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閑話:切り取られた世界で僕たちは3

「……雨、止まないな」


 雨音に耳を傾けながら、金目はぽつりと零した。


 先日から降り続いている雨は、一向に止む気配はない。木々を濡らし、大地に染みこんだ雨は川へ流れ込み、増水させ、記録的豪雨だのと現し世を騒がせていた。


 金目は銀目がいるのと同じ山中にいた。とは言っても、碧を見つけた場所からかなり離れた場所だ。そこには、古びた一軒の診療所がある。老医師が経営しているようで、簡単な入院施設まで備えている。診療所の裏手の木の上に身を隠した金目は、じっと行き交う人々を観察していた。顔からはいつもの柔らかな笑みは消え失せて、瞳は充血し、目の下にはうっすらと隈がある。


「…………なんで僕がこんなこと」


 はあ、と息を吐いて、ズキズキ痛むこめかみを解す。


 脳内に浮かんでいるのは、銀目の戸惑った表情。泣きそうな顔。それに、自分に見向きもしない後ろ姿。そのせいか昨晩は一睡もできなかった。初めてのことで困惑する。


「銀目のバーカ」


 呟いてみても、その声に応える片割れはいない。


「……馬鹿は僕だろ」


 自嘲して、だらりと枝に体を預ける。心の中に渦巻いているのは後悔の念ばかり。

 銀目は金目にとっての光だ。辛い時も、苦しい時も、どんなに耐えられないことがあろうとも、銀目が行き先を照らしてくれたから、金目は迷わずにいられた。


双子の間でなにかを決める時、意思決定権は確かに金目にある。


しかし、金目が間違った道を選ばないでここまでこられたのは、銀目が傍にいてくれたからだ。きっと銀目がいなかったら、今ごろ、道を踏み外していただろうという確信を持てるくらいには、彼の存在は大きい。


そんな大切な相手を、確実に傷つけてしまった。悲しい顔をさせてしまった。

それは、金目にとってなによりも避けなければならないことなのに。けれど――。


「なんであんなに前向きでいられるんだよ。ほんと、信じられない」


 あの時、金目が意固地になってしまったのは、自分を置いていなくなった母のことを思い出してしまったからだ。子を捨てた親の罪は大きい。絶対に赦されるものではない。


 だから、事情さえ理解できれば赦してやろうと言わんばかりの銀目の態度が受け付けなかった。子を捨てた時点で親は有罪。それは、金目の中で揺るがない価値観だ。


「甘すぎ。誰にでも心を開き過ぎだろ。もっと警戒心を持てよ。能天気。馬鹿」


 自棄糞気味に片割れを罵って、はあ、とため息を零す。


「そんなんじゃ、また誰かに捨てられるんだからな。アホ銀目……」


ここにいない相手を罵倒しようともなにも変わらない。逆にみるみる気持ちが落ち込んでいくのがわかる。鬱憤を晴らすように、ガリ、と金目は己の人差し指を噛んだ。


ぷくん、と浮かび上がったのは、鮮やかな赤。舌で舐め取ると、なんとも言いがたい味が口の中に広がって、益々気分が悪くなった。しかし、どうにも止められない。


「ご協力ありがとうございます。また来ます」

「ええ。気をつけて」


 すると、診療所の扉が開き、誰かが出て来るのが見えた。

 それは駐在のようだった。扉まで見送りに来た老医師に頭を下げて、合羽を身に纏うと、バイクに跨がる。金目はそれを認めると、スルスルと木から下りていった。漆黒の翼を大きく広げ、走り出した駐在の後を追って空高く舞い上がる。


