山童」

「嘘でしょ。全然童じゃないと思うんだけど」

「そりゃあな。コイツは木の子の中でも特別製だ。なにせ、神筋だからな」


 ――東雲曰く、碧は土着神の卵なのだという。


土着神とは、その場所に古来よりある大木や大岩、湖などの自然物に宿る精霊のことだ。器物に宿る付喪神との違いとしては、その荒々しさにある。道路工事などのために、邪魔な木や岩を取り除こうとしてけが人が出たりする場合、多くは土着神が原因だ。


土着神は、人の信仰や伝承、伝説によって創られた神とはまた違う。いわば、彼らは世界の一部であり、人を取り巻く環境だ。それが長い時を経て神格を得たものである。


「土着神の一番の特徴は、永遠の命を持たないということだ。経年劣化、寿命、病気。理由は様々考えられるが……あの大樹は恐らく、今が代替わりの時期なんだろう。人間の女の胎を借りて、新しい神となるべき特別な木の子を作り上げたんだ」


 神が女性……特に処女の胎を利用して、男女の交わりなく己の力の代弁者を現し世に顕現させる逸話は多い。有名なところだとキリスト教の処女懐胎だろう。


「大事な跡取りってこと? じゃあなんで、あんなに痩せちゃうくらい放置してたのさ」

「それがなあ……」


 すると、東雲の話を水明が引き継いだ。


「銀目が虚の中で、紐状の根を見つけたらしい。それは、碧と大樹を繋ぐ〝へその緒〟のようなものだったんじゃないだろうか。本来ならば、母体から取り出された碧は、新たな〝へその緒〟を繋がれ、成体になるまで虚の中で育つはずだった。だがそれができなかったんだ。金目、見てみろ。碧の……お腹のところ」


碧の腹部からは、なにやら長い管のようなものが伸びている。青白く光る半透明の管は、あまりにも長過ぎて、先端がどこへ続くのか肉眼では確認できないほどだ。


「あれって……ええ? あれこそ〝へその緒〟じゃないの~?」

「その通りだ」


 水明は大きく頷くと、直後に衝撃的なことを口にした。


「恐らく、アレは今も生みの母に繋がっている」

「……っ!」


 さあ、と血の気が引いていく感覚がして、金目は水明を凝視した。水明は瞼を伏せると、どこか物憂げに口を閉ざす。あまり感情を露わにしないはずの水明の様子に、どことなく嫌な予感を感じていると、代わりに夏織が口を開いた。


「多分、原因は長雨にあるんだと思う。この辺り一帯で、あちこちで土砂崩れが起きてる。川も氾濫してるみたい。このままじゃ山が死んじゃうよ」


この長雨は土着神にとっても予想外だったらしい。焦った土着神は、不完全なまま母親から碧を引き離した。そのせいで母体との繋がりを完全に絶てなかった。結果、〝へその緒〟を繋げず、碧は飢えてしまった。それがことの顛末のようだ。


 金目が驚きのあまりになにも言えないでいると、夏織はどこか物憂げに続けた。


「私たちがしなくちゃいけないこと。金目なら、もう予想できてるんじゃないかな……」


 そう語る夏織も表情が硬かった。唇は青く、小さな手は震えている。

 その瞬間、金目は理解した。


――ああ、変なの。ここにいる僕らは、それぞれが〝親〟に対して色々抱えている。


幼い頃に両親と別れ、幽世へ迷い込んだ夏織。

母親は早世し、父親から感情を殺せと虐げられ育てられた水明。

それを踏まえた上で、金目は脳裏に浮かんだ答えをはっきりと口にした。


「あの〝へその緒〟を切って、母親と子を分断するんだね? このままじゃ、碧は神にも人にもなれない。碧が土着神になるためには〝へその緒〟を繋ぎ直す必要がある」


 夏織は、どこか泣きそうな顔になって頷いた。


「そっか」


今もなお繋がっている母子を、母親を求めて止まなかった自分たちが引き裂く。


――皮肉だなあ。


金目は、水明や夏織が口籠もる理由を理解して、同時に面白く思った。

すべては碧のために。会ったばかりの幼子の命を守ろうと、このふたりは己の心が痛もうとも、それをやり遂げようとしている。


――呆れるくらいお人好しなんだから。あんなものさっさと切ってしまえばいいのに。


周りに与える影響なんて欠片も配慮していない、残酷な考えが頭をよぎる。途端におかしくなってきて、苦労して笑いを噛み殺す。


――うっわ。僕ってば、本当に僕だよねえ。後ろ向きで、見えている世界が狭い。


貸本屋の連中に比べると、視野が狭いがためにあまりにも現実主義な自分。

誰かのために広い世界を見て、理想を追求しようとする彼ら。だが、周りが見え過ぎているからこそ、彼らは自分の首を絞めているようにも思う。


――僕も冷徹にはなりきれてないけど。時には、こういうタイプも必要ってことで。


にこりと晴れやかに笑った金目は、青ざめた顔をした一同に向かって言った。


「それにしてもよく気が付いたね。東雲だって神様は専門外だろうに」

「この姿を見りゃあ流石に気づくだろ。気配が普通のあやかしじゃねえ」

「で、どうするつもりなの。〝へその緒〟なんてさっさと繋ぎ直せばいいじゃない」


 金目の言葉に、一同の表情が凍り付く。

 すると、背後から銀目が抱きついてきた。


「金目。わりい、俺が待ってくれってごねたんだ」

「銀目……お前まさか」

「いやいやいや。誤解するなよ。別に〝へその緒〟を切らねえなんて思ってねえよ。さっきも言ったろ? 碧の母ちゃんを確かめに行こうって。俺、やっぱりコイツを母ちゃんに会わせてやりてえんだ。切るのは、それからでも遅くねえかなって思ってさ」


