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閑話:切り取られた世界で僕たちは1

 烏天狗の双子の金目銀目は、捨てられた子だ。


 別段、彼らに問題があったわけではない。

 元々普通の烏であった彼らは、他の烏の雛と比べても遜色ないほど健康であったし、巣が蛇などの外敵に襲われたというわけでもなかった。


 双子が生まれた年は天候も穏やかで、餌となる木の実や虫も豊富であった。そのままいけば、双子は極々普通の烏として生涯を終えたはずだ。なのに――ある日突然、母鳥は巣に寄りつかなくなってしまったのだ。


 重ねて言うが、金目銀目にはなんら問題はなかった。


 捨てられた理由はわからない。母鳥は、空腹でぴいぴい鳴く双子を、やや遠巻きに見つめるだけで、餌を用意することを止め、数日後には姿すら見せなくなった。


 あれはまるで子育てを諦めてしまったようだったと、後に金目は語った。


 こうして……生まれて間もない、己で糧を得ることもできない烏の双子は、ガラクタや木の枝で作られた、恐ろしく狭い巣の中に取り残されたのである。


 彼らにできることは、ただひとつ。


 来るはずもない母を待ち焦がれ、声が枯れ果てるまで鳴き続けることだ。


 その時のことを、夏織が双子に訊ねたことがある。それに彼らはこう答えた。


『絶対に母ちゃんは帰ってくる。俺はそう信じて鳴くしかなかった。だって、死ぬわけにはいかないだろ? 俺はもっともっと生きたかった!』

『もう二度と母は帰ってこない。それをわかっていながら、僕は鳴くことしかできなかったんだ。もう死んでもいいかなって思ったよ。でも銀目が鳴くから、仕方なくね』


 胸中に抱いていた感情はどうあれ、ふたりは懸命に母を呼び続けた。


 昼夜問わず、声が嗄れようとも必死に鳴いた。


 しかし母鳥が現れることはなく、とうとう声を出すことすら叶わなくなるほど衰弱した頃。一晩中吹き荒れた嵐に煽られ、樹上の巣が落ちてしまったのだ。


 巣の中で身を寄せ合ったふたりは、ついに死を覚悟する。

 少し前まで巣があった木を見上げ、丸く切り取られた視界の外から、己の命を刈り取るものが顔を現すのを想像して、カタカタと震えていたのだという。


 だが、彼らの運命はそこで終わりではなかった。


 地面に落ちた巣の中を覗き込んだのは、腹を空かせた肉食獣でも天敵である蛇でもなく。


『わあ……! 鳥さんだ! にゃあさん、鳥さんの赤ちゃんがいる!』


 ふくふくしたほっぺたを林檎のように真っ赤に染めた、まだ幼い少女であったのだ。

 それが彼らにとっての運命の転換点。

 少女に保護された双子は、鞍馬山僧正坊に預けられて烏天狗へと変じたのだった。




 ふたりは同じ母から生まれ、同じ状況で育ち、同じ危機を経て、同じあやかしへ成った。


 双子の辿ってきた道は、当たり前だが寸分違わず同じである。


 だが、それによって得た双子の特性はあまりにも違った。


「せっかく夏織に助けてもらった命だ。みんなの役に立てるように、俺は精一杯頑張るからな! 母ちゃんに捨てられたのは悲しいけど、前を向いて生きなくちゃ!」


 辛い過去を糧に、それでも笑顔でいる銀目。


「余計なことを、ってのが正直なところだね~。別にあそこで死んでもよかったんだ。銀目と一緒に死ねるならね。ああ、つまんないな。面白いことないかな」


 笑顔の仮面を被り、狭い世界に閉じ籠もり続ける金目。


 まるで鏡合わせであるように正反対に育ったふたり。

 これはそんな双子の物語だ。


***


 ――ああ。似ているな。とても似ている。


 現し世の春はいやに優しい。

 暖かな空気は眠りを誘うし、頬を撫でる風は幽世のように黴臭くない。


 天から零れる雨は白糸のようで、穏やかに世界を潤している。その光景は、暗がりに慣れた目にはやけに染みた。金目は垂れ目がちな瞳を眇め、なにか酸っぱいものを口に含んだような顔になってその木を見上げる。


 それは、極々普通の木である。言うなれば広葉樹。常緑樹ではないことは確かだが、具体的になんの種類かと問われると、困ってしまうくらいにはありふれた木。


その張り出した太い枝は、かつて双子の巣があった木にどこか似ていた。


 ――ああ、目にするのも嫌だ。いっそ、切ってやろうか。うん、それがいい……。


「おおい、金目!」


 金目の思考が物騒な結論に至ろうとした瞬間、能天気な……いや、底抜けに明るい声が響いた。双子の片割れ、銀目である。


 やや吊り上がった銀の瞳を持った銀目は、金目そっくりな顔に、いつの間にやら細かい傷をたくさんこしらえて、軽やかな足取りで近づいてきた。濡れ羽色の髪には、蜘蛛の巣やら葉っぱがたくさん絡みついていて、全身雨で濡れそぼっている。