「誰にも銀目は傷つけさせないよ」


 金目の決意が籠もった呟きは、雨音に紛れて誰にも届くことはなかった。


***


 銀目は焦りを覚えていた。碧を見つけてから一週間後のことである。

 なかなか碧の親が見つからないというのもあるが、それとは別の理由があった。


「あう~! まんま!」

「駄目! 危ないでしょう!」


 貸本屋の居間に夏織の声が響いている。

慌てて夏織が抱え込んだのは、紺色の浴衣を着た五歳くらいの子どもだ。

どうやら部屋から出たいようで、夏織から逃れようと力一杯暴れた。大人と違って容赦がない。体格で優位に立っているはずの夏織は傷だらけになっている。


「お、おい……」

「お前! いい加減にしろ!」


銀目が夏織を助けようとすると、そこに水明が割って入った。

 夏織の腕の中から子どもを抱き取り、暴れないように必死に押さえ込む。


「落ち着け。大丈夫だから」


 水明は、声をかけてやりながら背中を摩ってやっている。

数十分もそうしていると、徐々に子どもが落ち着いてきた。


「うう……まんま……まんま……」


水明の首にしがみつき、途端にウトウトし始める。ようやく静かになったことに夏織は安堵の息を漏らし、寝かしつけようとゆらゆら揺れている水明に声をかけた。


「水明、ありがとう。どうなることかと思った」

「構わない。まったく、コイツにはほとほと手を焼くな」

「きっと、寂しいんだよ。碧も」


 子どもは碧だった。貸本屋に来てから、そう時間が経っていないのにも拘わらず、碧は驚異的な成長を見せていた。一歳ほどだった体格は、幼児を超えて少年と呼べるほどになっている。しかし、それとは正反対に碧の内面はなにも成長していない。


まるで赤子のまま、体だけが成長していたのだ。

あやかしの幼児期というものは、人間に比べると驚くほど短い。人間というよりかは動物に近いと言えるだろう。とは言っても、碧の成長の早さは異様だ。貸本屋の面々も、これには戸惑わずにはいられなかった。


「俺がコイツを連れてきたばっかりに。痛くないか?」


 夏織の頬に青あざができている。銀目はそれに触れようとして手を止めた。居たたまれなくなって瞼を伏せる。


 しかし、彼女はニッコリ笑みを浮かべて「いいんだよ」と首を横に振った。


「面倒見るよって言ったのは私だもん。気にしないで。それに……」


 水明に抱かれて眠るあどけない碧を見つめ、物悲しげに顔を曇らせた。


「親に会わせてあげたいって気持ち、私も痛いくらいわかるしね」

「……そうだな」


 銀目は思わず奥歯を噛みしめた。

 夏織もまた、実の親と離れて育ったのだ。


「ちくしょうめ。本当になんなんだ」


 するとそこに、苦々しい顔をした東雲がやってきた。手には大量の本。東雲は、文献から碧の親がなんであるか探ってくれていたのだ。


「木が関連してることはわかんだよ。木の子っぽいっちゃあ、ぽいんだが」


 どかりとちゃぶ台の前に座り込んだ東雲は、渋い顔で本のページを繰っている。

 因みに木の子とは、奈良県吉野辺りに出ると謂われている山童だ。三歳から四歳くらいの姿をしていて、木の葉を身につけているとか、青い服を着ている等と謂われている。特に人を害するあやかしではないが、油断すると弁当を盗られるというので、山で仕事をする者は木の棒を振って追い払うのだそうだ。


「木の子が人と交わって増えるなんて、聞いたことがねえ。それに、コイツが伝承にあるより育っちまってるのが気になる。育たねえから山童なんだ。(わらべ)姿が成体なんだよ。それ以上になっちまったら、それはもう別のあやかしだ」


 あやかしに関して詳しい東雲すら、碧の親の正体については見当がつかないらしい。

 苛立たしげに頭をバリバリ掻くと、煙管へ自棄糞気味に葉を詰め始めた。


 ――なんか、皆に迷惑かけちまってるなあ。


 現状、碧の親の手がかりすら見つけられていないことが口惜しい。金目さえいれば違っただろうか。そんな想いが銀目の中に頻繁に過って、ただ時間が過ぎていくばかりの日々は、確実に自身を追い詰め始めていた。


「皆、ごめんな。やっぱ俺って、金目がいねえとなにもできないんだな」


 双子の片割れである金目とは、あの日以来会っていなかった。鞍馬山僧正坊のところには顔を見せてはいるようだったが、貸本屋には寄りつきもしない。こんなにも金目と離れていること自体が初めてのことで、それがなによりも辛く、苦しかった。


「お前、なにを言ってる」


 思わず弱音を零した銀目に、水明はギョッして目を剥いた。

居間の隅に敷いた布団に碧を寝かせ、怪訝そうに銀目の顔を見つめる。


「お前がひとりじゃなにもできないのは、いつものことだろう?」

「うっ……。そんなにはっきり言うなよお」


 あまりにも鋭い言葉が刺さって、銀目はその場にくずおれると、そのままパタリと横たわった。ひんやり冷たい畳の感触を頬に感じながら、容赦のない水明を恨みがましく見つめる。水明は、心底不思議そうな顔で銀目を覗き込んだ。