 寂しそうな笑みを浮かべた銀目は、ぼんやりと立ち尽くしている碧を見上げた。


「コイツが親と一緒にいられねえってのは、俺だってわかってる。可哀想に。どう頑張ったって、人間とは暮らせねえよ。寂しいだろうな、辛いだろうな。コイツには、俺にとっての金目みたいな奴はいねえしな」

「同情?」

「おお、同情してる。なんにもできなかった頃の俺みたいだとも思う。でも、悪いことじゃねえだろ? 同情心は俺に行動する力を与えてくれるんだ……」


 銀目は金目の両肩を掴むと、ニッと普段通りの天真爛漫な笑みを浮かべた。


「これは俺の自己満足だ。正直、迷惑かけてる自覚あるぜ。でも、信じてみたい」

「なにを?」


 金目が訊ねると、銀目は少しだけ視線を彷徨わせて――どこか自信なさげに言った。


「コイツと母ちゃんが再会した時、奇跡が起こらねえかなって」

「…………」


 銀目が思い描いた奇跡。金目にはそれがはっきりとわかった。

 きっとそれは、物語のように感動的なものだ。

母親は一目で子を理解し、子は母の胸に甘える。そんな絵画のように美しい光景。


 でも――そんなもの起きるはずがない。現実は甘くないからだ。容赦なく最悪の結果をつきつけてくる。それくらい銀目も理解しているはずだ。


 金目の考えが顔に出ていたのだろう。どこか悪戯小僧のような顔になった銀目は、ぎゅうとその腕で金目を痛いほどに締め上げながら言った。


「わかってんよ。そんなの普通じゃ無理だって。でもさあ、俺には金目がいるだろ? 奇跡が起こらねえなら、起こせばいいじゃん。そんでもって、金目がいればなんとかなるんじゃねえかなって! まあ、方法はわかんねえけど!」

「……なにそれ。丸投げにもほどがある」


 思わずため息をついた金目に、銀目はヒヒッと嬉しそうに笑った。


「頭脳労働担当は金目。肉体労働担当は俺。金目は俺と違って優秀だからな。なんでもできる気がするんだよなあ。だから、なんとか考えてくれよ!」

「…………」


 ゆっくりと瞼を伏せる。正直、そこまで言われて悪い気はしない。


「わかったよ……」


 金目が諸手を挙げてそう言うと「うおお!」と銀目は子どものようにはしゃいだ。

 ここは頭脳労働担当の腕の見せ所である。金目はにやりと笑うと、背中にくっついたままの銀目に語りかけた。


「碧の母親の居所はもうわかってる」

「流石、金目だな!」

「当たり前だろ。僕を誰だと思っているの。山の中でぼんやりしているのを、人間が見つけて病院に保護したんだってさ。それで、その人がなんて呼ばれてるか知ってる?」

「なんだよ、勿体ぶらずに言えよ」

「現代の〝神隠し〟じゃないかって」


 その瞬間、銀目がピタリと止まった。しばらく黙り込んでいたかと思うと、ひょいと金目の顔を覗き込む。金目とそっくりのその顔は嫌悪感で彩られている。


「なんか、すげえ複雑なんだけど……」

「うわあ、その顔。でも気持ちわかるなあ。僕も初めに聞いた時、そう思ったもん」


 金目はニコニコ笑うと、銀目の頭を撫でてやった。

 そして、底意地の悪そうな顔になると「うん、決めた」と顔を輝かせる。


「盛り上がっているところ悪いが、結局どうするんだ」


 すると、今まで双子の様子を見守っていた水明が声を上げた。キョトン、と仏頂面をしている水明を見つめる。金目は自分と銀目以外に人がいたことをすっかり忘れていたことに気が付くと、「ごめんごめん」と頭を下げ――怪しく嗤った。


「水明ったら、僕らがなにか忘れてない? 烏天狗だよ。〝神隠し〟は天狗のお家芸だ。まあ、今回のこれも神様が攫ったんだから〝神隠し〟っちゃあそうなんだけど。なにもかも中途半端じゃない? だからさあ。僕らが……本当の神隠しを見せてあげる」


 金目の表情に、水明は僅かに眉を寄せた。不安そうに夏織や東雲を見るが、ふたりはなにかを察しているのか、肩を竦めるばかりだ。


「攫われた先で、不思議な体験をできるのが〝神隠し〟だよね~。碧のお母さんにもぜひとも体験してもらわなくちゃ。なにはともあれ僕らに任せてよ。悪いようにはしないからさ! 東雲にはやって欲しいこともあるし!」

「オイ、厄介ごとじゃねえだろうな」

「大丈夫、大丈夫。東雲なら簡単だって!」


 どこか晴れ晴れと言った金目に、東雲や水明は心底不安そうに目を合わせると――次の瞬間には、大きくため息を零したのだった。

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