「うわあ、どうしたの。その格好」

「ワハハ! 飛んでたら目に雨が入ってよ。近くにあった木の枝に突っ込んじまった」

「雨の日に飛ぶからだよ。馬鹿だなあ……」


 金目は銀目の髪についた葉を取ってやると、くすりと笑みを零した。

 照れ笑いを浮かべた銀目は、手ぬぐいで顔を拭ってくれている片割れに訊ねる。


「なあなあ、例のもの見つけたか? 俺の方はさっぱりだ」

「僕を誰だと思っているの? もう見つけてるに決まってる」


 にこりと笑みを浮かべた金目に、銀目は「流石だな!」と嬉しそうにはにかんだ。


「俺と違って金目は頭がいいからなあ」

「銀目だって真面目に勉強すればそこそこ行けるでしょ。真面目にやる気がないだけで」

「ひい。金目は辛辣だな。それで、どこにあった?」

「あそこ」


 金目が指さした先は、木の根もとだった。


 ぼうぼうと下草が生えている中に、バスケットボールほどの大きさのものが蹲っている。

 雨に濡れた緑が一層映える中、それが持つどす黒い赤色は周囲から浮いて見えた。

 銀目はそろりそろりとそれに近づくと「ああ」と憂いを滲ませる。


「やっぱ現し世に連れ去られてたんだな。可哀想に」


 そこにあったのは、あやかしの子どもの遺骸だった。人と蜘蛛が混じり合ったような格好をしていて、腹から内臓を零して絶命している。まだふっくらとした頬は土と血で汚れており、死の間際はかなりの恐怖に曝されたのであろうことが窺えた。


 金目と銀目の双子が、こんな現し世の山奥を訪れたのは、ぬらりひょんに依頼されたためである。最近、幽世の町に流れている不穏な噂を確かめてきて欲しいと言われたのだ。


 ――人間があやかしの子どもを攫っている。


 ことの発端は、一ヶ月ほど前に土蜘蛛の子どもが攫われたことだ。あやかしの中でもかなり好戦的な部類である土蜘蛛は、どこかと揉めているのが常で、彼らが「報復だ!」と意気込んでいるのはさほど珍しいことではないのであるが、この頃は特に殺気立っていた。


 なにせ、厳重に隠されている彼らの里に人間が侵入し、長の子を連れ去ったのだ。


しかも犯人は、人間の臭いが染みついた衣服まで残したのだという。


「土蜘蛛だけじゃなく、あちこちで誘拐が起きてるらしいね。……うん、この子が攫われた子っぽい。邪魔になったから殺したのかな。やっぱり祓い屋の仕業?」


 銀目の頭越しに遺骸を見つめる金目には、欠片も同情の色が浮かんでいない。金目にとってそれはただの肉塊であり、心を砕くほど価値のある相手ではなかったからだ。


「それはどうだろうな。ほら、見てみろよ」


 銀目は白い歯を見せて笑うと、遺骸のある部分を指さした。


 それはまだ幼さが残るあやかしの顔だ。土蜘蛛であるその子どもには瞳が八つあった。


「祓い屋が蜘蛛の目を持っていかないって、絶対にないと俺は思うんだよな!」


「ああ……確かにそうだねえ。蜘蛛の目なんて、呪術の触媒に最適だろうに。相手が祓い屋じゃない可能性か……。新しい知見だね。銀目、やるじゃん」

「へへ、褒めてくれてもいいんだぜ!」


 豪快に笑った弟に、金目は労りの意味を込めて頭を撫でてやった。


 けれど、すぐに首を傾げた。遺骸の傍らにしゃがみ込んだ銀目が、どこか落ち着かないのに気が付いたからだ。


「なあ、金目……」


 銀目はほんのり頬を染めて金目を見上げると、どこか甘えるような声で言った。


「俺、腹減っちまった。コイツ食ってもいい?」


 烏天狗である彼らは雑食だ。普通の食事も取りはするが、生き物の死骸も好んで食べる。腐肉などは、特に銀目の好物だ。どうやら遺骸が放つ香りに食欲が刺激されたらしい。銀目は目をキラキラ輝かせて、許可が出るのをじっと待っている。