「どうした。初めて会った時に、俺に襲いかかってきた気概はどこへ行った?」

「あれは~……誤解だったって謝っただろ」

「そうじゃない。思い込んだら、周りの迷惑なんて考えずに進むのがお前だろうが。しおらしいこと自体、お前らしくないと言っている」

「ええ……。俺ってそんな感じなの」


 ――なんてこった。俺ってば迷惑な奴だな。知らなかったなあ……。


銀目が泣きたい気持ちを更に募らせていると、水明は銀目の頭をくしゃりと撫で、普段と変わらぬ無表情のままで続ける。


「なにを喧嘩しているのかは知らないが、お前と金目はふたりでセットだろう。上手くいかないと悩むより、相方と仲直りする方がよっぽど近道だと思うがな」


 そして最後にポンと頭を叩き、こう締めた。


「ひとりじゃなにもできないのは、お前だけじゃない。むしろ、お前よりも相方の方が不器用だからな。いつも一緒にいる癖に。もう少し頭を使って生きろ、馬鹿め」

「……金目が?」


 水明の言葉に、思わず目を瞬く。


 ――金目が不器用?


水明が語った言葉を、銀目は上手く呑み込むことができなかった。何故ならば、あの片割れは自分よりもはるかに優秀で、頭脳明晰で、冷静で、なんでもできて――。


『……銀目』


 その瞬間、耳の奥で金目の声が響いた。


 それは、碧の親を捜してやりたいと話している中で、自分の名を呼んだ時の声だ。


 意地を張った銀目は、金目の呼びかけを無視した。

その時の声は、果たしていつも通りであっただろうか?

震えていなかったか。不安そうではなかったか。金目の顔を思い出せ。あの時の金目は――まるで、巣の中で母を呼んでいた時のように、心細そうだったのではないか。


「……っ!」


 銀目は勢いよく体を起こすと、じっと水明を見つめた。

 途端に息を吹き返した銀目に、水明は珍しく笑みを形作る。


「早く迎えに行ってやれ。きっと寂しくて泣いてるぞ」

「お、おう!」


 戸惑いつつも返事をすると、水明は銀目に背を向けた。じんわり胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じて、思わずその背中に抱きつく。


「なっ、なにを……!」

「水明、ありがとうな! やっぱり持つものは友だちだよな~~!」


 バシバシと力任せに水明を叩く。水明は心底嫌そうに身を捩ると、銀目の顔を手で押し退けて抵抗してきた。


「俺はお前と友になった覚えはない! 何度言ったらわかるんだ、この鳥頭!」

「相変わらず素直じゃねえなあ! 金目と仲直りしたら、一緒に遊びに行こうな」

「い・や・だ 離せ。碧が起きるだろう!」

「残念ながら、俺は周りの迷惑を顧みないタイプだから無理~!」

「開き直るな!」


 ふたりでワアワア騒いでいると、碧がモゾモゾ動き出した。


途端に、ピタリと水明と銀目は動きを止めた。起こしてしまったかと神妙な面持ちで碧の様子を窺う。しかしそれは杞憂であったらしい。再び健やかに寝息を立て始めたのを確認すると、ふたりは同時に安堵の息を漏らした。


「早く行け、まったく……」

「ヒヒッ! 行ってくる」


 疲れた様子の水明に銀目は笑みを浮かべると、碧を起こさないようにそろそろと足音を消して縁側に出た。置いておいた草履に足を突っ込んで、ぐんと背伸びをする。


 ――ああ。グチャグチャ色んなこと考えるのは、やっぱり俺の性には合わねえ! 早く金目のとこにいこう。そんでもって……俺の気持ちをきちんと伝えるんだ!


「銀目、気をつけてね!」

「おう! もう大丈夫だ。心配かけちまったな!」


 銀目は見送りに来てくれた夏織に晴れやかな笑みを浮かべると、漆黒の翼を大きく広げ――春の穏やかな幽世の空へ向かって羽ばたこうとした。


「うわっ……」

「クソ、どうなってんだ!」


 が、次の瞬間、背後から焦った声が聞こえた。勢いよく振り返ると、水明と東雲が酷く慌てた様子でなにかを取り囲んでいるのが見える。


 嫌な予感がする。


銀目は貸本屋の中へと舞い戻ると、なにごとかと東雲の背後から覗き込んだ。

 その時、銀目の目に飛び込んできたのは。


「あ、ああああああ……!」


ミシミシと軋んだ音をたてて、これまでとは比べものにならないほどに急激に――。

そして、歪に成長し始めている碧の姿であった。

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