数瞬の間、口を噤んだ金目は、すぐにフッと表情を和らげて首を横に振った。


「駄目だよ。ぬらりひょんのところに持っていかなくちゃ」

「えええ……。別にいいだろお 死体を調べてもなにもわかんねえって。俺の腹に収まった方が、よっぽどコイツも報われるってもんだ」

「なら、終わった後に死体をもらえばいいでしょ」

「その頃には食べ頃じゃなくなってるよ~! 今、すっげえいい塩梅なのに」


 ぷうと頬を膨らませた銀目に、金目はクスクス楽しげに笑っている。


「我が儘だなあ。あんまり駄々こねると、夏織に言いつけるよ」

「うっ……!」

「夏織の前では、人間っぽくあるように努めてるんでしょ? 殺された子どもを勝手に食べたって知られたら、どう思われるかなあ」


 わざと煽るような言葉を選び、口にする。みるみるうちに青ざめていく片割れを面白く思いながら、その実、金目の胸中は複雑である。


「どうしよっか? それ食べてく?」


 確信を持って銀目に訊ねると、彼は首を横に振って勢いよく立ち上がった。


「仕方ねえから、帰るまで我慢する……」

「よくできました。そう言えば、あっちでアケビを見つけたんだ。行ってみる?」

「おお! それはいいな!」


 途端に表情を輝かせた銀目に、金目はニッコリ笑いかけると――同時に、茂みの向こうに鋭い視線を送った。


「ねえ、そろそろ出てきたら? のぞき見なんて、趣味が悪いんじゃない?」

「……!」


 その瞬間、双子の様子をずっと窺っていた何者かは、脱兎の如く逃げ出した。


「銀目っ!」

「おう。任せとけ!」


 ここ最近、鞍馬山僧正坊との修行に熱中していた銀目は、成果を見せてやると言わんばかりに勢いよく飛び出した。金目は茂みの向こうにあっという間に消えてしまった片割れの姿を見送ると、じっと耳を澄ます。こういう時は運動神経に勝る銀目に任せるべきだ。


 数分後、銀目が茂みを掻き分けて戻ってきた。そこには、銀目の他に誰の姿もない。

 取り逃がしたのかと意外に思っていると、金目は堪らず首を捻った。


「……金目ぇ」


 何故ならば、いつも能天気に笑っている弟が、泣きそうな顔をしていたからである。




 様子のおかしい銀目に連れられ、金目がやってきたのは、彼らがいたところからほど近い場所だった。鬱蒼とした木々の中に、枯れかけた巨木がそびえ立っている。


十人ほどの大人が両手を繋がないと囲めないほどの太い幹には、大きな虚が空いていた。


「ここ?」

「おう」


 どうやら謎の監視者はこの虚の中に逃げ込んだらしい。

 歯切れの悪い銀目の様子を不思議に思いながら、金目は虚の内部を覗き込んだ。


 濃厚な森の匂い。落ち葉と土と水、そして木の香りが混じったそれが鼻につき、外気よりも冷えた空気が肌に触れた。虚にはかなり奥行きがあり、四畳ほどの広さがある。


「……う、うう……」


 そこにいたのは、一歳ぐらいの子どもだった。

 いや、子どもというには些か語弊がある。見かけの年齢だけ考慮するならば間違いないのだが、それは人間にあるまじき特徴を持っていたからだ。


 つぶらな瞳の色は濃緑。髪は夏の森を思わせる浅葱色。鮮やかな青緑の髪には蔓が絡みついていて、地面に長く長く伸びていた。肌は青みがかっていて、爪は琥珀のように深い黄褐色。衣ひとつ纏っておらず、肌寒くも感じる山の中では正直心許ない。


 幽世暮らしが長い双子からしても、見たことがないあやかしだった。人でないのならば、見かけ相応の年齢とは限らない。


「あう……」


 どうやらそれはまだ喋れないようだった。

虚の中で体を縮こませ、小刻みに震えている。体はガリガリに痩せ細っていて、唇はひび割れていた。目の下には濃い隈が刻まれて、見るからに弱り切っているようだ。


「銀目、これは?」

「わかんねえ。コイツが俺らを見てたのは間違いねえみたいだけど」


 ――嫌な予感がする。


 金目が思わず眉を顰めると、銀目も深く嘆息をした。流石は双子である。胸に抱いた想いは同じであったらしい。銀目は金目の着物の裾を掴むと、不安そうに瞳を揺らした。


「コイツ、俺らと同じかも」


 頭痛がしてきた。指でこめかみを解す。

 そんな金目を、銀目はじっと見つめている。


 双子の意思決定権は、主に金目にある。自由奔放な銀目ではあるが、彼が勝手に物事を決めることはそう多くない。過去の経験から、思慮深い金目に任せた方が、物事が上手く運ぶと学んだ結果だ。しかし、今日ばかりはその決まりごとが恨めしかった。こんなこと、自分ひとりで決めるには些か荷が重すぎる。


「……貸本屋へ連れて行こう。なにはともあれ、これの正体を知らないと動けない」


 だから、金目は即座に自分で判断することを放棄した。あのお人好しの坩堝のような店に連れて行けば、勝手にこの生き物の待遇を決めてくれるに違いない。


「だよな! 流石、金目だなあ」


 金目の胸中を知ってか知らずか、銀目は無邪気に顔を綻ばせている。見るからに安堵した様子の片割れに、ひっそりとため息を溢して、虚の中のそれに目を向けた。


「……あう〜」


 言葉にならない声を上げて、それは未だに縮こまったまま震えている。

 恐らく、目の前にいる見知らぬあやかしに、運命が委ねられたことすら理解していない。金目はそのことに吐き気を覚えそうになりながら、ニッコリと人好きしそうな笑みを顔に貼り付け――そっと手を差し伸べた。


「ひとりぼっちで寂しかったろう。おいで、僕らが助けてあげる」


 ――忌々しい。


 その幼子は、金目の内でドロドロと渦巻いているものに欠片も気がついた様子を見せず、こてんと首を傾げた。

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